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鉄の王国  作者: しま
2/2

背負うもの




「エナツ、気をしっかり持て!もうすぐヘリが来る!!!」

僕の名前を呼ぶ声は頭の中に響く鐘の音にかき消され、遠く、曖昧に聞こえていた。

右肩に激痛が走ったと思う間も無く、僕は爆風に吹き飛ばされた。

ヘリの側面に描かれた杖が見え、グリーバンスが来たぞ!と誰かが叫んだ。

埃と吐き気をもよおすような鉄の匂い。不快なことに鼻血が鼻の奥で固まって、口でしか呼吸をさせてくれない。

それに呼応するように、呼吸の度に胸がずきん、と痛む。おそらく肋骨が折れてしまったのか、それが肺に刺さったのだろう。

呼吸をする度に激痛が僕を襲い、意識が飛びそうになる。

それでも意識を保っていられたのは僕の精神力か、激痛で目を覚まされていただけなのかは分からなかった。

ただ、撃たれたはずの右肩の傷が塞がっていた事は、誰も信じてはくれなかった。





ちゃんと地面についたベッドで寝るのは多分、二ヶ月ぶりだ。

そのせいなのか単に疲れていたからなのかは分からないけれど、とてもとても深い眠りについていた。

目を覚ます頃には時計は午後一時を回っていて、軍に入る前の学生時代の休日を思い出しながらあくびをかいた。

僕が起きるのを待ち伏せていたかのように薄い木の扉が三度ノックされ、身構える。

「オーナー、ボクだよ。そろそろ起きないとダメだよ」

聞き慣れた声に安心し、ベッドから立ち上がって扉を開ける。

「おはよう、オーナー。起きてたんだね」

純白の髪に白いシャツ。真っ白なリタが廊下に立っていた。

等間隔に並んだ廊下の窓はいくつか開けられていて、

寝ぼけ眼を痛めつける太陽の日差しを邪魔に思いながら、リタの頭を軽く撫でる。

「丁度起きたところだよ。……何時間寝た?」

「ボクはきっかり八時間」

「僕は……」

寝ぼけた頭で計算する。昨日は十一時に寝たから……。

「十四時間か」

「寝過ぎだよ」

「ははっ。言い返せないな」

頭をかいて踵を返す。

洗面所に立って寝起きの僕の身なりを見てみる。

うねりにうねった髪の毛に死んだ魚のような目。無地のシャツにハーフパンツ。自分の部屋だと再確認できる気の抜けた格好だった。

頭から水を被りながらリタに訊ねる。

「イチゴは?いつ復帰だ」

「当分先みたいだよ。新しいハンドガードと部品を積んだ飛行機がグリーバンスに撃墜されたって、朝から基地が騒がしかった」

グリーバンス。奴らの名前を聞く度に、ほんの少しだけ右肩が疼く。

「ちくしょう。蚊みたいに落としやがって」

リタがテレビをつけてソファに座る。

一世代前の対空兵器が大量に流れているせいだ。内戦や紛争を抱える国の軍用機が文字通り蚊のように落とされている。らしい。

チャンネルがカチカチと変わるたびに聞き取れない音がブツブツと途切れる。暗い話題を変えようとしたのかリタが明るげな声で切り出した。

「今日から久しぶりにフリーだね。何週間あるの?」

「二週間くらいだな」

「短いなあ……。もう午後だけど、今日はどうするの?」

「二時からメルと面談。休暇中にやってくれってさ。久しぶりに寝て過ごしたいんだけどな……」

僕が言うと、リタは声のトーンを落として威嚇するように呟く。

「早くドイツに帰ればいいのに」

「そう言うな。あいつもあいつで大変な思いをしてるんだ。分かってやれ」

リタはふん、と鼻でため息をついた。

こいつもこいつで、分かっていない訳ではないのだ。ただ、あの場面で意地を張ったメルが許せなかったのだ。

髪の水分をタオルで飛ばしながらカーテンを開ける。海の濃紺と空の薄い青、入道雲の白が鮮やかに光を浴びて輝いて見えた。

「まあいいか。せっかくここまで戻って来たんだし、夜はデートでもするか」

「でっ、デート……。オーナーがしたいなら、構わないよ」

「じゃあ行こうか。……リタ、昼飯は?」

シャツを脱いで着替えを始めると、リタは僕からすっと目を離した。年頃なのかな、と少し申し訳なく思った。

「まだだよ。待ってたから」

「……もしかしてそのために起こしに来たのか」

それは悪い事をした。

リタはリモコンを弄びながら小さく唸っていた。




メルの救出から一週間が経ち、僕達はオワフ島にいた。

件の組織からメルを救出し、僕達は基地に戻っていた。

戦艦ミズーリが鎮座するパールハーバーの南、サウスイーストロックが僕達の隠れ蓑だった。

銃娘は未だに謎が多く、もともとグアンタナモに飛ばされるはずだった。けれど反逆や敵対の兆しもなく、流暢な対話もできた。戦闘能力の高さや治癒の早さを買われ、使えるものは使いたいという上層部の具申もあり、僕という首輪をつけて太平洋の小島に置いたのだ。

もう一つ言うと何故僕なのかもこれまた謎で、複雑な事情で日本人の親を持つ元特殊部隊員の僕が、これまた特殊な部隊の隊長を務める事になったのか、それも詳しく知らされていない。丁度昇級の時期だとは思っていたけれど、年齢的にも隊長を務めるにはあと十年は早い。なんとも裏がありそうだ。

そんな紆余曲折を経て銃娘二人と僕はアメリカ太平洋軍のトップ、太平洋軍司令官直属の遊撃部隊として編成された。

その編成も本来予定になかったようで、僕達の部隊にはまだ名前さえ無かった。特段不便だとは思わないけれど、銃娘二人は少し不満げだった。


僕達はメルの救出のように他の銃娘の捜索、もしくはアメリカ人が入り込めない地域での作戦に使われていた。

世界中を飛び回るのはそれなりにきついけれど、二人とコミュニケーションをとりながら同じ釜の飯を食べ、大変な作戦を乗り越えてきた自負と事実は上層部に徐々に認められ始めていた。

「だからってさ。最近ボク達に仕事回し過ぎじゃない?」

海岸沿いを観光客に混じって歩きながら、リタが呟いた。

強烈な紫外線に肌を焼くまいとサンオイルを塗るビーチの女性と違って、リタの汗が浮く真っ白な肌は焼ける気配はなかった。

「それはまあ、思わないでもない。それだけ信頼されてるって事なんじゃないか」

「でも……ボク達銃娘はまだしも、オーナーは人間なんだよ?戦う事が増えれば増えるほど、死ぬ確率だって上がっていくのに……」

リタの声は尻すぼみに小さくなり、観光客の色めいた声にかき消される。余計な心配をさせてしまった。

「そう言ってくれるのはリタだけだな。ありがとな」

頭をくしゃくしゃに撫でる。少し歳の離れた妹のようで、とても愛おしい。

「オーナーは強いね」

「強いわけじゃない。僕はリタ達銃娘が軍とか組織とかに縛られずに生きられるようにしてあげたいだけだよ」

銃娘は武器とはいえ、仮にも人の形をしているのだ。存在がにわかに広まり始めたこの世界で、不要な差別や隔離、暴力が彼女達に降りかかるかもしれない。そうならないように、せめて一緒に戦う者として、そうならないように願っていた。

「……ボクはオーナーとずっと一緒にいるよ」

「そうしたいならそうしてくれ」

それを決めるのは、こいつなのだから。


昼食に天ぷらを食べ、その足で海軍病院へと向かった。

ナースセンターで面倒な手続きをして、下腹部に隠しておいたシグを預ける。それを終えて、やっとの事で病室へ案内された。

コンコン、とノックをして、五秒待つ。返事はない。面談の時間は伝えてあるから、いないわけではないだろう。

ゆっくりドアを開ける。鍵は開いていた。

白い病室に、白い病衣。誰が置いたのか、二輪の花がガラスの花瓶に生けて置いてあった。ラジオさえもつけず、眼下に広がる大海原にも目もくれず、メルは包帯が巻かれた頭を煩わしそうに押さえながら本を読んでいた。

「返事をしていないのに入ってきちゃうのね。あなたは」

こちらに視線を移す事なく、目はページに固定したまま口だけを動かした。本を持った白く細い腕の細かい傷が、僕達が救助に来る前の戦闘の激しさを物語っていた。

「返事をする気があったのか?」

「なかったわ」

「そう思ったから入ったんだ」

冗談交じりに笑うと、リタがむっとした顔で噛みついた。

「オーナーをバカにするのはやめてくれないかな。早くドイツに帰ればいいのに」

「またあなた?そんなに私と話したかったの?」

リタをどうどうと宥めながらパイプ椅子を出してベッドの横に座る。

「で、どうだ。調子は」

メルはぼさぼさの金髪を指で梳きながらおかげさまで、と呟いた。

「こっちに到着してすぐにパーツの交換があったの。折れたストックと基部を交換して『私』本体は直ったけど、まだ私の傷は治っていないわ」

「そうか。どのくらいかかる?」

「一ヶ月くらいかしらね。少なくとも、同じ怪我をした人よりは早くここを出られるわ」

普通の人間が腰を骨折したら一ヶ月では済まない。メルの口ぶりからして、リハビリ込みの期間のようだ。銃娘の治癒力の高さに、改めて舌を巻いた。

僕は本題を切り出そうと咳払いをした。

「それで、だ」

「左遷の話?」

窓の外を見ていたリタがこちらを見た気配がした。

「……よく分かったな」

「部隊は全滅、唯一生き残ったのが身寄りのないただの武器。上の人達も左遷程度でよく我慢したと思うわ。私が本気を出せば上でふんぞり返っている人間なんて、簡単に殺せる事は理解しているようね」

僕の瞬きの合間にリタがメルの胸ぐらを掴んでいた。メルの身体がほんの少し浮き、その表情は引きつって驚きを隠せていなかった。

「もう一度オーナーの前でそんな事を口走ってみろ。ボクが蜂の巣にしてやる」

リタの細い二の腕の筋肉が小さく隆起する。ギリギリと衣擦れの音が真っ白の病室に響く。

「リタ。止めろ」

リタが手を離すとメルはとすん、とベッドに尻餅をついた。

「リタ、ちょっと飲み物を買ってきてくれ」

「……うん。何がいい?」

「コーヒーを頼むよ」

「分かった」

リタは顔をしかめながら病室から出て言った。

はぁ、とため息をついてメルと向かい合う。

「悪かった。あいつはちょっと熱くなるところがあるんだ。許してくれ」

頭を下げると、メルは目を伏せて震えた声でええ、と呟いた。

「……あなたは幸せね」

「つくづくそう感じるよ。イチゴもリタも、僕の事を考えてくれてる」

ほんの少し、メルは目を伏せた気がした。

「……羨ましいわ」

メルははだけた胸元を正しながら、窓を開けてくれる?と言った。

言われた通りに窓を開ける。ぬるい空気と冷房の冷気が混ざっていく。海からの風は穏やかで、二輪の花を揺らした。

少し、私の話をしてもいいかしら。

メルは髪を無造作に結び、口を開いた。


ドイツに行った事はある?

……なさそうね。それもそうよね。あなた、軍にいる時間がかなり長そうだもの。

私が生まれたのはドイツにある私のメーカーの生産ラインだった。

最終チェックを終えて、後は出荷を待つ部屋で、気づいたら私がいた、らしいの。私自身も、あの日の事はよく覚えていないわ。

一つ覚えているのは、みんなかなり慌てていた事くらいかしらね。

それでもみんな私に興味を持って接してくれたし、会社の空いていた部屋を貸してくれた。すごく優しい人達だったわ。自分たちで設計して、生産した銃が人の形になったんだもの。いろいろ気になるところもあっただろうけど、多分、あの人達にとって私は文字通り娘みたいなものだったんじゃないかしら。

それから私はメーカーの本工場で新型のライフルの開発に協力したの。

物言わぬ武器として、内側から見た意見をみんな真剣に聞いてくれた。そのかいあって、しばらくして新しいライフルのプロトタイプができたの。軍への納入も決まったし、妹ができたみたいで、とても嬉しかった。

それから暫くしてからだったわ。

ある日、軍のトップが私のところに来たの。

私を実戦に投入したい。彼はそう言ったわ。

もちろんみんな反対してくれたわ。……ふふん、だって、娘だもの。

でもね。政治家ってやっぱり狡いし、汚いの。

応じないなら新型ライフルの納入予定を破棄するって一方的に通達してきたの。戦争経済……いいえ、肥大化したテロ組織、グリーバンスに対しての攻勢で景気が良かったから、軍もそれなりに強気だったのよ。

みんな焦っていたわ。嬉しい事に、彼らは誰一人として私を渡す気がなかった。それだけでも嬉しかった。得体の知れない私の事をここまで思ってくれていたんだから。

だから私は決めたわ。恩返しをしようって。

私が軍に参加する代わりに、いくつか条件を出したの。

今後一切、うちの会社に不当な要求をしない事。

帰省の為の休日を設ける事。

今後これを犯すような事があったら、この場にいる全員を殺すってね。

私だって一応心はあるし、辛くなったらみんなに会おうって決めてたから。

そうした経緯で、私は軍に入隊したわ。

その後は訓練を受けて、グリーバンスに先制攻撃をする為に新設された先遣隊に配属された。

そこではあなた達みたいに歴史の年表に残らない作戦を星の数ほどこなしたわ。

そして、あの作戦の日になった。

今まで市街地で作戦を重ねてきた私達に、上層部は砂漠に行ってもらうと告げたわ。

みんな正気かって怒っていたわ。訓練していなかった訳ではなかったけれど、慣れていない事は明白だったから。

それでも決まった事はやらなくちゃいけない。

砂漠の市街地を想定して何度もブリーフィングや訓練を重ねて、周到に準備をしたわ。

あの砂漠の街に降り立った日の夜、星がすごく綺麗だったの。

その時、私の胸の中は今までにないほどにざわついていたわ。何かが起こるって。

結末はあなたも知っての通りよ。武器の横流しに後押しされた想定以上の火力に押し潰されて、私だけが生き残った。

あなた達に助けてもらえなかったら、私はどうなっていたのかしらね。

陵辱されて捨てられた?拷問されて世界中に晒し者にされた?

……考えただけで恐ろしいわ。これでも一応、あなた達には感謝してもしきれないほどに感謝しているわ。もちろん、あの子にもね。

上層部の期待に応えられなかった私は左遷される事になった。

私が普通の兵士ならさっさと辞めて実家に帰るところだけど、そうはいかない。

結局私は、戦うしかないの。

戦っていないと不安になってくるわ。私が武器としての役割を放棄したら、ドイツのみんなはどうなってしまうのかしらって。

だから、ね。決めたわ。

もう泣き言は言わない。あなたに全部吐き出して、これっきり。

それで、知ってるんでしょう。私の左遷先は。

なんとなく察しはつくけど、あなたの口から聞かせてくれる?


メルはぽろぽろと涙を流しながら、僕に微笑んだ。

こんな小さな身体に僕の想像もつかないほど大きな責任と重圧を背負って、この娘は戦っていたのだ。

形のない違和感が胸の奥をジリジリとちらつかせ、漠然とした怒りのような感情が心にじわじわと広がる。しかし、僕にとってこれが正しい感情なのか分からなかった。

背後のドアがコンコン、とノックされる。リタが戻ってきたようだった。

「オーナー、入るよ」

メルはリタが帰ってきた事を知ると、慌てて涙を拭いていつもの無表情を作った。

「はい、オーナー。これでいいかい?」

「ん、ありがとう。……それは?」

リタの手には紙パックのオレンジジュースが二つ収まっていた。

リタは慌ててオレンジジュースを隠しながらそっぽを向いた。

「べっ、別に……その……さっきはやりすぎたから……」

リタは窓の外に視線を逸らしながらごにょごにょ口ごもった。

「あなた、意外と脊髄反射で動くタイプでしょう」

「う、うるさいな。いらないならボクが飲むから」

「そうは言ってないわ。頂戴」

リタはそっけなくオレンジジュースをメルに渡し、メルもまた落ち着かないようにそわそわしながら受け取った。

早く話を進めなさい、とメルが頬を赤らめて目で訴えかけてくる。笑いそうになるのを我慢しながら、僕は続けた。

「メル、リタ。二人に伝えなきゃいけない事がある」

二人とも僕の方を向いて、次の言葉を待っていた。

「メルはドイツ対テロ先遣隊を除隊。本日付けでうちの部隊に加入する」

リタは驚愕の、メルはやっぱり、という表情をした。

「それで、いつから復帰すればいいの」

「リハビリを終えてすぐだと上から言われたけど、僕としてはいつでもいい。心の整理をしてくれ」

「心、ね。 ……心配いらないわ。私の心は鋼よりも硬いから」

どの口が、と言うとうふふ、と笑われた。

リタは黙ったまま、オレンジジュースを不満そうにちびちび飲んでいた。


「納得できないか」

帰路につく頃には太陽が仕事を終えて水平線の向こうに沈みはじめていた。

これからディナーにでかける観光客達を避けて、海岸線を歩く。乳白色の砂の上を歩くリタの真っ白な髪や肌は夕焼けにあてられて薄い茜色に輝き、眩しそうに目を細めていた。

「え? ああ、メルの事? ……納得できないわけじゃないけど、なんだかなって」

リタはサンダルを脱いで左手に持ち、波打ち際に入っていく。白いくるぶしを波が包むと、オーナーもおいでよ、と僕の手を取った。

「この間助けたばかりなのにもう加入なんて、話が早すぎるし」

リタの言い分も分からない訳でもなかった。

「未だにうちは世界の警察だしな。グリーバンスに対しても有効打を与えているのはおそらくうちだけだし、ドイツがメルの扱いに困って僕達のところに投げたと考えてもいいのかもしれない」

とはいえ、正直な話、僕は上層部が銃娘を収集し始めているような気がしていた。

根拠もない事を言う気にもなれず、とりあえず前向きに考えることにした。

「まあ仲間が増えてよかった。三人だと行動パターンも限られてくるからな」

「そうだといいけどさ。なんとなくだけど、きな臭い気がしてね」

僕の甲が高い足を波が包む。潮で固められた砂の上をリタと歩調を合わせて歩いていく。

リタは何をきな臭いと思っているのだろう。気になったけれど、それを訊くのは憚れるような気がした。

「イチゴ、早く復帰できるといいね」

リタの言葉に曖昧な返事しかできないまま、僕はいつの間にか大きくなっていた歩幅をリタに合わせた。




オワフ島は常夏とはいえ、たまに涼しい日がある。

良い気分で走っていると一台のヘリが僕達の宿舎のヘリポートに降り立った。

僕達の休暇が終わり、退院したメルがリハビリのために宿舎に入ったのを図ったように司令官を乗せたヘリがやってきた。何か企んでいるに違いないけれど、来てしまったものは仕方がない。

食堂の外に出ると分厚い雲の向こうに小さな影が迫っていた。

ローターがトルクを落としていく耳障りなバタバタという音に顔をしかめながら、リタとメルと共に食堂の外で整列した。

「久しぶりだな。エナツ隊長」

白い髭をたくわえた、格式高い制服に身を包んだ初老の紳士が似つかわしくないヘリから降りてくる様は、違和感の他なかった。

「お久しぶりです、サー。この間のヘリの待機命令、ありがとうございました。それで、今日は何の御用でしょうか」

「なんだその硬っ苦しい口調は」

「一応部下の前なので」

「気持ちが悪い。やめてくれ。さて、本題に入る前に……」

司令官は背筋の伸びた凛とした佇まいを崩さず、メルの前に立った。

「君が、メル君だね?」

「はっ、先日付で配属されました。MP7のメルであります。サー」

ふむ……、と考え込むように髭を弄りながら、冗談めかした声色で呟く。

「綺麗な髪色だ。まるでうちの娘の様だよ」

「身に余るお言葉であります。サー」

メルは鋭い表情を崩さないまま、冗談を流した。そんなメルに苦笑いをしながら、司令官は僕の肩を叩いた。

「相変わらず、君の周りには真面目な人材が集まるな」

「類は友を呼びますから」

司令官は豪快に笑って、さあ、本題を話そう、と僕達を食堂の中へと誘った。


「仮想敵役、ですか」

僕が呟くと、司令官は汗をかいたコップに口をつけ、ああ、と返した。

「君達の活躍は最近上層部でも話題になっていてね。どうも君達の戦いぶりに興味があるらしい」

それはまあ、納得できる。他の部隊と違って、僕達は言ってしまえばイロモノだ。目立つ存在ゆえに活躍次第でその行く末を決められると言っても過言ではないのだ。

ただ僕に言わせれば部隊として設立されたからには他の部隊と同じくらいの待遇にしてほしいのだけれど、これはまだ叶いそうにはなかった。

「他の部隊とあまり変わらないと思いますけど……」

「まあそう言うな。噂によれば大統領も興味を持っているらしい」

「……あの、ロナルド・フリップ大統領が、ですか?」

信じられない。嬉しさというより疑いの方が強かった。リタは首を傾げ、そんなにすごい人なの?と司令官に訊ねていた。

「信じていないな」

もろに表情に出てしまった。

「ええ、まあ」

「それはまあ信じがたい話だしな。とにかく、来週の末に一度本土に渡って欲しい」

「構いませんが、場所はどこです?」

「ウィスコンシンだ。極秘だから誰にも漏らすなよ」

リタとメル、交互に顔を見合わせた。

「仮想敵って言ったって、どうやって戦うんです?ペイントボールですか?」

司令官は後ろに待機していた護衛に目配せをして、ライフルケースを持って来させた。

「レーザー銃を使う。銃撃を感知して音が鳴るデバイスを身体の各部分につけるんだ」

ライフルケースを開けるとリタが口を開いた。

「ボクだ」

リタの言った通り、ライフルケースにはハニーバジャーが入っていた。ただ、ボルトとマガジンは青く塗られていた。

「空砲を装填する模擬ライフルだ。君達の分は特注して作らせてもらった。壊すなよ」

リタは自分ではないハニーバジャーを受け取ると、カチャカチャといじり始めた。

「僕は何を使えば?」

「海兵隊の備品を支給する。あとで部屋に送るから慣らしておいてくれ」

分かりました、と呟いて、水を一口含んだ。

「それにしても、来週ですか。 ……メル、リハビリは」

「間に合わないわ。悪いけど」

だろうな、と心の中で呟く。

「そこは心配いらない。イチゴ君が本土で合流する手筈だ」

「それは良かった。二人だと出来る事が限られますから」

イチゴ、戻ってくるんだ。リタは嬉しそうに声をあげた。

「お気に入りのハンドガードがない分、説得には苦労したがね」

司令官が苦い顔をしながら呟いた。

「迷惑をかけました」

「いや、いいんだ。ハンドガードが届かないのは我々の不手際だからな」

ハンドガードが変わる。おそらくイチゴの外見も変わるのだろう。楽しみにしておこう。

「それなら、私は見学ね」

「メルはまた今度な」

「今度があればだけど」

誰かさんが食ってかかる前に、とりあえず笑っておく。

「それで、相手は誰なの?」

リタが司令官に訊く。

「気になるか」

「相手も分からないまま戦えって言うの?」

リタが冗談めかして言うと、司令官は軽く笑いながら顔を寄せた。

「DEVGRUだ」




この土地は住みやすそうでいいな、と宿舎に降り立って思った。

どこまでも続く青空は際限なく高く見える。ハワイの青空も似たようなものだけれど、あそこほど暑くはない。とても過ごしやすい。

だだっ広い平原に、まるでテレビゲームの背景のような断崖が切り立っていた。

「結局さ、ボク達ってかませ犬なのかな」

長旅の疲れか、だいぶ参ってしまったリタが隣に並んだ。

「向こうとしてはそのつもりだろうな。大統領も来るみたいだし、僕達みたいな出来たばかりの部隊を相手にワンサイドゲームにしたいんだろう」

ましてや相手はDEVGRUだ。シールズの中でも選りすぐりを相手に僕達がどこまで戦えるか、それは分からなかった。それにしても、

「ボク達の古巣と戦うとはね」

風が木々を揺らす。断崖から吹き下ろす風は、僕とリタの髪を同じ方向へ揺らした。

「ダニエルはまだ生きてるのかな」

「この間結婚したらしいぞ」

「本当?じゃあそろそろ引退なのかな」

「結婚くらいで引退するような奴じゃないさ」

それもそうだね、とリタが笑う。

僕は一緒に笑いながら、ほんの少し疼いた肩の傷を摩る事しかできなかった。



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