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ヒイラギ王の話

 ヒイラギ王は、森に住む人々のおさでした。

 長の一族は昔から、動物に変身する能力を持っていました。ヒイラギ王のお父さんはオオカミに変身できましたし、そのまたお父さんはクマでした。ヒイラギ王は黒くて大きなミミズクに姿を変えることができました。

 人々はみなヒイラギ王を尊敬しており、森の中で平和に暮らしておりました。森の外にある別の国や、その向こうの青い海のことなんて、誰も興味を持ちませんでした。生きるのに必要なものは全部森の中にありました。彼らは昔からずっとそうやって暮らしてきたのです。 


 しかし、ヒイラギ王だけは、ごくたまにミミズクの姿で森を出て草原を渡り、海まで飛ぶことがありました。

 海辺にはワダツミ国と呼ばれる別の国があります。夜でもにぎやかで、人間の活気に満ちた世界でした。その街を空から興味深く見物して、港の灯台の周囲をぐるっと回り、ヒイラギ王は森へと戻って行くのでした。


 さて、ある夜、ヒイラギ王がいつものようにワダツミ国の空を飛んでいると、どこからか鈴を振るような声が聞こえてきました。とてもかすかな声でしたが、それは女の子の歌声でした。ヒイラギ王はなぜだか興味をひかれて、その声の方へ羽ばたきました。王様のお城から聞こえてくるようです。

 たくさん並んだ窓のひとつ、三角屋根のついたバルコニーで、女の子が歌っていました。とてもきれいな女の子です。月明かりの下で金色の髪がきらきらと輝いて、ヒイラギ王はお日様が舞い降りたのかと思いました。

 楽しげに歌う女の子を驚かせないように、ヒイラギ王はひさしに止まって静かにしておりました。女の子はひとしきり歌い終えると、急に顔をくもらせて、切なげなため息をついて部屋に戻って行きました。


 それから毎晩、ヒイラギ王は女の子の歌を聴きにお城に行くようになりました。女の子は決まった時刻にバルコニーに出てきて、思いつくまま歌を口ずさみます。美しい歌声と一緒に、その女の子の心の声までヒイラギ王には聞こえました。


 女の子はワダツミ国の王女様で、窮屈な毎日にいやけが差しているのでした。誰も彼も、王女の身分と美しい姿かたちでしか自分を判断していないと思っていました。実際のところ、身分も姿かたちも彼女の一部分であり、切り離して考えることはできないのですが、そのへんを理解するにはまだ女の子は幼すぎるのです。

 女の子は自分の日常に、明るすぎるワダツミ国にうんざりして、薄暗い森にあこがれていました。森は神秘的でちょっと怖くて、胸がドキドキするような素敵な秘密を持っているんだと想像して楽しんでいるのです。


 この年頃の子供が一度は抱くおままごとのような幻想だと、ヒイラギ王にはすぐに分かりました。どんなに嘆いていたって、女の子は決して自分の力でお城を出ようとはしません。女の子にとって、人生は誰かに与えられるもので、自分からつかみ取りにいくものではありませんでした。

 それでも、ヒイラギ王は女の子の明るい笑顔をずっと見ていたくなりました。幻想はすぐに壊れるものだと分かっていて、望みをかなえてやりたくなりました。


 自分の半分しか年を取っていない女の子に、ヒイラギ王は恋をしていたのです。

  




 ヒイラギ王に連れられて森にやってきた女の子は、新しい世界をまったく怖がりませんでした、純粋な好奇心で暮らしを楽しみ、森を受け入れていました。半分鳥のようなヒイラギ王のことすら、無邪気に受け入れたのです。

 ヒイラギ王にとっても楽しくて幸せな毎日でした。昼でも薄暗い森の中に、まぶしい太陽が生まれたようでした。

 でも、濁りのない心を持っているからこそ、女の子は飽きるのも早かったようです。帰りたくなったら帰ってもいいと言われていたにもかかわらず、幼いプライドのために、女の子はワダツミ国の王様に助けを求めました。王様の軍隊は森を焼き、女の子を取り返しにきました。

 ヒイラギ王は悲しみましたが、女の子を責めることはできませんでした。もし素直に女の子が帰りたいと言ったとして、約束どおり帰すことができたかどうか自分でも分からなかったからです。


 よその世界をのぞいてよその世界の人間を招き入れた自分にも、嘘をついてたくさんの人を戦わせた女の子にも、いつか報いがあるだろうとヒイラギ王は覚悟をしました。しかしその報いを受けることになったのは、ヒイラギ王でも女の子でもありませんでした。





 その男の子のことは、ヒイラギ王は生まれた時から知っていました。

 森の三分の一が燃えてしまって、森の民の暮らす場所が狭くなったあとも、ヒイラギ王はたびたびワダツミ国へ飛んでいました。ゆりかごの中の寝顔を窓の外から眺めたり、中庭でよちよち歩きするのを屋根の上から見下ろしたり、ヒイラギ王はその子が大きくなるのを見守っていました。男の子がとても優しく賢く育っているのも、お父さんからあまり愛されていないことも知っていました。


 やがて十四年が経って、男の子はひとりで森の奥へやってきました。ワダツミ国の海に起きた異変について、原因を探るためです。そこで初めて、ヒイラギ王は男の子に自分の姿を見せました。


 ヒイラギ王の姿は男の子が年を取ったようで。男の子の姿はヒイラギ王が若返ったようで。

 黒い髪も顔立ちも、二人は鏡に映したようにそっくりでした。

 だから男の子は、ヒイラギ王こそが自分の本当のお父さんだとすぐに気づきました。


 かわいそうに、男の子は驚いて逃げ帰りましたが、ヒイラギ王は引き止めませんでした。男の子には森の血と海の血の両方が流れています。どちらで暮らすかは、男の子本人が決めなければなりません。


 それからすぐに、森を激しい炎が襲いました。昔とは比べものにならない大きな火事です。ワダツミ国の王様が海の異変は森の民の呪いだと決めつけて、森に火をかけたのでした。

 ヒイラギ王は民を率いて森の奥へ奥へと逃れました。たくさんの仲間や動物が炎に巻かれて死にました。森の民はその数を減らして、とうとう高い山脈の上の方まで追いつめられてしまいました。


 その時、恵みの雨が降りました。雨は森の火事を消して、大量の泥水をワダツミ国へ向かって押し流しました。神様の罰でも悪魔の呪いでもなく、当然すぎる結末でした。

 ヒイラギ王は愚かなワダツミ国の人々をあわれみながらも、森の民が仕返しをせずに済んだことにほっとしました。そして、仲間とともに新しい環境で生活を始めました。

 いつか自分の息子が帰ってくることを願っていましたが、それはついにかないませんでした。男の子は、ワダツミ国の人々を選んだのです。





 また何年も、何十年も経って、ヒイラギ王は久しぶりに山から下界に降りてきました。

 かつて森のあった大地には、柔らかな青草が生い茂っています。小さな若木もぽつぽつと見えました。あと何百年かかるかは分かりませんが、また必ずここは森へと戻るでしょう。ヒイラギ王はすっかり年老いて、翼の力は弱くなっていましたが、風をつかまえて海の方まで羽ばたきました。


 月明かりに照らされたワダツミ国の街並みは、廃墟に変わっていました。森を失ってから、大雨が降るたびに川が氾濫して港が土砂で埋まるようになり、仕事ができなくなった人々は散り散りになって、別の土地へと移っていきました。ワダツミ国はとっくに滅んでしまっていたのです。

 ヒイラギ王は誰もいなくなった街の空をゆっくりと旋回しました。


 ふと、しわがれた声がヒイラギ王の耳に届きました。とても小さな、でも懐かしい声です。真下にはかつてのお城があります。立派な石造りの建物は半分ほど崩れて、庭や門は泥に埋まっていました。

 まさかと思って降りていくと、色のはげた三角屋根のバルコニーに人影が見えました。それはあの女の子、夜明けの名前で呼ばれていたワダツミ国のお妃様でした。子供たちがみな外国へ出ていってしまった後も、王様とお妃様は最後までお城に残っていたのでしょう。

 王様が亡くなった後、とうとうひとりきりになったお妃様はもうおばあさんでした。金色だった髪の毛は真っ白に変わり、顔も手もしわと染みにおおわれています。身にまとったドレスは色あせてすり切れていました。


 お妃様は北の方角を眺めて歌っていました。おばあさんなのに、その表情は夢を見ているようにうっとりとしていました。心だけは若い娘さんに戻って、誰かを待っているのかもしれません。

 ヒイラギ王はお妃様のもとへ舞い降りようとして、やめました。バルコニーの手すりに他のミミズクが止まっているのを見たからです。そのミミズクは、お妃様と同じ薄紫色のきれいな目をしていました。お妃様をいたわるように寄りそって、弱々しい歌声に耳をかたむけています。お妃様も愛おしげにミミズクの黒い羽をなでました。


 ヒイラギ王は重い翼に力を入れて、再び空に羽ばたきました。もう命の期限は近く、山から降りて来られるのはこれで最後になるでしょう。東の空がうっすら明らんで、夜の終わりを告げていました。


 お妃様の歌声はずっと聞こえてきます。ずっとずっと、いつまでも。

 廃墟になった国のお城で、お妃様は今でも歌い続けているのです。


 おしまい。

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