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 私達は母さんの提案を受け、昇雪現象が起こりそうな夕方まで、西条家にやっかいになることに決めた。

「すみません、何か病み上がりでこんなことさせちゃって……」

「いえいえ、大丈夫ですよ。これぐらいの坂なら、ちょうどいい運動ですよ」

 病院を出て、真っ直ぐ母さんの家……すなわち、元の時代で言う私の祖父母の家に向かうのかと思いきや、母さんの「せっかく遠くから来ていただいたので……」という名目の元、私達は今、ある場所へと目指して急勾配の上り坂を上っている真っ最中だ。

「友江さん、坂を上って何をするんですか? 」

 征仁さんはあたかも何も知らない体裁で母さんにそう尋ねた。私は目つきを細めて「どうせわかってるくせに……」という意味を孕んだ視線を彼に送った。

「見せたいモノが……あるんです。私のお気に入りの場所なんですが……」

 母さんもこの坂道が辛いようだ……息を切らしながら、一歩一歩重そうに足を持ち上げては下ろし、持ち上げては下ろし……

 ああ……その姿を見て、私は何だか物凄い罪悪感を覚えてしまっている……だってそうでしょう? 母さんがそうまでして見せたいモノが何なのかを、私と征仁さんはすでに知っているのだから。

「それは楽しみですね。ワクワクしますよ」

 だというのに、征仁さんはさっきからこんな風に母さんを調子に乗らせるようなことばかり言っている……それがなんだか、大人が子供をあやしているようなやり取りに見えてしまってしょうがない。将来的には実の母親となる人物が、こうして子供扱いされている様を見せつけられてしまうと、少し腹が立ってしまうのだ。

「ふう……着きましたよ! 」

 あれこれ考えながら歩いているうちに、どうやら私達は目的地にたどり着いたようだ。

「ここの公園から見える景色が最高なんです」

 母さんが案内してくれた場所。それはやはりというか、案の定というか……私も元の時代で何度か訪れたことのある[あいざわ公園]だった。

 屋根付きのベンチや自動販売機は無いものの、私の時代とは違ってブランコやジャングルジムといった公園らしい遊具がしっかりと置かれてあった。

 時代の流れでこれらは徐々に取り壊されていったのだろう。その運命を知っていると、これらの施設にどことなく儚い愛しさを感じてしまう。

「うわぁ、いい眺めですねぇ~」

「そうでしょう? 白日が一望出来るんですよ」

 私がノスタルジックな感傷で遊具をぼんやり眺めていると、母さんと征仁さんの感嘆に満ちた溜息混じりの声が聞こえてくる。

 私も二人に混じって一緒にその景色を眺めてみることにしたけど、自分の期待を上回るほどの感動は特に感じられなかった。

 公園入口の反対側から見下ろすその景色は、確かに見晴らしが良かったものの、思いのほか、元の時代で眺めていた風景と大差が無かったので少し拍子抜けしてしまった。

 タイムスリップして過去に来ているという事実が、気持ちを焦らせて感受性を抑え込んでいるのかもしれない。単純に心の余裕が無いのだ。

「雪姫も見てごらん。町があんなに小さいよ」

「う……うん」

 征仁さんは子供のようにその絶景に夢中になっている。肩の力が抜けていて、びっくりするくらいに自然な笑顔を振りまいている。あんなにも余裕の雰囲気でこの時代の空気を楽しんでいるコトが不思議でしょうがない。

 もしも自分達が怪しまれないようにそういう風に演技をしているのだとしたら、征仁さんには役者になることをオススメしたい。と思うほどだ。

「ありがとうございます、友江さん。いい場所を教えていただきました」

「いえ、こんなに喜んでいただければ、私の方も嬉しいです案内してよかった」

 そう言って、母さんは公園からの風景をバックに、光沢のある黒髪をかき分けながら、私達に笑顔を見せてくれた。

 裏表の無い、無意識から沸きあがらせたそのほほ笑みは、やや薄暗い空と強いコントラストを作って、とても輝かしく見え……そして何より……

 素敵だった……

 征仁さんは初めから母さんのこの笑顔を見ることを目的として、見慣れたあいざわ公園への同行を楽しんでいたのかもしれない。こういうところの鋭さというか、気の利かせ方に関しては素直に感嘆するところがある。

「トモちゃ~ん! 」

 公園からの風景、および母さんに見入っていた私達の元に、突然空気を裂くかと思うほどの大きな声が乱入する。張りがあって、近くにガラスがあれば振動で日々が入るかと思うその声には、どことなく聞き覚えがあった。

「あ! なっちゃん! 」

 母さんのことを「トモちゃん」と呼び、力強い足取りで私達の方へと走り寄ってきたその人は、「なっちゃん」と呼ばれていた。

 なっちゃんと呼ばれた女の子は、母さんと同じセーラー服を着ていて、とても頼りがいのある雰囲気と体格を持ち合わせていた。そのエネルギーに満ち溢れてい存在感で、私はこの人の正体におおよその見当がついてしまった。

 もしかして、もしかするとこの人は……

「ハァ……ハァ……トモちゃん、またここに来てたんだね」

「うん。それよりなっちゃん、ちょっと落ち着こうよ、息切れするほどダッシュすることないのに……」

「ハハ……なんか知らないけど気持ちが盛り上がっちゃって」

 このせわしない感じは間違いないな。

「え~と……そ……それでこちらの方々は? 」

 なっちゃんは今になってようやく私達の存在に気が付いたようだ。征仁さんの丸坊主に包帯、おまけにヒゲ面という厳ついルックスに驚きつつ、私達を品定めするように視線を動かしている。

「昇雪現象を見に来た旅行の人達だよ、今この辺を案内してる最中なの」

「へぇ~、そうなんだ……どうも初めまして。わたし、村上夏樹っていいます」

 私の想像どおりだった。彼女は母さんの友達であり、あいざわ診療所で看護師をしていた村上さんだったのだ。

「は、初めまして……雪姫です」

「雪姫の叔父です」

 私達も村上さんに続いて自己紹介を済ませる。母さんに続いてこれで二度目なのだけど、時空を越えた形ですでに面識がある人にこうやって初対面の挨拶を済ませるのは、どことなく舞台で演技をしているようなこそばゆさがあって妙におかしかった。

「なっちゃん。今ね、昇雪現象が見られる時間まで、ユキちゃんたちに白日のイイところを紹介してたところなんだ」

「イイところねぇ……昇雪現象以外じゃ、山の風景だとか、近くの心霊スポットだとかしか、あまり見るものないんだよねぇ……」

「なっちゃん、そんなコト言わないでよ」

 まぁ、確かに……と私は心の中で相槌を打つ。

「きっとこの辺は30年経っても代わり映えしなくて、ずっと田舎のままだよ。時間が止まったみたいに」

「夢がないなぁ……なっちゃんは」

 うん、村上さんの言う通り。基本的には何も変わってないですよ。

「はは、そんなコトはないよ。ここからの風景はなかなかのもんだったから」

 と、征仁さんがフォローを入れるも、村上さんは「ありがとうございます。でも、毎日見ればそのうち飽きちゃうと思いますよ」と故郷を自虐する。

 これは白日町の人々全員に言えることなのだけど、とにかく地元に対して自信が持てないのか、「いえいえウチなんて」だとか「大したモンじゃないですよ」だとかが口癖で、生まれ故郷に胸を張れない町民性がある。しかしそんな中、得意げにあいざわ公園に私達を案内した母さんは極めて希少な町民なのかもしれない。

 娘である私が言うのもなんだけど、母さんは顔つきもこんな片田舎では似つかわしくないほどに垢抜けていて、少し浮いた印象すら感じる。

 そんな母さんだからこそ、他の人々とは少し違った視点で物事を見据えることができているのかもしれない。村上さんが見飽きた風景にも、どこか変わった楽しみ方を見出しているのだろうな。

「そんなもんかな? でも、昇雪現象は綺麗なんでしょ? 」

 どう転んでも自虐的な話になりかねない雰囲気にの中、征仁さんが村上さんに、この町一番の観光名所について尋ねる。

「昇雪現象……ですか……わたしは一回だけ見たことがありますけど……」

 話題が昇雪現象に村上さんの顔つきが変わった? さっきまで楽し気な雰囲気を発散していた彼女が、神妙な表情に変わってしまった。一体なんでだろう? 

「それを初めて見た時……わたしは感じましたね。この煌びやかな現象の裏には、不思議で奇妙な力が隠されているんじゃないか? って。どことなくこの世のモノとはハッキリ違う何かを受け取りましたよ」

 突然オカルト的な話を持ち出してきた村上さん。なるほど、元の時代では分からなかったけど、こういう話題が好きな人だったんだな……そして勘もいい。確かにその通り、あの昇雪現象には科学では説明できない不思議なパワーを秘めていた。それを今まさに、私達のタイムスリップという形で証明している。

「わたしは思うんですよ……あの現象には、どこか異世界へと通ずる黄泉の穴と同型のモノを感じます。元々雪姫ゆきひめの言い伝えも残っていますし、とにかく私は、綺麗、美しいと感じる以上に、これはおかしいぞ……という胸騒ぎの方が大きかったですね」

「へ……へぇ……」

 まるで台本があるかのように、村上さは超常的な話をイキイキと話し続ける。

「その後、気になってこの辺りの地理や伝承を調べてみたところ、どうやらここいら一体は、奇妙な力が漲る龍脈というモノが張り巡らされているようなのです。そして、独自の調査によって分かったのですが、その龍脈の中心はですね……実は……」

「あいざわ診療所の一本松……」

「……え?」

 私がついつい話の筋に乗せられて口走った言葉に、一同が唖然とした顔をこちらに向ける。

「…………あ! 」しまった! 私は何を口走っちゃったのだろう。

 驚くことに村上さんの話が幸村先生が言っていたことと全く同じ内容だったため、その話をつなぐように自然と舌が動いて喋ってしまっていた……

 怪しまれないだろうか? 変な人だと思われていないだろうか? 不安の渦がグルグル体の中をうごめいている……母さんも村上さんも、征仁さんまで、目を見開いて私をまるで迷子になった宇宙人を見るような目になっている……

「ユキ……ちゃん? 」

「は……はい? 」

 村上さんが突然、私の両手を包み込むように握り締めてきた。一体どうして? 手汗が湧き出てしまうほどに緊張してしまい、私は気がおかしくなりそうになってしまった。

「分かってるじゃないの! どうして知ってるの? 龍脈の中心を! 」

「は……はい? 」

 村上さんの反応は、どうやら私が不安に思う類のモノではなかったようだ。彼女の目は、海外旅行中に日本人の姿を見つけた時のような、安心と感動の輝きに満ちていた。まぁ、海外旅行なんて一度もしたことないんだけど……

「その通りなの! この辺りの伝承だとかなんかを色々と分析して導き出された答えが、診療所の松の木なの! どうしてそれを知ってるの? 」

「ええ、ええと……何となく、そんな感じがしたから……」

「す……すごい……ユキちゃん、【気】を読むことが出来るのね……! 」

 なんだか色々と面倒なコトになってきたぞ……まさか幸村先生に教わった豆知識が、こんな状況を生み出してしまうだなんて予想だにしなかった……

「ユキちゃんって凄いのね! 」

「凄いな雪姫。いつの間にそんなコトを」

 ああ、やめて! そんな羨望のまなざしで私を見るのはやめて! 他人からの受け売りを自分の手柄にしてしまった罪悪感で不気味に苦笑いをすることしか出来なくなっている自分が耐えられない! 

 それに、母さんはともかく、征仁さんまでこの流れに乗っからないでよ! 分かってよ! 私がテキトーなコトを口走っただけってコトを! 

「凄いよユキちゃん! 霊感があるのね? 」

「あ……いや……その、そんなところ……かな? 」

「ちょ、ちょっといい? 」

 村上さんはそう言って、おもむろに私の右手の平を凝視し始めた。一体何を? 

「ええと? これは? 」

あまり手入れがされてなく綺麗とはいえない自分の手を、穴が開くかと思うほどに観察されて困っているところに「なっちゃんは手相占いができるんですよ」と、母さんが説明してくれた。村上さんのスピリチュアル度数がまた一つ上がった瞬間である。

「凄い……仏眼の相に……神秘の十字線まで……霊感の強い人に備わる相がビッシリつまってるじゃない」

「……そうなんだ」

 どうやら手相的な観点では、私には本当に霊感が備わっているようだ。個人的には占いというモノは眉唾で、あまり信用はしていないタチなのだけど、今こうして時間旅行という超常的な出来事に巻き込まれている現実が少しだけその姿勢を緩めてくれていたようだ。私は今、手相を褒められて、素直に嬉しいと感じている。

「でも……ユキちゃん。霊感の手相と一緒に、災いの手相も濃く出てるのね……とても悲しい出来事が近いうちに起こるかもしれないよ」

「……え? ……」

 悲しい出来事か……私がそう言われた瞬間、征仁さんは少しだけ視線を動かし、母さんの姿を見た後に顔を曇らせていた。

 そう、それはもう起こっていたことだ。今、ここにいて一緒に笑っている母さん……彼女が私の時代ではもういなくなっている……その事実が、皮肉にも村上さんの手相占いの確かさを実証することになってしまっていた。

「なんにせよ珍しい手相ね。トモちゃん以来の逸材よ」

 村上さんはそう言って母さんに向けて得意げな顔を向けた。母さんは謙遜する表情で「そんなことないよ」と手を振った。どうやら母さんも私と同じく、霊感の強い手相を持っているようだった。

 この辺は遺伝によるものなのかもしれない。

「それにしても、ユキちゃん……あなた、近くで見るとソックリなのね」

「え? ソックリ、どういうこと? 」

「うん。あなた、トモちゃんに顔つきがとても似てる。まるで姉妹みたい」

 文字通り……「ドキッ! 」とした瞬間だった。私の時代では単に賑やかな印象だった村上さんに、まさかここまでヒヤヒヤさせられてしまうだなんて……

「そうかな? そんなに似てる? 」とお茶を濁そうとした私だったけど……

「そうですよ! 私もそう思ってたんです! 」

 母さんが思いのほか強い勢いでこの話題に食いついてきた。嫌な流れ……

「武藤先生も言ってたんですよ。診療所にユキちゃんが連れてこられた時、初めは私が運ばれてきたのかと思ってビックリしたって! それで私も改めてユキちゃんを見てみると、確かにそうかも? って思ってて! 」

「ちょ、ちょっと!? 」

 母さんは嬉しそうに私に体を寄せ付けて、お互いの顔を比較しようとしてきた。自己紹介しあって一時間ほどしか経っていない相手に、ここまでオープンに密着してくるとは……向こうが知らないとはいえ、私達は親子だ。それを悟られそうでなんだか怖かった。

「はは、本当の姉妹みたいだね」

 そんな不安を馬鹿にするように、征仁さんはこの状況を笑い飛ばす。少しは緊張感持てって! 私が見たタイムスリップを題材にした映画じゃ、異なる時間の中で、いずれ肉親となる人物とむやみに接触してはいけない! と怪しい博士が言ってたんだぞ! 

「凄い……この世には、ソックリな顔を持つ人間が必ず三人存在するって話があるけど、それを見事に証明され瞬間かもしれない。こんな片田舎で……そのうちの二人が邂逅するなんて……今夜は間違いなく昇雪現象が見られそうね」

「それは嬉しいね。夏樹ちゃんにそう言ってもらえると今夜が楽しみだよ」

 とりあえずはこの話題は、村上さんのオカルトめいた締めで断ち切られたようで助かった。

 そういえば、例のタイムスリップの映画が公開されるのは、この年から1年後……1985年だった気がする。もしも公開が一年早まっていたら、私達にも村上さんから違った見解をされていたかもしれない。

「あ、そうだ」

 私がホッとしたのも束の間、村上さんは好機の目を私から征仁さんに移し、何か思いついたらしい。

「ついでにおじさんの手相も見させてもらってもいいですか? ちょっと気になるんですよ」

 なるほど、霊感が強く、友達の顔にそっくりな子がいるとなれば、その親戚にも何かあるハズだと知的好奇心が働いたのだろう。本当のところは征仁さんは継父で血の繋がりは無いのだけど……

「それじゃあ、ちょっと見てもらおうかな。右手でいいかな? 」

 征仁さんはなんのためらいもなくその右手を差し出した。細くて長くて、モジャモジャなヒゲ面とは対照的な、清潔感のある真っ白な手だ。その辺りは流石医者というべきなのか。

「う~ん」

 そして再び食い入るように手相を読む村上さん。その姿はもはや本職の凄みがある。私はただの看護師としての村上さんの姿しか知らなかったので、今こうして変わった一面を見られたことが単純に楽しいし、面白かった。

 母さんは、こんな村上さんだからこそ、親友として長年付き合っていたのだろう。

 そして、元の時代では気まずい空気しか作ることの出来なかった、村上さんの子である春香ちゃんにも、私が知らないだけで違う一面を持っているのかもしれない。

 元の時代に無事に戻ることが出来たら……春香ちゃんと積極的に話をしてみようかな? そして、自分のコトもいっぱい知ってほしい。彼女とは、そんな親友といえる存在になれるかも……だなんて、自分らしくないことまで考えるほどに、母さんと村上さんの存在は眩しかったのだ。そんな村上さん自身にも、30年後に親友を失うという事実と直面することを考えると、なんだか切なくもある。

「どうかな、夏樹ちゃん」

 どうやら征仁さんの手相は、すぐに結論をだすことの出来ない形らしい。さっきから村上さんは「うむ……」だとか「ふんふん……」だとかハッキリしない言葉をつぶやき続けている。

「なっちゃん? 」

 そして何も手ごたえを得られないまま、村上さんは征仁さんから手を放した。一体どんな手相を読み取ったのだろう? 

「この手相……」

「どうかしたかい? 」

「手相自体は、トモちゃんやユキちゃんのような特別な特徴は見られなかったです……ただ……何というか……」

「何というか? 」

「……手相を読もうとすればするほど……ピンボケした写真みたいに……ブレちゃうんです……まるで……」

 まるで……? 

「神様がおじさんの手相を読ませないように、いたずらしているみたい」





 村上さんと別れ、あいざわ公園を後にした私達は、両側が田んぼによって挟まれた小道を歩き、道中通りかかる白辰神社にて、もう一度昇雪現象が起こっているか再確認することにした。

 30年もの隔たりがある白日町の風景は、先ほど公園から見下ろした時に感じた通り、基本的なところはほとんど変わりが無かった。でもアスファルトだった地面は舗装されていない埃っぽい土の地面だったことと、全身に触れる空気の感触や匂いがどことなく違うことで、時空の変化を実感した。


「ねぇ、征仁さん」

「ん……なんだい? 雪姫」

「なんだったんだろうね、さっきの……」

「ああ……そうだねぇ……」

 母さんが先頭を歩き、少し離れてその後ろに付いていた私達は、小声で先ほどの占いについて話し合っていた。

 あの後、村上さんは何度か征仁さんの手相を読み取ろうとしたものの、やはりどうもハッキリとした答えが出せなかったようだ。結局うやむやなままで終わってしまい、しかも急に「大事な用事を思い出した! 」と、逃げるように私達から去って行ったのが妙に怪しかった。

「あの時の村上さん……実は私達の正体に気付いてたのかな? この時代には本来いないハズの存在だってことに……」

「う~ん……どうだろう? だったとしてもそんなに問題があるコトかな? 」

「そりゃ問題だって! タイムスリップした人間は、無暗にその正体を明かすもんじゃないんだって! 」

「はは、そりゃ雪姫……ちょっと漫画や映画の見過ぎじゃないか? 」

「え……て、そりゃ……」

 何をまた呑気な! ……と思いかけたけど、確かに征仁さんの言う通りかもしれない……実際私達はこうして過去の世界に迷い込んでいるワケではあるけど、映画のように過去に干渉したところで私達の未来が変わってしまうとは限らない。

 村上さんみたいに超常的な話になってしまうけれど、今私達が干渉している過去は、私達がいた時代とは同一線上の世界とは言い切れないのだ。

 これは、ちょっと前に深夜帯で放送されていた、超常科学番組で得た知識なんだけども……

 例えば自分が道を歩いていて、地面に落ちていた石をそれとなく蹴り飛ばしたとする。そうすることにより、石を蹴り飛ばさなかった未来は訪れなかったことになるけど、実はそこで未来が枝分かれしていて、平行した異なる世界で石を蹴らなかった未来が進行しているという考え方があるのだというのだ。

 それを【パラレルワールド】と呼ぶみたいなんだけど、私達がこうして訪れた30年前の世界もひょっとしたらその考えの上にあるのかもしれない……

 つまり、自分達が元いた時代とは全く異なる世界だから、何をしたって体が消えたりすることは無いってことだ。

 まさか征仁さんはそこまで考えた上で余裕な振る舞いを見せているのか? と一瞬だけ彼を見直そうとした私がいたけど、だらしなく伸びたヒゲをプチっと抜いて「痛ッ! 」と1人で悶えている姿を見て考えを改めた。

 うん、やっぱりこの人は何も考えていないな。

 私は、パラレルワールド説を撤回し、過去干渉はなるべく避ける方向を継続することにした。





「やっぱり駄目ですねぇ」

「そうだね、でも友江さんの言うとおり、ちょっと待てば見られそうな気配もある」

「おじさんは、何回かここに来たことがあるんですか? 」

「いえ……まぁ、一回ここに落っこちてるから……何となくそんな感じがするんだ」

「また落ちないでくださいね」

 なんだろう、この気持ちは。征仁さんと母さんは今、二人並んで昇雪池を仲良くのぞき込んで談笑している。私は歪んだ時の中で再会を果たした夫婦の背中を、少し離れて見守っているのだけど、どうにも面白くない。

「どうして池に落っこちちゃったんですか? 柵もあるのに? 」

 母さんがもっともな質問を投げかけた、それを答えることを少し渋った征仁さんに代わり、私は母さんと彼の間に強引に割入って説明する。

「征仁さ……いや……この人がカメラを池に落っことしそうになって、それを無理してキャッチしようとして落っこちたの。私はそれを助けようとして巻き添えになっちゃっただけ」

 ほんのりと癪に障った心の当てつけに、ちょっとだけ征仁さんを困らせようと、全く逆の理由をでっち上げてしまった。

「え、ええ。そうそう……昇雪現象がある無しに、綺麗なこの池を写真に納めたくなったんだ……それでね……」

「まぁ……森さんは意外とおっちょこちょいなんですね」

「よく言われるんですよ」

 やっぱり私は征仁さんのこういうところが好きになれないのだろう。意地悪な扱いをされても、どうということは無い、とばかりに軽くいなして、なおかつ私に対して責めることをしない。

 ああ、やっぱり腹立つなぁ、もう! 

 悪意は無いのだろうけど、征仁さんのそういう態度は、私を母さんから引き離して独り占めしようとしているように見えてしまう。そしてそれに立腹している自分自身も嫌になってくる。

「森さん、それでその時のカメラは無事だったんですか? 」

「カメラ? ああ。雪姫、今持ってるか? 」

「うん……一応……」

 私が池に落っこちた際、携帯電話はやはり水害に耐えきれずにその機能を失ったプラスチックの塊と化してしまった。でもカメラの方は無事だったらしく、完全とは言えないけど防水仕様だった為、無事に機能を保ったままだ。私は母さんにそのカメラをポケットから取り出して見せた。

「へぇ~、あまり見慣れない形ですね。随分小さいですし」

 まるでペットショップで珍しい動物を見るかのように、前屈みになって私のカメラに食い入る母さん。こうやってカメラを見せつけた後に気が付いたけど、この時代にはあるハズも無い、ミラーレス一眼のデジタルカメラを、不用意に取り出してしまったことは迂闊だったかもしれない。本来その時代に無いテクノロジーを持ち込んだコトで歴史が大きく変わってしまうという話があったことを思い出したからだ。ここは「このカメラ、実は玩具なんですよ」だとか何とか言って誤魔化すべきかもしれない。

「あ、そうだ。良かったら記念写真でもどうかな? 」

 征仁さんは、私が真剣に悩んでいたことが馬鹿に思えるほどにお気楽な提案をしてきた。肝が据わっているのか? やっぱり何も考えていないのか。

「いいんですか? 」

「ええ、それじゃあ雪姫と友江さんが池の前に立ってて、それを僕が撮るから」

 言われるがまま、私は愛用のカメラを征仁さんに手渡し、時空を越えた家族写真の撮影に臨むことになった。

 はぁ、こんなコトしてる場合じゃないのに。私達は今、誰かに話しても理解されないような状況に巻き込まれているんだよ? 下手をすれば元の時代に帰れなくなるんだよ? その辺分かって行動してるの? 

「ユキちゃん、具合悪いの? そんなに険しい顔を作って……」

 心の中の愚痴が思わず顔に出てしまっていたらしい。私は母さんに気遣わせてしまわないよう、無理矢理にでも笑顔を作ろうとしたが、なかなか上手くいかない。

「ユキちゃん、リラックスして」

 そんな堅くなった私をどうにかしか落ち着かせようと、母さんは突然私の手を握り、見る者の心をじんわりと温める笑顔を向けてきた。

 私はその顔に見とれてしまったのだろう。強ばった表情筋が緩み、美味しい物を食べた瞬間のような気持ちになっていた。その瞬間を見逃さない! とばかりにパシャッと前振り無しにシャッターを切った征仁さん。このタイミングを狙っていたとしたら、悔しいけれど彼に写真撮影のセンスがあると認めざるを得ない。

「森さん、ありがとうございました」

「いえ……」

 どこかそっけない態度でカメラを私に返す征仁さん。私が「一緒に撮らないの? 」と聞くと「僕はいいよ」と私達から目を背けてしまった。本当によく分からない人だ。

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