もう一つの終わり
実の父母、サヨウナラ回。
いやそりゃ、否定するだけの親と厳しいながらも愛情たっぷりのじじばばなら、後者を選ぶだろうよって思いながら書いておりました。
サーグリッド公爵家には、現当主であるアーヴィング・エル・サーグリッドを筆頭に、当主息子のエルネスト・アル・サーグリッド、その妻であるエミリア・サーグリッド、長女であるレティシエリーゼ・エル・サーグリッド、長男であるサイラス・エル・サーグリッドが暮らしている。
そして、サーグリッド公爵家に忠誠を誓う使用人たち。
また、このサーグリッド公爵家において、『エル』を名乗るものは当主であるか、現在跡取り候補として育てられているという意味も持つ。
そうでないものはそれ以外。
外から来た嫁や婿に関しては、名は与えられない。
レティシエリーゼとサイラスは双子であり、大変に仲が良かった。
父親とも二人の子供は仲が良かった。
祖父母との関係性は言うまでもなく良好。
だが、エルネストの妻であるエミリアはありとあらゆることが不満だった。
己が産んだ娘とはいえ、幼少期よりとんでもない知識欲を有し、ありとあらゆることを学びたがる様子はどうやっても好きにはなれなかった。
サイラスもそうだ。
子供は子供らしく遊べばいいのにと、何度二人を説得しても『公爵家の人間たるもの、普通ではいけない』としか言われない。
必然的に我が子ながら当たりはどんどんと強くしてしまう。
けれど、それは仕方の無いことなのだとエミリアは思っていた。
次期当主候補にサイラスとレティシエリーゼが選ばれ、己の夫はそもそも存在をスルーされてしまったのだ。
どうして、と義父に詰め寄って得られた答えは何ともシンプルなもので。
『役立たずな上に向上心がない人間が、公爵家を盛り立てられるわけがないだろう』
確かに夫は大変おっとりしている。
でも、それは優しさだ。人のことを考えて、何より優しく丁寧に扱ってくれる。だからこそ惹かれ、結婚し、子供たちも生まれたというのに。
「あ、あんまりですわお義父さま!エルネストは貴方の息子ではありませんか!」
「血筋だけで跡取りになり、公爵となっては家は立ち行かぬわうつけが。血筋もあり、向上心もあり、勉強もできる、学ぶ意欲も大変素晴らしい我が孫達を選ぶのは当たり前というものであろう?」
どう足掻いても勝てない正論をぶつけられ、エミリアは泣いた。
レティシエリーゼは幼いながらにエミリアと良好な関係を築こうと努力していたが、彼女が気が付いた頃には存在そのものをスルーされるようになってしまった。
サイラスは必要最低限の会話しかしてくれない。
どうして、とまた泣いた。泣くだけだった。何も行動はしなかったし、話し合いもしなかった。
『子供だから』としか思っていなかったから。
そうこうしている間に、レティシエリーゼは王妃候補として第一王子の婚約者となった。
サイラスは飛び級で高等学院を首席で卒業、異例の速さで文官として王宮勤めとなった。
社交界に出れば、レティシエリーゼとサイラスの母として注目されるが、娘や息子のことはもう何年も気にかけることもなかったせいか、周りとまともに会話ができない事実に、ようやく気付かされた。
その頃にはもう遅い。
二人に構おうとしても、仕事の忙しさや王妃教育の楽しさを理由に母とは会話すらしようとしない状態にまでなっていた。というか、実際二人にそんな悠長なことを言う暇などないのだが。
時間があるのは朝食の席。
ゆっくり深呼吸をして、決意してからエミリアは口を開く。
「レ、レティシエリーゼ」
「はい」
「王太子様との関係性は良好なの?」
「……………第一王子殿下は、まだ王太子に内定されておりませんが」
「……………っ!!」
王子という身分が『王太子』になるのは、王太子教育を修了させた上で、国王と王妃、執務官全員から承認を貰った王子で、国民の前で正式に発表された時だけ。
アルティアスは王太子教育は進んでいるものの、第二王子やその他、側妃達の生んだ王子も同じように王太子教育が進められている。
あまりに当たり前な内容だから、知っていると思ったのだけれど、と後にレティシエリーゼは小さく呟く。
会話を聞いていたアーヴィングはわざとらしく大きな溜息を吐いてからエミリアをちらりと見た。
「…お前が公爵家に貢献できたのは、隔世遺伝と言わんばかりに向上心の塊の孫二人を産んだことだけか」
とんでもない侮辱。
フォークとナイフを握る手にぎりぎりと力が込められる。
「王子が王太子になるための条件すら、お前は知らんかったのか……。エルネスト、貴様何故教えておらぬ」
「申し訳ございません、父上」
「これを社交界で言わずに済んだのは何よりだな、恥さらしと言わねばならぬところであったぞ」
「もうし、わけ…ありません」
エミリアの顔色は真っ青を通り越して土気色へと変貌していた。
隔世遺伝、と言われる理由も心当たりはある。
あの二人に受け継がれているのは自分の性格ではない、エルネストの温和な空気でもない。
紛れもなく、サーグリッド公爵家そのものなのだ。
レティシエリーゼもサイラスも、やはり母のことは一切気にしていない。それどころかさっさと朝食を終えて、食後のお茶を楽しんでいる。
「おじい様」
「……ん?どうした、レティシエリーゼや」
「わたくし、本日王妃教育が終わり次第、王妃様からお茶会に招待されておりますので、帰りがいつもの時間ではございません」
「そうかそうか。ゆるりと過ごしてまいれ」
「はい」
「それと…お母様」
「な、なぁに?!」
「お母様はわたくしとお兄様が大嫌いなのでしょう?あれは…いくつの時でしたかしら。二人揃って図書館で本を読んでいる時にこう言われましたわね。『子供らしくないわが子など、わたくしの子供ではないわ!』と」
ひゅ、と喉が鳴った気がした。
「あぁ…そういえば俺も言われたな。レティも覚えていたの?」
「ええ勿論。ですからわたくしとお兄様はもうとっくに決めましたの」
「な、に、を…」
「俺たちに母親は居なかった、と思うことに決めたんです」
「わたくしたちの育ての親はおじい様とおばあ様。ただそれだけのこと」
「あなたは俺たちに不満を撒き散らすだけでしかなかったので」
「「もう良いです」」
綺麗に重なり、祖父母にそれぞれ似た笑みを浮かべて言われた言葉。音。
「ですからお母様」
「もう俺たちに関わらないでください。俺は公爵家を継ぎます」
「わたくしは王家に嫁ぎます。ですがそれは、あくまで『王家』に、です。第一王子殿下ではなくなる可能性もございますので、悪しからず」
「社交界で聞かれたらこう言えば良いんですよ、『自慢の娘と息子なんですの』ってね」
にこやかに続けられる言葉。
二人に悪気はない。あるのは『もう構わないでほしい』という感情だけ。
二人が尊敬するのは祖父母。
だがそれは当たり前のことではないだろうか。
父親は泣く母親を慰め、たまに相手をしてくれたかと思えば『母様に優しくしてやっておくれ』ということしか言わない。
代わりに育ててくれたのは祖母だった。
泣くだけの母親は何もしないのだから。
メイド達も困っていたから、祖母から言われたように指示を出していった。
勉強は当主である祖父が二人いっぺんに直々に教えてくれた。
とても分かりやすく、双子だからとよく競争もさせられたけれど、競う相手が居て互いに足りない知識を増やせるのは何より楽しかった。
知らないことが知れる、分からなかったものが分かるようになっていく。世界が広がるのだ。
楽しくないわけがない。
二人は祖父母に手を引かれ、狭かった父母との世界からとっくの昔に巣立っていたのだ。
そうとも知らず、理解もしようとせず、母だった人は泣いていた。
今もまた泣いている。
でも、双子にはどうでも良かった。
彼女の世界には愛しい父親がいるのだから。
朝食を終え、先にレティシエリーゼが立ち上がる。
「ご馳走様でした。おじい様、お茶会で何があったのかは改めてご報告いたします。おばあ様にもお伝えくださいませ」
「あいわかった。では身支度をし行ってまいれ、我が自慢の孫娘よ」
「はいっ!」
背筋を伸ばし、堂々たる姿で退出するレティシエリーゼには専属侍女兼護衛騎士が付いている。
彼女の背中を見送ってから、兄のサイラスは口を開いた。
「お母様とお父様は郊外の領地に行かれてはいかがですか?もう、二人だけの世界に入ってしまえばいい。…遅すぎたんですよ、何もかも。子供は、貴方の思っている以上に周りのことは理解しているものです。それをきちんとお考えになってくださいね。…………ではおじい様、俺も行ってきます」
「うむ、気を付けろ。そなたも儂の自慢の孫であるぞ」
威厳のある目元が双子を見つめる時は限りなく優しく微笑む。
アーヴィングは孫たちを厳しく躾けつつも、限りなく深い愛情を持って育てていた。
当たり前だが、レティシエリーゼとサイラスは祖父母に対してはべったりなのだ。
サイラスも部屋を出てから、アーヴィングはやはり泣いているだけのエミリアをちらりと一瞥する。
「お前は本当に……最後まで母として存在しえなかったのう……哀れな女よ。あの子らを理解し、慈しむことも忘れ、ただ泣き喚き当たり散らすだけの存在をどうして愛せようか?……サイラスが申した通り、領地に引っ込むが良いわ。貴様らの居場所は、もう子らの傍ではないのだからな」
突き放す言葉に、エルネストは己の行動を省み、そして恥じたが後悔先に立たず。
子供たちはもうとっくに己たちから巣立ってしまっていた。この国の成人である16歳にもなっていないのに。
その日の午後、公爵家から一台の馬車が領地へ向けて出発した。
同時刻、レティシエリーゼは王妃の茶会に参席する為にティールームへと向かった。
「こんにちは、サーグリッド公爵令嬢。お会いできて光栄です!……レティ姉様」
まさか出迎えてくれたのが第二王子であるとは知らず、恐らく王妃も第二王子も、完璧であるレティシエリーゼの『へぁ?』という間抜けな声を聞くこととなってしまったのだ。
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