1-2 グットバイ
「おーし、今日はここまで。日直、黒板消しといてくれよー」
教師の声と共に、教室中は喧噪に包まれる。
「水谷ー、一緒に飯食うべー」
時間は昼休みとなり、中村を引き連れて坂本が声をかけてくる。断る理由も特にない。俺たちは机を向かい合わせにして飯を食い始める。
「じゃ、早速ですけど、やりますか」
「ん?」
「何を?」
坂本の真意を掴めない俺と中村はお互い釈然としない表情で目配せする。そんな俺たちを尻目に、坂本はニヤニヤといたずらっ子のような表情を浮かべていた。
「第一回、高校生までにやっておきたいこと審議会~」
「……なんか、始まったぞ」
「うん、そうみたいだね……」
まるで、「しょうがないな、付き合ってやるか」という表情を作って、俺は坂本の顔を見る。だが実は内心、坂本に感謝していた。
俺ら三人グループの中で、基本的に、話題を提供したり、グループを牽引する役目を担っているのは坂本である。もしこのように坂本が話題を提供してくれなければ、今よりもっと気まずい沈黙が多く流れている可能性は大である。ほんとに助かる。
「じゃあ、まず水谷から~」
「俺? 言い出しっぺからじゃないのかよ」
「いいから、いいから」
指名されてしまった者は仕方がない。笑いながら、変な空気にならないよう必死に回答を考える。
「ん~、やっぱ無難にあれだな。下駄箱にラブレター入ってて、そのあと屋上で告られるやつ」
「うわー……」
「ベタだね~」
「つか、一周してメルヘン?」
二人から肯定的ではない反応が返ってくる。あれミスった? いや、ギャルゲの王道的展開ですし……。それでいて普通の人も憧れる展開ですよねこれ?
「大体、今の時代だったらLINEとかメールとかで呼び出されるっしょ。リアルじゃなくていまいち共感できないね」
なるほど、坂本の割にはごもっともな意見を返すじゃないか。確かに時代錯誤的だったかもな。
「……でもな、坂本。たとえ時代錯誤的であろうと、手紙には手紙にしか出せない魅力にあふれているんだよ。手紙だったら連絡先も知らない謎の美少女が手紙を入れてくれている可能性が出てくるんだ。名前が書いてある場合は別だが、名前が書いていない場合の手紙というのはやはり格別だな。手書きの文字の筆跡や文体、便箋の柄からどんな女の子が俺に想いを馳せているのかを考えて、昼休みまでひたすらやきもきするんだ。どうだ、たまらないだろ? そういう楽しさも併せ持つラブレターという媒体に、やはり俺は魅力を感じるわけだな」
「突然すげえ語るじゃん」
「うん、水谷君の熱意は伝わったよ。同時に何かきもかった」
やばい、今朝の種田みたいになっちまった……。やはり、ギャルゲでさんざん体験してきた事例なだけあって熱が入ってしまう。
「まあ、とにかく! そういうロマンティックな展開も含めて、俺は下駄箱ラブレターからの屋上かな」
「なるほどね~。中村はある? 高校生までにやっておきたいこと」
「僕? 僕はね~、やっぱり全裸の女子高生に足で踏まれることかな~」
「「……」」
お昼に言ってはならない発言だった。俺たちがフリーズする中、お構いなしに中村は地論を展開し始める。
「やっぱりおっぱいって皆好きだけど、日常生活で拝むことはできないじゃない? だけど脚は拝めるわけよ。女子高生のふともも、基い脚はすばらしいという事実は、非モテな僕らでも高校に来ていれば観測できうる。だけども、生おっぱいは素晴らしい。この事実に関しては、僕らは伝聞しただけであって、しゃかりき童貞キッズの僕らの間では、あくまで想像の範疇に過ぎない。シュレディンガーのおっぱいだね。観測するまでどうかわからない。そんな状況の中、僕らは全裸の女子高生に踏まれる場面に遭遇する。すると僕らは、生命の二つの神秘を同時に観測する機会に遭遇し、ただただ押し寄せる多幸感に蹂躙されるんだ。『ああ、本当に脚とおっぱいは素晴らしかったんだ』ってね。そんな状況に一度でいいから立ち会ってみたいね~」
この危険な意見発表会を止めなくては、俺たちの社会的地位が危ぶまれるのは百も承知だったが、いかんせん突然の出来事にしばし逡巡してしまった。
……しかし、周囲の喧噪が騒々しいおかげで、俺らしか聞こえてなかったであろうことが不幸中の幸いだった。こんな変態と一緒のグループにいるとバレたら、今後の俺たちの学校生活は確実に崩壊していただろう……。というか、コイツよくこんな爆弾持ってて俺の理想のシチュエーションをディスれたな……。
おい! ところで坂本! ぼっさとしてるな! はやくお前の意見を話し始めて、話題を変えろ!
「へ、へえ、なるほど。お、俺はやっぱ自転車で二人乗りで下校ってシチュエーションに憧れるわ~」
「うっわ、わかるわかる~!」
普通に同意しようと思ったが三割り増しのリアクションで返してしまった。俺もさっきの中村の大事故をかき消そうと必死なのだ。
「僕もわかるよ~。青春系の映画とかだと絶対にある展開だもんね~」
さっきの荒ぶりなどなかったかのように、中村は平然と会話に参加してくる。何かこいつの感情の起伏っぷり、サイコパスっぽくて怖いわ……。
「おっ、わかってくれるか! 女の子は横向いて後ろに乗るアレな! まあ、普通にしがみついてきていいけどさ!」
想像以上の反応の良さに、坂本は機嫌を良くしたのか。さっきよりテンション高めにそう説明した。
そんな最中、黒板側に対して背を向けていた俺と坂本の肩に誰かの手が乗せられた。
「うっわ、それわかるわー! そういう映画みたいなの、やってみたいよなー!」
肩に感じた衝撃と、その声に驚きつつも横を見る。するとそこには、我らがクラスのリーダー三田君の姿があった。
……どうやら俺たちの声は、クラス前方にいた三田君グループに聞こえるほど大きかったらしい。ということは、さっきの中村の発言も聞かれてたかもな……。だとしたら、頼むから同類としては扱わないでください……。
「お、おお! よっくんもわかる感じ?」
突然のトップの襲来に少し戸惑いながらも、坂本は三田君に会話を促す。
「マジさ、聞こえてくる会話分かりすぎて声かけちゃったよ。おかげで今食った卵焼き味、全然覚えてねえわー」
そういってイケメン特有の白い歯を見せ三田君は笑った。それに釣られるように周囲の人間も笑顔を見せ始める。負の感情が全く見受けられない三田君の笑顔は、周りも笑顔にさせる効果もあるらしい。
「で、でも三田君だったらリア充だし、もう女子とニケツなんてやってるもんだと思ったよ」
そんな三田君特有のスキルに驚きつつも、俺は間髪入れずよいしょをしてしまう。ああ、悲しき中間グループの性。自分の立ち位置というものがよくわかっているから、本能的によいしょをしてしまう。
「いやいやいや、リア充じゃねえし! やっぱあんなの所詮映画とかドラマの中だけよ? さすがに現実じゃ無理だわ。あっ、あと、三田君じゃなくて呼び捨てでいいよ」
「あ、ああ、マジで。わかった、じゃあ今度からそう呼ぶよ」
「おう」
その言葉に、俺はこころなしか存在を認められたような気分になった。我ながらなんと情けない感情だろう。仮にも同い年であり、そこにれっきとした身分の差などはないのに。
「ちょっと、良輝ー。あんたそんなこといってけどさ。前に、久慈高の女子とニケツしてどっか行ってたって噂流れてたよー」
三田君たちと一緒に弁当を食べていたクラスのトップオブザクイーン、沢井美玖。彼女は笑顔のままで、探りとも取れる発言を投げかける。その眼は三田君の方だけを窺っており、俺たちのことなど全く眼中に入っていない様子だった。
「はあ!? 誰だよそんな噂流したの! 久慈高に知り合いなんて、中学の時サッカー部で一緒だった奴らしかいないし」
「マジ?なんだ嘘か~」
「うそうそ! つか誰だよそんなこと言ったの!」
そういって三田君は苦笑いを浮かべる。
この間、我々スクールカースト中間部隊は、萎縮したまま傍観するだけだった。
「ははは、風の噂よ、風の噂。つうか、私達そろそろ部活のミーティングいってくるわ。良輝もこれからサッカー部のミーティングあるんでしょ?」
沢井とその取り巻きの女子二人は、小さな弁当箱をカバンに入れて、教室を後にしようとした。
「ああ、そうだそうだ! 俺らもそろそろ部室行くか」
三田君は一緒に弁当を食べていたサッカー部の二人を促す。
「んじゃ……お三方、また今度話そうね~」
坂本、中村、俺がそれぞれ部活頑張れよ的なことを言って、その場は終了した。
彼らが過ぎ去ったあと、教室が閑散としていたことがやけに印象的だった。