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30年前の西条家、つまりは母さんの実家であり、祖父母の家の佇まいは、基本的な部分は対して変わってはいなかった。瓦の屋根、横に滑らせて開かせる玄関の戸。でも、庭に生えている柿の木はどことなく小さく見える気がした。
「変わってないなぁ……この家……」
「変わってない? 何が? 」
「いや、なんでも……」
ついつい、心の中の声が表に出てしまった。私は適当に濁したけど、怪しまれていないかついつい不安になる。
居間に通された私達は、使い慣れた掘り炬燵の中で暖を取るように促され、母さんはお茶を淹れる為に奥の台所へと姿を消した。どうやら祖母と祖父は留守のようだった。
元の時代では使われていなかった、天板にヤカンを置けるタイプの石油ストーブ。丸いダイヤルの付いたブラウン管テレビ。赤・青・黄の原色を多用した古めかしいデザインのカレンダーが、やはりここが30年前の世界なのだということを実感させた。
「ねぇ、征仁さん……」
「どうした? 雪姫」
「ホントにこんなコトしてて大丈夫なの? 私達、元の時代に帰られなくなるかもしれないんだよ? やっぱり昇雪池に戻った方がいいんじゃ……」
「だけど雪姫、まだ昇雪現象が起きていない内はどうにもならないだろう。ここは待つんだ……辛抱強く」
征仁さんの緩みきった表情と呑気な口調からは[辛抱強く]という言葉に一切の説得力が感じられなかったことを、本人に伝えたい。私は我慢出来ず、とうとう思っていたことを口に出してしまった。
「征仁さんさ……単純に若いお母さんと一緒にいたいだけなんじゃないの? 」
征仁さんは「え!? 」と口には出していないものの、心の中でそう叫んでいたことは分かる。丸刈りで包帯を巻き、不衛生な髭を生やした、ちょっとした悪人っぽい人相が氷の様に固まったからだ。
「い、いや……そりゃ……まぁ、それもある」
全く誤魔化すことなく、彼は私の指摘を否定しなかった。
「雪姫は、母さんと会えて嬉しくないのかい? 」
「いや、それは嬉しいよ! でも……自分がそれどころじゃない状況に置かれているってのと、何というかあの友江ちゃんが自分の母さんだって実感がないの。だって……そうでしょ? 」
「そうでしょって……? 」
「分からないかなぁ……この時代の母さんは、あくまでも西条友江という14歳の女の子で、私の母親じゃなんだよ? だから……確かに初めに会った時は信じられないって気持ちになったけど……だんだんと他人感というか、私と母さんとの繋がりが薄くなっていく実感があるの」
「そう、なのか……? 」
征仁さんは私の言葉に対して、信じられない! という風な反応を見せた。この辺りの食い違いは、夫と妻、母と娘という関係の違いだろう。
「夫婦ってのは基本的に他人同士、血の繋がり無くて成り立つもんでしょ? だけど親子ってのは違う。血の繋がりが…………」
途中まで言い掛けてようやく気が付いた。私はバカだ……一度ならず二度までも……
「……ゴメン……そういうつもりで言ったんじゃないんだ……その」
征仁さんは一瞬だけ、槍で突かれたかのような顔をしていたけど、表情筋を無理矢理動かして笑顔を作り「いいんだ」と、消えるような声で一言だけつぶやいた。
会話が途切れ、石油ストーブで温められたヤカンのお湯が、シンシンと唸る音だけが居間に響く。
気まずい空気に逃げ出したくなり、タイムスリップしたこんな状況でさえ、継父と打ち解けられそうにない自分自身にも、いよいよ嫌気がさしてくる。
「お待たせしましたー! 」
まるでそんな空気を察して来たかのように、友江ちゃんこと、14歳の母さんがお盆を片手に居間に入り込んで来た。
「ごめんなさい、勝手口でちょっとお隣さんと話をしちゃいまして、遅くなりました」
西条家は古き良き日本家屋の伝統に乗っ取り、台所には外へと繋がる勝手口が備え付けられていた。私の時代では防犯上の関係で使われることが無くなり、そのドアの前には大きな棚を置かれて塞がれていたけど、この時代では健在のようだ。
「へ~、どんなお話をしていたんですか? 」
征仁さんはさっきまでの重い空気を払拭しようかとばかりに、母さんにどうでも良さそうな質問を投げかけた。
「それがですね……あ、どうぞ」と、母さんは湯飲みにお茶を注いで話を続けた。
「実は……人相の悪い人を家に入れているみたいだけど大丈夫か? って言われちゃいまして」
人相の悪い……それってもしかして。
「ひょっとして……僕のコトかな? 」
「当たりです! 」
確かに。怪我でしかたがないとはいえ、包帯にくるまれた丸刈り頭と、整えられていない伸びっぱなしの髭を蓄えた征仁さんは、端から見たら何かしら危険な雰囲気を纏った人間にしか見えない。坊主頭と髭がファッションとしての市民権を得ていないこの時代なら尚更だろう。
「はは、参ったなぁ……そんな風に見られていただなんて」
征仁さんは照れくさそうにして涼しくなった頭を撫でつつ「いただきます」と茶を啜ったけど、私は気持ちの問題なのか、どうもこの時代の飲み物や食べ物を口に入れる気が起きず、目の前に出されたお茶や煎餅に対して食欲が沸かなかった。
「美味いですね、このお茶」
「そうですか、そう言ってくれるとこっちも嬉しいですよ」
「ええ、何だか懐かしい味がしますよ」
どうして征仁さんはこんなにもこの時代に馴染んでいるんだろう? と疑問を抱いていたけど、今の言葉でその答えをようやく導き出せた。
簡単なことだ。征仁さんは過去に、この1984年代を生きていたことがあるから。それだけの理由だ。
となると、征仁さんは46歳なので、今こうしている間にどこかで、16歳の征仁さんが生活を送っていて、全く同じ人間が地球上で二人存在しているというコトになる。そう考えるととても不思議だ。
ひょっとしたら、さっき村上さんが征仁さんの手相を上手く読み取れなかったのには、それが強く影響しているのかもしれない……今この世界には全く同じ人間の魂が共存しているのだ。そんな普通じゃない状況が占いというスピリチュアルな行為を妨げたの可能性はある。
「ユキちゃんもどうぞ、冷めないうちに」
「あ、うん……ありがとう」
と、いくら考えてもハッキリとした答えが出せない問題は置いておいて……せっかく母さんが用意してくれたお茶だ、ここはそんな気分でなくとも、とりあえずいただいておこう。私は湯飲みからホンの少し、吸い込むようにして緑茶を喉に流し込んだ。
え!?
お茶を飲んだ瞬間、私は自分自身の身に何が起きたのか分からなかった。
何が起きた? さっきまで西条家にいたハズなのに、突然視界が変わってしまった!
360度が群青色の景色。肌を撫でる小さな気泡群。クポクポと響く音の群れ。どういうこと? 私は今、水の中にいる!
呼吸が出来ず、問答無用に口の中に水が入り込む。必死にもがいて水上を目指そうとするも上手くいかない。体が重い!
何で!?
よく見ると私は今、雪のような白無垢の着物を羽織っていた。これがたっぷりと水を吸い込んでいた。
まさか……コレって!?
水、着物……それから一つのイメージを連想させた。
……昇雪池に入水した……雪女?




