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 氷のように冷え切ったガラスサッシ越しに、際限なく降り注ぐ白い輝き……私達がこの家に来てから3時間ほどが経って現在夕方の6時半を回ったところ。

「ヤバイね、雪……」

「うん……全然止まないな」

 私が急に倒れてしまったことに気を取られ、征仁さんも全く気が付かなかったらしい。外の世界はいつの間にか大雪により真っ白に染められ、漆黒の空との美しいコントラストが描かれていた。

「今電話が掛かって来たんですが……」

 母さんが慌てた様子で襖を開き、私達のいる客間に入り込んできた。

「どうやら大雪警報が発令されたようなので、無暗に外に出ないように。とのことです。あ、ちなみに電話をくれたのは父でして、地元の消防団に務めているんですよ。今夜は団員として除雪作業をしなければならないみたいで帰りが遅くなるようです」

 そう早口で喋りながら、私達と一緒に外を眺める母さんの表情は少し強張っていて、この状況の深刻さを嫌と言うほどに物語っていた。

「征仁さん……コレ、帰れるのかな……」

「ちょっと分からないな……こういう時って昇雪現象は起こるんだろうか? 」

 私達の言う「帰る」とは、もちろん自分達が元いた時代の事を指している。夜になったら雪が昇っている状態の昇雪池に再び飛び込んでタイムスリップする予定だったけど、まさかこれほどまでに大規模な降雪に見舞われるだなんて思いもしなかった。

「お二人を呼び止めてしまって申し訳ないです……明日のご予定は大丈夫でしょうか? よろしければ今夜はウチに泊まってください。お布団はありますから」

「そ、そうだね。今日中に帰れなくてもとりあえずは大丈夫だから、お言葉に甘えさせていただこうかな……」

 と、悠長な発言をする征仁さんの脇腹を私はそっと小突き、この状況の深刻さを真剣に受け取らせようとした。「今日中に帰れなくていい」という発言はもちろん、事情を知らない母さんに対してとりあえず当たり障りのない返答をした。というのは分かってはいるけど、その危機感を思わせない飄々とした態度に焦りを感じてしまう。もうちょっと真剣になってよね……

「ゆっくりしていってくださいね、今からごはん用意しますんで」

「友江ちゃん、そんな気を使わなくても……」

「いいの。雪姫ちゃん達は大事なお客様なんだから。それじゃ私、母の職場に電話をしてきますので、ちょっと待っててください」

 そう言って母さんは出て行ってしまった。


「ねぇ、ちょっと池を見に行った方がいいんじゃないの? ひょっとしたら今、雪が昇ってるかもしれないよ」

「うーん……しかしだな……この状況じゃどうにも……」

 雪の激しさは尋常ではなかった。みるみる内に重なって、もうすでに膝の高さまで積もってきている。

「確かにこの雪の中を歩くのは危険だとは思うけど、私達はそれ以上に深刻な目に遭っているんだよ? 」

「それも分かってるけど……そこまで行くのが非常に危険な状況なんだよ……この雪は」

 私には征仁さんの言っていることにピンと来なかったけど、そういえば彼は元々東北の出身だったコトを今思い出した。大雪による恐怖と危険性は、嫌と言うほどに熟知しているのかもしれない。

「どうしよう……このままこっちの時代から帰れなくなっちゃうかもしれない……」

 最悪の状況が頭に沸き起こり、その心配と恐ろしさで気が気で無くなってしまっていた。征仁さんの制止を振り切って、外に飛び出してしまおうか? そんな考えすら頭に浮かんできてしまう。

「雪姫、ここは冷静に行動しよう。今日が駄目でも、まだこの冬の間に何度か昇雪現象が起こるかもしれない……ジっと辛抱するんだ」

 征仁さんの言うコトはもっともなんだけど……この時代を過ごした経験がある人間と、そうでない人間との気持ちの差を考慮して欲しかった……私にとってこの時代を過ごすということは、別次元の異世界に飛ばされてしまったも同然なのだから。

 そして、何より元の時代に残してきた祖母と祖父のことが気になってたまらなかった。家出して来た私を温かく迎え入れてくれた2人が心配している顔を想像すると、平静を保てなくなる。

「雪姫……」

「何? 」

「すまないな……こんなコトに巻き込んでしまって……」

 征仁さんのその言葉は少し意外だった。さっきまでずっとのらりくらりとした態度でここまで過ごしていた彼の口から出てきたモノとは思えなかった。

 そして私は今になってハッ! と気が付いた。

 この30年前の世界に迷い込んでから、余裕の態度をずっと崩さなかったのは私を不安にさせない為にあえてそうしていたのかもしれない。と……

 征仁さんは征仁さんなりに、この状況をどうするかを真剣に考えていたのかもしれない……その考えに至った瞬間、私の頭の中にミントの香る水が満たされたような、重たい膿がごっそりと抜け落ちたような……そんな清々しさと、征仁さんに対する申し訳なさが滲み出てきた。

「征仁さんは謝らないで、元々の原因は私が池に落っこちちゃったからなんだから」

「でも……」

「ごめん……本当なら、助けてくれてここまで付いてきてくれた征仁さんに、ありがとうって言わなきゃいけなかったのに」

「そうか……? 」

「そうだよ」

「何というか……」

「何? 」

「とにかく、君が無事でよかった」

「……私も、征仁さんが無事でよかったと思ってるよ」

 お互い、顔は合わせずに外の景色を見ながら喋っていたけれど、サッシに写り込んだ表情は、私も征仁さんも照れくささを隠しきれていなかった。

「一緒に帰ろうな……元の白日町に」

「うん……」

 外で容赦なく降り注ぐ豪雪は、私と征仁さんとの心の溝にも降り注いでくれていたようだ。敷き詰まった雪の地面が足場となって、感情の橋渡しになったような、そんなイメージを抱かせた。

「それにしても友江さん、遅いな……」

「長電話してるんじゃない? おばあちゃんも喋り出したら止まらないから」

「それにしては静かだ」

「確かに……」

「「まさか!? 」」

 私達はこの時ようやく思い出した。母さんは若い頃から常にとある[災難]を抱えていたことを! 

「母さん! 」「友江さん! 」

 思わず私は彼女のことを「母さん」と呼んでしまった。でも、そんなコトをいちいち気にしている場合ではなかったのだ。


「はぁ……はぁ……」


 板張りの床に倒れ込み、苦しそうな息遣いをしている母さん。間違いない! 

 発作を起こしている。

「まずい! 」

 征仁さんは急いで母さんの上半身を起こし、息遣いや顔色をうかがう。

「雪姫、救急車! 119番だ! 」

 いつのも頼りなさげな表情とは一転。鬼気迫る口調で私に指示を送る征仁さんの姿に、彼が優秀な医者だということを思い出させてくれた。

「わ、分かった! ちょっと待って! 」

 古めかしく、慣れない固定電話の扱いに悪戦苦闘しながら、急いで119と番号をプッシュするも、一向に繋がらない。「プーッ……プーッ……」という呑気な電子音がひたすらに流れるだけ。

 番号の入力方法がいけなかったのか? いや……まさか……もしかして! 

 私はうずまく不安を必死に抑えながら家の外へと飛び出す。

 凍てついた風が顔の皮膚を突き刺して目をくらませるが、そんなことなどどうでもいいというばかりの絶望的状況に絶句してしまう。


 何コレ……電話線が……雪の重みで切れちゃってる……!? 


 携帯電話なんて影も形もない時代……外部への通信手段が閉ざされてしまった上に、外には腰の高さまであるかと思うほどの雪の壁……私達はまさしく陸の孤島に閉じ込められてしまっていた。

「どうしよう征仁さん! 電話線切れてる! 病院にも行けないよ! 」

「なんだって? 」

 息を切らしながら、苦しんでいる母さん。まだ意識はあるみたいだけど、このまま放っておいたら確実に命を落としてしまう。

「ここじゃ薬も設備も無い、なんとかしてあいざわ診療所まで連れて行かないと! 」

 この時代じゃ、AEDなんてあるハズもなく、医療設備のある場所に行かなければ手の出しようがない。

「はぁっ、はぁっ……うぅ……」

 母さんはシャワーを浴びた直後かと思うほどの汗で顔を濡らしながら、ぜェぜェと息を思いっきり吸っては吐き、吸っては吐きを繰り返している。

 私は急いで外に出て、近隣の家に助けを求めようとしたが、この西条家は周囲を畑や田んぼで区切られ孤立した地形にあることを思い出し、再び希望を削がれてしまう……どうにかして雪をかき分けて最寄りの家にまで行こうとするのなら、初めからあいざわ診療所を目指した方がよさそうなほどだった。

「どうしよう……このままじゃ……母さんが……」

 思えばこんな状況に陥ってしまったのは、私がヘマをして池に飛び込んでしまったことが原因だ……私達がこの時代に現れなければ、母さんは外で降り積もっていく豪雪にいち早く気が付いて祖父や祖母に助けを求めていたハズなのに……

 もっと言えば、そもそも私が家出なんてしていなければ……もっと私の方から征仁さんに歩み寄っていれば……

 私のワガママのせいで、母さんが死にかけて……もしもこのまま最悪の事態になってしまったら、つまりは……私自身も……

「雪姫! 」

 ネガティブな思考を断ち切ろうとするような激しく力の入った征仁さんの呼びかけで、私はようやく意識を現実に戻すことができた。

「中に戻るんだ。外に助けを呼べないのなら、今ある状況で最前を尽くすしかない」

「でも……」

「この雪ではどうしようもないんだ」

「何とか……診療所まで歩いて行けないかな」

「無理だ……」

「スコップかなんかで、雪をかきわけてさ……駄目かな」

「無理だ……! 」

 自分の母親が窮地に立たされているというのに、何もすることができない自分自身の無力さが情けなかった。

 その上、過去が変わってしまうコトで、自分自身の存在が消失してしまうかもしれないという恐怖に焦りが募り、私は冷静さを保てなくなってしまっていた。

「雪姫? 何を! 」

 征仁さんの制止を振り切り、私は外に降り積もる雪を素手でかき分けようとした。

「私のせいだ……! 私のせいだ!」 

 無意味なことをしていると分かってる。バカなことをしていると分かってる……それでも、何か体を動かしていなければ、自分自身の心を繋ぎ止めることができずにいた。

「やめるんだ雪姫! 」

 とうとうみかねて、征仁さんも真っ白な世界に変わり果てた外に飛び出し、私の両腕を後ろから取り押さえた。

「やめて! 止めないで! 」

「そんなコトをしたって無駄だ! この雪が止まない限りどうしようもない! 」

「だって! だって! 」

 気が付いたら私の頬は、止め止めなく溢れた涙でべっとり濡れていた。

「ごめん……征仁さん……ごめんなさい」

「なんで謝るんだ、君のせいじゃない」

「私のせいで……母さんも征仁さんもこんな目にあって……」

「大丈夫だ! 助かる! 母さんも、僕も、君も! 」

 嘘だ。たとえ征仁さんが優秀な医者でも、設備も何もないこの場所では、100%助かる保証なんて無いってことはわかってる……

 それが私を落ち着かせようとしている気休めの言葉だとういうことはわかってる……

 母さんが抱えている心臓の病は、一刻も早く治療を施さなければ命に係わるということは。私には過去に何度も発作に苦しむ母さんの姿を見て、重々承知している……

 母さんが助かる為なら、何でもいい……

 誰か助けて。神様でも仏様でも、誰だっていい。伝承の雪女の悲しみを思わせるこの大雪を、今すぐ止めることができるのなら、私はなんだってするから! 

「母さん……お父さん……」

 私は空を見上げた。この時代ではなく、母と父が天に昇ってしまっている2014年の空を思い浮かべて……そして容赦なく降り注ぐ大粒の雪を目で追っていくと、自分自身が空に引っ張られるような錯覚を覚えて、一瞬心が奪われてしまう。

 この綺麗な雪の輝きを、何の心配もなくただ眺めるコトが出来れば、どんなに幸せなんだろう? 漠然と過ごしてきた平穏な日々が、今はひたすら尊い。

 ああ、なんだかだんだんと感覚がおかしくなってきたみたい。

 この前観た、主人公が30年前にタイムスリップしてしまう映画だと、自分の母と父が出会うことがなくなってしまって未来に矛盾が生まれ、徐々に自分自身が消滅していくような描写があった……ひょっとしたら今の私にも同じ現象が起きていて、頭がおかしくなっているのかもしれない……

 だってほら……さっきまで空に昇っていくような錯覚に陥っていたのに、今はなんだか、高いところから真っ逆さまに落下していくように見えている。これじゃまるで、雪が昇っているみたい……

「雪姫? 雪姫っ!? 」

 征仁さんの声だ……まだ私には周りの音を聞くぐらいの感覚は残っているんだな……

「雪姫! それは……それはなんだ!? まるで……」

 征仁さんのあまりにも動揺した口調には、何か焦りとか驚きというか、そんなニュアンスを覚えた。まるで家の中にカブトムシが乱入した時のような…………


 ……ちょっと待って!? 


 私は視線を空から地上に戻し、自分自身に生じた不可解な現象を目の当たりにした。

「なにこれ? なんなのこれ! 」

 私の両手からは青白い靄がゆらゆらと沸き上がっていた。そしてその靄に雪が触れると、信じられない光景を生み出し、瞬きと呼吸を少しの間忘れてしまう……


「雪が……雪が昇っていく? 」

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