大宇宙の百物語
「……そうして振り向いたら、その船。……ハッチが閉まっていなかったんですよ……」
わざと作った細い声。ロウソク型のLED照明が、息に合わせてゆらゆらと揺らめく。ハルシャはくすくすと笑った。
「ダメですよ、先輩。こういうのはちゃんと怖がらなきゃ」
しごく真面目な顔で、後輩のミリアが指摘した。地球生まれの、綺麗な金髪の持ち主だ。
「ごめん、なんかおかしくて」
「火星生まれ(マーシアン)はこれだから、情緒がわからない!」
『それは差別発言と記録します。ペナルティ1』
「いけね」
船内AIの言葉に、後輩は口を閉ざした。白い床と壁。丸窓からは漆黒の宇宙。遠くアルファ・ケンタウリに向け飛び続ける船に彼女ら二人は乗り合わせている。
「とにかく、こうやって百、怖い話を続ける習わしがあるんです。運搬任務なんてクソ暇なんですから、これくらい遊ばないと。ほら、先輩も」
「そうだなあ……」
ハルシャは軽く考える。怖い話、というのはよくわからないが。
「じゃあ、これは私の従軍時代の話です……でいいのかな」
「ちょっと待ってください」
ミリアが手を挙げる。
「うん?」
「先輩、軍にいたんですか?」
「いたよ。一年で退役したけど」
「えっと、お聞きしますがどの軍に」
「火星独立自衛軍」
「うーわー」
ミリアは大げさに頭を抱えた。
「レジスタンスじゃないですか! というか退役じゃなくて瓦解じゃないですか!」
「そうとも言う」
彼女はサーモカップで程よい温度を保たれた紅茶を口にする。火星独立自衛軍は、現火星政府への反発から出来上がった、ほとんどゲリラに近い民間軍であり、今は既に首魁は処刑を受け存在しない。
「その話が怖いですよ。先輩いい大学出てるのに、こんな仕事してるのなんでかなーって思ってたけど、そっかあ……」
「まあまあ、その従軍時代なんだけどね」
彼女は話を続ける。
「ある夜のこと、私たちの部隊は斥候に出されてたのね。新卒ばっかりの経験なんてほとんどない隊だったから、おっかなびっくり、夜の砂丘を歩いてた。火星の月がふたつ、綺麗に見えてた。私たちは適当な岩場を見つけて休憩して、これからの方策をひそひそ話し合ってた」
ミリアがごくり、と唾を飲んだ。ハルシャは語り続けた。
「静かな夜だった。急にピッ、て電子音がしたの。今の何?とか、誰か通信機を誤作動させた?とか、ちょっとざわついた。そしたら、隣にいたトーラスがゆっくりと私にもたれかかってきて……」
ぴくり、とミリアが震えた。
「そう、彼はその時、もう死んでたのよね……政府軍のスナイパーに撃ち抜かれて……」
「先輩! その話めっちゃ怖いですけど違います! 先輩!」
ミリアは大きく手を振った。
「ああもう、ほんとに火星生まれ(マーシアン)は! 即物的!」
『ペナルティ2』
「いいですか先輩! 怖い話っていうのはそういう、物理的な生命の危険とかではなくてですね。もっと神秘的でオカルティックな……こう、あり得ない話のことなんです。いや、先輩の経験は尊重しますけど、今は違うんです」
「あり得ないのに怖がるの?」
「あり得ないから怖いんです。他に誰もいないはずなのに生命反応がふたつ出たとか! 乗員名簿に死んだはずの友人の名が載ってて、気味が悪くてキャンセルしたらその船が出航後爆発!とか! そういうやつです」
「密航者とテロリストの偽名だったんじゃないの? その話は」
「幽霊とか運命とか、そういうやつ! です!」
肩を怒らせ、ミリアは怒鳴る。相当ストレスが溜まっているようだった。後でサウナとマッサージチェアを勧めよう、とハルシャは思う。
「まあ、納得はしてないけど理解はした。それで、その怖い話を沢山すると何かいいことがあるの?」
「それなんですよ。怖い話を百!続けると、さらに怖いことが、その場で本当に起こるんだそうです……」
ハルシャは眉根を寄せた。
「……死?」
「いや、死んだって話は聞きませんけど、ほら、本当に幽霊が出たりするんじゃないですか!」
「出るかなあ」
「出ますよう」
「まあいいや。次はミリアの番なんじゃ……。あ」
彼女はふと思い立ち、壁の方を向いた。
「アイにも話させてみたら?」
「ええー?」
アイ、というのはこの船の管理AIのニックネームだ。長期間の航海のストレス対策のため、多少の会話機能は用意されている。
「わかりますかねえ、機械に怪談……」
「ペナルティ。私よりはマシかもしれないよ。アイ、怖い話ってストレージにある?」
『怪談、ですか。雑談カテゴリ、小噺フォルダに1件検索されました』
「あるんだ」
「じゃあそれ聞かせてよ。退屈してるの、私たち」
『了解しました』
アイは壁のランプをチカチカと赤く点滅させ、やがて普段よりやや低めの電子音声で話し始めた。
『これは、私が友人から聞いた話です』
「あっ、それっぽい」
「シッ」
『それは、じっとりと暑い、夏の夜のことでした。友人のカーナビAI、仮にMさんとしましょう。Mさんは宙港近辺でお客がいないかと車を流していました。すると、前方にぼんやりと、白い服を着た女性が手を上げているのが見えました。Mさんはすかさず車を止め、女性を後部座席に乗せました。
「ありがとうございます」
女性はか細い声で言いました。MさんはAIですから気にせずに行き先を聞きました。女性は少し離れた場所の住所を告げ、Mさんはそのまま深夜の道を運転していきました。……そうして、一時間ばかり経った頃。
『そろそろ目的地に到着します』
Mさんが告げると、返事がありません。不審に思い、カメラを向けると……後部座席には誰もおらず、ただ座席がびしょびしょに濡れそぼっているばかりでした。ふと確認すると、その住所は、墓地だったのだそうです……』
「…………」
「……怖っ」
「先輩!?」
ハルシャは肩を抱えてガタガタと震えていた。
「えっ、いや、要素は怖かったですけど、なんか電子音声とかAI要素のせいでいまいちじゃありませんでしたか?」
「怖いよ! さっきのあり得ないから怖いって話、やっとわかった。こういうやつね……アイ、ありがと。良かったよ」
『お褒めに預かり光栄です』
ミリアの疲れた顔がぱっと輝く。彼女はハルシャに抱きつかんばかりに飛びついた。
「わかってもらえました! やった!」
「こらこら、何するの」
『ところで、たった今小噺フォルダに怪談がひとつ追加されたのですが』
アイが妙に持って回った言い回しをする。二人は顔を見合わせた。
『現在この船上に、生命反応が三つ存在しています』
「ぎゃあああ!」
ミリアの抑えた悲鳴。さすがにここで大声で騒ぐほど呑気な後輩ではない。
「ゆ、幽霊じゃないですよね。ないのはわかってます。密航者? 海賊? 敵性生命体?」
「怖い話をしたから、呼んじゃったのかもしれないね」
ハルシャは彼女の肩をぽんと叩いた。
「行こ。何にせよ、駆除しなきゃ」
壁に掛けられたレーザーガンを外すと、不安げなミリアの顔を真っ直ぐ見る。
「私にとって今一番怖いのは、ミリア、あなたがいなくなることなんだから、ね」
やれやれ、とミリアが首を振る。
「火星生まれ(マーシアン)のくせに、なんですかそのロマンチックなの」
『ペナルティ3』
ハルシャはくすりと笑った。二人は手に武器を取り、艦橋目がけて一目散に進んでいった。