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ユウナギ王子の話・3

 森を抜けるまで、王子はほとんど休まずに走りました。

 木の根に足を取られて何度も転びましたが、立ち上がってひたすら走りました。茂みに引っ掛かって手も足も傷だらけになりました。靴の中で足の指の爪が割れましたが、それでも立ち止まりませんでした。暗い森の奥から恐ろしい秘密が追いかけてくるようで、王子はゼイゼイと息を切らせながら逃げました。

 最後にははうようにして、ようやくユウナギ王子は森の出口にたどり着きました。のんびり草をんでいた自分の馬によじ上って、どうにかこうにかワダツミ国の街へと戻って行きます。馬の手綱を握る手がぶるぶると震えました。


 しばらく行ったところで、ユウナギ王子は草原の先にたくさんの人馬が集まっているのを見ました。列を成してこちらに近寄ってきています。

 それはワダツミ国の軍隊でした。色あざやかな旗がはためき、槍の穂先がお日様の光にギラギラ輝いています。先頭の馬には王様が乗っていました。

 王様はユウナギ王子に気づくと驚いた顔をしました。城を出た王子の後をこっそり尾行していた家来がいて、王子がすんなり魔の森へ入って行ったことを王様に報告していたのです。てっきり途中で逃げ帰ってくると思っていた王様は、王子はとても無事には帰って来られまいと考えました。それで王子を取り戻すために、森に攻め入ることを決めたのです。


 ――もしかしたらユウナギの仇討あだうちになるかもしれないが、それはそれで立派な理由だ。


 王様はそこまで考えを巡らせていました。ですから、自力で帰って来たユウナギ王子に何と声をかければよいのか、一瞬迷ったのです。


「よく戻って来たな、ユウナギ。無事でよかった。で、海の異変の原因は分かったのか?」

「それは……」


 ユウナギ王子は口ごもりました。神様と悪魔を信じている王様に、うまく説明する自信がありませんでした。それに今はひどくショックを受けていて、王様の顔をまともに見られません。

 王様は真っ青になったユウナギ王子をあわれむように見つめて、馬の上から軍隊に号令をかけました。


「魔の森へ急げ! 今度こそ森を焼き尽くして呪いを解くのだ!」


 だめです、とユウナギ王子は言えませんでした。そんなことをすれば今度こそワダツミ国の海は死んでしまうと分かっているのに、足はすくみ声はかすれて、王様を止められませんでした。

 ワダツミ国の軍隊は、ユウナギ王子を置き去りにして魔の森へ進んで行きました。そして、魔の森を焼いてしまいました。





 軍隊の放った火は十日以上燃え続けて、魔の森の大部分を焼き尽くしました。潮風に押し返されてこげ臭い臭いは届きませんでしたが、噴き上がる黒い煙が北の空をおおっているのはワダツミ国からも見えました。


「これでよかったのよ。全部燃えてしまえばいいんだわ」


 お妃様は、お城のバルコニーから煙にかすむ北の方角を眺めてそうつぶやきました。

 ユウナギ王子はといえば、自分の部屋の片すみに縮こまっておりました。これからさらにひどいことが起こると、国中で王子だけが知っていました。でも、王子がおびえていた理由はそれだけではありませんでした。

 すべて燃えてしまえばいい――ユウナギ王子もまたそんなふうに願ってしまったからです。森の奥に隠されていた恐ろしい秘密が燃えてしまえばいいと、心の奥底で望んだのでした。だから王様を止められなかったのです。


 十四日目に雨が降って、魔の森の炎は消えました。焼けこげた地面にたっぷりと水を含ませた後も、雨はやみませんでした。この季節に長雨は珍しくはありません。ただ、降りしきる雨を受け止める深い森はもうなくなっていました。

 止めどなく雨水の流れ込む川はたちまち濁流に変わりました。川幅がいつもの数倍に増して、土砂を大量に含んだ流れが海へと押し寄せます。

 川は氾濫して、ワダツミ国の街中はあっという間に水びたしになりました。貴族のお屋敷も立派な商店も平民の粗末な家も、次々と茶色い水に沈んでいきます。人々は屋根の上に登って神様に祈るしかありませんでした。


 ユウナギ王子もまた、王様やお妃様とともにお城の塔に避難していました。塔の窓から見えるのは恐ろしい眺めです。街は一面茶色い海に変わっていました。しかも川が運んできた土砂が河口にたまり、ますます流れを悪くしています。港の船も助けに来られません。このままでは国中が水に飲まれてみんな溺れ死んでしまうでしょう。

 王様とお妃様は床にひざまずいて、神様に助けをこいました。ユウナギ王子は祈りませんでした。神様の罰でも悪魔の呪いでもなく、人間のやったことが引き起こした結果だと分かっていたからです。知らずにやった王様よりも、知っていて止めなかった自分の方がより罪深いと、ユウナギ王子は思いました。

 そして、みんなを助けたいと強く強く願いました。


 その気持ちは王子の全身を震わせ、勢いよく血を巡らせました。背筋がびりっとしびれて骨がきしみます。床に手をついて痛みをこらえるうち、王子は自分の姿が変わっていることに気づきました。

 ユウナギ王子は一羽の鳥になっていました。黒い羽の美しいミミズクです。両目は夕暮れを映したような薄紫色でした。


 びっくりして口もきけない王様と、その隣でガタガタ震えるお妃様へ、


「父上、母上、さようなら。ぼくはもうここにはいられませんが、きっとみんなを助けます」


 と言い残して、ユウナギ王子は窓から飛び出しました。

 空を飛ぶのはもちろん生まれて初めてでしたが、まるで昔からずっと鳥だったように、ユウナギ王子は上手に羽ばたくことができました。胸をふさいでいたモヤモヤした気持ちがすべて吹き飛ぶほどゆかいな体験でした。

 今まで何を怖がっていたのだろうと不思議でした。王子は降りしきる雨の空をぐんぐん進んで、水没した街を眺めながら、川の河口へ向かいます。


 河口には土砂がたまって堤防のようになって、水の流れを妨げていました。とても人間の手で取り除ける量ではありません。

 ユウナギ王子は少しもためらわずに水の中に飛び込みました。

 濁った水が渦を巻いて王子の体を飲み込みました。人間の大人でも溺れてしまうような流れです。鳥にになった王子は、ひとたまりもなく押し流されていきました。


 しかし、黒い翼が渦の中に消えた次の瞬間、別の黒いものが水面から跳ね上がりました。それは巨大なヒレでした。いったいどれほど大きな魚なのか、ヒレだけで大人の背丈の二倍はあります。

 いえ、それは魚ではありませんでした。川面に浮上した黒い生き物は、港に停泊する帆船よりも大きなクジラでした。

 クジラは体をうねらせ、茶色い水をかき分け、河口をふさぐ土砂に体当たりをします。何度も何度もぶつかりました。そのたびに土砂は崩れて、少しずつ海へと押し流されていきました。


 どのくらいの時間が経ったでしょうか。雨がやんで日が暮れた頃、河口をせき止めていた土砂は全部なくなっていました。川の流れがよみがえって、ワダツミ国にあふれた水が引いてゆきます。

 それを見届けると、クジラは疲れきった様子でゆっくりと海へと泳いで行きました。黒く大きな体は傷だらけになっていました。


 ワダツミ国の人々が港に集まってきました。王様もお妃様もおりました。


「ユウナギ! どこへ行くの!?」


 お妃様が叫びました。みんなを助けたそのクジラがユウナギ王子だったのかどうか、誰にも分かりません。ただ、クジラはお妃様の声に応えるように頭の上から潮を噴き上げ、いだ夕暮れの海を沖へと去って行きました。

 それきり、ユウナギ王子もクジラも二度と戻っては来ませんでした。


 ユウナギ王子は、望んだとおりにワダツミ国の人々を救ったのです。


 めでたしめでたし。

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