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短文倉庫  作者: なち
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買った花の名前も知らない



 シゼルは異国から来た旅人だった。


 私が彼と出会ったのは、私が勤める歴史館での事。

 王国の歴史を絵画や遺品で紹介する、王都の観光名所の一つだ。

 その案内係である私は、数多のお客様の一人としてシゼルに出逢った。王国では見られない褐色の肌と、黒い瞳と髪、見慣れぬ色彩に一目で異国の人間だと知れた。それなのに流暢な王国語を話すものだから、感心した。

 その彼は数日置きに歴史館を来訪しては案内係に私を指名してくれ、そうこうする内に館外でも会えば挨拶を交わす仲になり、連絡先を交換し、待ち合わせて会うようになった。

 王国を出た事が無い私にとって、シゼルが話してくれるたびの話は新鮮で、面白かった。彼の話術が殊更に巧みだったせいもあるだろう。

 彼と出会ってから様々な事を考えさせられた。

 普段は出不精である私が、彼を案内する為に色んな場所へ出掛けもした。シゼルは長い王国の歴史にとても興味を持ち、その名残深い場所を好んだ。趣味が高じて歴史館に勤めていた私だから、シゼルが同じように歴史に感銘を受けてくれるのが嬉しかった。

 建国の王レクサヌの居城跡、大海を望む展望台にある戦女神と呼ばれた女将軍の巨像、豪奢でありながら神聖な空気を醸す大聖堂は戦火の中にあってもその姿を留め続けた。王宮絵師ダリウス一門が描いた王族の絵、女王ヘレーンが愛した王国が誇る薔薇庭園――どれもこれもが、シゼルと共に居るだけで何物にも得がたい程美しく荘厳に思えた。

 そんな毎日が楽しくて仕方が無く、それからの日々は飛ぶように過ぎた。



 シゼルと出逢ってからの二年は、あっという間だった。

 彼は一所に半年以上居たためしが無いと言い、そういって顔を綻ばせてくれる度、私の胸は震えた。

 これからの二人の未来を、夢見た。ずっと一緒にいられるのでは無いかと、期待した。

 ――ずっと。

 彼が王国の民で無いにしろ、遠い遠い異国の民にしろ、一緒に生きていけるなら――例え私が、王国を離れても良かった。


 ある時シゼルは、故郷から持ってきたのだという花の種を、私達が二人で暮らしていた家の庭に埋めた。

 半年を過ぎて満開に咲いた、紅の花。甘い薫。

 王国に咲く薔薇の花にも似て、けれどそれよりも控えめな美しさを持っていた。まるで私の心に寄り添うシゼルのように、ただそこに存在するだけで心を穏やかにしてくれる。思わず微笑みを浮かべたくなるような、不思議な雰囲気の花だった。

 その花の持つ意味を、彼は照れながら教えてくれた。

 耳の裏を忙しなく掻きながら俯く彼の癖。

 ゆっくりと顔を上げて、ぶつかった視線は優しかった。


”       ”


 その言葉の持つ意味に、私は、幸福を感じた。




 それなのにそれから暫くして、シゼルは唐突に私の前を去った。

 言葉も無く、突然に。

 共に暮らした家から、消え失せたものはもう一つ。


 彼の身分を示し、様々な国を渡る為に必要な渡行証。


 目の前が真っ暗になって、何も、考えられなかった。




 それから、彼は私の前から永遠に姿を消した。





 それでも私は、一縷の望みを持って生き続けた。

 シゼルと共に暮らした家は、私一人には身に余る。それでもその家を出て行けば、シゼルとの繋がりを完全に断ち切る事になるのだと思えば、そうする事が出来なかった。

 毎年、庭には名前も知らない紅い花が咲き誇る。

 種子を落とし、庭一面に広がった紅い花。

 甘い香りが辺りを包むたび、私はシゼルを思い出した。幸せな日々と、胸の痛みを思い出した。

 あの人は私を捨てたのだ。

 恨めしかった。悲しかった。やるせなかった。

 それでも、私は彼を愛していた。

 

 ――愛し続けていた。


 


 ある朝郵便屋が、私の元に一通の手紙を届けた。

 差出人は、全く覚えの無い人。

 宛名は間違いなく私で、横には王国の印が押されている。

 差出人は全く覚えの無い人。けれどその横に押された国の印章には覚えがあった。

 シゼルの渡行証に、押されていた彼の国の印。

 雨にでも濡れたのか文字が滲んでいて、封筒は所々擦り切れていた。

 手紙と呼ぶには分厚くて、けれどまごう事無い手紙だった。

 封筒の中には封がされたままの幾つもの封筒。

 宛名は私。差出人はシゼルだった。

 見知らぬ人からの手紙の中に、シゼルの手紙。

 混乱したままの私は震える指で封を切った。





 寒い、と。

 シゼルの故郷に降り立った私は思った。

 寒い、と。

 この国は凍土のように寒くて、目に映るものは色褪せて見えた。建物の多くは灰色。箱のような形の建物が乱立して、まるで空に挑むように上へ上へと伸びている。

 私は覚束ない異国語を操り、四苦八苦しながら目的地へ向かった。

 途中で寄った花屋には、もう見慣れた紅い花。

 記された花の名前は、残念ながら読めない。文字の綴り方まではとても覚えられなかった。


 向かった先は、緑に覆われた広場。白い十字が整然と並んでいる。

 私の生まれた王国では、死者は総て火葬され、灰を海に、生命の生まれた源に返す。けれどシゼルの国では遺体はそのまま土の中に埋められて、大地の糧となる。


 そう。

 私は、シゼルに会いに来た。

 私の前から去った、愛しい恋人に。

 病に蝕まれた身体で故郷に帰りついた彼が、その翌年に亡くなったのだと、私の元に届いた手紙は語った。

 彼の遺品の中に残った、出されないままだった私への手紙と共に。

 

 自身の余命を知って、彼は悩み、苦しみ、私の前から去った。

 その身で何が言えよう。赦してくれ。それでも愛している。君の幸せを祈る。

 シゼルの葛藤をそのまま残した、彼の手紙。


 今更だった。

 私に何が言えよう。

 許すも、許さないも。

 ぶつけたい相手はもうこの世に居ないのだ。

 けれどもう、許している。

 

 シゼルの墓標の前に立つ。

 買って来た花を供える。

 紅い、紅い花。血の様な、石榴の様な、林檎の様な、ルビーの様な――紅い、紅い花。



 買った花の名前も知らない。

 知っているのは、花の持つ意味。

 【永遠】を象徴する花。



“永遠に一緒に居たい”



 何時かシゼルが、はにかんで告げてくれた想い。



 それだけが、今も胸に残る。





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