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黒の花嫁/白の花嫁  作者: あまぞらりゅう


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第十九話 白の花嫁、黒の花嫁

 憂夜(ゆうや)の父は、 歴代の黒龍として最も強い神力(しんりょく)を持っていると称えられていた。

 彼の力は恐ろしいほどに絶大で、当時の白龍――光河(こうが)の父でさえも太刀打ちできないほどだった。


 それに比例してなのか、彼はとても残忍で傲慢な性格だった。気に入らないことがあれば力ずくで覆して、無能だと判断した者は問答無用で叩き斬った。

 さらに、手に入れたいと少しでも思ったものは、どんな相手からも強奪した。


 憂夜の母は、鬼の(あやかし)だった。

 彼女は鬼の中でもずば抜けた妖力(ようりょく)を持っていた。妖は勿論のこと、神たちも一目置いていた存在だった。


 母は同じ鬼族の許嫁がいた。二人は幼馴染で、とても仲が良かったらしい。


 だが、母は父に見つかった。

 彼は彼女の妖力をひと目で気に入り、すぐに花嫁として略奪していった。


 そんな二人なので、結婚生活は当然上手くいくはずがない。

 母は人間界や世界の(ことわり)ために花嫁としての義務は果たしたが、それ以外は苦しみだけの人生だった。


 憂夜が記憶している母親は、温もりなんてどこにもなかった。いつも悲しみに沈んで泣いているか、父や息子や運命そのものを憎んでいた。

 彼は、母親の愛情など、一度たりとも受けたことがない。


 母の機嫌の悪いときは、いつも()たれ、罵られていた。父は息子を庇うどころか「弱いお前が悪い」とさらに殴られた。


 父は次第に妻が鬱陶しくなったようで、外に多くの女を作っていた。それが母の精神状態の悪化に拍車をかけて、彼女はどんどん壊れていった。


 憂夜がまだ成人にも満たない頃、母は失踪した。

 一週間後に発見されたときは、もう冷たくなっていた。

 母の隣には見知らぬ男がいた。鬼族の幼馴染――元・許嫁だ。


(こんなの……間違ってる……!)


 幼い憂夜は、父も母もおかしいと思った。それもこれも、花嫁に対して力だけを求めるのが誤っているのだと考えた。


 長い年月を共に過ごす相手に必要なのは、力ではなく『魂』なのだと。

 ゆえに彼は、己の花嫁は魂で選ぼうと決意していた。


 秋葉は、高潔な魂の持ち主だと思った。

 霊力があってもなくても、他者を思い遣り、寛容で、己の鍛錬も怠らない。明るくて、元気で、一緒にいるだけでパッと世界を照らすような娘だった。


 彼は、そんな彼女と、魂の繋がった夫婦(めおと)になりたいと切に願ったのだ。




 秋葉と白龍である光河が共鳴して、彼女は白の花嫁となった。

 即ち、魂が結ばれたということだ。


 神の契約は絶対だ。(ことわり)を破るなんて、決して行ってはならない。

 二人は、本当に結ばれたのだ。


「やっぱり……秋葉は、最初から白龍の花嫁だったんだな……」


 諦念の混じったため息が、虚しく零れ落ちる。


「端っから、俺の入る余地はなかったのか……」


 二人の婚姻は、最初から運命で決まっていたのだ。瀕死の龍神を未来の花嫁が見つけて救うなんて、なんて素晴らしい物語なのだろうか。


 憂夜は秋葉を愛している。

 ゆえに、彼女が幸せになることを一番に願っている。

 たとえその相手が、自分ではなかったとしても。


「参ったな」


 彼はまたもやため息をついた。だが、それは暗澹たる気持ちが吹っ切れたような、歯切れの良いものだった。


「……仕方ない、俺が身を引くか」


 魂が共鳴した二人の仲を裂くほど、自分は野暮ではないつもりだ。

 秋葉のことは笑顔で見送ろうと思った。


 ――だが、その前に。

 あの妹は、絶対になんとかしなければ。







「春菜あああぁぁぁぁぁっ!!」


 秋葉の、咆哮のような叫び声が轟く。彼女の肉体は隅々まで清らかな霊力で満たされていて、周囲にかかる黒い影をみるみる消し去っていっていた。


「人様に迷惑を掛けるんじゃないって、いつも言ってるでしょうがあぁぁっ!!」


「うるっさいっ!!」

 

 春菜は再び攻撃を開始した。影を五十本の刃に変えて、秋葉めがけて一直線に突進させる。


 だが。


「な、なにっ……?」


 彼女の霊力が、するすると収縮していく。しかも、白龍の神力を借りることもできずに、威力はみるみる落ちていった。


「はぁっ!」


 秋葉は、宙に向けて勢いよく回し蹴りをした。すると彼女の霊気が広がって、五十本の刃はガラガラと音を立てて無惨に破壊されてしまう。


「くそっ!」


 春菜は何度も攻撃を繰り返すが、秋葉によって悉く潰されてしまった。


(わたしの霊力が……元に戻っている……?)


 姉を奪う前の、()()()()と同じに……。

 こんなの、自分じゃない。


 そのとき、秋葉は高く跳び上がって妹の目の前に着地をし、


 ――バチンッ!


 思いっ切り頬をぶっ叩いた。文字通り全身全霊の、己の霊力を込めてだ。

 春菜は姉の力に圧倒されて、張り倒される。


「さぁっ! まずはその白龍の宝玉を返してもらうわよ!」


 秋葉は妹の抱きかかえる宝玉に手を触れた。


「絶対に渡すもんかっ! これは、わたしのものよっ!」


 春菜は負けじと強く引っ張る。姉妹は少しのあいだ、揉み合いになった。


 次の瞬間。


「わっ!」


「きゃあぁっ! 蛇ぃっ!」


 出し抜けに、秋葉の懐から白銀(しろがね)が顔を出した。


 春菜はびっくりして、華奢な身体が縮こまった。彼女にとって、蛇は子供の頃から恐怖の対象だった。

 姉はそれを覚えていて、白銀に「ここぞという時に飛び出して春菜の動きを止めて」とお願いしていたのだ。


 彼は「ぼくは蛇じゃない」とぷりぷり怒っていたが、屋敷に帰ったら大好物の焼き芋をいっぱい作ってくれるという約束で手を打ったのだった。


 一瞬の隙を突いて、白銀は「えいっ!」と春菜が持っている白龍の宝玉を頭で突き出す。


 すると玉はポンと跳ねて、


「よ、っと!」


 秋葉の手に収まった。すぐさま再び邪に侵されようとしていた宝玉を浄化する。

 すると黒い影は消え去って、もとの真白な美しい玉が蘇った。


 春菜はまだ鼓動が落ち着かなくて、よろよろと後ずさった。まさか伏兵がいたなんて。

 背後には、もう壁。

 物理的に追い詰められた彼女は、精神的にも限界が近付いていた。


 卒然と、過去の屈辱が走馬灯のように蘇って、姉への憎悪を滾らせていく。

 昔からあの爛々と輝く瞳が気に食わなかった。ハキハキとした物言いが気に食わなかった。正義感面した態度が気に食わなかった。


 そうやって、いつもわたしを見下して。

 同じ双子なのに、ちょっとだけ先に生まれたからって。

 霊力だって、きっと生まれる前にお腹の中でわたしから奪ったんだわ。


 春菜の肉体が、心臓の奥から黒く染まっていく。

 彼女の中は憎しみ、憎しみ、憎しみ。恨み、恨み、恨み……。


「許せない……」


 絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に……!!


 刹那。


「ああああぁぁぁぁぁっ!!」


 春菜の可愛らしい姿は消え去って、真っ黒な人型の影に変貌した。




「な、なにっ?」


 春菜――だった(もの)が、秋葉に拳を振り上げる。避けようとするが足からも別の影が忍び寄り、つんのめった。


「危ねぇっ!」


 憂夜が後ろから秋葉を抱きしめて、強く引いた。しかし少しだけ遅れてしまって、彼の着流しが軽く影に触れてしまう。


「くっ……!」


 下を見やると、影に触れた袖下の部分が跡形もなく消えてしまった。

 それは火で炙られたり引き裂かれた風でもなく、存在ごとが。


「うそっ……。どういうこと!?」


 己の眼前でなにが起きたのか理解が追い付かず、秋葉は目を白黒させる。

 憂夜は冷静に、まずは彼女を影の攻撃範囲外まで避難させた。


(じゃ)の正体は『無』だ。あれにあるのは悪意のみ。ただ全てを呑み込むだけだ」


「それで、呑み込まれたら!?」


「さぁな。存在自体がこの世から抹消されるって聞くが」


「そんなっ……! じゃあ、春菜は? 春菜はもう呑み込まれたってことなの!?」


春菜(あの女)は既に悪意に呑み込まれている。……もう、()()()()からな」


 再び、影の攻撃が来る。

 瞬時に光河が秋葉たちの周囲に結界を張って、なんとか防いだ。

 そして、憂夜が神力を春菜から出た影の四隅に打ち込んで、足止めをする。


「それって、どういう……?」


 秋葉の瞳が不安げに揺れる。

 憂夜はばつが悪そうな顔で口ごもる。代わりに光河が静かに口を開いた。


「春菜は、君から霊力を()()()()()から、邪になってしまっていたんだ」


「えっ…………」


 刹那、秋葉の身体が硬直した。暗い穴の中に落とされた気分だった。たちまち体内の時間が止まって、己の脈の音だけが耳に刻まれる。

 じわりと冷や汗が出た。喉を押し潰されたように息ができなかった。


 今、白龍は『奪った』と言った。

 あれは、事故じゃなかったの?


 双子は陰と陽。些細なきっかけで、それが反転することもあると聞いたことがある。

 霊力が妹に流れたのも、そういうことじゃないの?


「……いつ、邪が這い寄ってきたのか知らないが、あの女はずっと秋葉の霊力を狙っていたようだな。それで、事故を装って全てを奪ったんだ」


 複雑そうな顔で春菜を見やる光河の代わりに、今度は憂夜が説明をした。

 秋葉は全身を震わせて、(こうべ)を垂れていた。しんと静まり返った空気が、彼らを重たく包み込む。


「もしかして……」


 数拍して、秋葉は今にも泣き出しそうな掠れた声で言った。


「春菜がこうなったのは、私のせいなの……?」


 それを口にした瞬間、総毛立った。

 彼女にとって、妹はとても大事な存在だった。霊力が消えてからは嫌な思い出しかないが、それでも、血の繋がった姉妹だ。


 頭の中で必死で過去の記憶を辿っていく。

 きっかけはなんだったのだろうか。いくら考えても、思い当たる節がなかった。


 やっぱり、霊力のせい?

 自分が『千年に一人の霊力』だのと周囲から散々持ち上げられて、いつの間にか妹に強烈な劣等感を植え付けていたのだろうか。

 知らず知らずに、妹が傷付くような言葉を投げ付けたのだろうか。


(なんで……あの子の心の叫びに気付いてあげられなかったの? たった一人の、血の繋がった妹なのに……)


 堰を切ったように涙が溢れ出す。

 罪悪感と果てしない後悔で、胸が押し潰されそうだった。


「いや、それは違う」


 その時、憂夜が秋葉の頭をぽんと撫でた。大きな手の存在感に、彼女の掻き乱された心が少しだけ静止する。


「お前の妹は、生まれたときからそういう『魂』だったんだ。仮に千年……いや、万年に一度の霊力を持っていたとしても、果てしないほどの財産を持ったとしても、たとえ傾国の美女だったとしても、絶対に満足しない体質だったんだ。

 ……そういう性質を持った奴は、この世に存在する」


 憂夜は少し口を閉ざしたあと「俺の親父みたいに……」と付け加えそうになったが、今はぐっと呑み込んだ。

 彼は彼女の肩を強く握って、真正面から向き合って強い眼差しで見つめて訴えかける。


「だから、秋葉のせいじゃない。俺が保証する。絶対に、だ……!」


「う、うん……」


 憂夜の言葉が、じわりと胸に染み込んでいく。さっきまで胸が張り裂けそうだったのに、波立つ心が不思議と凪いでいく気がした。


 彼はいつも自分が欲しい言葉をくれる。その中には優しさや慈しみが詰まっていて、いつも心がぽかぽかと温まっていくのだ。


 春菜は、子供の頃から「もっとちょうだい」とよく言っていた。可愛い妹のおねだりに秋葉はいつも絆されて、お菓子も着物や(かんざし)も渡していたっけ。


 あるとき「お姉様の霊力をちょうだい」と言われたことがあった。

 あのときは流石にどうすることも出来なくて、「ごめんね」と断ることしかできなかったが、ずっと「お姉様だけずるい」と泣いていて大変だった。


 今思えば、春菜の欲望はあの頃から既に膨れ上がっていたのだろうか。

 姉として、妹の心の叫びに向き合えなかったことは、ひどく悲しかった。




「彼女は、私に任せてくれないか?」


 出し抜けに光河が言って、彼は一歩前に出てなにやら儀式の準備をはじめた。人差し指に神力の光を宿して、宙に魔法陣を描いている。


 彼の開いた曙色の瞳は、今や強い意思で燃えたぎっていた。


「春菜は……私の妻だ。夫として、私が責任を取る」


「それなら、責任を取るのは私よ! 私はあの子の家族だもの!」


 秋葉は慌てて光河の腕を押さえて動きを止めようとしたが、彼の決意は固く、神力で弾かれてしまった。


「彼女がああなったのも、君たち姉妹の関係が崩れたのも、全ての元凶は私だ」


「いいえ! 身内の始末は血の繋がった家族がやるものよ!」


「私は、彼女とも既に契約してしまった。夫婦(めおと)になった以上、血も同じだ」


「どうせあの子のほうから無理矢理契約させられたんでしょう!?」


「それでも、私の責任だ」


「なんでそうなるのよ!」


 憂夜は目を丸くして二人の様子を眺めていたが、


「やれやれ。魂の共鳴をしたばかりの二人は息ぴったりだなぁ〜」


 と、わざとらしくヒュ〜っと口笛を吹いてみせた。

 秋葉は眉根を寄せて、


「ちょっと。ふざけてる場合じゃないのよ」


「ふざけてねぇよ」


 彼は光河の魔法陣を、神力の手刀で水平に斬る。邪の影響でまだ回復しきれていない白龍の力は、今の黒龍には及ばないようで、魔法陣は儚く消えた。


「あれの始末は俺がやる」


 憂夜の眼光が鋭くなる。

 そして、手早く宙に魔法陣の術式を描きはじめた。


「止めてくれ。黒龍は関係ないだろう?」


「そうよ。憂夜は結界をお願い」


「いんや。俺は夫婦(めおと)になったばかりの二人を危険に晒すなんざ無粋な真似はできねぇな」


「はぁ? さっきから何を――」


「この中で、邪には闇を司る俺が一番耐性がある。お前らと違って、死にやしないだろう。ええっと、白龍、さっきのは封印の術で間違いないな?

 ――っと、その前に」


 次の瞬間、秋葉たちは檻のような箱型の黒い鱗に隔離された。


「ちょっと! 出しなさいよ!」と、秋葉がバンバンとそれを叩く。


「や〜なこった」


 秋葉はどんどんと力を込めて叩くが、びくともしない。光河の力でも少しだけ削るのがやっとだった。


「あ、そうだ」


 憂夜は努めて明るく言う。お別れに悲しい顔なんて見せたくなかった。最後くらいは、せめてかっこつけさせてくれ。


「俺が力を使い果たしてシロくれぇの大きさに戻ったら、黒龍の(ほこら)に放り込んでくれないか。たぶん百年もしたら元に戻るだろ。

 その間は毎日祠に酒を供えるようにって狐宵(こよい)に伝えておいてくれ。一日一升だぞ、一升!」


「もうっ! 馬鹿なこと言わないで! ――白龍、どう? 出られそう?」


「駄目だ。これは、鬼族の力も加わっているようだ」


「鬼ぃ!?」


「あぁ。黒龍の母君は鬼族だ。だから、彼は妖力も持っているんだ。おそらく鬼に伝わる秘伝の術式を組み込んで、わざと複雑にしてあるのだろう。……私たちを守るために」


「あの馬鹿!」


 二人が脱出を試みようとしているあいだも、憂夜は着々と魔法陣を描き上げていっていた。邪を倒すには、一度封印をして長い年月をかけて消滅させるしか方法がない。

 己の内側にある神力と……思い出したくない母の妖力も借りて、一筆一筆魂を込めて描いた。




 春菜だったものが、一つずつ黒龍が打った(くさび)を外していく。憎しみはますます増大して、影の闇が深く大きくなった。


「こうなったら……」


 秋葉はすうっと大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。そして、身体中を巡るありったけの霊力を右手の拳に集める。


「はああぁぁぁぁっ!!」


 ドンと鈍い音が鳴り響いて、鱗の障壁が一瞬大きく揺れた。


「な、なにをしているんだい?」


 その姿を、若干引き気味に見つめている光河。人間より長く生きている彼でも、こんな乱暴な女性を見るのは生まれて初めてで、目を疑った。


「気の力が無理なら、物理でこじ開けるまでよっ!! 霊力で肉体を強化すれば、なんとか……!」


「ぼくも手伝う!」


 すると白銀が秋葉の懐から出てきて、


「たああぁぁぁっ!」


 いつの間にかくすねていた、白龍の宝玉を壁に向かって思い切り投げ付けた。





「よし、完成」


 憂夜は封印の魔法陣を描き上げた。

 同時に、春菜だったものの楔が剥がれ落ちる。


「あああぁぁぁねええさまあああぁぁぁぁぁ……!」


 もう人間かも見分けがつかないそれは、断末魔の叫びのような咆哮を上げた。


「ねえぇええさままままあああぁぁぁぁ……ししししねねねねぇぇぇぇぇぇえええ!!」


「やれやれ。最後まで姉貴か。自分勝手な女だな。

 …………全く、虫唾が走る」


 それは、父に向かっての呪詛でもあった。


「俺が今、終わらせてやるよ。――開門!」


 魔法陣の線が、一気に光を放出した。すると、すさまじい神力が集まり、渦を巻いて舞い上がる。

 辺りは暴風に包まれ、襖は外れて、箪笥や花瓶が次々に破壊されていった。


 春菜の影も、竜巻に巻き込まれて、魔法陣の中に吸い込まれそうになる。


「ぐぐぐぐぐ……ぎぎぎぎぎああああぁぁぁぁぁ!!」


 だがすぐに抵抗をはじめた。影を目一杯広げて魔法陣もろとも呑み込もうと、軟体動物の如く大きく吸引をする。

 憂夜も引きずり込まれそうになるが、足元に神力の重心を落としてどうにか踏ん張った。

 だが、影は彼の十倍以上に広がって、どんどん勢力を増していく。


「くそっ……。どんだけ邪に支配されてるんだよ。自分大好き過ぎるだろ」


 と、軽口を叩いてみせるが、影の力は増大して気圧されつつあった。

 このままでは吸い込まれる。せめて秋葉たちは助けようと、己の力を鱗の障壁に送ろうとした。



「もうっ。なに一人でかっこつけてるのよ」


 そのとき。

 憂夜の手に、秋葉の手が重なった。すると、彼女の霊力が強制的に彼の神力と混じり合っていく。

 小さいけど頼もしいそれに、彼は息を呑んだ。


「秋葉……。お前、どうやって?」


「あんなもの、ぶっ壊したわよ! 私の鍛錬の力、馬鹿にしないでよね?」


 彼女はくすりといたずらっぽく笑う。だが彼は血相を変えて首を横に振った。


「白龍のところに帰れ! 死ぬぞ!」


「なんで白龍のもとに帰らないといけないのよ」


「だって、共鳴して、契約が……」


「あぁ、あれね。あれは、『春菜を止める』っていう意思が重なっただけ。ま、おかげで霊力を取り戻せたから良かったわ」


「駄目だ……」


 彼は弱々しい声音で言う。


「神の(ことわり)は絶対だ」


「そんなの、人間の私が知るもんですか。それに、今日ここに来た目的は最初から契約解除だし」


「……」


「ねぇ、知ってる?」


 秋葉の霊力が細部まで行き渡り、憂夜の神力と溶け合っていく。

 彼女は少しだけ顔を上気させて、にこりと優しく笑った。


「白い紙に墨汁を垂らすと、黒く染まるでしょ。それは、二度と白には戻らないわ」


「……」


 彼女は少しはにかみながら、しかしはっきりと強く言い聞かせるように言葉を続ける。


「私は、あなたがお嫁に貰ってくれた日から、もう黒に染まってるの。だから……あなたが最後まで責任取りなさいよね!」


「っ……!」


 秋葉の言葉が胸に染み渡る。

 嬉しくて、だが切なくて、全身が打ち震えた。


「秋葉……。俺は……」


「続きはあと。今は目の前のことに集中しましょう」


 次の瞬間、秋葉の額に白龍の印が浮かび上がる。

 それは、徐々に黒龍の印の形に変化して、真っ白から、真っ黒に染まっていった。


「契約は私の意思でおこなうわ。私は――」


 ――『黒の花嫁』だから。



 かつて春菜だった(もの)が、まっすぐに進んでくる。

 秋葉は、もう迷いがなかった。

 それは、憂夜も。


「行くぞ、秋葉!」


「ええ!」


 魔法陣に二人の力が充満した。

 憂夜は全身全霊で、千年に一度の霊力の内包された神力の嵐を巻き起こす。

 夫婦(めおと)は同時に叫んだ。


黒風天翔(こくふうてんしょう)!」


 闇風の嵐が一つにまとまっていく。

 それは龍の形になって、眼前の影を貫き、天を昇って、魔法陣の中へ翔けていった。







 春菜は、白い空間にいた。

 目の前には姉が立っていて、まっすぐに自分を見つめている。


「春菜、もう終わりよ。百年の闇の中で反省しなさい」


「嫌……」


 そう言って手を伸ばすが、秋葉は無言で踵を返してやがて消えてしまった。


 嫌。嫌。嫌。

 それが、春菜に残った感情だった。


 なんでわたしが反省しないといけないの?

 なんで百年も閉じ込められないといけないの?


 憎い。姉が憎い。憎い。憎い。憎い。姉が憎い。憎い。憎い。

 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いい憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いい憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い――……。


 そして。

 白だか黒だか分からない、閃光が彼女の視界を覆った。





 

 


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