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短文倉庫  作者: なち
11/28

残り香が消える頃



 別れの哀しみが癒えるのは。

 貴方を忘れる事が出来るのは。

 一緒に暮らした部屋から貴方の残り香が消えるタイミングなんじゃないだろうかと、思っていた。



 四年八ヶ月と十一日。

 それが私達の恋人期間で、別れ話はたったの数十分。

 休日が固定休みの彼と違って、私はシフト制。日曜日の休みが取れるのはせいぜい月に一回で、だからこそ会えない時間を埋めるように、二人で暮らし始めた。

 同棲すると上手くいかなくなる、なんて話を良く聞くけれどそんな心配はしていなかったし、実際一緒に暮らし始めても、何の問題も無かった。

 生活習慣の違いも、お互い難なく受け入れた。例えば神経質な彼は食後の片付けはすぐにしてしまいたい性質だったけれど、私はのんびり一息ついて、寝る前に片付けるのが今までだったし、洗剤は石鹸の香りを好む彼に対して私はフローラルの匂いが好きだったし、寝るときは電気は全部消す派の彼とは違って私は豆電球じゃないと寝れない人間だったけれど、そういうのはお互いに話し合ってルールを決めた。大抵妥協するのは彼だった、と気付いたのは別れてからだけれど。

 同棲期間は一年間。喧嘩の数は数える程度。

 問題という問題は、最後まで無かった。

 別れ話は穏やかで、切り出した彼も、突然突きつけられた私も、「次に会ったら友達ね」なんて言えそうなあっさりしたものだった。

 何か切欠があったのか、それともなかったのか。

 ただお互いに、未来に対してのビジョンが曖昧だった。何時かは結婚するのだろう、と考えていても、それがお互いだとは何となく思えなかった。

 嫌いになったわけでは無いし、他に好きな人がいたわけでもない。

 それでも私達は納得して別れた。

 ――筈だった。

 五年近く付き合っていたのだから、突然日常から彼が消えるのは寂しかったし、悲しかった。一人きりの家に帰ると何だか泣きたくもなったし、隣に彼の居ない生活に違和感しか感じられなかった。

 日々積もり積もっていくメールの中から彼のそれが消えていく。ベッドで一人眠る夜が続く。見たかった映画を見に行く相手がいない。ちょっとした出来事も日頃の愚痴も、話す相手がいない。

 当たり前だった、極普通の日常が崩れた事を実感して、何故私たちは別れを選んだのかと後悔する日が確かにあった。

 家族のように、あるいは空気のようになってしまったお互いの存在を、付き合った当初と比較して、一緒に居る意味を探した。目新しい事が何もない。ドキドキもワクワクも、ましてや苦しい事も遠い過去の事で、一緒にいてもいなくても変らないように感じた。それが恋人同士なのか、と疑問に思った。

「これからも一緒に居て、私達はどうなるんだろう」

そう聞いた私に、彼は分からないと答えた。

「私達、結婚したりするのかな」

そう尋ねた私に、彼はどうかなと答えた。

 仮に同じことを聞かれたら、私も同じ様に答えていただろう。

 だから、彼の返答に落胆もしなかった。

 そんな事を何回も何回も繰り返して、私達は別れを選んだのだ。

 もう一部屋あった方が良かったかもしれない、と同棲当初思った1LDKのアパートは彼が去った後、一人になった私には調度いい。二人で並ぶと手狭だったキッチンも、窮屈がりながらも一緒に入ったバスタブも、別れの日を想定していれば、調度いい選択だったかもしれない。

 けれどそれが仇になった気もする。

 契約期間が一年近くあるからと居残った私は、少しの後悔を抱える。

 思い出が溢れている部屋に居残っているから、忘れられないのかもしれない。しっかり切り替えた筈なのに、家に帰る度一人の部屋を実感して泣きたくなるのは、優しい思い出がそこかしこに窺えるからかもしれない。

 彼と一緒に出て行けば良かった。彼のように仕事場に近いアパートを借りて、心機一転、そんな風に思えれば。


 ――本当は、分かっている。


 本当は。


 別れて半年が経った今も引越しの準備もしないでいるのは、何時か彼が帰ってくるんじゃないかなんて、密かに期待しているからだ。

 別れたくなかった。一緒にいたかった。

 納得なんてしてなかったのだ、本当は。

 それでも、彼が選んだ別れを受け入れた私は、思っていた。



 この部屋から彼の残り香が消える頃、きっと。

 馬鹿みたいな理想と、愚かな期待を抱えて、私はただその日を待っているのだ。





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