84話 「人形の殺意」
――私が……繭を……殺るのか?
心の中がざわめき何とも言えない衝動に駆られる。
「胡蝶ちゃん大丈夫?」
何ということだ、最高のタイミングで繭が私の元へやってきた。恐らく体調を崩した私を心配して見に来たのだろう。
『ククク、良いぞ、お前の恋敵の人間が来たな、おまけにここは風呂場とシャワー室だ、死体の血抜きには最適だな……まずは今すぐあの人間をバレないように絞め殺せ』
幻覚となって現れている蛇の姿をした私の母親が、私の首に巻き付き耳元で煽った。
「……わかったよお袋、殺るよ」
『それでこそ私の娘だ……しっかり殺れよ、そうしたならばお前を人間にしてやる』
そう言って私の母親は再び私の中へと消えていった。なんでも人間の血を手に入れれば人形である私を人間にする事ができるらしい。
私はシャワーのお湯を止めると扉を開けて繭の前へ表れた。
「きゃっ……胡蝶ちゃん、そのあの……昼に食べた物をはきだしちゃったから心配で様子を見に来たんだけど……」
そう言って繭は恥ずかしそうにして私から顔を背けた。
ん、なんだ? ……あ、なるほど、繭は同性の裸を見るのも恥ずかしいんだ、だったら……。
「――繭、心配してくれてありがとう、それよりも後ろを向いてくれないか?」
「えっ? あっ、そうね、いくら女の子同士とは言っても裸を見られるのは恥ずかしいよね、ごめんね胡蝶ちゃん」
繭はくるりと後ろに振り向き、私に隙を見せた。
――くくく、思った通りの行動を見せたな、後はその細い首を絞めて殺してやる、大我は私のものだ。
私は両腕を上げて繭の後ろか飛びつき、首を裸絞めしようと思った。しかしいざ行動に移そうとすると急に恐怖心が湧いた。
――わっ、私はいったい何をしようとしてるんだ? こんな事許されるわけないだろ!? だいだい繭は恋敵とはいえ、私に良くしてくれただろ、なのに私は……。
「繭っ!」
「きゃっ!? 胡蝶ちゃん突然どうしたの!?」
「ごめん繭、ごめん!」
「……胡蝶ちゃん、落ち着いて、何があったのか知らないけど私は胡蝶ちゃんの事を許すから」
「うううっ、繭、ごめんよぉ」
私は恐怖心と罪悪感で思わず繭の背中に抱きついて泣きながら誤った。すると繭は私を許すと言った。その瞬間ますます罪悪感が湧いた。
――繭、お前はなんて良いやつなんだ、大我がお前の事を好きになる理由が分かったよ、それに比べて私は最低だ、だからこそ大我と一緒になれない……だってこの瞬間……私は……
……なんて小さくて……細くて……壊シ易イカラダ、って考えてるんだから。
繭に対する嫉妬心が恐怖心を上回り、私は繭に手をかけようとした。
この時、以前姉のボタンが私が恐ろしい姿になっていたと言っていた事を思い出した。その時は大我を守る為に別の姉のヒガンバナとスイカズラに対し躊躇なく暴力を奮った。今はその時と同じだ。私は繭に対し躊躇する気持ちは無い。
「お姉ちゃん、なんで裸で繭に抱きついてるの!? 今すぐ離れて!」
突然、妹の夢見鳥がやって来て間一髪の所で私は止まった。
「夢見鳥落ち着いて、胡蝶ちゃんは私に何かを謝ろうとして抱きついてただけなの、だから――」
「――繭は黙ってて! お姉ちゃん、早く繭から離れて!」
夢見鳥が無理矢理、繭を私から引き離すと今までに無い敵意の籠もった瞳で私を睨みつけてきた。
「繭、先に戻ってて、夢見鳥はお姉ちゃんと話すことがあるから」
「――夢見鳥、胡蝶ちゃんと喧嘩する気? そんなのダメよ!」
「安心して繭、夢見鳥は喧嘩しないから、戻ってて……お願い」
繭は夢見鳥の真剣な表情を見て察し、この場を去っていった――。
「――夢見鳥、何か誤解してないか? 私は別に――」
「――お姉ちゃん、少し黙って」
「……えっ?」
「――あなたはいったい誰なの?」
何もかも初めてのことだ。あのいつも私に懐いてくる夢見鳥が今は他人を見るような目をして私に問いかけて来る。
「何を言ってるんだ? 私はお前の姉の胡蝶だろ?」
「……違う、私のお姉ちゃんはあなたみたいな得体のしれない人形じゃない」
「――なんだと?」
嫌な予感がする。もしかしたら夢見鳥は私の正体に気がついたのかも知れない。
「ずっとおかしかった……私のお姉ちゃんはいつも優しかった、なのに今は乱暴する、それに人形なのに食事もする……それと――」
『――繭を殺そうとした』
私は夢見鳥の言葉にドキリとした。
「お姉ちゃんが繭に抱きついている時は怖かった、まるで蛇が巻き付いて居るみたいに見えた、それにあの時のお姉ちゃんの顔……本気で夢見鳥達を殺そうとしていたヒガンバナお姉ちゃんとそっくりだったよ」
――あ、ああっ、私があいつとそっくりだと!?
ヒガンバナ――以前、里帰りしたときに、私が親父から贔屓されていると勘違いして嫉妬し、殺人未遂を犯した姉の人形だ。
私がショックに打ちひしがれていると夢見鳥が私に近づき真っ直ぐに私を睨みつけて言った――。
「――あなたは夢見鳥のお姉ちゃんじゃない、殺人人形よ! だから繭にちかづかないで、もし繭に何かしたら夢見鳥、絶対にあなたの事を許さないから!」
「あ……ああっ、夢見鳥? なんだよ、それ……私はお前の姉だぞ? なのになんでそんな他人みたいな言い方をするんだ?」
「……私にとって胡蝶お姉ちゃんは、あの日に夢見鳥が売られて離ればなれになってからまだ会えていない状態なの……だから今、目の前にいるのは胡蝶お姉ちゃんと姿が同じだけの偽物、他人なのっ! ……ぐすっ、お姉ちゃんの事信じてたのに、繭を殺そうとするなんて最低よ、さよなら!」
そう言って夢見鳥は去った。
「みんな……みんな私から離れて行く、どうしてだ……大我も、そして親父や姉貴達と妹の夢見鳥もだ、私が偽物だからか!? なんでだよ畜生!」
私は悲しみに打ちひしがれてその場に泣き崩れた。すると蛇の姿をしたお袋が私の中から再び表れた。
『――おい人形、今すぐにあの夢見鳥とかいう人形も殺せ、じゃないとまずい事になる』
「うるせー、お袋! もう出てくるな、あんたのせいで私は一人ぼっちになった、もう私は大我と一緒になれない」
『くくくっ、私のせいだと? お前は自らの意志であの人間の女を殺そうとしたくせに、それに一人ぼっちだと? バカを言うな、お前には私がいる』
「……ぐすっ、蛇なんかが、側にいてほしくねぇよ、どうせだったら人間の姿をした母親が側にいてほしかった」
『――なっ!? 私の娘はわがままなだな、どうしてこんなふうに育ってしまったんだか』
お袋は呆れたように言うと、まるで私を慰めるかのようにゆっくりと私の身体に巻き付いて囁いた。
『……人形胡蝶――私とあの男との愛の結晶、かわいい私の娘、落ち込むな、お前は一人じゃない、側に私とお前の父親もいる』
「私の親父は古家亮太郎だ、今は側にいねぇよ」
『――はぁ、まだそんな事を言っているのか? 古家家はお前とは関係無いぞ?』
「なんだと? だったらなんで私の本当の父親とやらは側にいるくせに名乗りでてこないんだ?」
『……それは私にも分からない、けど本当に側にいる、それだけは忘れるな』
「はいはい、分かったよ……ったく」
私は体をタオルで拭くといつもの紅い着物に着替えた。なんだかんだ言って私はこの蛇の姿をした母親に慰められて元気が出た。
『ん、今から奴らを殺りに行くのか?』
「今日はもうそんな事しねぇよ」
テキパキと濡れた髪の毛をタオルで拭きながら答える。そうしながら風呂場にある洗面所の鏡を見ると私の目は母親と同じ蛇の目――縦長の瞳孔になっていた。
――あぁ、こうして見ると私は本当に蛇の娘なんだな。
私の母親は自らを『嫉妬の蛇』と名乗った。なるほど、私が嫉妬深い性格なのはどうやら母親の影響のようだ。
「――なぁ、お袋、私が人間になったら本当の家族で一緒に暮らそう」
『くくくっ、良いぞ、家族三人で暮らすのも悪くない』
「違うお袋、大我を入れて家族四人だ、それともちろん親父は古家亮太郎だからな」
『……お前は本当にあの若造と年寄りが好きなんだな、それにしてもまぁ、そんな事を言っているとお前の本当の父親は泣いてしまうな――まぁ、目の前に出ないのが悪いんだがな』
私は先程から母親が口にする本当の父親とやらが気になって尋ねた。しかし母親は誰が父親なのか話さなかった。曰く直に会えるかららしい。
「――さてと、お袋、繭を殺るのは後だ、あと四日すれば大我が帰ってくるそうすれば繭の奴はこの家から帰る、その時に大我と二人きりになれる、それで大我の愛情を私に取り戻す」
私は自信満々に言った。
『それまで、お前の魂が持てばいいのだがな、もし仮に四日後も繭が帰らずに、お前の愛する大我と愛し合い始めたらどうするんだ?』
「……その時は容赦なく仕留める」
殺意が湧き上がり自分で見ても驚くくらいに顔が歪んだ。
――なんて酷い顔をしてるんだ、これじゃあ大我に嫌われるな。
何とか心を落ち着けて元の美しい顔に自分を戻した。
――後で振り返り分かったことだが、この時の私は嫉妬と憎しみ、そして悲しみに犯されて自分が異常だと気が付かなかった。




