1-1 グットバイ
オタクという要素は、学校生活において大きなマイナスとなる。よってこれは秘匿すべきものである。
本来の中身はどうであれ、オタクであるということを公言した瞬間、イケメン等と言った大きな加算がない限り、クラス内などにおける地位は低く見積もられてしまう。
そんな理不尽でもあるが、確かでもある事実をきちんと把握している俺は、朝方とても徹夜でギャルゲをしていたとは思えないさわやかさを以てして席に着いた。まさかこの好青年が、昨夜テレビに向かって口づけしていたとは誰も思うまい。
オタクバレ防止三ヶ条その一! 「清潔感? ありますあります!」
どこから出て来たものなのか、世間のオタク像といえばどことなく野暮ったいイメージだ。典型的な例だと、バンダナにネルシャツとか。その点、俺はそういう雰囲気を匂わせないよう、身だしなみには気を遣っている。とはいってもトップグループの連中に目を付けられない程度に、チャラすぎない程度にだが。
美容院でファッション雑誌をキョドりながら指さし「こ、これにしてください……」と言った。
「お、おすすめのワックスって何ですかねー」と、「え?このブサイクなに色気付いてんの? プークスクス」と思われるの承知で聞いた。そのままおすすめを買った。
服はサイズ感が大事と聞いて、「身長が伸びるから」とワンサイズ上の制服を買おうとする母を制止し、ジャストフィットの制服を買った。
この努力、無駄にはしない。
「水谷ー、おーっす」
「水谷君、おはよー」
「おう、おはよー」
自分流現代オタクファッション論を頭の中で展開していると、数少ない友人の坂本と中村が、席の近くに集まってくる。
俺がオタクであることを二人には言っていなかったが、勘づかれている様子はいまのところない。ここからも、やはりこの理論が最強なことがわかる……。
「……なんか水谷さあ、目赤くね?」
会うなり坂本が目を細め、こちらをじっと観察してくる。
「えっ……? あ、ああ。結構遅くまで借りてきたドラマみてたからかも」
思わず言葉に詰まってしまった。我ながら何とわかりやすいのだろう。
「おー、そうなんか。ちなみに何のドラマ?」
しかし、坂本から懐疑的な様子はうかがえない。セーフ。
……だが、これまた次の質問も返答に困るものだった。ドラマなんて、最近ほとんど見てねえ……。
「……SAKANA」
「あー、あれか! 結構面白いらしいね」
「うん、割と当たりっぽい」
核心に迫りかねない質問に思わず動揺したが、何とか乗り切れたっぽい。ふう、危ない危ない。
しかしこの手の嘘にはもう慣れたものである。体の中で言ってはいけない情報がプログラムされていて、勝手に発する言葉を変換してくれる。まあ言ってはいけないことを変換して発言するなんて、俺みたいな隠れオタクに限らず、現代に生きる人なら誰でもやっていることだろうけど。
「あー、それ僕も見てるよ! 主演の河田美智が可愛いんだよね~!」
しばらく俺と坂本との会話に耳を傾けていた中村のテンションが、話題を共有したことで突如上がる。
……まずい。俺は最近ドラマ化した漫画の名前を適当に言っただけで、主演の女優がどんな顔かってことまではわからない。
「そう。可愛いよな~」
だが、とりあえず同調しておく。この世界、とりあえず同調しておけば乗り切れる。
「ところで水谷と中村さ、数学の宿題ってやった?」
「僕も移さしてもらおうと思ってやってない」
「……一応やってきたけど」
「マジ!? 水谷様! 悪いけど、答え移さしてくれませんか!?」
「ははは、いいけど多分答えあってねえぞ」
「大丈夫、大丈夫! ほんと助かる!」
何が大丈夫なんだよ、てめえでやれや。そんな言葉をグッと飲み込んで、俺は笑顔でノートを坂本に渡す。
「字汚いと思うけど、ごめんなー」
さっきの中村との会話もそうだが、個人的にこの世界を上手に生きるコツは、肯定して否定をしない。自分の意見を言わない、それに尽きると思う。
俺はそのことを嫌という程承知してきた。恐らく、今後も俺はそのコツに乗っ取って、色んな感情を押し殺して、学校生活を過ごしていくのであろう。だが、それにはメリットもある。それは無難な地位を手に入れられること。
学校の中には見えない階級がある。こいつはトップ、こいつは中間、こいつは底辺等。
それは学校全体の評価基準によって定められるものであるが、まあ大体はイケメン。スポーツ万能、面白い等が高評価の対象になる。
俺は、別段イケメンというわけでもないし、スポーツもあんまり。会話もいまの通り、何とも平凡である。つまり、前述したものが高評価となる世の中で、俺がいくら頑張って足掻こうがトップには決してなれない。それはわかりきった事実であった。
それならば、俺が目指す位置は妥当なラインである「無難」。それでいい。幸い、オタクというとんでもなく楽しい趣味も持っているし、別にトップ争いに加われなかろうが、不自由はない。それが俺の十六年間の人生の中で培ってきた価値観であった。
「ホントわかってるわ、新村さん!!そこに目を付けるなんて!」
そうやって思考の旅にトリップしていると、突如クラス内にひときわ大きな声が響き渡った。声のした方向に視線をやると、そこには大きな声にそぐわない華奢な体躯で、鼻高々に持論を語る種田がいた。今日もぼさぼさで真っ黒なロングヘアーと、大きな眼鏡の組み合わせがやけに野暮ったい印象を与える。
「あそこの演出はほんとに神だったわよねー!!」
「あ、あの種田さん、ちょっと声が……」
一人テンションの上がる種田とは対照的に、一緒に話をしていた新村さんは、周りの目を気にしてきょろきょろしていた。かわいそうに……。
「あのシーンはヒロインのアイロニカルなセリフを印象付けるために、背景やカメラワークもばっちり工夫されてて、もう一刻も早く円盤買って何度も見返したいシーンよね!」
種田はこのように自他ともに認めるオタク女子だ。テンションが上がると、なりふり構わず大きな声で話し始めるので、皆からは煙たがられている。
「いや、ごめん。あの、私ちょっと見ただけであんまり詳しいことは……」
新村さんは相も変わらず、ひどく困惑していた。そりゃそうだろ。温度差ありすぎて風邪ひくわあんなん。
種田が煙たがられる要因は、あの熱さにある。熱さというのはさほど熱量を持たないものにとっては鬱陶しさでしかない。そしていま種田が熱く語っているこの場所は、普通の高校の教室だ。オタク系の話に対する熱量など、大半の人間が持ち合わせていないこの場所において、種田の言動は酷く不適合なものであった。
「え、そうなの!?じゃあ、今度原作の小説と、コミカライズそれぞれ全巻持ってくるね!」
おーいやめとけー。絶対邪魔だと思われてんぞー。
「朝からうるせえなー……」
坂本が苦言を呈す。
「ほんと何であんなにオタクって声がでかいんだろう」
中村が本気で嫌そうな表情を見せる。うーん、なんて言うか、ああいう人たちばかりではないんですよ?落ち着いたオタクもいるんです世の中には……。
「ははは、まあ熱くなっちゃうんじゃねえの」
そういう意見を持ちつつも無難なフォロー。好きな作品に対してつい熱くなってしまう気持ちはわからなくもないので、あまり本気で罵る気にもなれない。
「個人的には、この原作者がいまの作品を書く一個前に書いていた『虹色の鉄裁』もみてほしいわね。またこの作品とは違う面白さがあっておすすめ! まあ、余談なんだけど、この作品を原作者さんが書き始めの頃、ちょうど実生活で赤ちゃんが生まれたらしくてね、また自分の価値観を改めて考えるターニングポイントになったらしいの。それを機にちょっと作風が変容しつつあるって見方があって、まあ私の中では一概に賛成できない部分もあるんだけど―――」
しかし、そのまま種田は滔々と持論を展開し続け、もはや誰もフォローが出来ない状況に陥っていた。
ああ、あれはオタク特有の暴走モード突入していますわ……。
「「うっわー……」」
種田の暴走モードに坂本と中村は呆然とする。
「は、はははっ……」
流石の俺も、それには笑うことしかできなかった。