92話 「人形の憎しみ」
――人から憎まれる。それはとても辛い事だ。
私は今、身近な人から憎まれている事を知ってしまった。その憎まれる理由が理不尽であれば、私は相手に対し大声をだし、怒りの声をあげ、自分の正当性を主張できるだろう。
――だが、今は違う。原因は私にある。私は相手に憎まれても当然の行いをしてしまった。
「胡蝶ちゃん、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「おい繭、ここで泣いて私に謝るな、私が悪者に見えるだろう?」
「ひっ……ごめんなさい」
大学の帰りのバスの中で、胡蝶ちゃんの隣に座る。そしてバスが発車して移動している間、私は声を圧し殺して泣いた。そうしているので、バスに乗っている他の乗客達は皆修羅場を察して私達の側の席に座ろうとはしなかった。
胡蝶ちゃんは、私の事を憎んでいる。胡蝶ちゃんは私にハッキリと嫌いだと告げたその時、顔はとても女の子のする表情をしていなかった。
眉間に皺を寄せて、真っ直ぐ私をにらみつける。例えるならば般若のお面のような顔だった。それ程までの表情を私に向けるのだから相当憎まれている。
それもそのはずだ。私は胡蝶ちゃんの恋人である大我さんを奪ったからだ――。
元々、大我さんと胡蝶ちゃんは、人間と人形という間柄にも関わらず、恋人同士だった。しかし、そこに私が突然現れたことにより、大我さんは私に気持ちが移ってしまった。
当然、胡蝶ちゃんから見れば私が大我さんを奪ったようにしか見えない。そこへさらに私は胡蝶ちゃんの気持ちを逆なでするような行動を起こしてしまった。
あの日――胡蝶ちゃんが大我さんと別れてしまったであろう日。私は大我さんと二人きりで向日葵畑へ出かけた。
向日葵の花言葉は『あなただけを見つめる』
私は大我さんに『見つめ続けても良いですか?』と遠回しに自分の思いを告白した。すると大我さんは私の思いを受け入れてくれた。嬉しかった。幸せだった――。
だけれど、私は知っていた。胡蝶ちゃんは大我さんと別れても、大我さんの事を好きであり続ける事を……。
なので私は恐れた。せっかく手に入れた大好きな人を、そして私の事を守ってくれる人を奪い返されるんじゃないかと。
だから行動に移した。大我さんとの旅行の帰り。駅での別れ際に大我さんと思い切ってファーストキスをした。もちろん別れ際の寂しさから気持ちが高ぶったのもあったが、それ以外に見せつける為でもあった。
――いったい誰に見せつけるの?
「ごめんなさい胡蝶ちゃん……私、あの時、わざと胡蝶ちゃんに見せつけようとして、大我さんにキスをしたの……ぐすっ」
私の告白に対し、胡蝶ちゃんは何も反応せずに黙ってバスの窓をから風景を眺めているだけだった――。
――バスが目的地へ着いた。
私と胡蝶ちゃんは歩いて大我さんの家へ移動した。歩いている間、胡蝶ちゃんに対する恐怖と気まずさで足が震えて、うまく歩くことができなかった。
「繭、しっかり歩け、もうすぐ家だ」
胡蝶ちゃんはそう言いうと、私に肩を貸すどころか、手を強く握り引っ張って歩く。その度に私は転びそうになった。
「……助けて、大我さん」
「なんで大我に助けを求めるんだ? まるで何かをするみたいじゃないか、あははっ」
胡蝶ちゃんは不気味な笑みを浮かべて私を誘導する。そうして、部屋の前に着いた。
「おや? やけに部屋が静かだな……ひょっとして、夢見鳥の奴、死んじまったのかな?」
「そんな、嘘よ! 夢見鳥っ!」
私は急いで部屋のトビラを開けて、玄関に飛び込んだ。するとそこへ信じられない光景を目撃して、声にならない叫びを出した。
「――っ、あ、ああっ!」
夢見鳥が玄関でうつ伏せにぐったりと倒れていた。
「うわあああん! 夢見鳥、死なないで、お願い、目をさましてぇ!」
夢見鳥を抱き起こして身体を揺するが反応しない。そして身体を揺らした事により、夢見鳥の片方の腕がだらし無く床に着いた時に、私は夢見鳥の死を初めて実感した。
「くくくっ、ざまぁ見ろ夢見鳥、お前は繭が大好きだったのにな、だけど繭はお前を好きじゃなくなったんだ、だから死んじまう事になったんだ」
胡蝶ちゃんは私の後ろで口を手で覆いながら笑っていた。そしてまるで私が夢見鳥の命を奪ったかのような言い方をした。
「胡蝶ちゃん、どういう事なの? その言い方だとまるで夢見鳥が死んでしまった原因を作ったのは私みたいよ?」
「その通りだ繭、教えてやる、私達ラブドールの動力は持ち主の愛情だ、だから簡単な話だ、お前は大我と付き合った事で夢見鳥に対する愛情が薄れた、だから夢見鳥は生きる為の動力が足りなくなって死んだ、それだけだ」
「愛情が薄れた……あっ! ああああっ!」
胡蝶ちゃんの説明を聞いて思い当たる節があった。確かに最近の私は夢見鳥に構わずに大我さんのことばかり考えていた。
「可愛そうな夢見鳥、きっと毎日死の恐怖に怯えていたんだろうな……しかも、大好きな繭を私が襲おうとしたから守る為に身を呈したのに、疑われて拒絶されたんだから……はぁ」
胡蝶ちゃんは大きくため息を着いた。そして堂々と私に危害を加えようとした事を告白した。
「こ、胡蝶ちゃん……もしかして私を殺そうとしてたの? それと、もしかして、今朝の出来事は胡蝶ちゃんが仕組んだ事なの?」
恐る恐る、胡蝶ちゃんの様子を伺い、尋ねてみた。しかし、私は尋ねる前にはもう、答えが分かった。
『そうだよ繭、全て私が仕組んだ』
やはりそうだった。胡蝶ちゃんは当然のように認めた。
私はショックで涙が出そうだったが、堪えると、夢見鳥の身体を強く抱きしめた。そして私は胡蝶ちゃんを強く、真っ直ぐに見つめた。
「胡蝶ちゃん、私はあなたから大我さんを奪った、それを認めるわ」
「……ほぉ、認めるのか、それで? 大我と別れてくれるのか?」
胡蝶ちゃんは私に冗談っぽい話し方をするが、心の中では本気で言っているに違いない。
「――いいえ、大我さんとは別れないわ」
この一言で、場の空気が変わった。これから起きることはもう冗談では済まない――そんな空気だ。
「胡蝶ちゃん、あなたは卑怯よ、そんな子が大我さんを幸せにできる訳がないわ! だから私は大我さんと別れない!」
「卑怯だと……卑怯なのは繭の方だろ! 突然現れて大我の心を奪いやがって、第一お前は人間だろ! 人形の私がかなうわけないじゃないか!」
胡蝶ちゃんは肩を怒らせて、感情を顕にした。そして次々に自分の思いを口に出した。
「……大我と二人で楽しく過ごしてたのに邪魔しやがって、周りの奴らもそうだ、姉貴達も大我の事を好きになりやがる、許せねぇ、大我は私のものなのに」
「そうね、確かに大我さんは古家さんの人形達にも好かれていたわ」
大我さんは旅行先で、妙に胡蝶ちゃんや夢見鳥と同じ、生きている人形達に好かれた。その理由はきっと大我さんが誰でも分け隔てなく受け入れる、懐の大きい男性だからだ。
「畜生、それに何だこの世の中は、私は人形の身体を隠さなきゃ外にも満足に出れねぇ、旅行中、皆私と大我を変な目で見やがって、そんなに人間と人形が一緒にいるのは変なのか!?」
――胡蝶ちゃんはある時、私の身体――女の子の身体について異常に興味を示した時があった。恐らくその時の理由は今言った事だ。
「大我は人間の女の子が好きなんだ、だから繭の事を好きになったんだ、だからお前が憎い、お前が旅行に来なければ今も大我は私のものだったんだ! そして今頃本当の家族になれていたんだ!」
胡蝶ちゃんは全ての思いを吐ききって、疲れたように大きく息をしていた。その様子はまるで人間と変わらない。
『――胡蝶ちゃん、可哀想ね』
私の呟きを聞いた胡蝶ちゃんはピタリと止まると、次に殺気を感じる程の目つきで私を見た。しかし私は恐れずに言葉をつづけた。
「大我さんはきっと人間でも人形でも関係無く女の子が好きよ」
――そうよ、絶対に大我さんは女の子が大好きな人だわ、だってベットの下に一杯エッチな本を持っていたし、それに人形の心春さんの身体を見て鼻の下を伸ばしていたんだもん、他にも色々あるわ……。
次々と大我さんの女性にだらし無い様子を見た時のことを思い出す。けれど同時に自分はこんな女性にだらし無い男の人と付き合っていて良いのか疑問を感じる……いや、考えるのは辞めよう、きっと大我さんは私一筋で浮気しない……多分。
「えーと、だから、胡蝶ちゃんは別に人形である事にコンプレックスを持たなくて良かったのよ」
「ははっ……ははは、何だよその理屈は、そんな事、信じられるわけないだろ? 例えそうだとしても人形は人間と家族になれるわけ無いだろ!?」
「いいえ、なれるわ胡蝶ちゃん信じて、だって私はこの通り、夢見鳥が唯の人形になっても、一緒に暮らして生き続けるつもりだし、可能であれば外に連れて行って遊んであげたりするわ……だって夢見鳥は私の家族なんだもん」
私は自信を持って胡蝶ちゃんに言った。私にとっては人形だとかはもう関係無く、夢見鳥はかけがいのない存在だ。家族だ。
――夢見鳥、旅行中に一緒に入った温泉で、私が抱っこしてあげながら言ったでしょ? あなたは家族だって、だから安心して一緒に生きましょう?
心の中で夢見鳥にそう、語りかけた。すると夢見鳥の身体に変化が起きた。
「……繭、嬉しいよ、ずっと夢見鳥と居てくれるんだね」
「夢見鳥!? あなた目覚めたの!?」
「うん! 繭の愛情が伝わった」
「良かった……良かったよぉ、ずっと一緒だからね」
「うん、うん……繭とずっと一緒にいるからね」
私と夢見鳥は抱きしめ合い、愛情を確認し合った。
奇跡……いや、必然が起きて夢見鳥が目覚めた。私の夢見鳥に対する家族愛がちゃんと伝わった。
私の出した答えは、夢見鳥を女の子として愛する事はできない。何故なら私は今は大我さんの事が好きだからだ。しかし、家族としてなら夢見鳥を愛している。これが私の答えだ。
「あ、ああああっ……ああっ!」
この光景を見た胡蝶ちゃんは突然胸とお腹を押さて、苦しそうな声を出した。そして立った状態から膝を崩した。その様子を見た夢見鳥は私から離れて、ゆっくりと胡蝶ちゃんに近付き、見下ろした。
「……お姉ちゃん」
「ああああっ……ああっ」
「もう、お姉ちゃんは駄目みたいだね」
「ああっ、ああっ!」
胡蝶ちゃんは本当に胸が苦しいようで、夢見鳥の呼びかけにうまく答える事ができないようだ。
「可哀想なお姉ちゃん、大我お兄ちゃんはお姉ちゃんを愛さない……いや、皆からも愛されない、それだけの罪をお姉ちゃんは犯したの」
夢見鳥はそれだけいうと私の元へ戻って来て。私の手を取り、帰る準備をするように促した。
「ダメよ夢見鳥、大我さんに胡蝶ちゃんの面倒を見るように頼まれてるのよ? それに胡蝶ちゃんが一人になっちゃう」
「いいんだよ繭、こんなお姉ちゃんは一人で十分、だから帰ろう? じゃないとまたお姉ちゃんが繭を襲うよ?」
私はハッとして胡蝶ちゃんを見た。
「――うううっ……」
胡蝶ちゃんは今も苦しそうに身体を抑えている。流石に心配になって近寄ろうとしたその時、突然胡蝶ちゃんの着ている服がモゾモゾと動き出し、そして服を突き破り中から大きな緑色の蛇が胡蝶ちゃんに巻き付いた状態で現れた。
呆気に取られて蛇を眺めていると、蛇は大きく口を開けて、私に噛み付こうとして飛びついた。
「――危ない!」
間一髪の所で夢見鳥が胡蝶ちゃんを突き飛ばしたので、蛇は胡蝶ちゃと一緒に私から離れた。
「繭、早く出よう、ここにいたら危ないよ!」
夢見鳥が私の手を引っ張った。
「胡蝶ちゃんごめん!」
身体を蛇に巻き付けたまま、うつ伏せに倒れている胡蝶ちゃんに謝ると、私は夢見鳥と一緒に大我さんの家を離れた――。
『しまった、あの小娘を仕留めそこねた』
蛇の姿をした、私のお袋が悔しそうな声で呟いた。
「お袋、どうしよう、私はもう駄目だ、失敗した」
私はお袋に泣き言を漏らした。当初の考えでは、黒田と繭を仲良くさせた後、家に帰り、恐らく愛情が足りなくなって死んでいる夢見鳥を利用しようと考えていた。
夢見鳥は繭の愛情が薄れて死んだ。繭が大我と付き合ったままでは私も同じ運命を辿る。だから大我と別れろと行った感じで脅すつもりだった。
もちろんこれだけでは別れさせるには弱い。何故なら普通なら彼氏である大我に繭はこの事を相談するはずだからだ。そうなれば私は終わる。
そこで黒田の出番だ。黒田が繭の相談相手になる事により。私の行いは大我にはバレない。寧ろこの事を大袈裟に捏造して、大我にお前の彼女はお前では無く別の男に相談事をするくらいお前を信頼してないと言って、仲違いさせる計画だった。
『胡蝶、お前早まったな、せっかくいい計画だったのに、感情に流されて失敗した……この後はどうする』
お袋の問いかけに考えた。そして覚悟を決めた。
「――強行手段に出る」
私は心の中でドス黒い感情の炎をたぎらせた。あの二人を許してはいけない。何故ならあの二人は私に愛情を見せつけたからだ。私が心から望むものを……。
私は破れた服を脱いだ。親父から貰ったお気に入りだったのに。お袋が派手な登場をしたせいで破れた。
「お袋、この服お気に入り立ったんだぞ? どうしてくれるんだ?」
『ふん、そんな布如きで何を喚いているんだ、そんなのこの部屋に沢山あるだろ』
――あっ、駄目だ、多分お袋は蛇だから人としての常識が無いんだ。
私は溜息をつくと。大我のタンスから着れる服が無いか探した。いつも着ていた着物では駄目だ。繭達を追いかけるのに目立つ。服を何着か見繕ったがサイズが大きくてどれも身体からずれ落ちてしまう。
――他に何か着れる服は無いかな……おっ、これなら行けそうだな。
私はタンスからオリーブドライのレインコートを見つけた。早速それを着た。レインコートはしっかりと私の身体全体を隠してくれた。
一応この服も周りから目立つが。私の人形特有の関節を隠してくれている。これで出歩けば、外の人間達に私が人形だとバレずに済む。
「さてと、あとは武器だな……くくくっ」
何だか楽しくなってきた。もしかして私は元からこんな危ない性格だったのだろうか。
押入れから道具を取り出す。弾帯と呼ばれる腰に装着するベルト。それにBB弾が入った弾倉。そして弾倉を入れるマガジンポーチ。そして最後に、大我が愛用する小銃型のエアガン。それらを全て装備する。
『胡蝶、それは武器じゃない、おもちゃだ、それでどうするんだ?』
お袋が肩越しにそれを見て質問する。私は大丈夫だと言って、今度は別の棚から登山用の小型のナイフを取り出した。
この部屋にずっといたので何処に何があるのか分かる。大我は私から隠そうとしていたようだが、無意味だ。
取り出したナイフを刃を出した状態でエアガンの先端にガムテープを取り付ける。
「くくくっ、これでリーチが長くなった……」
『なるほどな、逃げる獲物を仕留める為に出来るだけ長い武器が必要だからそうしたのか、偉いぞ胡蝶』
繭と夢見鳥は必ず私を見つければ見の危険を感じて逃げ出す筈だ。そうなれば追いかけるのは面倒だ。
なのでエアガンを使い、繭達を見つけた瞬間、遠くからBB弾を放ち怯ませる。そして動きが止まった瞬間。突進してこのエアガンの先に取り付けたナイフを槍のように突き出して仕留める。
「今日は準備だけだ、その次は人が少ない時間帯、夕方か、もしくは夜に動こう、繭の行く場所は分かるしな……」
大我が居ない今、繭は黒田を頼る為に今日行った大学へ向かう筈だ。そこで待ち伏せすればいい。あとはタイムリミットまでに事をすませばいい。
「大我が戻って来るまでに繭を仕留めで血を貰う、そして私は人間になる、良いなお袋」
『ああ、任せておけ、お前は存分にあの小娘を狩ってやれ』
お袋はそう言い残すと私の身体の中には戻らずにレインコートの中へと戻った――。
「……あのーお袋、ちょっと良いか?」
『……何だ?』
「あのさ、さっき私の身体から登場する時なんだけどさ、もしかして戻る時も登場した場所から戻るのか? だとしたら辞めて欲しいんだけど」
『……何でだ?』
「いやその……恥ずかしいから、本当に辞めてくれ」
私がお袋の登場に恥ずかしがる理由は、その登場する場所が何処とはハッキリ言わないが、お腹の下。下半身から這って出てくる。正直ゾクゾクするから辞めて欲しい。
「もう出てきた状態でいいから私の身体にでもずっと巻き付いててくれよ」
『分かった、娘の願いだから聞き届けよう』
レインコートの中がモゾモゾと動いてお袋が私の身体に巻き付いて行くのが分かった。その後私は一息つくと床に座って、お袋に話しかけた。
「なぁお袋、明日まで暇だから話をしてくれよ」
『話しだと? 何の話をすれば良いんだ?』
「お袋の事と私をどうやって作ったのかとか、色々だよ……というか何で蛇なんだよ?」
『……良いだろう、まずは昔話からだ、今からおよそ数十年前、私は動物であるにも関わらず、人間に恋をした……今のお前と同じだな、決して相容れない関係だ』
私はレインコートのボタンを開けてお袋を取り出した。お袋は私の手からするりと抜けると。机の上に戸愚呂を巻いて、続きを語り始めた――。
『昔、蛇である私は人間になろうとして失敗した――』
この日、お袋の昔話を聞いた私は自分の出生の秘密を知った――。
エアガンで無防備な人を撃ってはいけません。正しく安全に使用して遊びましょう。




