1-4 グットバイ
「ううぅ……くそぉ……ちくしょぉ……」
人生で机に突っ伏した数に関しては、普通の高校生よりは多く、自分は突っ伏しのプロだという自負があった。だが、こんな悲しみに包まれた机の突っ伏しは、中学のやつにいじめられて以来のことであった。
「な、何かごめんね……」
種田がひきつった声のトーンで謝罪する。種田にひかれるとは心外だと一瞬感じたが、図書館内で突如発狂した俺が、そんなことを考えられる立場ではないとすぐさま察した。
「い、いやごめん俺こそいきなり……」
反省しながら返事を返す。
発狂した俺は、図書館にいた人たちから当然白い目で見られ、居てもたっても居られずすぐに図書館を出た。一旦落ち着こうと言って、種田はそのまま入口付近のフリースペースに俺を連れてきた。ここなら、私語や軽食も許されている。
「あはは、図書館入ったらウチの制服着てる人がいてさ、それでよく見たら水谷君っぽいし、駐禁シリーズ読んでるし、テンション上がちゃって、思わず声かけたんだ」
「……駐禁シリーズだって良くすぐにわかったな」
机に突っ伏しながら俺は答える。落ち込みながらも、そこは気になっていた。
「ああ、それは水谷君だって気付いた時に、丁度最初の挿絵がちらっと見えてね。覗くつもりはなかったんだけど、ごめんね。あはは」
挿絵をちらっとみただけで特定とか種田駐禁シリーズ読み込みすぎだろ……。
「ははは……あっ、ちょっと待ってて」
笑いながらそう言い残した種田は、そのまま外に出て行ってしまった。
……一体、何をしにいったんだろう。謎だ。
最悪のケースを考えてみる。最悪のケースを常に想定しておけばそれ以上、下はないという俺の人生を生き抜くための処世術だ。しかし現状、被害妄想がひどくなる等の弊害が出ているため、あまりおすすめしない。
まあ考え得る一番最悪のケースは種田がクラスメイト全員を引き連れてきて、俺がオタクであることを周知の事実にしてしまうことだろう。「おーい、あいつオタクだってよーーー!」、「えーマジー?」、「オタクが許されるのは宇宙の誕生までよねー!」と言った具合に。
……しかし、そんな労力を種田が俺に使うメリットを感じられないのでボツ。そうすると現実的な可能性は……。帰った? うわ、ひどいや……。いくら俺が図書館でいきなり発狂したからって帰るなんて……。
……うん、そりゃあ帰るわ。俺だったら帰ってるもん。
自分のやったことのヤバさを改めて確認したところで、種田が早歩きでこっちに戻ってくるのが見えた。良かった……。
「はい、これ色々とお詫びのしるしに。とりあえず飲んで落ち着きなよ」
そういって種田は紙パックの飲み物を手渡してきた。外に行っていたのはこのためか。
「……サンキュー」
少し不愛想な言い方になってしまった。行動が男らしい種田に対し、信じられないぐらい男らしくない状況下にある俺の「男らしさポイント」を少しでも回復しようとした結果である。だけど、逆に強がっている女の子っぽさが出てしまって寧ろマイナスだと思った。端的に言うと我ながら気持ち悪かった。
「ん」
種田が軽く返事代わりの首肯をする。……しかし、バナナ・オレとはなかなか攻めたチョイスをしたな。こういうときは水とかお茶とか無難なのがセオリーだが……。けど幸いなことにこれはうまい。わかってるな、種田。
「で、何であんなに取り乱してたの?」
「グフォッ!」
核心に迫る質問に、思わずストロー越しにむせ返してしまう。
「……ゲホッ! ゲホッ! あ、あのそれはですね……話します? 掘り下げると、結構暗い話になりますけど?」
「……概要を三行でお願い」
「中学オタクでいじめ、秘匿を決意、いまバレた詰んだ」
「……あっ、なるほどね」
種田は呆れたように手を眉間に置いた。
「何となく察したわ。まあ、その元気出して?」
こころなしか、種田が俺をかわいそうな目で見ている気がする。
「うん、まあ最初に言っておくとね。私は別にいいふらす趣味はないから安心して。そんなことしてもメリットないし、第一、皆そんなに水谷君に興味ないと思うから」
「うっ……」
ぐさっときた。しかし、同時に言い返せない事実でもある。
「あともうひとつ、仮にバレてもそんなに影響ないと思う。今の時代、オタク文化ってのは従来より許容されつつあるから」
……まあ、これも頭ではわかってるつもりである。いまの時代、リア充が普通に深夜アニメをみたことをSNSに報告する時代だしな。
「最後に一つ、そしてこれが一番重要。別にオタクであることって恥ずかしい訳じゃないから」
「……」
「世間では社会不適合者の代名詞のように扱われることも多いけど、社会で責務をきちんと全うしているオタクだっている。それに、そもそもオタクという言葉は一つのジャンルに傾倒する者を指す言葉であったはず。その言葉に社会不適合者という属性をくくりつけて偏見で揶揄する世間の風潮には全く少々ひどいものが――」
「種田さん。ストップストップ。オタクの悪い癖でているから」
そう言うと、種田は顔を真っ赤にして、「だからそうやってオタクとひとくくりにしてしまうことに問題がうんたらかんたら!」とまくしたてたが、聞く気にはなれなかった。だって長いし……。
「……こほん、失礼。まあとにかくね、オタクは恥ずかしいことじゃないの。むしろ誇るべきことよ。短い一生の中で、本気で熱中できるものがあることって素晴らしいことじゃない?」
まあ、誇るべきかどうかはわからないが、言いたいことはわかる。オタクであることは別に悪いことではないのだろう。悪にしているのは世間のほんの一部分だ。根も葉もないイメージをオタクと結びつけている。
オタクは隠喩にまみれているのだ。ありもしない隠喩がオタクという言葉の中に多く含まれている。
それは時に「不潔」、時に「コミュニケーション不足」、時に「社会不適合者」などなどであり、そこに慈悲はない。そういうことを種田が言っているのあれば、俺はわからなくもなかった。
「だから水谷君、一緒にアニメ研究部をつくりましょう」
「は?」
これについては、言ってることが一つもわからなかった。