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 幸村先生の住まいは診療所から山の方へと昇る舗道を15分程歩いた場所にある。距離としては短いけど、勾配の急な坂道を歩くのは14歳の私でも結構辛い。今年で76歳になる先生にとってはなおさらだ。

「大丈夫? やっぱり車で送っていってもらえば良かったのに……」

「いや、大丈夫だよ……これくらいの坂、ちょうどいい運動さ」

 私は今、先生を自宅へと送る為、この急な坂道を一緒になって登っている最中だ。

 先生はさっきまでは苦しそうに咳き込んでいたものの、今では背筋もピンと伸ばしながら自転車を押しつつ歩いている。その姿を見て、私は少し安心を覚えながら冬独特の澄んだ空気の感覚を味わい、ゆっくりと坂道を進んだ。

「雪姫ちゃん、ちょっとここで一休みしないか? 」

 幸村先生が私を引き留めた場所は、坂道の途中に面した公園だった。

 ここは[あいざわ公園]と呼ばれ、積み木で作ったような屋根付きのベンチと駐車スペース、そして滅多に補充にこなくて[売り切れ]ばかりの自動販売機があるだけの簡素な場所だけど、この場所にわざわざ足を運ぶだけの価値があって自慢が出来る要素が一つだけある。

「やっぱり綺麗だねぇ、この景色」

「そうだろう? 今日は天気が悪いけど、これもまた良いんだ」

 あいざわ公園は白日町の町並みが一望出来る名スポットなのだ。

 公園入口の反対側は崖になっている。下を覗けば、杉や楓の木が生い茂り、その奥にはミニチュアのような家々の姿。そしてさらに奥に見える山々のシルエットという三層からなる広大なパノラマは、晴れ、曇り、雨、雪、夜、昼、朝……それぞれに違った顔を見せてくれ、観る者を飽きさせない。

 特に早朝、太陽が昇る瞬間の景色は最高で、元旦にはここから初日の出を拝もうと、多くの人々が集まるほどだ。

 私は昼下がりの曇天に静かに包まれる白日町を記録に残そうと、反射的にショルダーバッグにしまい込んでいたカメラを取り出してその風景を写真に収めた。

「大事に使ってるんだね、そのカメラ」

「うん……」

 このカメラは小型軽量でパステルピンクの可愛らしいルックスだけど、ミラーレス一眼のそこそこ本格的な代物だ。私は[大事な人]から9歳の誕生日プレゼントにとコレを渡されて以来、写真を撮ることが趣味になっていた。

「どれ、また僕が町をバックに雪姫ちゃんを撮ってあげようか? 」

「先生が撮るとブレブレになるから駄目だよ」

「ハハッ、厳しいなぁ」

 幸村先生がデスクに飾っていた私達の家族写真を撮ったのもこの場所だ。西条家にとって、あいざわ公園には深い思い出がある。

「ホントに……いい町だ」

 先生はそう言ってしばらく何か思い出にふけっているような横顔を向けて、充実した沈黙を楽しんでいたようだった。

「私も、この町……好きだな。何も無いけどね」

 先生は悪戯っぽい笑顔を私に向けた。

「そんなことはないぞ。ホラ、昇雪現象が有名だろ? ほら、[昇雪池しょうせついけ]もここからよく見えるぞ」

 幸村先生が指差したその先に、やや煤けた鳥居と小さな瓦屋根、そして赤く塗られた木の柵に囲まれた池が見える。それこそが[昇雪池]。文字通り昇雪現象を起こす不思議な池だ。

「今日の夜に見られるんだよね。でも一緒に雪も振るからなぁ……降る雪と昇る雪がごっちゃになって綺麗に見られないみたい」

「今年の雪姫ゆきひめはどうもご機嫌がナナメらしいな」





 昇雪池には古くから伝説がある。

 その名も「雪姫伝説ゆきひめでんせつ

 それはこの地域の村に住んでいた猟師が、冬山で怪我をしている雪女を助けたコトから始まる物語。

 雪山での出来事がキッカケで、お互いに恋仲となった二人はやがて結婚。雪女は雪姫ゆきひめの愛称で周りからも親しまれ、仲睦まじい生活を送っていた。しかしある日、突然幸せな二人に悲劇が訪れてしまった。

 男が病を患って亡くなってしまったのだ。

 その悲しみで雪女は不思議な力を暴走させて大雪を降らせてしまった。

 力を抑えることの出来ない雪女は、これ以上は村の大勢の人々を死なせてしまうと思い、自ら池に飛び込んで入水してしまった。

 そして雪女の体は池に溶けて消え、村の大雪は収まり、再び平穏が訪れた。

 その後、あまりにも雪女のことを不憫に思った村人達は、その魂を少しでも和らげるために小さな社を作った。

 それからというもの、寒い季節になると天国にいる男の元へと行くために池から雪が昇るようになったという……。





「誰が考えたんだろうね、そのおとぎ話」

 私は幸村先生のちょっとしたジョークに対し、少しそっけない態度をとってしまった。なぜなら私はその雪姫伝説ゆきひめでんせつの話があまり好きではないから。

 その理由は単純に自分の名前がまさしく「雪姫ユキ」であることが原因だ。やっぱり自分と同じ名前の登場人物が出てくる話を聞くのはなんとなく気分がくすぐったくなる。

「おとぎ話か……確かにそうかもしれないけどね。僕はその雪女が、確かにこの地にいたんじゃなかと思っているんだ」

 お医者さんらしからぬ発言。まさかこんな作り話を信じているなんて幸村先生の意外な一面だ。

「雪姫ちゃん、突然だけどパワースポットって知ってるかい? 」

「え? 」

 確かに突然な話題だ。パワースポット……私は何となくその言葉の意味は知っていたけど、自分としては何となくインチキ臭いモノとしての認識が強かった。

「う~ん……何かその場所に行けば健康になったり、金運が上がったり? だとかは聞いたことがあるけど」

 先生は「うんうん」と頷いてから話を進めた。

「まぁ、そんなところかな。地球上に点々と存在する不思議なパワーが漲る場所。レイラインとかボルテックスだとか色々と呼び名はあるんだけど、日本では[竜脈りゅうみゃく]って呼ばれるコトもあるね」

「りゅうみゃく? 」

「えーとね……竜に脈で……つまり」

 先生はズボンのポケットから手帳を取り出し、使い古された万年筆で罫線の引かれた白いページに[龍脈]と綺麗な字で書き記し、[りゅうみゃく]をどのようにして書くのかを説明してくれた。その丁寧なやり取りと幅広い知識に、私は「へぇ~」と感心の相槌を打つ。

「それでね、どうやらこの白日町の大地にはその竜脈がビッシリと蜘蛛の巣のように張り巡らされているらしいんだ」

「え? スゴいのそれ? 」

 幸村先生は町を見下ろし、大げさな手振りを加えながら説明を続けた。

「そりゃあ、スゴいさ。この地には雪女だけじゃなく、色々な伝説や怪談が多く伝わっている。それもこれもこの町全体に竜脈が走っていて不思議な力に覆われているからじゃないか? と言われているんだ。昇雪現象も同じようにね」

 確かにこの白日町には[その手]のスポットが数多く存在している。この近くにも[出る]という噂がある城跡や林が数多く存在していて、よく物好きな観光客がわざわざ遠くからやって来るのだと、祖父がよく話していた。

「それでね雪姫ちゃん。その竜脈の中心と言われているのが僕の職場、あいざわ診療所の一本松なんだ」

「ホントなの? 」

「ああ、本当だとも。昔ウチで診療を受けた占い師がそう言ってたんだ。間違いない」

「うっ……嘘くさい……」

「やっぱり厳しいなぁ……雪姫ちゃんは」

 示し合わせたようにお互いに笑った後、私達はしばらくそんな風なやり取りを楽しんだ。

 どこから仕入れたのかが不思議なくらいに話題の量に長け、知的でおっとりとしたしゃべり方。なんでこんな片田舎の診療所で医者をやっているのかが不思議な程に先生はインテリだ。

 家でも学校でも教えてくれないコトを、幸村先生は教えてくれる。そんな先生と話をすることが、私は昔から大好きだった。





「それじゃあ、雪姫ちゃん。今日はありがとう。気を付けて帰るんだよ」

「うん」

 幸村先生を自宅まで送り、私が祖父母の家に帰ろうかと振り返ったその時、先生が「ちょっと待って」と私を引き留めた。

「雪姫ちゃん。ビタミンを取って、適度に運動。家族との会話を大事にね」

 これは先生が私と別れる際、毎回のように言い放つ決め台詞のようなモノだ。それに対し私は「分かってますよ~」と返し、先生宅を後にした。これは毎度行われるやり取りで、私達の間ではコレをやっておかないと何となく気持ちが落ち着かなくなるほど定番になっている。

 そして私は再び白日町を見下ろしながら坂を下ろうとするも、ここで重大なことに気が付いた。

 これ、先生の? 

 坂道のアスファルトに、幸村先生が愛用している万年筆が寂しく落とされていた。肌身離さずに持っていて、大切に使っていた万年筆を、こうも簡単に失くしてしまっているなんて……先生がどれだけ疲労していたかを、それが物語っていた。

 届けた方がいいかな? と思ったが、ある程度坂を下っていた途中だったし、明日にでも返せばいいか。と思ったので、そのまま上着のポケットにしまって家に帰ることに決めた。

 寒々とした空気も憂鬱にならないこの町での日常が、ずっと永遠に続くような錯覚を覚えながら。

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