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ミリーナ・マクファーデンは真顔だった。

というより、虚無。

彼女はその華やかな顔立ちから一切の感情が抜け落ちていることにも気づかず、ひとり呆然と中庭のベンチに腰かけていた。


知らぬ人が見れば、麗しの女子生徒が鳥の囀りや木々のざわめきに耳をすませているのだと思うだろう。

ところが当のミリーナの胸中は、魔獣に蹂躙されたかのように激しく乱れていた。


白百合寮リーブロン・フォワイエって!

他の男の子と女子生徒を取り合ったって!!

いったい、どういうことなのよアルの、アルフのっ、バカバカッ!浮気者ーーー!!!!

―という具合に。


胸から噴き出し、口にまで出そうになる不満をミリーナは手を握りしめて耐えた。

ああ…もう、いっそのことこんな学園、潰れてしまったらいいんだわ。私にとっては、アルを落とすための学園生活だったんだもの…!

それが、それがまさか、始まって2日目でこんなことになるなんて…!


ミリーナは情けなくも潤みそうになる目をぎゅっと閉じた。脳裏に浮かぶのは、妖精の人間版とか、神々の最高傑作とか、そんな誉め言葉を腐るほど言われ続け、今やそんな言葉には眉ひとつ動かさない、とびきり美しい幼馴染み―アルフ・アルヴァレズだった。



 アルフとの出会いは、それこそはっきりと思い出せないくらい昔―たぶん私のお母様が自分の親友であるアルのお母様のお茶会に私を連れていった時だ。

そこで初めて挨拶をした時の、彼の天使のような美貌を私はまだはっきりと覚えている。


『はじめまして。私はアルフ・アルヴァレズともうします。あなたの、おなまえは?』


そう言ってお辞儀をした時の銀髪の輝き、黙ってしまった私を伺う情熱的な炎の瞳、すっきりとした鼻梁に、幼いながらも清廉な色気を感じさせる唇…そのあまりの美しさに、小さい私は緊張して声も出せなくなってしまったのだ。

あれは恥ずかしすぎる失態だったと今でも思い出す。


しかしそんなスマートではない初対面にも関わらず、それからどういう訳か、アルフがよく家へ来てくれるようになった。

いったい彼が私の何を気に入ったのか…今でも謎だけれど、幼い私はとにかくアルに会えるのが嬉しくて嬉しくて舞い上がっていた。


もしかしたら、それは両親達も同じだったのかもしれない。父親達は同じ派閥に属し、母親達は親友同士、家格もつり合いが取れ、年も同じで、本人達も気が合うみたい―たぶんこれだけ条件が揃う相手はそういない。


きちんとした書類や儀式を交わした訳ではないが、アルフのお母様からは『遠慮しないでいいのよ~ミリーナちゃん!もうちょっとしたら私の娘にもなるんだから~!』という言葉を幾度となく頂いていた。


もちろん私もその気だった。

だってアルが好きだったから。

もちろん彼の人間離れした美しい顔立ちもそのひとつだけど、それだけじゃない。

眠たい時にちょっと低くなる声や、美味しいレモンタルトを食べた時の目、いつも冷静なのに魔法の訓練になると浮かぶ不適な笑み―そういうガラスの欠片のように小さな思い出が、だんだんと私の中で好きという気持ちになっていった。


けれど花びらのように柔らかくて不器用なミリーナの恋心にとって、なまじ子どもの頃からよく知っているというのは厄介だった。

たまに屋敷で2人きりになっても、年頃の男女特有のドキドキする雰囲気にならないのだ。それは男女どころか、まるで年の近い親戚といるような空気感で…。


仲はごく良好。でも、なにか、違う気がする。


このままじゃいけないと、ミリーナは思った。

貴族が婚約者を正式に発表するのは、18歳になって迎える夜会でと決まっている。

ミリーナとアルフにはもうあと3年しかないのだ。

そこで、ふとミリーナは気がついた。


私とアルが出会ってもう10年。

でもこの10年の間、一度も『好きだ』とか『いつか結婚しよう』とか言われたことがない。


…えっ、ひょっとして…わ、わたくしって…

……相手にされてない?


ミリーナは大いに焦った。

ち、違う!きっと違うわ!アルはあんなに目立つ顔なのに、真面目で真摯で、ちょっと礼儀にうるさいところがあるから、時がくるまでそういう大切なことは言わないつもりなのよ!た、たぶん…!…きっと!!


そう思いながら、考えれば考えるほど、血の気が引いた。

…どうしよう。将来の伴侶だと思ってたのが私だけだったら!お茶会も、実は向こうのお母様に無理やり連れてこられていただけだったり!そ、それともお目当ては私じゃなくて、師匠のお祖父様だったのかもしれないわ…!


一度気づいてしまった事実は、ミリーナの心をひどく苦しめる。ミリーナは不安から震える手を胸の前で握りしめた。

で、でも!私にだってまだチャンスはあるわ!他のどの女の子よりも、アルフ・アルヴァレズのことを知っているのはこの私。アルが小さかった頃から今まで、ずっと一緒にいたんだもの。彼の心を理解し、奪い取るのに一番有利な位置にいるのは変わらない。

それにもし、今、本気で彼が私の魅力に気づいていなかったとしても、環境が変われば私を見る目も変わるかもしれないわ…。幸い、彼もジョルダン魔法学園に通うつもりらしいし。

同じ寮に入って、年の近い男女に囲まれて、恋の話になったりしたら、アルだって少しは私のことを意識するにちがいないでしょう。そうしたら、もうこちらのものよ!一緒に授業を受けたり、図書館で勉強したり…それから破れ鍋地区(プー・ラタン)のお買い物、寮対抗試合(リヴァリテ)、あぁ学園舞踏会(バロウ)もあるわ!

ふふふふ、待ってなさいアル。

この3年間の学園生活で私、きっと貴方を落としてみせるから―!


…なんて、私は燃えていた。


 でも現実は物語のようにはいかない。

まず、私とアルフは所属になった寮が違った。

この国一番の魔法学府であるジョルダン魔法学園には4つの寮がある。赤薔薇寮(ローズ・フォワイエ)黄菊(クリザンテム)(フォワイエ)紫陽花(オルタンシエ)(フォワイエ)そして白百合寮(リーブロン・ホワイエ)だ。

入学した時の個々の適性によって振り分けられるらしいが、私は赤薔薇寮(ローズ・フォワイエ)、アルフは白百合寮(リーブロン・ホワイエ)だった。


なぜ!!どうして!!アルフが白百合寮リーブロン・ホワイエなのよ!!

と昨日教師陣に食ってかかりたい気持ちを抑え込むのにずいぶん苦労した。


だって授業もイベントも、大抵のことはぜんぶ寮ごとに行われる。つまり寮が違えば授業は違うし、行事では敵同士。寮ごとに仲間意識があるから気軽に遊びに行くこともできない。

えっ…何で急にこんなに障害が増えたの…。

と思ったのが入学式を終えた昨日のこと。

そして2日目のつい先ほど、とんでもない噂が赤薔薇寮(ローズ・フォワイエ)に飛び込んできた。


その噂とは―

白百合寮(リーブロン・ホワイエ)のアルフ・アルヴァレズが、平民の特待生と桃色の髪の女子をめぐって、負けたらしい。』

というものだった。


もう、「は?」の一言である。

マクファーデン伯爵家の躾のおかげで、何とか口にするのは免れたが、そのショックは大きすぎた。


あのアルフが?女子生徒をめぐって?喧嘩?

それってつまり、アルフがある女の子を好きになって、他の男子もその子のことが好きで、やめて!私のために争わないで!みたいな状況になったってことよね?ん?ちょっとまって、アルフが…その子を好きになった??入学2日目で?

えっ………それじゃあ、私は、ふられたってこと?


「……………。」


はあぁ、とミリーナは今度こそ項垂れた。


制服の肩に、いつかアルフに会うかもしれないからと、花のオイルで丁寧にケアをした金髪が虚しく落ちる。


…私は、がんばったのだ。

氷妖精の化身と噂になるほど美しく、魔法の巧さで知られたアルと違って、私は自分が誉め言葉には困らない程度の令嬢に過ぎないと自覚していた。

背中まである長い金髪は国民の8割と同じ色。

そこそこの美人ではあるこの顔もキツめで、初対面のご令嬢からはよく恐がられる。

性格だって可愛いほうじゃない。賢しらに見せびらかして…なんて男性に陰口を叩かれたこともあるくらいだ。

私には、足りないところばかり。

でも今までは大して気にならなかった。

だってアルは、こんな私を素晴らしい女性だと言ってくれたから。知識も美徳も備えている立派なレディだと誉めてくれたから。


今思えば、ただのお世辞だったのかもしれないけれど、だれよりも素敵な彼がそう言ってくれたから、私は自分に自信を持っていられた。



「はぁぁ………。」

 息を吐ききって二拍ほどおいた後、ふいに校舎の角から大きな声が聞こえてきて、ミリーナは顔を上げた。


「あっ!そっちはダメだ!!」

すると校舎の角から鳩のような大きさの灰色の鳥と、引きずりそうな黒いローブを纏った男の子が飛び出してきた。

「待って!逃げないで!僕は…!」

男子生徒は懸命に目の前を飛ぶ鳥に手を伸ばそうとするけれど、鳥は威嚇をして、鋭い鉤爪でその手を引っ掻く。

「っ!痛っ」


ミリーナは男子生徒のその声で、こちらへ飛んでくる鳥が気になった。


…あの鳥、見馴れないものだけど、飛び方がおかしいわ。どこかに怪我をしているのかしら、かわいそうに。今なら…助けてあげられるかも…。


ミリーナはゆっくりベンチから立ち上がると、そっと飛んでくる鳥に向かって右手を伸ばし、胸の内で精霊に呼びかけた。


―風の精霊よ、

それだけで、ざわりと中庭の風が反応する。

指先に通う血と風が混ざりあうような不思議な感覚…魔法だ。


あの鳥は弱っているし、呪文を唱えるまでもないわ。風を操ってそっと芝生に下ろしてあげましょう。


そう思ってそのまま右手を操作しようとしたら、ふいに校舎の角に突っ立っている、桃色の髪をした女子が目に入った。

「っっ!」

一瞬の動揺。

「キエッ」

その一時が、特に無詠唱魔法では命取りになる。

「あっ…」

ミリーナの油断をついて、鳥は最後の力を振り絞るように空高く飛び上がると、校舎の屋根を越えて逃げていってしまった。


…ああ。逃がしちゃったわ。



すると私の目の前で、鳥を追っていた男子生徒が力尽きたように膝をついた。ぜいぜいと荒い呼吸音が聞こえてくる。

その必死な様子に、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「…ごめんなさい、貴方のペットだったのかしら?」


そう声をかけると、ゆらりと頭が動いて、分厚い瓶底メガネがこちらを向く。

彼はなんだか妙な雰囲気の生徒だった。

例えるなら水をかけられた黒猫。黒い髪はあちこち跳ねて、襟はよれよれ。長すぎるローブは年季が入って見えるけれど、体面に見える魔力の量からして、たぶん同じ一年生に違いない。


「…いえ、ち、違うんですっ…。ゲホッゴホッ…すみませっ…はっ、はぁ…。」

彼はなんとか荒い呼吸を整えてメガネをとると、額に流れる汗をぬぐいながら首を横に振った。

「っそのっ…アレは子どもの魔鳥で、怪我をしていて、放っておくと危ないからって…」

「魔鳥?」


ミリーナはそんなまさか、という顔をした。

魔鳥、つまり魔獣の一種がどうしてこんな市街地…というか学園の中庭に現れるというのか。

本来、魔獣は人を寄せ付けない深い森や荒れた海に住んでいて、()()()()()()()()()()こんな場所には姿を見せない。


「そんな…勘違いではないの?私には普通の…鳩の仲間のように見えたけれど…。」

「…そうですよね、やっぱり信じてもらえないですよね。そう言いながら僕も半信半疑なんですけど…。でも、彼女が絶対って言うものだから…。」


そう言っておずおずと後ろを振り返った彼の瓶底メガネの先には、あの女子生徒―桃色の髪の美少女がなぜか困ったような顔で立っていた。



 そんな表情にもかかわらず、彼女はとても可愛いらしい美少女だった。肩で揃えられた明るい桃色の髪に、透き通るような青の大きな瞳、鼻や唇もコロンとして、とても人目を集める容姿をしている。なのに、可憐だ。


派手で華美な花が似合う私とは違い、道端で咲いている花のような純情で愛らしい女の子―。


ミリーナは自分のついてなさすぎる運を恨んだ。


確かめるまでもない。きっと…彼女だわ。キャロライン・キャンベル。アルフが特待生と取り合ったとかいう女子生徒―。


そんな彼女はおそるおそる私達の方へ近づいてきた。

「あ、あのー…リュカっち、大丈夫?」

その鈴のような声が、また別の衝撃をミリーナにもたらした。


…リュ、リュカっち!?!"っち"って何なの"っち"って!!

きちんとした教育を受けた淑女は例えどれだけ親密な間柄でも、男性をそんな風に呼ばない。

目の前のこの子はおそらく子爵か男爵くらいの、下級とはいえ貴族でしょうに…ア、アルって、こういうタイプが好みだったの?!


未だ衝撃から抜け出せないミリーナを置いて、二人は会話を続けた。

「…はぁ。うん。走り回って、疲れただけだよ。でもごめんね、キャロル。あの鳥逃がしちゃったんだ。」

「えっ!?逃げちゃった?」

「うん、僕じゃ追いつけなくて…。校舎を軽く飛び越えていったから、もう学園にはいないと思う。」

「うーん、そっかぁ、それなら…いいのかな。…あっ、でも、あたし…悪役令嬢ミリーナと会っちゃってるじゃん、ていうことはやっぱり原作通り?でもアルルンがいないとイベントとしては成立しないから、やっぱりまだ終わって…?」


桃色の髪の少女―キャロラインは、ブツブツと一人言を言いながら顎に手を当てて考えこみ始めた。それを見て黒髪の男子生徒は、やれやれと首を振る。

瓶底メガネといい、キャロラインとの仲の良さといい、ミリーナは彼こそが例の特待生だと確信していた。


それにしても、彼は…この子の奇行に慣れてるのかしら?!


ミリーナはもう信じられない思いで桃色の少女を見つめる。この距離で聞きまちがいをしていなければ、彼女は私を悪役令嬢とか言ったのだ。しかも呼び捨てで。失礼にもほどがある。


「―あなた、一体何のおつもり?初対面でいきなり人を悪役だなんて。礼儀知らずにもほどがあるのではなくて?」

私がそう言うと、彼女は空のような目を丸々とさせて口をおさえた。

「えっ!あれっ、あたしったらまた口に出してた?!やだもーう、ごめんねミリーナ!違うの!いや、あなたが悪役ってところは原作通りなんだけど、違うの!むしろ今のあたしは、あなたの恋のキューピッド!あなたにアルル…じゃなかった、アルフ・アルヴァレズとくっついてほしくてここにいるのよ!」


きゅー、ぴっど?

原作?

アルフとくっついてほしい?

……は?


つまり?


「あたしの代わりに、みたいな?つまりルート変更っていうのかな、こういうの。

…まぁ今のあなたに言ったところで、何言ってんだコイツってなるとは思うんだけど、本当に信じて。あたし、別にアルフ・アルヴァレズのこと」


それ以上、我慢ができなかった。


「えっ!?」

「キャロル!!」


彼女の周りにぶわっと風が起こり、竜巻のように彼女を取り囲む。


「わっ!こ、これって!」


「慎みなさいキャロライン・キャンベル。これ以上アルフを侮辱することは許さないわ。」


怒りで目の前が真っ赤に染まっていた。


"私の代わり"?

"アルフとくっついて"?


冗談じゃない。

彼女はアルフの事も私の事も、いったい何だと思っているのか。


彼が好きになった女性を簡単に変えるような軽薄な男だと?傷心にかこつけて誘惑するような女になびいてくれる簡単な男だと?他に未練のある()()()()を手にいれて、満足する私だと?


「あなたは何も知らない。アルフの事も、私の事も…」

何も、知らないくせに。

あなたに寄せられた好意にどれだけの重みがあるのか。

どんなに私がそれを欲しかったのか。

「何も知らないくせに!」

あなたはまるでゴミのようにアルフの想いを捨てる。


「キャロル!」

その時、特待生が私とキャロラインの間に割って入ろうと、右手をのばした。

地面から舞い上がる風が、その手の甲に流れる血を巻き上げる。鳥にひっかかれた傷だ。


「リュカっち!なにその血!」

気づいたキャロラインが絹を割くような声でそう言ったとき、私の耳に低く、馴染んだ声が聞こえてきた。


「……ミリーナ?」

「……っ!」


はっと振り返れば、変わらない白皙の美貌をたたえたアルフが、真っ赤な瞳で私を見ていた。




 風は止んでいた。


手の甲からポタポタと滴る血。


芝生に滴り落ちるそれを慌てて抑えようとする特待生と、彼に寄り添って優しくハンカチを差し出す桃色の髪の彼女。


そして彼女らを背後に庇い、私を深い憎悪の瞳で睨むのは―アルフ。アルフ・アルヴァレズ。

―何を隠そう、私の、好きな人。


「見損なったぞ、ミリーナ。諍いで同級生に血を流させるとは…。」

「っちがっ……!」


その怪我は、私の魔法のせいじゃない!

そう言い返そうと思ったのに、アルフの射殺さんばかりの視線が、反論を許さない。

彼は口をつぐんだ私をどう思ったのだろうか。

持ち前の美貌を苦々しげに歪めて、アルフは吐き捨てるように言った。


「言い訳はいい。去れ。」


「…っ!!」


赤い瞳は、本気だった。

本気で、彼は私に怒っている。


ぞくり

恐くて背筋が震えた。

今まで一度だってアルにこんな冷たい目を向けられたことはない。


…なに、それ。


言い分も聞いてくれないの?

どうして信じてくれないの?

こんなに一緒にいたのに?


言葉にすら、ならなかった。


私はツンとする不快感を無理やり喉の奥へ押し込んで踵をかえす。今の私を支えているのは骸になったプライドだけだった。


もう、いい。

もういいわ。

もう知らない。


目が熱くなってくる。

これ以上は、きっと耐えられない。

後ろの二人に嫌みのひとつでも言ってやりたいと思うのに、涙が溢れそうで睨みつけることもできなかった。


「っ……!」


私はアルフの鋭い視線を背中に感じながら、裏庭からひとり、敗走した。



 終わった、私の初恋。


午後の授業のオリエンテーションを受けながら、ミリーナの脳内にはずっとその言葉が回っていた。


始まりなんて、思い出せないくらい子どもの頃だ。少しずつ積み上げてきた恋心に、確かに約束はなかったけれど。

でも…それでもまさか、昨日アルを知ったばかりの人に彼を奪われるなんて思いもしなかった。


あのピンクの髪の可愛らしいけどかなり失礼なお嬢さん。

あの人が彼の何を知っているっていうの?

私が川に落ちた時、彼は何の躊躇いもなく飛び込んでくれたのよ。

嵐が恐ろしいと言ったら、ため息をつきながら手を握ってくれた。

魔法の訓練中に怪我をする姿を見ていられなくて必死で治癒魔法を覚えたら、笑って喜んでくれたわ。

そんなこと、何も知らないくせに。

ああ、妬ましい。


最低だと自分でも分かっている。

分かっていても、こう思うのを止められなかった。


『どうして、私じゃないの?』



「ミリーナさん?」

声をかけられて、私は俯いていた顔をあげた。

西陽が射し込む教室の中で、昨日知り合ったばかりの女子生徒―あぁ、そうだレイチェル。レイチェル・ハーシー子爵令嬢が栗色の巻き毛を揺らして覗きこんでいた。


「ご気分がよくありませんの?お顔の色がよろしく見えませんわ…。」

「え、えぇ。少し寝不足で…。」


気つけば魔法薬の授業が終わっていた。これが今日の最終授業だから、まわりの生達はもう荷物をまとめ始めている。

遅れないように慌てて羽ペンをしまい始めると、レイチェルはうんうんと頷いた。


「分かりますわ。アルフ・アルヴァレズ様のことでしょう?昨日、アルヴァレズ様のお姿がこの赤薔薇寮(ローズ・フォワイエ)にないと知って、大半の女子生徒は残念に思いましたもの。」

「へ、ぇっ……そ、そうでしたの?」


ずっと脳裏にあるその人の話をされて、私は思わず声がひっくり返りそうになった。しかし彼女は私の様子を怪しむこともなく続けた。


「そうですわ。赤薔薇寮(ローズ・フォワイエ)といえば情熱と伝統の寮。個人の資質で決まる寮ならば、あの方は誰よりこの寮にふさわしいはず。自分がこの寮に決まった時、あの方と同じ寮になれたなんて、私も早とちりしてしまいましたわ。」

「うふふ、ふ………。」


びっくりした。

まさか皆とまったく同じ考えだったなんて…。


レイチェルはそれでも覇気のないミリーナを見て、少し口調をやわらげた。


「アルヴァレズ様はデビュー前にして、その美しさと火焔魔法で知られた方。決まったお相手もいらっしゃいませんし、憧れるのはレディとして当然ですわ。」


ミリーナはもう乾いた笑いしか出てこなかった。


アルフと私が幼馴染みだったことは、家族しか知らない。

基本的にお互いの屋敷で会っていたし、彼は貴族の集まりを面倒がって出てこなかったし、私には自分の秘密を打ち明けるような友達もいなかったから。


つまり世間的には私はアルフの親しい女の子でも何でもないのだ。アルフの婚約者候補に名を連ねたい、ただの()()()()()()のご令嬢。

そうでなければ、無邪気にこんな話をされないだろう。

レイチェルの目には、スタートラインが同じ者同士への同情と励ましが浮かんでいるのだから。


口の中に砂を噛み締めたような味がした。

私とアルフが積み重ねたもの―いいえ、積み重ねてきたと信じていたものなんて、最初からなかったみたいだわ。


ズキン

心臓が激しく痛む。

ミリーナはとっさに手の甲に爪を立てた。

そうでもしなければ、今、この激しく渦をまく胸の内を無関係のレイチェルにぶちまけてしまいそうだったから。

幸い彼女はそれに気づかなかった。明るい紅色に色づいた口角をあげると、密談をするように小声で話し始める。


「もうキャロライン・キャンベルさんと噂になっていらっしゃるけれど、きっと長くは続かないと思いません?あちらは成り上がりの男爵家ですし、物腰だって粗野な方だとお聞きしましたわ。」

「……そ、そう、なの…。」

「えぇ。ですから私は希望を捨てないことにいたしましたの。寮が違っても、同じ学校にいるのですから、チャンスはきっとありますわ。」


最後は励ますように言われて、私は曖昧な笑みを浮かべた。


「そう、ね…。」


もっとおしゃべりをする気分だったなら、レイチェルにキャロライン・キャンベルは粗野どころか無礼だったと言っていただろう。


でも、背中に庇ってみせる以上、アルフはそんな彼女が好きなのだ。


期待をしているレイチェルにそう言ってあげるべきか悩んだけれど、結局それを告げる勇気が出なかった。


「私、このことを抜きにしても、ミリーナさんとは良いお友達になれる気がしているの。これからどうぞよろしくね。」

彼女は栗色の巻き毛を指先に巻き付けると、不敵に微笑んだ。

それはきっと、自分が認めた恋敵に向ける微笑だ。


違うのよ、レイチェルさん。

私はもう終わったの。

終わりにさせられたの。


でもそんな事を言う勇気は、もっとなかった。

言ってしまえば、全てのあらましを打ち明けなければいけなくなる。


彼女は優しくて、とても正々堂々とした人なんだろう。落ち込んでいたら、恋敵の同級生にも親切にできるような素敵な人。

独りよがりな思いに支配され、心中でキャロラインの不満ばかり唱えていた私には、彼女がとても眩しく見えた。


「ええ。その…がんばって、ね…。」


精一杯の勇気を絞り出した笑みを見て、レイチェルは目をみはる。そして何か続けようとして―


「たーのもーう!」

「ちょ!ちょっと静かに!」

「「「……!!?」」」


 突如教室に入ってきた白百合寮(リーブロン・ホワイエ)の生徒二人に邪魔をされた。







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[一言] 女性が書いてるアピールは別に要らないと思う
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