始まりの日
思えば、こうなったのは誰のせいか。
――――王太子のせいである。
彼に少しでも分別があれば。
少しでも、人の話を聞くことができれば、きっとこんなことにはなってはいなかったのだろう。
レティシエリーゼ・エル・サーグリッド。
サーグリッド公爵家の第一令嬢にして、現当主の祖父より英才教育を受け、歴史に残るほどの才女と言わしめた少女。
ありとあらゆるジャンルの知識を詰め込まれても、彼女は嫌がらなかった。
純粋に勉強することを楽しんでいたのだから。
新しい知識を得る度に目を輝かせ、学び、応用し、そうして質問を重ね、家庭教師を喜ばせ、互いに奮起し、どんどんと応用力を身につけていく。
10歳になる頃には、既に中等教育をほぼ終えており、いつから高等教育を始めるのかを議論していた。
それを良しとしない者も家には居た。
レティシエリーゼの実母である。
『女の子は笑って、おしとやかにして、その場の華となれば良い』という、何ともよく分からない理由で、様々なことを学び、こなしているレティシエリーゼを憎み、妬んでいた。実の子なのに。
最初のうちは、レティシエリーゼも実母の態度に困惑し、少しでも良好な関係となるよう努力もしてみた。
だが、それらは全て泡と消えた。
ならば、もう良い、と。彼女はあまりにあっさりと諦めた。
レティシエリーゼが僅か11歳の話。
そして、そこまで優秀であるならばと、王家との縁談が持ち上がり、本人同士の気持ちはどこへやら、な状態で第一王子と彼女の婚約はあまりにあっさりと結ばれてしまったのだ。
顔合わせは12歳の時。
「初めまして、第一王子殿下。サーグリッド公爵家が第一子、レティシエリーゼ・エル・サーグリッド。王命により参上致しました。王子殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
「……」
あまりに見事なカーテシーを披露し、少し拙いながらもほぼ完璧な挨拶をしたレティシエリーゼを、第一王子であるアルティアス・フォン・クリミアは一瞥しただけで終わってしまった。
ゆるりと顔を上げれば、アルティアスと視線が合うもののそれはそれは大変に嫌そうな顔で、またもやレティシエリーゼは察してしまった。
あぁ、私は嫌われたのだと。
実際はそんなことは無く、実はアルティアスの一目惚れだったらしい。
『らしい』というのは、彼の専属騎士からの又聞きでしかないために真実は闇の中だ。
気持ちなど、きちんと口に出さねば分からない。
アルティアスはそれをしなかった。
むしろその逆。
友人として付き合いのある様々な貴族の息子達と話していると、皆一様に『少しくらいこちらがツンとしてやれ!たまに優しくするんだ。所謂ギャップ萌え?とかいうやつらしい!』という、何ともよく分からんアドバイスをくれるものだから、アルティアスはそれを実行した。
結果は言うまでもなく最悪、の一言に尽きる。
そもそも、自分に対してだけ態度の悪い(ように接している)人に対して、どんな感情を抱けと言うのか。
レティシエリーゼは幼いながらにも王妃と国王に訴えかけた。
王命だからこその婚約ではあるが、まさかこんなに対応の悪い人と婚約しなければならないのかと驚いた、と。
このまま改善の余地が見られないのであれば、王命に背くことがあったとしても婚約を無かったものにしていただきたい、国に嫁ぐというのは変えなくていい。それが公爵家長女としての役割ならば。
だからどうか、国王と王妃様もきちんと状態を見て、察していただきたい、と。
あのレティシエリーゼが、涙を流しながら乞うたのはこれが恐らく初めてであっただろう。
公爵家当主である祖父もその場におり、それは大層驚いたという。
淑女たるもの冷静であれ。
表情から察されるようなことがあってはならぬ。
王妃教育が始まってからは殊更強く言われた内容。
王妃教育は嫌などではなかった。だって、公爵家で学ばないことが学べるのだから。
彼女が嫌がったのは、王妃教育後の王子とのお茶会である。
侍女に案内された先で、嫌そうに表情を歪めた王子から出迎えられ、『いい気になるな』『お前なぞ、僕の一言ですぐに婚約者の座からは下ろされる』『良いのは家柄だけか』など、散々たる言葉しか吐かれたことは無い。
レティシエリーゼは内心、そんなに嫌ならはよ婚約解消でも何でもすれば良いわ、としか思っていなかった。だって嫌だもの。
心の底から冷めきった眼差しを向けつつ、さすがにお茶会の度に罵詈雑言を浴びせられるのは己の趣味ではない。
かちゃん、とわざと乱暴にティーカップを置けば、アルティアスは少し驚いたように目を丸くした。
「…第一王子殿下、そのように嫌であれば書面にて取り決めを交わしてもよろしいですか?」
「は?」
「わたくしと貴方様がお茶会として同席するのは、最初に注がれた一杯分の紅茶が無くなるまで。…わざわざ嫌っている相手の顔を見ながらのお茶会など、楽しくもなんともないでしょう」
「お、おい!まて!」
「誰か」
りぃん、と。
テーブルに置かれた人呼びの鈴を鳴らせば、侍女が素早くテーブルへとやってくる。
レティシエリーゼは先程の内容を羊皮紙に書き起こし、自身はさらりとサインをしてからアルティアスに突きつけた。
「さぁどうぞ」
「う、っ……」
アルティアスは内心、友に対して『話が違う!』と罵倒していたが、サインしなければ終わりそうにない。
ぎり、と悔しそうに歯噛みをしてから乱雑にサインをした。
「………………これでいいのか」
「はい、ありがとうございます。それでは失礼致します」
言い終わるが早いか、レティシエリーゼはマナーが悪いことを承知の上で紅茶をその場に捨てた。ばっしゃりと。
侍女とアルティアスが呆然としているとすっと立ち上がり一言、
「それでは第一王子殿下、失礼致します。お約束通り、一杯分の紅茶は無くなりました」
「はぁ?!飲んでもいないだろうが!お前は捨てただけだ!」
「飲み干す、とは書いておりませんので有効です。それでは御前を失礼致します。さようなら」
「まて!許さないからな!レティ!!出ていくな!!おいってば!!」
「呼ばないでいただけません?」
絶対零度の眼差しを向けられ、アルティアスは思わず息を呑んだ。
「貴方様のような方に、わたくしの愛称を呼ばれたくはございません。……………第一王子殿下」
ぎろりと睨んでからさっさとレティシエリーゼはその部屋を出ていってしまう。
残されたのは呆然とするアルティアスと、紅茶を用意した侍女。
勢いで書き始めたもの。
そんなに長くはならない予定です。