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 ありきたりな言葉だけど、まさに目の前の光景を信じることができなかった。

 私が両手をかざした先にある大きな雪の壁が、ビデオの逆再生のように元通りの雪の粒へと変化し、そして再び遥か上空へと上昇していく……これは、間違いなく……

「昇雪現象!? 」

 母さんが倒れ、焦る状況に錯乱しているの? それとも、過去の歴史に関わってしまったことで生まれた異常現象なの? 

「雪姫! 大丈夫か!? その手は平気なのか? 」

 私の両肩をガッチリと掴む確かな両手の感触……征仁さんの温もりに、私は確信した。これは紛れもなく現実なんだと。

 そして同時に、数時間前にお茶を飲んで倒れた時に見たビジョンを思い出す……昇雪池に飛び込んだ雪女の姿。愛する人を失ったショックで入水した悲しい運命。

 もしかしたら、池に飛び込み、底に溜まった[雪姫の涙]を飲んだことで雪女の力が私に備わったのかもしれない。

 オカルトじみた話だけど、実際こうして30年も前の世界に飛び込んでいるワケで、今ならその仮説だって起こりうる事実だとして飲み込める。

 本当に奇妙なコトだけど、受け入れるしかない。そして受け入れた先には、この状況を打ち破る可能性が見えてくる! 

「征仁さん! 」

「な……どうした? 」

「母さんを……今すぐ診療所に連れて行けるよ! 」

 私の言葉に、征仁さんは「一体何を言っているんだ? 」と頭の中で思っているであろう疑いの表情を浮かべたけど、数秒経って私の身に起きている変化を察し、受け入れ、理解し、すぐに家の中に戻って母さんを背負いながら戻って来た。

 タイムスリップしても動じずに馴染むほどの図々しい適応力。いざという時、征仁さんのそういうところが誰よりも頼もしく、そして、私は好きになっていた。

「どういうワケなのか分からないけど……出来るんだな? 雪姫」

「うん……多分大丈夫だと思う……駄目だったらごめん……」

 今の私は、墜落する飛行機の中で突然「羽が生えて飛べるようになった! 掴まって! 」って言っているようなメチャクチャなコトをしている。それでも、征仁さんは真っ直ぐと真剣な目を私に向けてくれた。

「信じるよ。君は友江さんと、大和さん……そして」

「そして? 」


「僕の娘だから」


 その言葉に、私は全身には熱を帯びる感覚が走った。その一言こそ、私の待ち望んでいたもの……大和お父さんの代用品じゃない。もう一人の父親としての言葉を、この時初めて聞いたのかもしれない。


「それじゃあ……行くよ! 」


 私は力を込め、立ちはだかる雪壁に両手を力強く押し付ける。

「お願い! 上手くいって! 」と心の中で念じながらの賭けだったけど、それは自分でもびっくりするほどに期待以上の結果を生み出した。

「おおおおおお!! 」

「凄いぞ雪姫! 」

 私達は思わず子供のように声を出して喜んでしまった。なぜなら、まるで公園で餌をついばんでいる鳩の集団に向かって自転車で突っ込んだ時のように、目の前に積み重なっていた雪の塊が、一瞬で左右に散って上昇したのだから。これを見て驚かない人間はいないだろう。

「このままついてきて! 」

 私は、この不思議な力を使い、雪をどんどん上昇させて払いながら走って診療所へと向かった。

 雪に覆われた地面も、私達が通った跡だけに湿った土の顔をさらけ出し、初めからその場には雪なんて積もっていなかったかのようになっていた。

 どう考えても不自然な状態で、私達以外の人が見たら首を傾げるだろう。でも、そんなコトなんて気にしてはいられない。今まさに生死を分ける苦しみの中にいる母さんを救う為、自分の未来を救う為で無我夢中だった。

 運動オンチで走るのが苦手な私も、今だけなら何kmだって走り続けられそうだった。

「もうすぐだよ! 」

 診療所の目印である大きな一本松が暗い空の下で、重そうに雪を抱えながら私達を出迎えてくれた。雄大で大雪にも負けなずにピンと根を下ろすその姿を見て、ホっと心が落ち着いた。

 ふと後ろを振り向くと、将来的に二人目の夫となる人に背負われた母の顔があった。心無しか少しだけ苦痛の和らいだ、表情になっている。


「なんだお前ら! こんな時に? と言うよりも、どうやって来たんだ!? 」


 診療所に駆け込んで助けを求めると、私達を見た武藤先生がフクロウのように目を丸くして驚いた。

「先生! この子は不整脈を起こしています! 手伝ってください! 」

「手伝っ……!? 」

 先生は上手く状況が読み取れなかったようだったけど、母さんの苦しんでいる表情を見てスグに真剣な顔つきになり、「こっちに連れてこい! 」と、すぐさま奥の部屋へと案内してくれた。

「雪姫、あとは僕達に任せて。ここで待っていてくれ」

「お願い、絶対に……母さんを助けて」

「任せておけ! 」

 自身に満ち溢れた笑顔を向けて、診察室へと姿を消した彼の姿を見て安心したのか、全身が鉄になったかのような疲労感に突然襲われ、私は待合室のゴワゴワなソファーにどっと倒れ込んでしまった。

 意識が遠のき、全身を生暖かい空気がコーティングされていく感じがしたかと思った時、私はどうやら眠ってしまったようだ。





 私は今、夢の中にいる……白無垢の着物を着た女性と、毛皮を着た逞しそうな風体の男が、仲睦まじく手を繋いで、しんしんと雪が舞う小道を歩いている。私はその様子を遠くで見守っている。

 その二人は多分というか、間違いなく雪姫伝説の雪女と猟師だ……立場や境遇、さまざまな違いを乗り越えて愛し合った二人……

「ま、待って! 」

 私はそんな二人だけの大事な時間を邪魔をしちゃいけないとは思いつつも、気持ちを抑えきれずに、駆け寄って声を掛けた。

 私の声に気が付いた二人は、無言で振り返って私に暖かな笑みを向けた。どっちも人好きのする顔立ちで、私も自然と笑みを返してしまった。

「あの……ありがとうございました。この時代に来ることができて……母さんと話が出来て……不思議な力を貸してくれて……」

 この奇跡に巻き込まれて、色々と大変な目に遭ってはいたけど、それでも「ありがとう」という言葉を第一に伝えたかった。かけがえのない、大事な思い出を作ることができたのだから。

 すると二人はお互いに顔を合わせ、何かを示したかのように頷き、私の元へと近寄って来る。

「あ……あの? 」

 少しうろたえた私の右手を、雪女……いや、雪姫ゆきひめさんは両手で優しく包み込んでくれた。真っ白な肌はその色とは裏腹に、ココアの注がれたマグカップのように温かかった。

雪姫ユキちゃん」

「は、はい! 」

 水晶のようにきらきらと輝く瞳を向けられ、私は少し緊張して声を裏返らせてしまった。変な人だと思われたかな? 

「な……なんでしょうか? 」

 気を取り直してしっかりとした口調で言葉を返すと、目の前の雪姫ゆきひめさん優しい笑顔から、辛く申し訳なさそうな表情に変わり、少し躊躇した後に口を開いた。


「どうかお願い……この場所を……私達が愛した、この白日の大地を……守ってくれますか? 」

「え? 」

 白日町を……私が守れってこと? 予想だにしていなかったスケールの大きな話に、私は混乱して質問することすらできなかった。

「今なら昇雪池から元の時代に戻ることができます……目を覚ましたら、急いで池に飛び込んでください……そして……」

「そして? 」

 私の手を握る雪姫ゆきひめさんの両手に、強い力が込められたことが分かった。そして彼女の隣に立っていた猟師の男も私の両肩に手を置き、頭を下げた。

「頼む……白日の危機を救ってくれ」

「危機って……えと、よくわからないですけど……どど、どいういうことで」

「行けば分かるわ……お願いします……どうか……どうか……」

「どうかってそんな……私如き一介の女子中学生に何が出来るって言うの? ちょっと待って! もっとそう、思わせぶりな濁した言い方じゃなくて具体的に、ちゃんともっと……詳しく……具体的に分かりやすく……





「…………雪姫ユキ……雪姫? 」





 奇妙な夢から目覚めて目玉にべったりと張り付いた瞼を開くと、そこには疲労を貯め込んだ征仁さんの顔面が出迎えてくれた……髪を切り、髭を剃って見た目のイメージが変わった顔つきは未だに馴れない……

「あ……ごめん、寝ちゃってたみたい……」

「大丈夫か? 」

「うん……平気。ありがとう……」

 未だに半分睡眠中の体を無理矢理起こし、ソファーに腰かけると、遅れて重要なことを思い出した。目の前にいる彼が着ているシャツの裾をグッと握りしめる。

「母さん! 母さんは!? 」

 私の母親であり、この時代では掛けがえのない友達……西条友江は無事なのか? さっきまで見ていた夢のことなんて頭の隅っこに追いやり、まずはその気掛かりを解消させたかった。

「……大丈夫だ。もう平気だよ」

「ホント? ホントに無事なの? 」

「もちろんだ。君がまだ消えずに残っていることが、何よりの証拠だろ? 」

 彼のその言葉に私は思わず安堵の涙をこぼしてしまった。よかった……間に合ったんだ……本当によかった……


「ふぃ~……全く疲れたわ」


 私達が母さんの無事を喜んでいると、武藤先生が、診察室のドアを開けて私達の前に姿を現した。ふさふさの白髪が蒸れてべっとりしている様子から、母さんの治療がどれだけ大変なものだったのかが伺えた。


「除細動器でひとまず危機は去ったが、すぐにでもデカい病院で見てもらわんとな……早いとこ雪が止んでくれりゃいいんだが」

「とにかく、助かりました、先生」

「いいってことよ。しかし、あんたら……この大雪の中、どうやってここまで来たんだ? そこまで遠くないとはいえ、ここまで歩いてくるのも大変だったろうに」

 そう言われてしまって私はちょっと困った。まさか雪女から不思議なパワーを授かって、昇雪現象を自在に操ってここまで来たとは言えないし、言ったところで信じてもらえないだろうから。

「た、たまたま除雪車が通りかかってたんで! そのおかげでここまで来ることができました! ホントにラッキーだったなー」

「そ、そうだなぁ雪姫。ついてたよなぁ」

 とりあえずそれらしい嘘で、この場を乗り切ろうとしたけど、そのあまりにも都合の良すぎる話を信じてくれるかどうか……

「除雪車ねぇ……まぁいいか」

 どうやら先生もその辺は深く掘り下げようとはしていなかったようだ。何となく安心した。

「そんで……ユキちゃんって言ったっけな? 」

「はい」

「診察室で友江ちゃんが休んどるから、行ってあげな。友達なんだろ? 」

「もう大丈夫なんですか? 」

「話くらいは問題ない」

 そう言われては、私は気持ちがはやってしまい、先生を突き飛ばすような勢いで診察室へと急いだ。早く母さんの無事な姿を見て安心したい。





「全く元気な娘っ子だな」

 風のような勢いで診察室のドアの向こうへと消えた雪姫の姿を見て、武藤医師は皺だらけの口角を上げた。

「ええ。ほんとに……」

 征仁は誇らしげな笑顔でその言葉を受け取った。

「それにしても……お前さんも同業者だったとはびっくりしたぞ」

「はは……隠していたワケではなかったんですが……」

「昼間に頭から血を流してオタオタしてた男と同じ人間とは思えん。相当な腕だ」

「それほどでも……」

 征仁は謙遜するも、その綻んだ表情からまんざらでもないことは明らかだった。

「しかしな、俺にとっちゃそれよりも気になることがあるんだよ」

 武藤医師は疲れた体の赴くままに、どかっと待合室のソファーに腰かけ、征仁にも座るように促した。

 今、この診療所には、彼と征仁。そして雪姫と友江の四人しかいない。最小限の照明と鳩時計の針が進む音しか聞こえない沈黙が、どことなく異界に迷い込んだような隔絶した世界を作り上げている。

「なんでしょうか? 」

 促されるまま、大人一人分の距離を空けて武藤医師の隣に座り込む征仁。寒さで固くなったビニールの生地の感覚に、彼は神妙な空気を予見した。

「お前さん達……一体何者なんだ」

 武藤医師は猛禽類のような鋭い目つきを征仁に向けた。その迫力にわずかにうろたえた彼だったが、相手のペースに乗せられないよう、平静を取り繕って言葉を返した。

「何者って……ただの旅行者ですよ? 」

 征仁の態度には、武藤医師もある程度予想はしていたようだ。それ以上は追及せず、視線を虚空へと向け、静かに語り始めた。

「俺には、一人息子がいた。真面目でオツムも良くて、俺と同じように医者になったんだがな……5年前に趣味の雪山登山に行ったっきり戻らなくなっちまった……生きてりゃ、ちょうどお前さんと同じくらいの歳だろうな」

「な、亡くなったんですか? 」

「ああ……死体は発見されてなくて未だに行方不明扱いだが……もういい加減受け入れたよ。5年も経ってちゃあな」

 武藤医師は白衣の胸ポケットにしまわれていた、一本の万年筆を取り出してそれを彼に見せた。

 軸は黒く漆を塗られて、ペン先は金製、手入れを怠らなければ100年は使えそうな高級品であることは一目でわかる一品だった。

「これは息子がワシの還暦祝いにくれたモンでな。軸に『muto』って彫られているのが見えるだろう? これはオーダーメイドの特別製で、この世に2つと無い大切なモンだ」

 形見になってしまった万年筆を誇らしさと寂しさが混ざり合った瞳で見つめる武藤医師の姿を見た征仁は、自分自身一人の娘を持つ親としてその気持ちは痛いほどに伝った。

「そしてな……お前さんに説明して欲しいんだが」

 そう言って武藤医師は、ズボンのポケットからもう一本の万年筆を取り出して見せた。軸は黒い漆、キャップを外したペン先は金製。そして軸に彫られていた英文字を見た征仁は、思わず「あ! 」と驚きの声を発してしまった。

「これは、あんたの姪っ子さん……ユキちゃんの上着のポケットに入っていたモンだ……溺れた彼女がウチに運ばれてきた時に偶然見つけちまったんだが……」

「それは……」

「やっぱりお前さん達、何か隠しているな……教えてくれ。なぜ息子の形見と全く同じ物を、ユキちゃんが持っているのかを……」

 征仁は、老人の追及にどうやって答えるのか少し迷っていたが、頭を巡らせているうちに、彼は何かに気が付いたようだった。

 瞼を大きく開き、自分の両手の平を穴が空くかと思うほどに鋭く凝視した。

 そうか……そういうことだったんだな。

 彼は覚悟を決めてソファから立ち上がり、武藤医師を見下ろしながら言った。

「先生……実は僕達……」





 診察室に入ると、ベッドに横たわっている母さんの姿、そしてその周りに置かれている大掛かりな機械が目に入る。用途は分からなかったけど、その装置から発せられる厳つい印象から、母さんの治療がどれほど大変なものだったかが伺えた。

「友江ちゃん? 」

 横向きで、今は背中を向けている母さんは、私の声に気が付いてゆっくりとこちらの方へ顔を向けた。髪が乱れていてやや青みがかった顔色をしていて不安だったけど、直後に向けた笑顔で、絶体絶命の危機はひとまず去ったということを実感した。

「雪姫ちゃん……」

「ああっ! いいよいいよ! そのままで」

 私を見てベッドから起き上がろうとした母さんをやんわりと抑えこんだ。いつだって無茶するんだから……

「大丈夫? もう苦しくない? 」

「うん、ありがとう。もう平気だよ。ごめんね、心配かけちゃって」

「謝ることないよ」

「ここまで連れてきてくれたんでしょ? あの雪の中……大変だったでしょ」

「そ、そうでもなかったよ! 気にしないで」

 一瞬だけ雪女の力をバラしちゃおうかと思ってしまったけど、ここはやっぱり伏せておいた方がいいと思い、話を濁した。まぁ、どっちにしろ信じてはもらえそうもないけど。

「助けてくれてありがとうね」

「いいのいいの! 当たり前……当たり前のコトをしただけだよ」

 私は謙遜したけど、表情をついつい緩ませていることが自分自身でも分かった。まんざらでもないことは母さんにもバレバレだったろうなぁ……

「雪姫ちゃん」

「なに? 」

「私、胸が苦しくなって倒れた時……苦しくてその時の事はほとんど覚えていないんだけど、なんだか不思議な夢を見ていたような気がするの」

「夢? 」

「そう。誰かが私を背負いながら走っていて……その前をもう一人、女の子が走っていたんだけど……不思議だったなぁ……」

 あ、マズイ。これって多分……

「その女の子が自分の背丈と同じくらい積もった雪に触れると、パァって散って空に昇って行くの。まるで昇雪現象みたいに」

「へぇ……ふ、不思議な夢だねぇ……」

 どうやら母さんは私が未知のパワーで除雪していた光景を断片的に見ていて覚えているようだった……幸い夢の中の出来事だと思っていてくれたようだけど。

「その女の子、まるで伝承の雪女みたいだったなぁ。楽しそうに雪をかき分けてて、まるで踊っているみたいだった」

 そ、そんなに楽しそうにしてたんだ……私。

 母さんが死ぬかもしれないって時に、魔法のような力を手に入れて舞い上がってたのかも……なんて呑気な女なんだ、私ってヤツは。

「雪姫ちゃん……」

 母さんは突然、重々しい動きで左手を動かし、私の左手を掴んで握りしめてくれた。

「いつまで白日町にいられるの? すぐに帰っちゃう? 」

「え……」

「せっかく遠くから来てくれたのに……ちゃんとおもてなし出来なかったから……」

「いいのいいの……私は……」

 どうしよう……体が熱い。気を抜いたらまた泣きわめいちゃうかもしれない……でも、この言葉だけは、しっかりと伝えておきたい。

「私は、今日友江ちゃんに会えただけで……それだけで嬉しかったよ」

 母さんの手を握る力がついつい強くなってしまったけど、彼女もそれに応じるように、精一杯の力で握り返してくれた。

「私も、雪姫ちゃんに会えて良かったよ……」

「ホントに? 」

「うん。なんだか不思議だけど、初めて会った気がしなくて」

「私も……私も同じだよ」

 母さんの肌から感じる優しい温もりに、思わず私は再び涙を流しそうになったけど、私はこの時思い出してしまった。

 握りしめられた手と、白日町というワード。それらがキッカケになり、ついさっき自分自身も不思議な夢を見ていて、その中で正真正銘の雪女に言われた言葉を思い出してしまった。

「ごめんね、友江ちゃん。私達さ、すぐに帰らなきゃいけなくなっちゃって」

「そうなの……」

「うん……」

「そっか……」

 私は名残惜しく手を離した。母さんは気にしないそぶりを見せているけど、それは私に気を使わせないために振舞っているものだと知っているので、心が痛んだ。

「それじゃあ……ごめん、もう行くね」

「うん、気を付けて……おじさんにもよろしくね」

「うん」

 何も言わなくても相手の気持ちは手に取るように分かる。だって私達は、これからお互いに長い時間を共に過ごして、嬉しい時も悲しい時も分かち合う……親子なんだから。


「ねえ! 」


 私がこの部屋から出ようとドアノブを握りしめた時、母さんは精一杯の力で起き上がって、私を呼び止めた。

「雪姫ちゃん……また会いに来てね、いつでもいいよ」

 その時の母さんの姿を見た時、これから彼女に訪れる困難の数々が一気に頭の中を掛けめぐってしまった。

 心臓の病……大和さんとの結婚、そして別れ……征仁さんと再婚し、その後に舞い込む、避けられない運命……

「会えるよ……きっとまた……必ず……」

 私は、自分が思う最高の笑顔を作り、手を振って母さんに別れを告げた。

 この時代から16年後。0歳の私と母さんが無事に再会出来ることを祈りながら。





「雪姫、友江さんは大丈夫だったか? 」

 私が診察室から出て待合室に向かうと、武藤先生と何か話をしていた様子の征仁さんが、ソファから立ち上がって私に声を掛けた。いつもの能天気そうな口調でなく、少し早口だったのが少し気になる。

「平気だよ、それより急ごう! 帰らなきゃ! 」

「帰らなきゃ……って? 」

 母さんの治療で精神力を使い果たしたのか、気が回らなくなっている彼の手を無理矢理掴み、私は足早に出口へと向かった。

「先生、ありがとうございました! 友江ちゃんをよろしくお願いします! 」

「ま、ちょっと待ちなさい! 」

 止めようとする先生を振り切って、私達は強引にこの診療所から飛び出た。

「お、おい雪姫! 何もそんなに急がなくても」

「急がなきゃダメなの! 今、昇雪池にいかなきゃダメなの! 」

「昇雪池……というと」

「そう! 今まさに昇雪現象が起こっている最中なの! これを逃したら元の時代に戻れなくなっちゃうかもしれない! 」

「なんでそんなことが分かるんだ? 」

「教えてくれたの! 夢の中で、伝説の雪女が! 」

「え……ええ? 」

 私が見たのは、本当に私の頭の中で創られたただの夢だったのかもしれない。けど、時間移動に加えて不思議な力を授かった今、雪女と夢の中で会うことくらい、携帯電話で通話することと同じくらいに当たり前に起こってもよさそうだ。

 確かに雪女……雪姫ゆきひめさんは言っていた……

『今なら昇雪池から元の時代に戻ることができます……目を覚ましたら、急いで池に飛び込んでください……』

 雪姫ゆきひめさんは「急いで」と念を押していた。それは、池の昇雪現象が長い間続かないことを意味しているのだと思う。そして気になるのは……

『どうかお願い……この場所を……私達が愛した、この白日の大地を……守ってくれますか? 』

 白日町の危機……それが何なのかはさっぱり分からない。けれども、私の胸は妙な胸騒ぎでいっぱいになっている。

 タイムスリップ……母さんの発作……昇雪現象……私に備わった不思議な力……それらの要素が徐々に一つに纏まっていく感覚……バラバラに散ったジグソーパズルのピースが纏まって一枚の絵を完成させるように……何かの意志に突き動かされているという確信が私の中にはあった。





「ま……間に合った……」

 診療所から全力で走り、まだ残されていた雪女の力を駆使して雪を払いのけ、ようやく昇雪池のある白辰神社へとたどり着いた。

「本当だ……昇雪現象が起きてる……」

 少し勢いが弱まっていたものの、未だに降り注ぐ雪の粒に混じって、池から昇る雪が電灯の光を乱反射させて火花のように煌めいていた。

「またメチャクチャ寒い池に飛び込むのは嫌だけど……そうでもしないと帰れないからね」

 私はいそいそと池を囲む転落防止の柵を乗り越え、僅かに池側に出っ張った大きめの石の上に足を置き、準備を整えた。

 あとは寒中水泳の覚悟を決めて飛び降りるだけだ。

「ねぇ、急がないと! 」

「あ、ああ……」

 どういうワケなのか、征仁さんは私をじっと見守っているだけで動くとこすらせず、柵の外側で棒立ちしていた。

「どうしたの? 」

 彼は私の声にも答えず、ただゆっくりと池に近づいて、突然柵越しに私の両肩に手を置いたかと思えば、突然……

「きゃっ!? な、なに? なんなの? 」

 私は力強く、彼に抱きしめられていた。

「雪姫……」

「どうしたの急に? 早く一緒に帰ろうよ! 」

「雪姫……君が僕のことをどう思っていようが構わない……ただ一つ言わせてほしい」

「え……? 」

 彼は私を抱きしめながら、耳元でそっと呟くように、言葉を繋いだ。

「君は、元気で賢い子だけど、人付き合いが苦手で、ちょっとワガママだし、何かにつまづいたらすぐに逃げちゃうし……一つのことにこだわって周りが見えなくなっちゃう……そんな子だ」

「ちょっと……何でそんなこと……」


「でも、僕はそんな君が……大好きだった、愛してるよ」


 私は、その言葉をずっと待っていたのかもしれない……

 死んでしまったお父さんと母さんと違い、不器用でどこか抜けてて……自分の娘にさえ強く意思を伝えられなくて頼りない人だけど……

 一生懸命で、いざという時は冷静に行動出来て、私の考えを信じてくれている彼のことを、私も好きになっていた……

 本当なら私が先に彼にそのことを伝えなきゃならなかったのに……そうすれば、もっと早く心を通わせることができたのに……

「私も……そうだよ。だから一緒に……帰ろうよ? 」

 私が震える声で気持ちを伝えると、彼は抱きしめていた両手の力を緩め、体を屈めて私と視線を合わせた。後ろで昇っている雪が彼の瞳にも映り込み、クリスマスの飾りのようにキラキラと輝いている。

「雪姫……僕はほとんど君に父親らしいことはしてやれなかった……何度も君に不愉快な思いをさせてきたかもしれない……」

「そんなことないよ! 」

「……ありがとう。でも、それもこれで最後だ」

「最後? 何を言って……」


「雪姫。ビタミンを取って、適度に運動。家族との会話を大事にな」


「父さ……」

「雪姫、ごめん! 」


 両肩に強い衝撃を感じたと思った瞬間、引っ張られるように私は池に落っこちてしまった。

 全身に凍てつく刺激を感じながら、池底に吸い込まれ……水中から仰ぎ見るゆらついた水面越しに見えた黒い影に目を奪われ、その時初めて自分は、征仁さんによって水中に突き落とされてしまっていたことを理解した。

 そして私は今、頭をハンマーで殴られたかのように錯覚するほどの閃きによって、脳内に電流が走る感覚を味わった。

 ……バラバラになったジグソーパズルが作り出す絵が何なのかが分かった……


 ……征仁さんは、この時代に残らなければならない運命を背負っていたのだ……

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