夏休みの宿題は異世界旅行?
その高校を進学先に選んだ理由は、ただ1つ。その高校の夏休みの宿題が、「異世界に旅行し、見聞を広めること」だったからだ。
異世界転移。かつては物語の中のおとぎ話だったが、それが近年、リアルに異世界が発見され、その異世界の王の懇意によりこの世界の十代の将来有望な若者に異世界体験をさせるという画期的な教育方法が導入された。
ただ全国的にいきなり多人数で異世界に転移するのはよくないということで、今年度は僕が現在在籍している県立高校がモデル校として全国唯一の異世界旅行教育の場となった。
今年のこの高校の入試は、凄惨を極める事態になった。
混乱を避けるため、本来県内からしか生徒を募集しないところを、全国から募集した。さぞや何万人も殺到するかと思いきや、リアルに受験したのはわずか100人だった。
けっきょくは、リアルに異世界転移というのはやはり怖いと思ったんだろう。実はこの異世界転移、確実にその異世界に転移できるかといえばそうではないのだ。その異世界の召喚術を持つ者の能力はじゅうぶんなのだが、やはり生身の人間が召喚術を行使するために間違いの可能性もあるというのだ。ただその間違いは0.00000000003パーセントの極小の確率で生じるというのでほぼその異世界に転移するということなのだが、そのごくわずかな失敗の確率が厨二萌えの中坊男子たちを委縮させた。異世界転移に失敗すると、世界と世界のはざまに閉じ込められるという。そこに行くとなぜか生存はできるのだが、真っ暗闇のため何もすることもできず永遠に無為の状態で過ごさねばならないという。
それでも100人が受験した。しかし受験した100人は、いずれもこの世界で鬱屈を抱えている問題のある生徒ばかりで、しかも中学校の生活指導担当教師たちがこぞってそういった問題のある生徒たちの矯正をめざし、強制的に受験させたものだった。
僕も、中学の担任教師から再三「あそこを受けろ、あそこを受けろ」とすすめられ、というか勝手に願書を送付されてけっきょく受ける羽目になった。
ただ僕自身、異世界には非常な興味があった。召喚術があるということは、魔法世界に違いない。その世界には、ファンタジーな人たちがいるのかな?永遠に歳を取らない吸血女子とか、ケモ耳生やし尻尾が付いてる女子とか、変態な性向を持つ女子剣士とか。
そういう興味があって、僕は行ってしまった。他の受験生たちも、僕と同じような心境だったのだろう。会場の前で、受験生たちががやがやとそんな話をしていたから。
さて、受験した100人全員が、合格した。いちおう試験科目は5教科だったが、0点でも合格したみたいだ。
さて、問題児ばかり集められているわけだが、僕の抱えている問題は何か、って?
僕は、別に自分では問題児だとは思っていない。僕はオタクではないし、校内一の美少女にモテて男子たちから反感を買っているわけでもない。勉強も平均より少し悪いかなという程度。対人も、コミュ障というわけでなく友だちはそれなりにいる。いったい、どこに問題があるというんだ?
僕は、じつは、極端な運動オンチである。100メートル走るのに、30秒以上かかる。それ以外の運動も、からっきしダメ。健康状態は、別に問題はない。原因は、2歳から10歳の体づくりにとって大事な時期に、まったく運動をしなくて基礎体力がほぼゼロなのである。
僕は、小中学生時代の運動系の行事に参加したことが、1度もない。
僕は、学校や教師からも事実上の差別を受け、クラス全員参加の球技大会や体育祭では初めから補欠扱いだった。補欠には、出場機会がある補欠と、出場機会のない補欠がいる。僕は、後者だ。
おかげで僕は、クラス対抗の球技大会や体育祭の日は、いちおう登校し、いちおう体操着に着替えグランドに出るが、出場機会ゼロなのでふてくされてグランドを抜け出し、ひとり校舎内を徘徊するのが常だった。そしてそんな僕の行動も、教師間で運動極端オンチ情報が共有されているらしく、僕を見かけても注意1つしてこなかった。
そして歩きをメインとする校外学習でも、事実上の疎外状態で、暗に「休め」と言われる始末。
歩きをメインとしない校外学習や修学旅行でも、集合時刻に遅れに遅れてしまうことが普通。そのため僕一人だけバスに乗れずに、後からタクシーで追いかけるというのがパターン化した。
ちなみに、僕の小中学校の毎朝の登校での自宅出発時刻は、午前6時が定刻だった。通常人が20分で行ける距離を、僕は1時間近くかかるからだ。
途中に歩道橋があると、さらに遅れる。階段上りが超苦手で。段を1段登るのに、10秒かかる。ひざは別に悪くない。動きが遅いだけだ。
運動オンチなので、自転車に乗ることもできない。ある時、自転車をちょっと持っていてくれと言われ受け取った瞬間、その自転車をガシャーンと道に倒してしまったことがある。自転車の重みでさえ、体力のない僕には苦痛なのだ。
この高校は、全寮制である。全国から生徒が集まるからでもあるが。それでも僕は、朝9時始業に間に合わせるために、寮を7時半には出る。高校の敷地内は階段あり坂道ありスロープありで、起伏に富んでいるからである。
やがて、異世界転移の日取りと、実際に転移する生徒の人数が決まった。
100人中、異世界転移を希望または指導(強制)された生徒は、10名。一度に召喚可能な人数の限界らしい。僕も、指導されその中に入れられた。
7月1日当日正午から、名字の五十音順に30分間隔で、向こうの異世界の召喚術が発動される。
僕は、最後の10人目なので、午後4時半にその異世界に召喚される。
召喚時は、生徒は、指定された場所に指示通りに立つことになっていた。どんな場所なのかは、そのときまで秘密。
異世界での滞在期間は、1週間。1週間後に初めに行われた召喚術が自動的に始動され、生徒は何もしなくてもこの世界に戻ってくるという。
異世界の情報は、あらかじめ、いっさい知らされていない。
行ったことのあるひとに話を聞いても、「はあ?」「どうだったかな?」と訳の分からない返答をされる。こちらに戻ってくるときに、どうやら異世界の記憶を消されているのではなかろうか?と僕は、疑っている。
そして異世界に行った大半の人が戻ってこないという。ファンタジーな雰囲気に夢中になって「残る」と希望するそうだ。
また異世界から戻ってきた人のほとんどが、なぜか数年以内に病気になったり死んだりする事例が多い。
僕は、遅れないように寮を午後3時に出発した。
寮から階段を数段登ると、グランドに出る。6段ある階段だが、登るのに1分かかった。
グランドのわきの道は、少し登りの坂道。傾斜のゆるいスロープ道だが、僕は、ゼイゼイと息を荒くしながらゆっくりゆっくりとそこを歩いた。いや、自分では速足で歩いているつもりなのだが。
500メートルの坂道を20分くらいかかってようやく踏破すると、校舎が見えてきた。
ここまでに、すでに30分くらいかかっている。普通の生徒なら、数分の距離だ。
校舎のわきの道は、平坦で歩きやすい。5分ほど歩いて脇を通り過ぎると、体育館が見えてきた。
その体育館のほうをなにげに見やると、中から何かまばゆい光がさしたのが見えた。
《あそこで、召喚されてるな?》
僕は、そう思いながらその光輝いた窓のほうを、じっと見ていた。
ハッと気づくと、30分くらい経っていた。
《いけない、いけない、また悪い癖が出た》
これ、実は僕のもう一つの特徴である。
僕は、何か興味を惹かれることがあると、それに一点集中してしまって時がたつのを忘れる向きがあるのだ。校外学習や修学旅行で集合時刻に遅れまくる理由は、極端な運動オンチに加え、このような性向があるからだった。
体育館の周囲は、上り下りの激しい道である。僕は、苦労しながら何とか午後4時20分に、体育館の前にたどりついた。
担任の男教師が
「1年、16歳、わらわらビリ!早くしろ!」
と僕の肩をどやしつけてきて、体育館の中へぐいぐい押し込まれた。
「先生、僕はビリじゃなくて、びりい、ですが」
僕は、名前を呼ばれるたびに恒例になっている返答をした。
僕の名前は、藁藁弥理威、という。このおかしな名前のせいで、生まれてこのかたさんざんなからかわれようをしてきた、トラウマ名前だ。
「おい、藁藁、わははは!」
「おまえの名前、笑ける!笑笑」
といったからかいは、幼稚園児のころから。
下の名前は、まさに名は体を表すで。
「おいおい、ビリビリ、びりっけつ!」
「さすがビリだ。このビリ野郎!」
などと、体育の時間は喧騒の嵐だった。中学校の体育祭に僕が出場機会ゼロになるという職員会議の決定に対し、学校じゅうの生徒が不満を漏らした。その理由が
<藁藁くんをからかう楽しみがなくなる>
だった。
体育館は1階なので、スムーズに入れた。
バスケットコートの中央に、祭壇のようなものが作ってあり、その前に魔法陣のようなものが床に描かれていた。
「ビリ、そこに立ちなさい」
「だから僕は、ビリじゃなくて、びりい…」
僕はぶつくさ言いながら、その魔法陣の中央に立った。
ピピピピ。
先生の携帯が鳴った。午後4時半。
魔法陣全体が明るく輝き始めた。まぶしい。
すると、下から声が聞こえた。
「わらわらびりいクン、いますか?」
「はい、います」
と返事すると、その声は
「今からこちらの世界に、きみを召還します。足元に階段が現れます」
と言った。
足元を見ると、その声の言うとおり、2段の階段が現れた。
「わたしが、はい、と合図したら、その階段の1段目にのぼってください。すると、きみはこちらの世界に召喚されます」
僕は、なんだかとても嫌な予感がした。
僕は、その声が「はい」と発するのを、今か今かと待った。
なぜか、声がなかなか発せられない。
僕の足の始動は、例によって遅い。僕は遅れてはいけないと思って、左足を上げている。僕は、第1歩は左足という人である。
左足が疲れてきた。
声がなかなか聞こえないので、僕はとうとうねを上げて左足を下ろしてしまった。
その瞬間だった。
「はいっ!」
向こうから声が聞こえた。
《しまった!》
僕は、ミスを犯した。
しかも、悪いことに3つのミスを犯してしまった。
1つめは、左足を床に降ろした次の瞬間にあわてて右足を上げてしまったこと。僕は左足始動が普通で、右足始動をすると慣れないのでつまずいて転んでしまう。
2つめは、極端な運動オンチのせいでその右足の動きがスローだったこと。普通人なら「はい」と言われると、1秒以内にその段に足を到達させるのだが、僕は20秒近くかかってしまった。
そして3つめは、最大のミスだった。僕の右足は、あろうことか1段目を通り越して2段目を目指して動いてしまった。段に足を到達させるのに20秒近くかかったのは、そのためだった。
《遅れたから、召喚されないだろう》
僕は、楽観視していた。
しかし、僕が右足を階段の2段目に置いた瞬間、僕の全身がまばゆい光に包まれた。
《えっ?召喚、されるの?》
このシステム、なんてアバウトなんだとあきれた。
僕は、まぶしくて目を閉じながら、今から行く異世界のファンタジーな要素を思い浮かべていたが、やがて頭の中がめちゃくちゃいじられるような痛みに襲われ、僕は気を失った。
**********
さわやかな風が、僕の頬を撫でた。
僕は、意識を取り戻していた。頭の中の痛みは、きれいに消えていた。
ただ、おかしな感覚だ。たしか右足を階段の2段目に置いていたはずだが、僕の足の下には何も無いような感じだ。そう、まるで宙に浮いているような。
《あ、そうだ。僕は、異世界に召喚されたんだ》
僕の異世界召喚のイメージは、神殿の中か、草原に召喚されるというもの。この頬を撫でるさわやかな風。ということは、僕は草原に召喚されたのかな?
僕は、閉じていた目をそっと開いた。
「えっ?」
僕は、目を開いたはずだ。ところが、目の前は、真っ暗闇だった。
「えっ?えっ?」
それは本当に真っ暗闇で、自分の身体も見えなかった。
僕は、自分の右手で左手の甲に触れてみた。真っ暗で見えないが、だいたいの位置はわかる。
あった。
僕は、両方の手のひらで、自分の身体のあちらこちらに触った。身体は、確かにある。
しかし、何も見えない。
僕は少し焦って、息を弾ませた。呼吸が荒くなるかと思ったが、そうでもない。
僕は運動オンチゆえに、肺活量があまり大きくない。息を弾ませただけで、呼吸が荒くなってしまう。
しかし、今はそれがなかった。
《僕は…、ひょっとして死んだのか?》
異世界召喚に失敗したと、思った。失敗の確率は、非常に低いはずだった。しかし僕は、自分が極端に運が悪い人間であるという自覚がある。運動オンチが、おもな原因だ。
《やっぱり、あの階段踏み外しが失敗の原因だったんだ…》
階段を見た瞬間の、僕のいやな予感はズバリ的中してしまったのである。
しかし、死んだにしては妙である。
死んだらふつう、肉体の死と共に意識もどこかに飛んで行ってしまうはずだ。それなのに、僕はあれこれと考えたり、後悔したり、嘆息したりしている。風も感じている。
<世界と世界のはざま><次元断層>というような知識が、頭によぎった。
僕は、オタクではないが、人並みにアニメやSFドラマを見る。だから、そのような知識を持っている。
《僕は、異世界召喚に失敗して、世界と世界のはざまの何もない空間に漂っているのではないか?》
アニメ知識によると、その空間では人間は呼吸ができる上に腹も減らない。死ぬこともない。ただ、そこには何もない。この何もない空間で、永遠に生き続けなければならない。そのためたいがいの人間は、発狂してしまう。この空間が偶然他の世界とつながって助かっても、たいがいは発狂しているので、助かったという自覚がなく本人は永遠の闇に閉じ込められていると。
《ああー、僕の人生は、終わった…》
まだ15年8か月しか生きていないが、その人生はほんと損ばかりしてきたように思う。
運動オンチ人間には、人権がない。
駅で電車に乗るにしても、学校に行くにしても、秒単位で世界は動く。
電車が駅につきドアが開いても、30秒ほどでドアが閉まってしまう。満員な時は人波に押されいつの間にか乗ったり降りたりできるが、なまじ空いているとドアの開閉に間に合わない。ドアのわきに立っていればいいというが、運動オンチ体力不足の人間にとって電車で立っているというのは、地獄の苦しみだ。
学校も、教室からトイレまでなんと遠いことか。教室にトイレが付属していたらいいのにと、いつも思っていた。今の高校でも、僕は1組である。同じ階にクラスが5クラス並んでいる。トイレは、5組の向こう側にある。そこまで歩いていくのに、5分はかかる。小ならまだギリギリ間に合うが、大のときは完全に遅刻する。
ほんと、世界は運動オンチに優しくない。
そんなことをつらつらと考えていたら、なんだか眠気が襲ってきた。
これは、いい。何も見えなくて、何もすることがないときは、寝るに限る。
僕はその眠けに誘われ、すーっと寝入っていた。
僕はこのときあるアニメ知識が頭によぎっていたが、眠けのために無視していた。その知識とは
<次元断層では、眠けも起こらない、いっさいの生理現象が、ストップする。時間という概念がないからである。だから同じ思考が、頭の中をぐるぐると繰り返され、人間は発狂する>
だった。
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そのころ、体育館では。
「いない!いない!ビリがいない!」
とんでもなく大きな声で騒いでいたのは、担任教師だ。
「何事です?」
祭壇の後ろから現れたのは、フードをかぶったスーツ姿のマスク男。
マスクを外したその男の頬に、大きな切り傷がある。この男、目つきが鋭く、髪は短く剃り込みが入っている。この男は、見た目が反社会的な暴力集団の人間のようだ。
男は担任教師と共に魔法陣の中央を目を凝らして見つめている。
「ここに、わらわらクンは確かにいたのですね?」
「はい、先ほどまでそこに立ち、はい!の合図で右足を上げていました」
「うーん。彼の姿はとつぜんかき消えたのですか?」
「そうです。まるで蒸発するかのように、消えて見えなくなってしまいました」
男はしばしぼうぜんとたたずんでいたが、やがて担任教師に
「先生、このことは内密に願います。ま、一人くらいいなくなっても、当面は異世界に行ったと世間は思うでしょう。そして帰ってこなくても、異世界に居残ったと報告すればよいだけです」
「はい、わかりました」
男は、体育館の外に出た。
「兄貴、9名、車に乗せました!」
男の姿を見た、チンピラ風情の男がペコペコしながら叫んだ。
「しっ!声がデカいっ」
「それで、兄貴、もう一人は?」
「うん、もう一人は別ルートで運ぶ。おまえは予定通り、車を転がして港へ行け。船は20時に出発だ。間に合わせろよ?」
「がってんでがんす!」
軽トラックが、ぶぶーんとエンジン音を響かせて発車した。その荷台には、麻袋に包まれた9つの物体が載せられていた。
もう、読者諸君はお分かりだろう。
<異世界召喚>…、それは、真っ赤なウソであった。
実情は、問題のある生徒をピックアップして海外の鉱山に送り、過酷な労働をさせるのであった。そして送られた高校生の大部分はそのまま労働力として鉱山に残り、帰ってくるのは病気になった者たちであった。その帰ってきた人間たちは、特殊な薬物の投与を受けて記憶を失っていた。
<異世界召喚>の向こうの世界の神官役を務めていたのは、この兄貴と呼ばれていた男である。
それでは、われらの主人公である藁藁弥理威クンは、いったいどこに行ってしまったのだろうか?
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僕の頬を、さわやかな風が撫でている。
僕は、眠い目をぼんやりと薄く開いた。
「わ?まぶしっ?」
まばゆい光に、思わず目がくらんだ。先ほどまでの真っ暗闇に、すっかり目が慣れてしまっていたのだろう。僕は、しばらくの間、ただただ光があふれるまばゆい視界の中にいた。
あまり眠くはないが、もう一度目を閉じてみた。
自分の手で身体に触れる。身体は、あった。
そして、これは先ほどと完全に異なる感覚。僕は、明らかに草と思われるその上に、身体を横たえていた。土のようなひんやりとしたものも、感じた。
いちばんの感覚は
「うっ…、くさっ、くさっ、くっさあああー!」
僕は、思わず叫ぶと、目を開いた。