彼が王になった理由
王族というのは、民のために存在する。民が汗水流して働き、納めてくれる税で生活しているためだ。対価に見合った労働をするのは、王も貴族も平民も変わらない。
それは、人間だけではなく吸血鬼も一緒だ。自我があり、各々欲求がある生き物だから、管理する立場の者は必要だ。不死身とうわさされるほど生命力のある吸血鬼の王は、人間のように生活環境を整える必要のない分、絶対的な強さが求められる。物理的にも、精神的にも、ほかを圧倒し、統率するための力を持つものが、吸血鬼たちの王だった。
だが、今の王は変わり者だと吸血鬼たちは口をそろえて言う。第一に、餌である人間の扱いだ。血を吸えればいいという扱いでは餌がなくなるから、待遇を変えろと言い出した。
「人間たちも、家畜を丁寧に世話しているだろ?自分を上位だと思うなら、下等な奴らがやっていることぐらい、朝飯前だよな?」
王が命令するなら、吸血鬼たちに拒否権はない。人間たちは、吸血鬼につかまっても血を吸われる以外は普通に生活できるようになった。それどころか、同じような姿かたちをしているので、服飾業など一部の仕事は繁盛していった。
第二に、王自身の屋敷と服装だ。華美なものを好む吸血鬼の王でありながら、王の服装は何の飾り気もない。黒を好んで着ているが、装飾品の類は邪魔だと言って一切身につけない。屋敷に関しては、周りが言わなければ最低限の家具の置かれた、平屋になるところだった。
強さを示さなくてはならない立場なのに、今の王は自由すぎる。なめられて、すぐに下克上されてしまうだろうと噂された。それでも彼は王の椅子に座り続けていた。
責任感も、王である誇りもない彼が、なぜその椅子にこだわるのか。その理由は、だれも知らない。
「ヴィンセント様。起きてください、朝ですよ」
ヴィンセントは声を無視して、布団にもぐったまま寝返りを打つ。朝だから起きろとは、人間のようだ。巷で言われているように、吸血鬼は日の光が苦手ではないけれど、月の加護がある夜に力が湧くのは本当だ。
「ったく、ヴィンセント様が起こせって言ったんですよ?今日は王様として、町を見に行くからって」
「んー」
「それとも、このままベッドにいて、俺と遊んでくれるんですか?」
期待と不安が入り混じった言葉を聞いて、ようやくヴィンセントは体を起こす。天蓋付きのベッドの脇に立ってこちらを覗いていた従者は、ほんの少し悲しそうな顔をした。拒絶されたと思ったのだろう。安心させるように、頭を撫でてやる。
従者は顔を真っ赤にして、ヴィンセントの手から逃れようとしたが、すぐにおとなしくなった。そうして、改めて目を合わせてあいさつすると、はにかみながら笑う。
(かわいいなあ…)
狗浪、とは我ながらいい名前を付けたと心の中で自賛する。
狗浪はヴィンセントより頭半分背が高く、女性らしさはないのに美人と形容したくなる容姿をしている。男にしては長めの黒髪と、切れ長の黒い瞳。ヴィンセントの好みに合わせ黒を基調とした服を着ているので、その名の通りに全身が黒かった。
気のすむまで撫で続けてから、ヴィンセントはようやく出かける支度をする。手を頭から離した瞬間、残念そうな表情をする狗浪はやはりかわいかった。
吸血鬼の国は山の中腹に人目を隠れるようにある、国としてはずいぶん小さなところだ。自然豊かで、ほかの妖怪の国よりは道や水路などが整備されている。一緒に暮らすようになった人間のためでもあるし、美を好む吸血鬼の性質のためでもある。
ヴィンセントの屋敷は、国全体が見渡せる、長い坂道を上った高台にあった。王の力を視覚的にもほかの者に示すためだ。どんなに外観を取り繕っても、王自身が王らしくないのだから、何の威厳も示せていないのだが。
坂を降りると、次から次へとヴィンセントは声をかけられる。それだけヒトに慕われているということなのだが、王に敬意を払っているというわけではない。砕けすぎたその態度は、身分のことなど忘れているようだった、
ひとりひとりに返事を返していると、酒場の方から歓声が上がった。何事かとヴィンセントが目を向けると、それに気が付いたヒトが事情を説明してくれる。
「今日は吸血鬼の旦那と人間の娘の結婚式なんです。なんでも、ずっと血を提供していた娘の容姿を知った旦那が娘に一目ぼれしたのだとか。ロマンチックですよねえ。想い叶ってからは、一度も娘の血を吸っていないそうですよ」
ヴィンセントは一瞬だけ顔をゆがめ、すぐにへらりと笑って見せた。
「それはめでたいな。すこし覗いていこうか」
「まあ。ヴィンセント様からお祝いいただくなんて、これほど名誉なことはありませんわ」
興奮した婦人たちが、ヒトを押しのけてヴィンセントを新郎新婦のもとへ案内してくれる。人間の国での風習なのか、二人とも純白の衣装に身を包んでいた。花束を抱えた新婦の瞳は涙で濡れ、新郎はそれを慈愛に満ちた笑顔で見つめている。
小説の中で言えば、これはみんな幸せのハッピーエンドなのだろう。軽い調子でヴィンセントは新郎新婦に声をかける。
「おめでとう、二人とも。俺の代で異種族間の結婚があるなんて嬉しいよ」
「ヴィンセント様!ありがとうございます」
「うん。幸せそうな二人を見ていたら、俺も結婚したくなったなあ。お互いがお互いを尊敬しあう関係とか、なんかいいよね」
ね、と同意を求めるように狗浪を見ると、彼は黙ってうなずいた。ヴィンセントと二人の時とは打って変わって、ヒトといるときは過ぎるくらい不愛想だ。
始終なごやかに、結婚式は行われたようだった。ヴィンセントは結局それを、最後まで見届けた。町のみんなが関心あるようで、式に呼ばれていなかったものも、ちらちらと様子をうかがっていた。
だが、新婚の甘い雰囲気は、長続きしなかったようだ。数か月後、ヴィンセントの耳に花婿が花嫁を襲い、無理やり吸血したという凶報が届いた。
「なんでみんな悲劇みたいな顔をしているんだろうねえ」
自室にある革張りのソファに体を横たえ、長い足をぶらつかせながらヴィンセントは誰にともなく聞いた。いつも通りの軽装と、だらしない格好のせいで、今は普段以上に王様には見えなかった。下品ではない程度に装飾された部屋の内装と、違和感がぬぐえない。
お茶を淹れていた狗浪は主の疑問に律義に答える。
「人間にとって、生活が保障されているとしても、吸血されるのは嫌なことだからですよ」
「別に痛くはないだろ?吸うたびに痛い思いをさせないよう、吸血鬼の歯には催淫毒があるんだから。むしろ気持ちいいと思うんだけど」
「そのことも含めて、嫌なんですよ」
「ふうん。お前も嫌?」
ヴィンセントは狗浪を手招きながら聞く。狗浪はお茶を淹れていた手を止め、そばに膝をついた。彼の頬に手を当てて、その切れ長の黒い瞳をのぞき込むと、白い頬は赤く染まった。
「俺は…。嫌では、ありません。ヴィンセント様なら」
「よかった。俺もお前以外から吸う気はないからな」
あの花婿の暴走は、ヴィンセントには全く不思議でも悲しいことでもない。当たり前のことだ。血を糧にする吸血鬼が、愛しい人を前に飢えを味わわされていたのだ。遅かれ早かれ、いつかはこうなっただろう。血を吸うな、とは吸血鬼にとって死を意味することを、人間の中で理解しているものは少ない。
「あーあ。また仕事が増えるな。最近になってようやっと吸血鬼と人間の生活の折り合いがついたところだったのに。バカップルのせいだ」
思わず悪態をつくと、狗浪に頭を撫でられる。いつもと逆だ。
「あとでたっぷり憂さ晴らしに付き合いますから、頑張ってください」
「お前も手伝うんだからな?」
「はい。お供します」
結婚式の日からも何度か足を運んでいたが、王として姿を現しながら街を歩くのは数か月ぶりだ。憎しみと、恨みと、嘲笑と。様々な感情がヒトの間を渦巻いている。花嫁のうわさを聞いて、人間側に吸血鬼に対する不信感が強く芽生えたようだった。
ヴィンセントたちの様子を、吸血鬼たちは面白そうに、人間たちはおびえるように、もしくはすがるように眺めている。
その様子をうかがっていた人間の一人が通りを歩くヴィンセントに話しかけてきた。どこか助けを期待するような顔に、狗浪が不快そうに眉を寄せる。
「あの、うわさを聞いていますか?」
「花嫁のことなら聞いているよ。やっぱりという感じだけど」
ヴィンセントの関心の薄い態度に、人間は驚いたようだった。
「だって、そうだろ?嫁は長く血を提供して、婿となった吸血鬼は飲んでいたんだ。長く飲んでいたってことは好みだったんだろうし、それを目の前にしてお預け状態が続いたら、いつかこうなると思っていた」
改めて確認する必要もない、当たり前のこと。国に暮らすようになって、もう習慣のように義務をこなしているから、みんな忘れてしまっているようだ。
「何か勘違いしていないか?お前ら人間は、吸血鬼の餌だ。関係が夫婦になったからって、それは変わらない。人間の中で家畜の豚を家族としている奴もいるらしいけど、食べごろに育ったら屠殺するだろ?それと一緒」
殺したら新しい血液が体内で作られなくなるから、気に入った人間は殺さないけど、と心の中でヴィンセントは続ける。最後まで言い終える前に、目の前の人間の顔が絶望に染まったからだ。
さすがに、ヴィンセントに対して非難を口にする者はいないようだ。大きな声で話していたわけではないから、この会話の内容は家の窓や扉の隙間からのぞいている人間の耳に届いていないだろう。それでも、内容を予測できているだろうし、答えも絶望している同胞を見れば明らかだ。
「あー、でも誤解しないでほしいんだけど。二人が結婚したのはほんとに驚いたし、うれしかったよ?俺も、狗浪を愛しているし」
そう言って、会話をしている間黙って傍らに立っていた狗浪の腕を引き、口づける。頬どころか耳まで赤く染まったのを見て、のどを鳴らして笑った。協力するって言っただろ、と彼にだけ聴こえるようにつぶやく。恨めしそうな視線は黙殺した。
ヴィンセントたちのやり取りを見ていた人間は、馬鹿にされたと思ったようだ。狗浪の比ではないくらい顔を赤くして、怒鳴り散らす。人間より耳のいい吸血鬼には、遠くから顔だけ出して叫んでいるものの言葉も聞こえてきて、鼓膜が破れそうだ。
この場に居合わせてしまったヴィンセント以外の吸血鬼も全員、顔をゆがませている。なによりも、わめく人間たちの様子は、醜かった。
「うるさいなあ。何をそんなに怒るんだよ。俺も狗浪の尊厳とかってやつを蔑ろにしているから?それとも、知らないのか?狗浪は人間だぞ?」
両手で耳をふさぎながら言うと、すぐ近くで怒っていた人間の目が点になった。狗浪の容姿はどこをどうとっても人間なのに、案外気づいていないようだ。肌は白いけど、青白いとまではいかないし、なにより瞳は赤ではなく黒だ。美を好む性質にふさわしく、吸血鬼は整った容姿をしている。その隣にいる麗人も吸血鬼だと、錯覚していたのだろうか。男同士だという問題は、余所においておく。
たくさんの声が入り混じって騒々しい場を鎮めるために、ヴィンセントは古い友人に渡された石をポケットから取り出す。教えられたとおりに呪文を唱え、石の表面を撫でると、それは周りの音を吸収した。声を上げているはずなのに、自分たちの耳にその声が届かないことに気づいた者たちが、混乱したようにあたりを見渡す。そうやって、ヴィンセントの手に何かが握られていることを認めて騒ぐのをやめた。
「よしよし。相変わらず彼の作る魔石の効果はすごいな」
満足そうに笑ってから、ヴィンセントは一転して真剣な表情になる。狗浪も静かに姿勢を正したようだった。
「吸血鬼側には確認するまでもないことだろうが、ここで王の言うことは絶対だ。そしてその王に選ばれる絶対条件は強さ。強ければ、だれもその言葉に異を唱えない」
だからこそ、ヴィンセントは王を目指した。儚げな笑みを浮かべる女性と、絶望を宿した瞳を持つ少年の姿が脳裏に浮かんだ。向いていないと、ヴィンセントを知るものはみんな口にしても、王になりたかった理由。
「そんな国だから、下克上があってもおかしくないよな。狩られる側が、狩る側に回るとか」
ヴィンセントの言葉を、吸血鬼も人間も不可解そうに聞いていたが、意味を飲み込むと呆然とした。珍しく王様然として話していたのに、まるで馬鹿を見る視線に眉根を寄せる。
「なんだよ。別にあり得ない話じゃないだろ?おまえら、うちの狗浪にすら半殺しにされるじゃないか」
前半は人間に、後半は吸血鬼に向けて言って、狗浪の首に両腕を回す。ときどき手合わせを頼まれるが、それ以外彼に対して何もしていない。力で優っているはずの吸血鬼たちが負けるのは、狗浪の観察眼と、的確に急所を突く技が力の差を補って余りうるというだけだ。
「そういうわけだから、餌という立場に甘んじたくないなら、こいつを口説いて指南を受けるとかすれば?俺が王の間は、敵だろうとこの国にいる間生活環境は保証してやるから。血を提供する義務さえこなしてくれればな」
呆れた表情が変わらないものもいるが、何人かは決意をその瞳に宿していた。それをみて、一通り仕事は終わったと悟る。
「普段しゃべらない量をしゃべって疲れた。俺はもう帰るな?あとは喧嘩しても知らないから好きにしろ」
そう言って、ヴィンセントは自分の体を霧に変化させる。狗浪も忘れずに屋敷に連れ帰った。
いつも決まった時間に来る従者が現れず、ヴィンセントは好きなだけ惰眠をむさぼっていた。正面玄関の方から聞こえてくる騒ぎは無視する。
声が聞こえなくなって、しばらくした後に聞きなれた足音が近づいてきた。ベッドから起き上がってそれを待つと、扉を開けて顔をのぞかせたのは、予想通り狗浪だった。
「意地が悪いですね。自分が蒔いた種なのだから、手伝ってくれてもよくないですか」
「んー。まあそうだけど、お前がどう動くかなって」
騒ぎのもとは、昨日のヴィンセントの言葉を受けて、さっそく指導を受けに来た人間たちだった。騒ぎと呼ぶくらいの訪問だったから、相当な数の人間が来たのだろう。そんな彼らに対して、狗浪が主の身の安全と願いのどちらをとるのか、興味があった。
「ほんと、意地が悪い」
「今更だろ。で、どうした?」
「……選ぶ以前の問題でした」
「は?」
「俺では、彼らに教えることは何もないです。あなたの技を盗み見て、手合わせをしてもらっただけなので」
「……あー。そうか」
確かにいずれ敵になるとわかっていて、手を貸す吸血鬼はいないだろう。ヴィンセントほどの酔狂か、よほどのバカぐらいだ。対吸血鬼戦を学ぶなら、吸血鬼を相手に練習するのが一番だが、相手がいないということだ。もちろんヴィンセントは狗浪以外と手合わせする気はない。
ヴィンセントの言葉は、吸血鬼にも言えることだったのだがうまくいかないものだ。普段王にふさわしくないと言っているし、餌である人間が力をつけることを望まないのなら、ヴィンセントを王座から引きずりおろせばいい。自分たちが王になった後で、人間たちに対して武力を扱うのを禁止すればいいし、国から放り出して飼うのをやめればいいのだ。
なんだか面倒くさくなって、ヴィンセントは考えるのをやめてベッドに寝転がる。狗浪は何も言わずにベッドに近寄ると、その上に上がってきた。頭を彼の膝の上に乗せられて、髪を梳かれる。
吸血鬼と人間の共生なんて高望みはしていない。ただ、望まない男の子を産んだアリシアと、どちらの種族にも属せないと笑った、弟のために。一方的にどちらかが搾取される関係を終わらせたいだけだ。
体の向きを変えて、狗浪のおなかに鼻をうずめるようにすると、彼がかすかに笑った気配がした。
「珍しく予想が外れましたね」
「なんでうれしそうなんだ。主が落ち込んでいるのに」
「いつも自信満々なヴィンセント様の弱っている姿は、とてもかわいらしくて眼福です」
「…昨日の仕返しか?」
「まさか」
狗浪の声は笑いが混じっていて、説得力がない。従者が主にこんな態度をとったなら、まして餌としてみている人間がとったなら、本来であれば怒らなくてはいけない。楽しそうな表情を見て和んでいるヴィンセントは、やはりおかしい。
「…まあいいや、すぐにうまくいくと思っていないし。戦争にならないだけいいとしよう」
喧嘩ならいくらでもしていいが、戦争となるとどんな結果になっても溝ができる。そうなったら、ヴィンセントの望む国には決してなりえない。
「とりあえず、今日はもう寝て過ごすかな」
「わかりました。俺は自室に戻りますね」
そう言って、ヴィンセントの体を膝から降ろし、ベッドから降りようとする狗浪の腕を引っ張る。
「どこ行くんだ。憂さ晴らしに付き合ってくれるんじゃなかったっけ?」
「寝るのではないのですか?」
「ん。寝る。だからお前も付き合え」
自分よりも背の高い狗浪を抱き込むようにして目をつむると、彼も起きるのをあきらめたようだ。ヴィンセントは気づかれないように笑って、抱きしめる腕に力を込めた。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
キーワードがシリアスかほのぼので迷って、ほのぼのを選んだのですが、合っていたでしょうか?