アカツキ姫の話・3
一方、アカツキ姫が消えたワダツミ国のお城は大騒ぎになっておりました。
朝になって召し使いが姫を起こしにいくと、ベッドはもぬけの殻、部屋のどこにも姿がありません。大きく開け放たれた窓から風が吹き込んで、カーテンがばたばたとはためいているだけでした。
知らせを受けた王様は、塔の上から地下牢から、召し使いの部屋や家畜小屋まで、城内をくまなく探させました。その後たくさんの家来を街にやって、国中を探し回りました。それでもアカツキ姫は見つかりません。
まるで鳥になって空を飛んで行ったみたいに、アカツキ姫は忽然といなくなってしまったのです。王様とお妃様は嘆き悲しみました。
そんな時に、街を探していた一人の兵士が川原で奇妙な小枝を拾いました。キラキラした白い布が結びつけられていていて、岸辺に引っかかっていたのです。その布は驚くべき内容の手紙でした。
王様は急いで大臣たちを集め、会議を開きました。
布きれはアカツキ姫の寝間着で、手紙の文字はアカツキ姫の筆跡でした。それで、姫をさらったのは魔の森の蛮族のしわざに違いないという結論が出ました。魔法使いならば、お城のてっぺんから女の子を連れて行くこともできるでしょう。
王様はお婿さん候補の三人を呼び寄せて、アカツキ姫を助け出すように命じました。そしてみごとに姫を連れ帰った者を姫と結婚させて、王様の位を譲ると約束しました。
ところが、公爵家の息子は、
「わたしは見てのとおりひよわで、剣も弓もからきしなのです。しかも鳥目で暗い所が苦手です。とてもお役に立てそうにはございません」
と辞退し、国いちばんの豪傑であるはずの将軍は、
「わたしが倒れれば軍隊を指揮する者がいなくなってしまいます。後方からのお手伝いで十分です」
と遠慮し、隣国の王子様は、
「とんでもない、わたしがワダツミ国の戦争に手を貸せば国際問題になりますよ。まずは父の許可を取らねば」
と逃げるように故郷へ帰ってしまいました。
頭を抱える王様の前にやって来たのは、手紙を見つけた若い兵士でした。今年入隊したばかりの、軍隊でいちばんの下っぱでしたが、アカツキ姫をひとめ見た時から恋こがれておりました。
「ぼくが必ず姫を救い出してまいります。成功したら姫と結婚させて下さい」
兵士の熱心な申し出を、王様はしぶしぶ承知しました。かわいい娘を取り戻すのが何より先決で、王様として力不足でもしばらくは自分が助けてやればいいと思ったのです。考えようによっては、意のままに動かせる理想的なお婿さんかもしれません。
若い兵士は王様から借りた軍隊を率いて、北にある魔の森へと向かいました。
魔の森は噂どおり暗く閉ざされていました。
カシやコナラの木々が深く生い茂り、ロープのような蔓草がそれぞれの幹に巻きついて、兵士たちの行く手をさえぎります。地面には朽ちた木が折り重なって苔むして、馬で進むことができません。空は木の葉でおおわれて、ごく薄い日光が差し込むだけです。
不気味な雰囲気に、勇敢な兵士たちも尻込みをしました。
「ひるむな! 進め! アカツキ姫をお助けするのだ!」
若い兵士は先頭で声を張り上げて、後に続く軍隊を励まします。剣で茂みを切り払って森の奥へと進んで行きました。
すると、今度は風を切り裂く鋭い音がして、どこからともなくたくさんの矢が飛んできました。蛮族の使う魔法の矢です。射手の姿が見えないのに、矢は次々と撃ち込まれて、馬や人に当たりました。馬が怖がって前脚を上げ、兵士たちが転げ落ちました。
「おのれ魔法使いめ!」
若い兵士は憎しみのこもったまなざしで周囲を見回し、右手を上げて合図をしました。ちゃんと作戦は立てていました。アカツキ姫からの手紙によると、蛮族の魔法の源は森そのものだといいます。ならば、その森を壊してしまえばよいのです。
「神様、どうかご加護を。闇の魔法を打ち払う力を下さい」
兵士たちは荷車に乗せて持って来た樽を開けて、中身を草や木に向けてまき散らしました。
それは強いお酒で、たいまつの火を近づけると、またたく間に炎が燃え広がっていきました。熱い風が渦を巻き、灰色の煙が吹き上がって、小鳥たちがいっせいに飛び立ちました。
ワダツミ国の軍隊は、魔の森を焼き払いながら進んで行きました。
いやな臭いのする煙は森の奥まで届いてきました。森の入口で何が起きているか、ヒイラギ王はすぐに察したようでした。
お屋敷のあるカシの木の下には、多くの森の民が集まってきています。みな手に手に弓矢や剣を持っていました。
「軍隊を呼び寄せたのはきみだね?」
ヒイラギ王の金色の目に全部見透かされている気がして、窓ぎわに座ったアカツキ姫は顔をそむけました。
「帰りたいのならばそう言えばよかったのに。どうしてこんなまねをしたんだ?」
「わたし、何も知らないわ」
「きれいで純粋で、愚かなお姫様。わたしの愛しいアカツキ姫」
ヒイラギ王はアカツキ姫の金髪をなでて、額にキスをしました。子供にするような優しい仕草で、アカツキ姫はますます身がすくみました。恥ずかしいような申し訳ないような腹が立つような、とてもいやな気分です。
「しでかしたことの代償は、いつか払わなくてはならないよ。きみも、わたしも。その報いを受けるのが自分自身ならば、むしろ幸いだ」
ヒイラギ王は窓枠に足を掛け、長い外套の裾をひるがえしました。黒い布は黒い羽に変わり、みるみる大きな鳥の姿へと化けてゆきます。
「小川に沿って下流へ下って行くといい。森の外へ出られるから」
ミミズクはそう言い残して、木の下で待つ民の元へと降りていきました。人々をまとめて、ワダツミ国の軍隊に対抗するためです。これ以上森が焼けないうちに火を消さねばなりません。
アカツキ姫は窓から身を乗り出してヒイラギ王の姿を追いましたが、ミミズクは一度も振り返らずに火の手の上がった森の入口へと飛び去ってしまいました。
川沿いに歩いて森の外へ出たアカツキ姫は、すぐに軍隊に保護されました。
姫が見つかったことで争いは終わり、軍隊はワダツミ国へと引き返していきました。放たれた火はそれから長い時間燃え続けて、魔の森は三分の一ほどが焼けてなくなってしまいました。
黒くこげた地面がぶすぶすとくすぶっています。最後に引き上げた兵士は、立ったまま炭になった木の枝に、大きなミミズクが止まっているのを見ました。真ん丸い金色の瞳は、悲しそうに南の方角を眺めていたそうです。
ワダツミ国の王様とお妃様は、娘との再会を泣いて喜びました。どんなに恐ろしい思いをしただろうと心を痛め、アカツキ姫に多くを尋ねませんでした。そして王様は約束どおり若い兵士を姫のお婿さんに迎えて、新しい王様にしました。
再びきれいなドレスを身にまとい、おいしい料理を食べて、まぶしい光を浴びて暮らすようになったアカツキ姫は、もう窮屈だとは思わなくなりました。お婿さんは初めて会う人でしたが、優しくて、姫の言うことを何でも聞いてくれます。
ふかふかのベッドでお婿さんと並んで眠りながら、どうして自分はあんなに結婚をいやがっていたのか不思議に感じました。
――きっと私、森の中で道に迷っていたんだわ。
長く悪い夢から覚めた気がして、体の中にあったもやもやした熱が抜けていった気がして、アカツキ姫は朝凪のように穏やかでした。やっぱりわたしの国はここなんだと納得しました。
――しでかしたことの代償は、いつか払わなくてはならないよ。
ヒイラギ王の最後の言葉が時々耳の奥によみがえってきて、そのたびにアカツキ姫はあのいやな気分になりましたが、じきにそれも忘れました。
次の年、新しい王様とアカツキ姫の間には子供が生まれて、二人は幸せに暮らしました。
めでたしめでたし。