第五話 黒龍の屋敷
※ヘビみたいなのが出てきます
「っ……!」
その意外すぎる光景に、秋葉は目を見開いてあんぐりと口を開けた。
昔、一度だけ皇都に遊びに行ったことがある。
春菜が皇族との婚約が内定したときだ。皇族への挨拶に、秋葉も付いていくことになったのだ。
皇都は屋敷も人もぎゅっと詰まっていて、四ツ折家の里とは比べものにならないくらいの賑やかさだった。
都会に近付くほど大きな屋敷が建っていた。それらは異国の文化を取り入れた、見たこともない意匠の華やかな外装の家が多かった。
さらに皇族の住まう宮殿は、四ツ折の里全体がすっぽり入るほどの巨大さで、とてつもなく驚いたのを覚えている。あの中では二千人の人間が帝や皇族たちに仕えているのだとか。
それはそれは、秋葉がこれまで生きていて一番の衝撃だった。
そして今、彼女は黒龍の屋敷の前にいた。
立派なつくりではあるが小ぢんまりとした屋敷は、とても神様の住む場所とは思えなかった。むしろ、四ツ折の家より小ぶりかもしれない。皇族の住まいの、召使たちの館ほどの狭さだ。
門から屋敷までは石畳の上を十歩くらいで到着する短さで、庭も小ざっぱりとして最低限の装飾しかなかった。
「はっはっは。地味で驚いただろう〜」と、憂夜はケタケタと豪快に笑う。
「もっと豪勢なところに住んでいると思ったわ。神様なのに、謙虚なのね」
憂夜に連れられた場所は、神様の隠れ里――天界だった。
一瞬の移動だったので場所はよく分からないが、人間の住まう世界――下界とは別の空間にいるのだと感じる。そこはとても静かな場所だった。
黒龍の屋敷は針葉樹と広葉樹が混在する深い森の中に建っていて、遠くから滝の音が聞こえてきた。
空気が澄み切っていて、ここにいるだけで心が軽やかになる気持ちの良い場所だと秋葉は感じた。
「まぁ、白龍のとこなんがギンギラギンでド派手だけどな。でも、でかい家は手入れが面倒くせぇだろ。これくらいが丁度いいってもんよ」
「たしかにそうかもね。手狭で掃除も楽そうで良いわ」
「おっ、秋葉も一緒に掃除してくれるのか?」
「当然でしょ――えっ、今『も』って言った!?」
「あぁ。手前の住処なんだから少しくらいはな〜」
「はぁ……」
秋葉は呆れ返っていた。彼は神様なのに人間味があるというか、気取りのない温かい雰囲気を持っているようだ。
それに、なんだか生活感もあるし。
(というか、単に変わり者なのかしら……?)
霊力のない人間を花嫁に迎えるなんて、とんでもない変人よね……と秋葉は独り合点してうんうんと頷いた。
「なんか妙なことを考えてねぇか?」
「別に。変な神様って思っただけ」
「変じゃねぇよ」
「だって、普通は人間の花嫁を貰うときは、春菜みたいな霊力の高い娘を選ぶわ」
「言っただろ? 大事なのは霊力より魂だって――」
「黒龍様ぁ〜〜〜!」
――シュルシュルシュル!
そのとき、秋葉の背中にポンと何かが触れたかと思うと、するりと彼女の腕の上を這った。
「いっ……!?」
首筋に冷たさを感じて、ぞくりと背筋が凍る。
この、ひんやりつるりとした感覚は……。
「この女、誰? 人間?」
「ぎゃあああっ!!」
出し抜けに耳元で声が聞こえて、秋葉は驚きのあまり飛び上がった。
「おい、暴れるなよ人間。ぼくが落ちちゃうだろ!」
「へ、へ、蛇っ!?」
それは一尺あまりの長さで、蕎麦打ちのめん棒ほどの太さの白蛇だった。
胴体の色は銀光りする白藍で、瞳は夕日に照らされた銀杏の葉のような黄朽葉色だ。
大きな目玉がギョロリとしていて、意外にも可愛らしい顔立ちをしていた。
「蛇じゃないっ! ぼくはれっきとした龍だぞ!」
「えっ、そうなの? それは失礼……」
「こ〜ら!」
憂夜はひょいとそれを掴んで、自身の左肩の上に乗せる。龍は嬉しそうに彼の頬に頭を擦り付けた。
「彼女は秋葉。俺の花嫁だ」
「へぇ〜黒龍様の花嫁なんだぁ――花嫁ぇっ!?」
小さな龍はギョロ目をさらに大きく見開いて、ピンと胴体を伸ばして固まった。
「秋葉、こいつは白銀。龍の子供だ」
「あら、まだ子供なの。だから蛇みたいなのね」
龍と分かって、秋葉はほっと胸を撫で下ろす。蛇は若干苦手だが、龍なら大丈夫……だと思う。
どう見ても縁起の良い白蛇にしか見えないけれど。
「私は秋葉よ。よろしくね」と、彼女は握手をするように手の平を差し出した。
白銀は警戒するように彼女の荒れ果てた手をじろじろと見てから、
「ぼくは白銀。みんなはシロって呼ぶよ」
コツンと彼女の手に頭突きをした。それが『お友達』の合図かのように、一瞬で警戒心を解く。
そして興味津々に秋葉を見つめながら言った。
「本当に秋葉は黒龍様の花嫁なの?」
「そうみたい」
「花嫁はもっとキラキラしてるって聞いたよ」
「わ、悪かったわね」
「それに、霊力もないし」
「昔はあったのよ」
秋葉は残念そうに軽く肩を竦めたが、すぐに姿勢を伸ばして強い眼差しで言い放った。
「でも、すぐに取り戻してみせるわ」
「っ……!」
白銀の丸い瞳が、秋葉に呼応するようににわかに光を帯びた。
――ぴょんっ!
「わっ!」
次の瞬間、彼は秋葉の胸に飛び込んだ。そして嬉しそうに彼女の頬に顔を擦り付ける。
くすぐったくて、可愛らしくて、彼女はそっと彼の体を撫でた。ひんやりぷにっとして触り心地が良い。
「うんっ! これからよろしく、アキ!」
「どうやら、もう友達になれたみたいだな。――よぅし! シロ、お前に頼みがある!」
「なぁに? 黒龍様」
憂夜はもったいぶってコホンと一度咳をしてから、
「重大な任務だ。お前は今日から秋葉の護衛だ。彼女の身の安全を守るんだ。できるな?」
にわかに白銀の瞳に情熱の炎が灯る。
「うんっ! ぼく、頑張るよ! 今からぼくは、アキの護衛だ!」
「秋葉、シロは小っこいが龍の力を持っている。きっとお前の役に立つはずだ。……多分な」
「ありがとう」と、秋葉は頷く。可愛らしい相棒ができて嬉しく思った。
「小っこいって言うなー!」
「うわぁ〜……素敵……」
初めて見るモダンな装飾の洒落た空間に、秋葉は思わず感嘆の声を漏らした。
屋敷に入って先ず案内されたのは、秋葉の部屋だ。そこは今日まで住んでいたオンボロの納家よりも広かった。
もう、あの古くて黴臭い部屋に住まなくていいのだと思うと、清々した気分だ。
意外にも、秋葉の部屋の内装は、皇都で流行っている洋館の意匠だった。
畳ではなく板張りの床はよく磨かれており、秋葉の足下を反射していた。脚のある机と椅子は四ツ折家にはなかったもので、流線型の女性らしい雰囲気に心躍った。
さらに床敷きの布団ではなく、秋葉の膝くらいの高さの寝床がある。
その形も掛けられている布団も見たことのない柄でとびきり可愛いが、こんな高い場所で安眠できるのかしらと少しばかり不安になった。
「悪い。急だったから十分な準備ができなかった」
「十分だわ……。こんなに可愛い部屋、見たことないもの!」
「そりゃ良かった。下界で流行ってるって言うのを取り寄せたんだ」
「よくこんな短時間に用意できたわね」と、秋葉は目を丸くして首を傾げる。
さっきまで憂夜は四ツ折の屋敷にいて、ここに来るのもほとんど一瞬だったと思うけど……。
「憂夜様は、それはそれは長いあいだ、花嫁様が来るのを心待ちしていたのです」
「そうそう。ご主人様ったら来る予定のない花嫁のために、常に入念な準備をしていたんですよ。白龍様に対抗して」
「……!」
突然の声に驚いて振り返ると、入口の扉の前に二つの影があった。
それは男女の二人組で、どちらとも人間の姿だが別の種族の『気』を持っていると秋葉はすぐに気付いた。
男のほうは憂夜と同い年くらいに見える。黒龍よりも少しだけ背丈が低く、身体の線も細かった。
碧い瞳に薄めた梔子色の髪。優しい顔立ちをしていて、口元に微笑みをたたえて柔和な雰囲気だ。
彼は銀鼠色を基調にした背広を着ていて、すらりとした脚の長さが際立っている。皇都でしか見たこともない異国風の服装に、秋葉は目を瞬かせた。
そして女のほうは、秋葉と同じくらいの年齢に見えた。雪のように白い肌に淡藤色の髪が幻想的だ。きりりとした切れ長の茜色の一重が印象的だった。
彼女も異国風の服装で、踝までの紺色の長衣に白く清潔な異国風割烹着を着ている。
唇を引き結んで、表情が読み取れなかった。
「お前らなぁ……」と、憂夜が顔をひくつかせて振り返る。
「事実ですから」
「本当のことですね」
二人は、息ぴったりに声を重ねて言ってのけた。
秋葉が目をぱちくりさせていると、憂夜はコホンと大きく咳払いをした。心なしか、顔がほんのり上気しているように見えた。
「秋葉、紹介する。俺の側近の狐宵と瑞雪。二人とも今後なにかと力になってくれるだろう」
「狐宵です。私は狐の妖でございます。どうぞ、お見知りおきを」
笑顔で恭しく一礼をする狐宵。
「瑞雪で〜っす。所謂、雪女ってやつですね。奥様の身の回りのお世話をさせていただきま〜っす。蒸し暑い日なんかは、びゅんびゅん冷やしますよ。でも夏は苦手です」
そして明るい口調だがどこか棒読み、しかも無表情の瑞雪だった。
「私は秋葉よ。迷惑を掛けることも多いと思うけど、これからよろしくね」
『奥様』という名称に身体がむずむずしたが、緩む口元を引き締めて礼儀正しく挨拶を返す。なかなか癖の強そうな二人だが、白銀も含め仲間というものは良いものだと思った。
四ツ折家では針の筵だったので、己に好意を向けてくれるひとなんて新鮮で、じわりと嬉しさが込み上げてくる。
「奥様?」
瑞雪が秋葉にすすっと近寄って、手の甲で口元を隠しながら大声で言った。
「ご主人様ったら、白龍様の花嫁が決まった日から『念の為、俺も嫁取りの準備をしておこう』って、そりゃもう長い年月をかけて迎え入れる用意を進めていたんですよ〜。相手は全然決まってないのに……ぷぷぷ」
「こら」
「いたっ!」
トン――と憂夜が瑞雪の脳天に手刀を落とした。彼女は蹲って、じんじん痛む頭を両手で押さえている。
「余計なことを言うな」
「だってぇ〜、本当のことなのにぃ〜」
「おい、狐宵! こいつを外につまみ出せ!」
「かしこまりました、憂夜様」
「ぎゃあっ!」
狐宵はひょいと瑞雪を脇に抱えて、部屋を出ていった。
「!」
擦れ違い様、一瞬だけ彼と目が合う。
ほんの僅かだったが、彼の瞳の奥からなにやら冷たいものを感じた。
「……ま、あいつらも悪い奴じゃないからさ。仲良くしてやってくれ」
まだほんのりと頬を赤らめた憂夜が、少しだけ目を宙に彷徨わせながら言った。
「うん! こんなに賑やかなのは久し振りだから楽しかったわ」
「そうか。――今日は疲れただろう。夕食は後で瑞雪に部屋に持って行かせる。ゆっくり休んでくれ」
「ありがとう」
「じゃあ、また夜に」
「えぇ、また夜に…………夜ぅっ!?」
秋葉が目を見開いて硬直していると、憂夜はニヤリと口の端を上げて得意げに言った。
「俺たちは新婚なんだからな。そりゃあ、夜……だろ?」




