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ユウナギ王子の話・1

 ワダツミ国の王様の最初の子供は、王子様でした。

 この王子様はワダツミ国の人々から『ユウナギ王子』と呼ばれました。本当の名前は別にありましたが、誰もが彼をそう呼んでいました。両の瞳は暮れなずむ海と同じ薄紫色で、黒くつややかな髪の毛は夜のとばりのよう。年よりもずっと大人びた物腰は風のない海面を思わせました。だから、王様やお妃様でさえ息子のことをこう呼んだのです。


 ユウナギ王子はたいへんに物静かで、同じ年頃の子供たちが外で転げ回って遊んでいる間、いつもお城の図書室で本を読んでいました。

 王様はユウナギ王子があんまりおとなしいので心配をしていました。王様の息子たるもの、戦争が起これば真っ先に剣を取って敵陣に切り込んでいかなければならないと考えていたからです。王様その人も、前の王様の娘を蛮族から救い出した英雄でした。


「ユウナギ、本を読むのもけっこうだが、男の子はもっと外で遊びなさい。体をきたえて強くならなければいけないよ」


 王様がそう注意するたびに、ユウナギ王子は薄紫色の目を悲しそうに揺らめかせて、


「でも父上、太陽がまぶしいし潮風が痛いんだ」


 と、お妃様のドレスのすそを握りしめました。お妃様はいつもユウナギ王子の味方でした。


「あなた、誰にだって得意不得意がありますよ。ユウナギは頭がいいのですから、剣を振るったり弓を射たりは他の人に任せておけばよいのです」

「しかしな、妃や、もし戦争になったらそうは言っていられないよ」

「どこの国と戦争になるとおっしゃるのですか。ワダツミ国はこんなにも平和なのに」


 王様はお妃様にあまり強くは言えませんでした。お妃様こそが前の王様のひとり娘で、このお姫様と結婚して王様は王様になったのですから。お妃様がいなければ、王様は今でも身分の低い兵士だったことでしょう。


 そんなわけで、王様は後に生まれた弟たちばかりをかわいがるようになりました。口には出しませんが、自分の子供の頃と同じく元気に遊び回る弟たちの方が、将来の王様にはふさわしいと思っていました。それに何よりも、王様は理由もなくユウナギ王子が好きになれなかったのです。

 王様がユウナギ王子にそっけないので、お妃様はよりいっそうユウナギ王子をかわいがりました。自分と同じ薄紫色の瞳をしたこの息子を、お妃様は誰よりも愛しました。


 ところで、ユウナギ王子が生まれた頃からワダツミ国には小さな異変が起こっていました。国を流れる川の水が、前は底が見えるほどに澄んでいたのが、少しずつ茶色く濁ってきたのです。上流で雨が降ると濁るのは普通でしたが、いっこうに色が抜けず、土を含んだ水がいつまでも流れていました。

 それにつれて、ワダツミ国の海では、漁師の網にかかる獲物が減ってきました。最初はエビや貝が、少し遅れて魚が獲れなくなってしまったのです。以前はどの舟も網にいっぱいイワシやアジを獲って港に帰ってきたのに、年々魚は少なくなって、市場の魚屋さんが困ってしまうほどでした。


「このままでは漁師も商人も飢え死にしてしまいます」


 家来から訴えを受けて、王様は悩みました。ワダツミ国の歴史の中で、こんなことが起ったのは初めてだったのです。


「うんそうだ、これは魔の森の呪いに違いない。蛮族どもが魔法を使って、我が国に復讐をしようとしているのだ」


 王様はそう考えました。海にそそぐ川は魔の森を通って流れてきているのだし、相手は何しろ邪悪な魔法使いたちです。王様は昔、身をもって彼らの恐ろしさを思い知っていました。


「魔の森に攻め込んで、今度こそ蛮族を滅さなければ」


 反対したのは十四歳になったばかりのユウナギ王子でした。王子は王様よりもたくさんの本を読み、ものごとを深く考えるようになっていました。


「父上、蛮族の呪いだという証拠は何もありません。もし違っていたら、罪のない民を相手に戦争をしかけることになってしまいます」

「ユウナギ、おまえはよく知らないだろうが、やつらは木やつちくれを拝む野蛮な人間たちだ。文明の進んだワダツミ国を逆恨みして、侵略しようと考えていてもおかしくない」

「それはあまりにかたよった考えです。まずは本当の原因をきちんと調べるべきです」

「なるほど、おまえの言う通りだ。ではユウナギ、おまえが調べなさい。魔の森へ行って、蛮族が呪いをかけていないという証拠を持って帰ってくるのだ」

「この子にそんな危ないことをさせるだなんて!」


 お妃様は怒りましたが、この時ばかりは王様も引きませんでした。


「いい機会だ。本の中ではなく、現実の世界というものをこの子は知らなければならない」

 

 そうは言うものの、たぶん早々に引き返してくるだろうと王様は考えていました。王様の目にはユウナギ王子はひよわな子供で、魔の森に入る勇気があるとは思えませんでした。王子が逃げ帰ってきたら、それを口実に跡継ぎ候補から外そうとまでもくろんでいたのです。


「魔の森は恐ろしいところですよ。早くお父様に謝って許してもらいなさい」


 お妃様は必死で止めようとしました。昔、魔の森の蛮族にさらわれたことがあるお妃様は、森の恐ろしさを知っているのでしょう。でも、ユウナギ王子は旅じたくを初めました。


「母上、ぼくは魔の森なんかちっとも怖くありませんよ。森に住む魔法使いが本当に悪いことをしたという記録は、ひとつも残ってないんです」

「わたしはあそこに閉じ込められたのよ」

「けれど母上は無傷で戻られたではありませんか」


 ユウナギ王子は荷物を背負うと、短い剣を一本だけ腰に差しました。強い武器を持っていたって、ユウナギ王子には使いこなせないのです。


「それに母上、ぼくは時々むしょうにあの場所が恋しくなるんです。明るくてにぎやかなワダツミ国よりも、薄暗くて静かな森こそが自分の居場所のように感じるんです」

「ユウナギ、それは、おまえくらいの年の子供が誰でも一度は思うことです。お母様にも覚えがあるわ。自分の居場所はここじゃない、自分は特別だって。でもそれは錯覚なのよ。道に迷っているだけ。いつか目が覚めます」

「ぼくは迷わずにちゃんと帰って来られます。海で魚が獲れなくなった原因が森にあるのは本当かもしれません。それを調べてまいります。そうしたら、父上もぼくを認めて下さるでしょうから」


 引き止めるお妃様を振り切って、ユウナギ王子はお城を出ていきました。

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