否定材料
「ところでハルは紅茶とコーヒーどっちが好き?」
僕は特に悩みもせずに、
「コーヒー」
「分かった」
しばらくすると、コーヒーのいい香りが漂い一つのカップが運ばれてきた。どこかの喫茶店と同じようにソーサーに乗っていた。
「頂きます」
そう言ってカップをとろうとすると、
「何を言っているんだい? それはワタシのだ」
「え? じゃあ、なんでさっき聞いたの?」
「それはどちらを飲もうか悩んでいたのでキミに決めてもらっただけだ。飲みたいのなら自分で入れたまえ」
そう言って一人コーヒーをすすり始めた。
ヒドいよ。本当にヒドいよ。こんなんなら中学生の時、隣の女の子に消しゴム取ってと言ったら遠くの方へ蹴飛ばされたときの方がマシだよ。
いや、よく考えればどっちもどっちか。
自分で入れろと言われて自分で入れるわけもなく、話はそのまま続いていった。
「これまでの話をまとめると、藤沢ミキという人物の熱烈なファンの犯行ということはなさそうだ。むしろ恨みすら抱いている可能性が高いね。それか安岐春海という人物に恨みがあって罪を被せることが目的だったということもあり得る。まぁ、そっちの方は可能性が低いがね。キミみたいなのがそこまで恨まれるようなことを出来るようなタマには見えない。あははははっ」
楽しそうに笑っているがもの凄く腹が立った。そりゃもう、今年一番腹が立った。
「それよりこの事件はおかしなことばかりだな。なぜ学校側はこんなことすら気づかずにハルを犯人扱いしたんだね?」
「そりゃ多分、見栄だよ」
「見栄?」
ヒメノは不思議そうに尋ねてくる。
「学校としては盗難事件があったなんて知られたくない。ほら、ウチは私立だからさ、入学希望者とかいろいろあるんだよ。だから警察沙汰にもしない。でも、被害者の子が不安になってやめていっても困る。だから、適当に犯人捕まえて問題にならない程度に処分して丸く収めようとしてるんだよ」
「……つくづく学校とはゴミクズの掃きだめみたいな所だな」
そう吐き捨てると視線を窓の外へと移した。
探偵だけではなく何か学校にも恨みがあるのだろうか。
僕はそれだけでは何も判断が出来なかった。
「それよりこれで今回のアンチマテリアルは分かったな」
「ずっと気になってたけどアンチマテリアルってなんなの?」
僕が尋ねるとヒメノはこう答えた。
「ある日の真実が永遠の真実ではない。これはかの有名な革命家、チェ・ゲバラが残した言葉だ。よく覚えておきたまえ」
……ある日の真実が永遠の真実ではない、か。どういう意味だろう。いや、言葉の意味自体は分かるんだけどね。意図が分からないんだよ。
ヒメノの事務所に行った次の日、僕はヒメノの頼みで学校を駆け回っていた。
一つ目は、僕以外の犯人がいたら謹慎処分はなくすと教師に約束させること。これについては元々やろうと思っていたので真っ先に約束させた。二つ目はその日補講を受けることになっていた全員の名前を調べること。三つ目はその日誰がプールに行っていたかを調べること。三つ目だけはよく分からなかった。僕以外がプールに行ってたとしてもなんの関係があるのんだろうか。
しかし、
「個人情報だからねぇ。簡単に教えるわけにはいかないんだよ」
「でも、こっちは冤罪かも知れないんですよ?」
「と言っても冤罪だという証拠はないんでしょ?」
「だからそれを今から!」
「ごめんね。これから職員会議なんだ。それじゃまた今度」
体育教師はそう言って話を断ってしまった。
クソっ。
そんなわけで任務を遂行できたのは最初の一つだけ。後はプライバシーがなんちゃらかんちゃらでダメだった。
それを今度は電話でヒメノに伝えると、
「なんだねその無能っぷりはッ! そしてその体育教師の態度は! 怒るところが多すぎて骨が削れそうだよ」
なんだそのとんでもない怒りとカルシウムの関係性への間違いは。
それからヒメノの話を適当に聞き流しているととんでもない言葉が耳に流れ込んできた。
「こうなったらワタシが学校へ行って話をつける!」
「ちょっと待ってそれはまずいって」
「ならばキミだけで解決できるのか?」
そう言われると言葉が詰まる。
「ならば決まりだ。明日ワタシが学校へ行く」
そんなわけで、事件から六日目、ヒメノの事務所に行ってから二日目の放課後。
学校の応接間では異常な事態が起きていた。
「それで君はいったい何なんだね? アンチマテリアルハンターなどと言う職業は聞いたこと無いよ」
ここばかりは副校長の意見に納得してしまう。
「まあ、探偵のようなものと受け取ってくれ。役所にはそうだしてある」
僕が探偵って言ったときは怒ってたじゃないか!
「何でもいいが、君みたいな子供の相手をしている場合じゃないんだよ。早めに引き取ってくれるかな?」
「こっちは端から必要な情報が聞ければそのつもりだよ」
この前身分制度がどうたらこうたら豪語していただけあり、副校長という立場に全く怖じ気づく様子はなく、口調は通常営業中だ。
「まあいい。それで何が聞きたいんだね?」
「先週の金曜日の水泳の授業の補講を受けた全員の名前と、その日プールに顔を見せた、この隣にいる安岐春海以外の人物がいればそいつの名前だ」
副校長はふぅとため息をつき、何も生えていない頭をポリポリと掻く。
「言葉遣いもそうだが本当に常識がない子だね。その年齢で下らない会社をやっているからそうなるんだよ。学校はどうした? え?」
「言葉遣いについては貴様に何か言われる筋合いがない。貴様ごときを上位階級の人間だとは思わないし尊敬もしていない。なぜ言葉遣いを改める必要がある?」
頼むからやめて。僕の印象がどんどん悪くなっちゃうじゃんか。
「君ねぇ、例え上位階級だと思わなくても年上には敬語を使うのが常識だろう」
「ほぅ、ワタシがいつ年齢を明かしたのだ? いつどこでどのように貴様がワタシより年上だと証明されたのだ? 言ってみろ!」
おいおい、明らかに五十はいってるおっさんにそこまで言うのか。すごいな。そこまで敬語が嫌いなのか?
「分かった。もういい。言葉遣いはそのままで構わん。面倒だ。それで君の言っていた情報だが、残念ながら個人の情報だから明かすことが出来ない。帰りたまえ」
するとヒメノはその切り返しが分かっていたかのように。というか、実際分かっていたんだろうな。
「分かった。ならば、こちらは警察に頼むしかないな。もし安岐春海がやっていないのだとしたら、立派な名誉毀損だ。出るとこ出てもらおうか」
「……ッ」
おお、そういう見方があったのか。僕はなんだか感心してしまった。
「ハル! 帰るぞ。さっそく被害届の書き方を教えてやる」
僕が立ち上がろうとした時、
「待て、待つんだ。大事にはしないでくれ」
「こちらとしても大事にするのは望ましくない。だが、そちらが必要な情報を渡さないというのなら、こちらも手段を選ばないぞ」
ヒメノが畳みかけると、副校長はアッサリと屈してしまった。
「分かった。少し待っててくれ。当日の体育教師を呼んでくる」
副校長が部屋を出て行くのを確認すると、ヒメノは得意げに微笑みかけてきた。
「キミか、当日の体育教師というのは」
初っぱなからむかつく台詞を吐くと、体育教師は僕の方を一瞥した後、あからさまなしかめっ面をした。
「まずは、当日の補講を受けた者全員の名前をここに書き出してくれ」
そう言って手帳から紙を一枚ちぎり、教師にペンごと渡した。
「いいけど、どうするんだ?」
「キミもこいつと同じでバカなのかい?」
それに対し一瞬ムッとした顔を見せるが、すぐに指示通りペンを動かし始めた。どうやら副校長に何か言われてるっぽいな。
あ、そう言えばバカにされてるけど慣れてきたな。人間の順応性って素晴らしいな。
「まず最初の質問だ。盗まれたのは水着だけか?」
「確かそうだったと思うな。あれ? ゴーグルとスイムカップも盗まれてたっけ? そうだ、生徒手帳もだ!」
ヒメノは頷いてから手帳に丁寧にメモをとる。
「それでは次の質問だ。当日、プールにずっといたのかい?」
「放課後、受け持っていた授業が終わって一回体育準備室に戻ったあとから、被害者の藤沢から被害の報告を受けるまではずっとプールサイドにいた」
それもメモを取り終えると、
「では次だ。その間、プールに誰か訪れた者はいないかい?」
「うーん、安岐の補講が終わったあと、安子が来たくらいだな」
「安子とは当日補講を受けることになっていた、安子恵理香のことか?」
「ああ、そうだけど?」
「それは制服でか?」
「……うん」
すかさず、ヒメノはメモを取る。今の何か重要なことあったのかな?
「それじゃ最後の質問だ。なぜ安子恵理香はプールへやって来たんだ?」
その質問に対し、体育教師は首をひねった。
「今日補講ですよね? って言ってたから、多分補講が正しいか確認しに来たんだろう。そのあと補講者の名簿見てたし」
「その時の持ち物は?」
「持ち物……んー、普通だったと思ったけどな。確かプールバッグに水着とゴーグルを首に提げていたな」
確かに普通だな。
「……そうか、分かった。協力感謝する。では、ワタシはこれで失礼する。後日改めて連絡を入れる」
そう言ってヒメノが席を立ったので、僕も一礼してから慌ててついて行く。
「アレでなんか分かったの?」
「ああ十分だ」
ヒメノはどこか遠くの方を見て、
「明日にはすべて解決する。否定材料はすべて揃った」