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短文倉庫  作者: なち
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ノック三回のあとに



 自分が平凡である事は自覚している。

 見目が良いわけでも、会話がうまいわけでも無い。集団の中に溶け込んでしまえば、目立つ要素は無い。三十年生きてきてそれなりに人生を謳歌してはいたけど、取り留めの無い平々凡々なそれだ。昔付き合っていた彼女には「つまらない」と言われて振られた過去がある。何て事の無い顔をして受け止めたけれど、実は以外に傷付いてはいた。

 だからと言って人好きする人格を作る事も無く、僕は僕のまま。ありのままでいいって、言い訳かもしれないけど、そう思って過ごしている。

 大学で教授なんて呼ばれていても、実際生徒達は教えを受けているなんて意識はないだろう。卒業するのに必要な専攻科目の一つとして、ただ選んだだけの事。大した興味も無いから、出席を取ると姿を消す生徒なんてザラだった。

 授業の評価は可も無く不可も無く。生徒が喜ぶように、興味が沸く様に、なんて工夫しても居ない。

 自分が興味のある分野で資格をとって、ただそれだけに突き進んできただけ。

 ところが僕の論文がどこぞのお偉方の目に止まり、高い評価を得ると一転。

 僕の授業は一躍人気の授業となった。別段授業の中身を変えたわけでもないのに、まるで虫がたかるように(言い方は悪いけれど)僕の周囲には何時も人が集まるような様子だった。

 自分が注目された事なんて今まで一度も無かったから最初の内は確かに気色ばんだけれど、喉元過ぎれば何とやら。

 僕自身に興味があるわけではない。僕の研究結果に興味があるわけでもない。ただ話題というだけで、何がしかのおこぼれを得ようとして群がっただけの事。スポットライトを浴びる僕を格好良いなんて評す女性は、僕の将来に期待しているだけ。そうわかってしまえばただ虚しいだけだった。

 昔は開放していたって人が集まる事なんてほぼ皆無だった準備室。今は鍵をかけないと静寂が訪れない。

 だから僕は何時もその準備室の中、部屋を閉め切って居留守を使う。


「高階教授、居ないの~?」

 うるさいノックと、媚びるような女生徒の声。

「一緒にお昼食べませんかー?」

 きゃいきゃいと騒がしい三人程の生徒。僕の授業に興味が無い事は分かりきっていて、何時も出欠を取った後は速攻消えていた子達だ。時々は一時間教室に居る事もあったけど、授業なんて全く聞いていない。化粧を直していたり、携帯で電話をしていた時もある。それを注意すれば「ダサ階がうるさいんだよ」なんて捨て台詞を残して教室を出て行ったり――今は掌を返したよう。

 まったく、笑ってしまう。

 プカ、と煙草の煙を丸く浮かべながら、僕はそれを潔く無視。

 しばらくして気配は完全に消える。

 しん、と静まり返った部屋の外。耳を澄ませると小さな足音が近付いてくる。

 キュっとドアの外で足音が止まって、一秒、二秒。

 そこで僕は一息吸い込む。

 そのすぐのタイミングで、ノックが三回。

 僕は相好を崩しながらドアを開ける。

「おはようございます」

「おはよう」

 緩いウェーブのかかった髪を揺らしながら、井出結イデ ユイは小首を傾げた。小柄な彼女は一度二度周囲を見回してから、部屋の中に入ってくる。

 目が合えば大きな目を細めて笑う。三年生にもなるのに、中学生のようにあどけない笑顔が印象的で、僕は彼女を秘かに小リスちゃんとあだ名していた。

 彼女の手には最近僕達が二人して研究している分野の厚い本が抱えられている。

 彼女は一年生の頃、僕がまだ冴えない(今もだけど)教授であった頃から、それは熱心に授業に臨んでくれる数少ない生徒だった。僕の部屋を訪れるのも彼女ぐらいのもので。

 発表した論文に対しても真摯に興味を持ってくれ、何かと質問を投げ掛けてくる。それを更に広げて、今は別の推察と並べているのだ。

 そんな彼女との約束事。「ノック三回」は彼女が来た合図。

 彼女の定位置となったカーキー色のソファにかけて、早速分厚い資料を広げる。

「私考えたんですけど」

「うん?」

 目をキラキラと輝かせて、まるで子供のような彼女に自然と笑みが浮かんでくる。

 矢継ぎ早に次から次へと自身の考えを口にする。

「すごいね、この短時間でそこまで考えたんだ?」

「えへ、昨日徹夜しちゃいました!」

 純粋に、勉強熱心な彼女には感心してしまう。消えかかっていた僕の意欲さえ掻き立ててくれる程のそれは、とても心地良い。彼女は何時だって、僕を原点に立ち返らせてくれた。

「でも、ここはさ――」

「ああ成程。でも――」

 だから彼女と過ごす時間はあっという間だ。

 恋情とかそんな甘酸っぱい時間ではないけれど、僕は何時も恋しい彼女を待つように、その時間を心待ちにしていた。初めて彼女が出来た時、三十分も前に待ち合わせの場所に着いて、何時もソワソワと恋人を待っていた。時計を何度も確認して、あれが彼女かななんてまだ遠い人影を探してみたりした。

 彼女の来訪は僕にそんな小さな幸せを噛み締めさせてくれる。

「やっぱり高階教授はすごいですね!!」

 うんざりするおべっかとも違う。薄っぺらい賛辞とも、媚び諂う笑顔とも違う。

 だから素直に

「ありがとう」

 と笑える。

 人間不信に陥りかけていた僕を救ってくれた彼女は、僕にとって貴重な存在だった。


 これを恋といえば、そうなのかもしれない。

 彼女と別れるとき、ほんのちょっぴり手を振るのがおっくうで。その細い手首を掴んで、引き止めたいような気になる。

 でもそれと同時に、彼女は手折ってはいけない花のようにも感じるのだ。

 ただ今は、僕の目の前で彼女が楽しそうに、瞳を輝かせて、笑ってくれるのを見るだけで。

 それだけで。

 何だかとても幸せだから。

 だから僕らは何時だって、チャイムの音を合図に手を振り合う。


「じゃあ、また明日」


 



ノック三回のあとに。




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