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 家を出て小さな橋を渡り、田んぼに面した赤い歩道を10分程歩くと、清潔感のある白い壁面の[あいざわ診療所]が見えてくる。その駐車場には大きな松の木が立っていて、私はその木を眺める度に「今、私は白日町にいるんだ」という不思議な安心感を覚えるのだ。

 1年振りかなぁ……

 [幸村智和ゆきむらともかず]先生はこの診療所に30年も勤める腕利きの医師であり、「この町で幸村先生に診てもらわなかった人間はいない」とまで言われるほどに町民に慕われ、愛されている人だ。

 特に、生まれつき心臓の弱かった母さんは何度となく先生のお世話になっていて……「自分が長い間、故郷の白日町で暮らすことが出来たのは幸村先生のおかげ」だとよく語っていた。


「……こんにちは~……」

 私は大きすぎず、小さすぎない程度のあいさつをしながら自動ドアの入り口をくぐった。医療施設独特のアルコールの匂いが鼻に付き、少しだけ緊張感が高まる。ゆっくりとリノリウムの床を踏みしめて受付に赴くと、一人の看護師が私の存在に気が付き、目が飛び出すくらいに驚いて私の方に近づいてくる。

「あらぁ~! 雪姫ちゃんじゃない! ひさしぶりねぇ~大人っぽくなって~! 」

 あいざわ診療所に勤める看護師の村上夏樹さんだ。母さんの同級生で、家族で帰郷する度によく一緒にお茶を飲んだりしたコトがある。

 とにかくパワーがみなぎっていて、一度会えば二度と忘れない強烈な印象を残す人である。

「……村上さん、お久しぶりです」

「ほんっと久しぶりなんだからぁ! 外寒かったでしょ? ほら、そこに座って暖まって、今お茶出すから! 」

 村上さんの元気過ぎる勢いに圧倒されて、本来の目的を忘れそうになる。ヤバイヤバイ……自分のペースを取り戻さないと。

「あの、今日は幸村先生にコレを届けに来たんです。おばあちゃんのお土産です……旅行の」

「あらそうなの! いやぁ~喜ぶわぁ、先生。ちょっと待っててね! 今大丈夫か聞いてくるから! 」

 嵐のような勢いで別室へと消えていった村上さん。幸い今は待合室には誰もいなかったらしく助かった。誰かに今のやり取りを見られていたら注目を浴びて恥ずかしかったから……。

 所々穴が空いていて、詰められたスポンジがむき出しになったソファに腰を下ろし、村上さんの再来を待つことにした。

 古めかしい鳩時計と、ピンク色の公衆電話の存在が「田舎の診療所」の雰囲気をこれでもかと発散させている。でも、置いてあるテレビはしっかりと薄型の液晶40インチなのがその風景からすごく浮いていた。

 そんなミスマッチな診療所の雰囲気を少しばかり楽しんでいたら、誰かがトイレの方から出てきたらしく、私はその人と目が合った。

「もしかして……雪姫……ちゃん? 」

 自身なさげに私の名を読んだ彼女は、前に合った時より雰囲気が少し変わっていたけど、特徴的な黒縁メガネは変わらずだったので、スグに誰なのかが分かった。

春香はるかちゃん、だよね? 」

 春香ちゃんは村上さんのお子さんで、私と同級生だ。5歳か6歳かの頃にはよく一緒に遊んでいたらしかったけど、徐々に会う頻度が少なくなり、今ではお互いに気まずい距離感をさぐり合うような間柄になっちゃっている……。

「こっち、来てたんだ。いつから? 」

「おととい。かな? 」

「ふ~ん……」

 という定型的なやり取りを交わした後、春香ちゃんは私とは少し距離を取りつつ、ソファーに腰掛けた。鳩時計の秒針の音で心を急かされるほどに嫌な空気の沈黙が生まれる。

 うわぁ……嫌だなぁ、早く村上さん戻ってこないかなぁ……。

 別に私は春香ちゃんのコトが嫌いというワケではないけど、多分お互いに人見知りな性格というコトと、「過去には仲良く遊んだ」という事実が、かえって溝を深くさせているのだろう。お互いに初対面だったらまだここまで気まずい思いをしていないハズだ。

「ええっと……雪姫ちゃん……」

「う、うん……なに? 」

 春香ちゃんはズレたメガネを直しながら私に聞いた。

「……今は……[西条雪姫]で、いいのかな? 」

「……うん。とりあえずね……」

 デリケートな質問をそれとなく聞いてくる春香ちゃん、気まずい空気ができたこういう状況では、ついついこういう込み入った質問をしてしまうことがある……私自身人見知りだから、彼女の気持ちはよく分かる。だから、私が「何度か名字を変えている」コトに対して突っ込まれても、そんなに嫌な思いは感じなかった。

「ごめん……なんか変なコト聞いちゃって……」

「いいよいいよ……別に。大丈夫だから」

 そして再び長い沈黙が続くかと不安になった直後、「雪姫ちゃんお待たせ! こっちにおいで! 」と大声で帰還した村上さんによってこの場は救済された。

 私はほっとして、春香ちゃんに手を振ってひとまずの別れを告げた。彼女も安堵の表情を浮かべて手を振り返している。これにて人見知り同士による精神の擦り合いは終結した。


「それじゃ雪姫ちゃん、先入って待っててね! 今からお茶もってくるから! 」

 診察室のドア前まで案内され、村上さんは給湯室へと消えていった。私は久方ぶりに幸村先生に会うことに若干の緊張を覚えつつ、ゆっくりとノブを回して母の恩人が待っている室内へと身を差し込んだ。


「こんにちは……」


 雪原を思わせる白髪の丸刈り。長い人生の歩みを物語る皺だらけの顔は、綺麗に髭を剃り上げられ清潔なイメージを感じさせてくれた。

「雪姫ちゃん。久しぶりだね」

「うん。コレお土産。おばあちゃんから」

 幸村先生は座り心地の良さそうな椅子からゆっくりと立ち上がり、私から紙袋を受け取った。笑顔を浮かべ、目尻に皺が寄った。

「おお、ありがとう。これは八つ橋だな。京都にいったんだね」

「組の旅行で行ったんだって」

「そうか、元気でなによりだ」

 お互い軽く笑い声をこぼし、幸村先生は本来は患者に座らせる緑色のクッションのパイプ椅子に「どうぞ」と、私を座らせ、自分も元の椅子にゆったりと腰掛けた。そして目頭を軽く手で擦ってから向かい合う私と瞳を合わせ、ため息混じりに口を開いた。

「また背が伸びたね……母さんにそっくりだよ」

 心なしか幸村先生の目が潤んでいるように見えた。

「友江さんがいなくなって……もう一年以上経つんだな……早いものだ……」

「うん……」





 私の母さん[西条友江サイジョウトモエ]は去年の10月に心臓の持病が悪化して亡くなった。

 幸村先生は20年以上に渡って白日町で母さんの心臓を診てくれていて、祖母も祖父も先生のコトを恩人と慕っている。西条家と幸村先生は、もはや家族同然の付き合いだ。

 東京で行われた母さんの葬式にも先生は参列してくれて、その時はまるで自分の娘が亡くなったかと思うほどに悲しみ、膝から泣き崩れてしまった姿が目に焼き付いている。





「雪姫ちゃん」

 先生は診察デスクの上に飾られた写真立てにチラリと視線を向けつつ、暖かみのある低い声で言った。

「お父さんとは上手くいってないのかい? 」

 先生には何も言っていなかったけど、やっぱりお見通しだったみたいだ。私が今、ここにいる理由。家出の原因が[父親]であることを。

「……うん……ちょっと喧嘩しちゃって」

 先生は写真立てを手に取り、それをじっと眺めた。その写真は私と母さん。そして父親の三人が一緒に写っている家族写真だ。その時カメラのシャッターを押したのが他ならぬ幸村先生。

 ひどい手ブレで皆の顔が綺麗に写っていない不出来な写真だったけど、先生は何故かそれを大事にしてくれ、こうして今も目の届く場所に飾ってくれている。

「どうして喧嘩したんだい? 教えてくれるかな? 」

 幸村先生は母さんが悩みを抱えた時、いつも「教えてくれるかな? 」と、叱りも説教もせずにただただ話を聞いてくれる人だったらしい。「これまで何度先生に助けられたか数え切れない」と、母さんは生前よく話をしてくれた。

「……約束を守ってくれないし……家にもほとんどいないから……ちょっとイラついちゃって……」

「ハハ、ひどい奴だな、あの男は。相変わらず仕事ばかりしているんだなぁ」

「そう。ほとんど家にいないから、いつも行くコンビニの店員さんとの方が会話が多いってくらい」

「それは問題だな。電話くらいしてあげればいいものを……」

 幸村先生は「あいつ」だとか「お前」だとか三人称を使わないでしっかりと他人のコトは名前で呼ぶ人だ。でも、例外的に私の父親のコトだけは「あの男」と呼ぶ。それは自分の言うことを聞かない悪ガキに苦言を漏らしつつ、それでも愛でるようなニュアンスが込められていた。

「まぁ、僕も同業者だから。あまりあの男のコトを責められないかな? 」

「みんなそういうもんなの? お医者さんって? 」

 私の父親は外科医だ。東京にあるワリと有名な病院に勤めている。急患や治療中の患者の容態が悪くなった時だとか、連絡を受けるとスグに家を飛び出して白衣を着る。ひどい時なんてひげ剃りを途中で中断したままヘンテコな顔のまま病院に向かった時だってある。

「要領よくやってるヤツだってもちろんいるさ。あの男は少し真面目過ぎるのかもしれんな」

「家庭のコトは不真面目なのにね」

「ハハッ、雪姫ちゃんは厳しいな……」

 幸村先生はそう言った直後、突然「ゲフッ! ゲフッ! 」とせき込み始めた。私は咄嗟に先生の背中に手を添えた。

「大丈夫? 」

「……ああ……ありがとう。大丈夫、大丈夫。ちょっとむせただけだよ……ゲホッ! 」

 私はどうしていいか分からず、とにかく先生の背中をさすった。そして誰かを呼ぼうかと思った瞬間。お茶を持ってきてくれた村上さんがこの部屋にちょうど良く入ってきてくれた。

「大丈夫ですか? 先生? 」

 村上さんの手慣れた対応に安心したものの、喉からではなく、体の奥から吐き出されるような掠れた咳の音が耳に残り、私の中の不安を拭い去ってくれそうもない。

「ああ……大丈夫だよ……大丈夫……大分落ち着いてきたよ」

「先生、もう今日は休んだ方がいいじゃないですか? 後は私たちに任せてください」

 村上さんがそう言うと、先生は心配する私達を不安にさせないよう、無理に笑顔を作りながら「それじゃ、そうしようかな……今日はサボりだね」と軽口を叩いた。でも、それが逆に痛々しく感じられてしまい、私達は笑うことが出来なかった。

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