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黒の花嫁/白の花嫁  作者: あまぞらりゅう


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第十六話 春の嵐

 春菜の苛立ちは、ますます募っていく一方だった。

 『千年に一人』と謳われた特別な霊力がなくなっていく。その残酷な事実を、ひしひしと肌で感じていたのだ。


 肉体の内部から枯渇していく感覚は、日に日に彼女を蝕んで、どんどん精神を追い詰めていった。

 これは、秋葉に霊力が戻っている兆候だった。あの(おんな)は図々しくも黒龍の力によって、失った霊力を呼び覚ましたのだ。


 由々しき事態だった。このまま己の霊力が姉に流れてしまったら、自分は本来持っていた力しか残らなくなってしまう。

 それは父と同程度の脆弱な力だ。田舎の小さな里だけに結界を張れる程度の力。こんな粗末な霊力なんて、自分に相応しくない。



「もしかしたら……春菜とは離縁することになるかもしれない」


 そんなとき、彼女は夫である白龍の信じられない言葉を聞いてしまった。


「やはり、そうなりますね。光河(こうが)様には、もっと相応しいお方が現れるはずです」


 忌々しい側近の妙に弾んだ声に強い殺意を覚えながらも、彼女は静かに二人の会話に耳を澄ませた。


「いや……」


 光河は躊躇するように少しだけ視線を彷徨わせたあと、


「春菜の持つ霊力が日に日に弱まっているんだ。このままでは、ここにいられなくなってしまう」


「なんと……!」


 紫流(しりゅう)と春菜は同時に目を見開いた。白龍には、全てお見通しだったのだ。


「霊力のない人間がここにいれば、最悪命を落としかねない。私は、彼女が傷付く姿を見たくないんだ……」


 ふらふらと身体を揺らしながら、春菜はその場を去った。ひどい動揺で脈が速くなって、足元が覚束ない。もう最後のほうは二人が何を話しているのか聞こえなかった。

 だが、夫は妻を追い出そうとしているのは確かだ。


「ぐっ……」と、彼女は強く唇を噛む。


 屈辱的だった。必死で隠していたことが容易に見破られ、見下すような態度を取られて。

 白龍は、己の支配下に置かれるはずの男なのに……。




 春菜は失われた霊力を取り戻すために、秘密裏に秋葉に接触を図った。以前、式神を飛ばした際に霊気の道を作っていたのだ。

 本来は黒龍を奪うために作った道だったが、先ずもって己の霊力をなんとかしなければならなかった。


 彼女は早速道を通じて霊力の奪還を試みた。しかし、何度やっても見知らぬ黒い闇の力に押し返されてしまう。

 黒龍の神力(しんりょく)だ。

 彼は自ら攻撃は行わないが、徹底的に花嫁を守っていた。今の春菜の霊力では、その鉄壁を僅かも傷付けることはできなかった。


 道は塞がれてしまった。霊力も日ごとに低下していく。

 春菜の焦燥は、彼女の隠れた冷酷を露わにしていっていた。







 暗闇の中で、どすりと大型の柔らかい物体が崩れ落ちる音がした。

 これで三体目。

 春菜の周囲に倒れてる者――(あやかし)たちは、白龍に仕えている従者たちだ。彼らは体中の水分を吸い取られたように、骨と皮だけの姿で横たわっている。


「やっぱり下級の妖だと大した量にならないわね。もっと大物を狙わなくちゃ」


 春菜は不愉快そうに大きく舌打ちする。こんな雑魚どもが百匹集まっても大した量にはならない。


 人間の器というものは、神や妖に比べて儚く脆い。

 霊力という強靭な盾を失いつつある今、彼女はひどく焦っていたが、ある打開策を思い付いた。


 それは、妖から妖力を奪って己の体内に取り込むことだ。

 そうすることによって、消えかけている霊力の補填にはなる。しばらくの応急処置だが、天界に留まれる程度の力は確保できるだろう。




「そこまでです」


 そのとき、襖が開いて暗い部屋に光が差し込んできた。直線的なそれは春菜の左目を刺して、彼女は眩しさで思わず目を瞑った。


「やはり……貴方は……」


 彼女の眼前にいたのは紫流だった。

 彼は倒れている者たちを認めると大きく目を見張って、たちまち険しい顔になり、春菜を()め付けた。


「あら? なにかしら?」


 春菜は何事もなかったかのように、澄まし顔でつんと答える。この状況で平然としている彼女に、彼は薄気味悪さを感じて粟立った。

 やがてそれは、じわじわと怒りに変わっていく。


「貴方は……自分の行ったことが分からないのですか!? 己の要望のために他人(ひと)の『命』を犠牲にするなど、血の通っている人間のすることではありません!」


「はぁ?」


 春菜は小馬鹿にするように薄笑いを浮かべた。


「あなたは、考えなしに行動しているの? 子供じゃないんだから……ねぇ?」


「ふざけるなっ!!」


 紫流の怒号が響き渡る。激しい憤怒は、彼の心臓を突き破って肉体を破裂させそうだった。


「貴様は命を何だと思っているんだ!? 妖にとって、妖力が消えるというのは、死を意味するのだぞ!?」


 彼の言葉通りに、倒れた妖たちはさらさらと砂が崩れるように消えていく。

 その様子を春菜は無表情で眺めて、紫流は無念そうに拳を握り締めて見つめていた。


「あんな三流妖怪たちより、龍神の花嫁のほうが価値があるわ。彼らも龍神様に身を捧げることができて本望なんじゃない?」


「貴様っ……!」


 そのとき、彼の足元に何か紐状のものが絡み付く感触がした。見ると、黒々とした大量の髪の毛のようなものが、足首から上へ上へと巻き付いていっている。


水刃(すいは)!」


 彼はすかさず妖術を放ち、数十本の鋭い水の刃でそれを切り刻む。細かく切られて床に落ちたそれらは、黒煙となって春菜の身体に戻っていった。


 紫流の険しい顔が、ますます不快感で歪む。


「これは……(じゃ)の力だな!?」


 邪――それは、霊力でも妖力でも神力でもない、ただの無。

 あるいは、ただの悪意の塊。


 邪は無機質に生物を悪に染めて呑み込む。そこに目的などという感情は持ち合わせていない。

 ただ目の前にあるものを黒に変え、魂ごと消滅させるだけだ。


「あら? よく分かったわねぇ。無能だと思ってたけど、意外に頭が回るのね」


「黙れっ!! 貴様、何が目的だ? なぜ、光河様に近付いた!?」


 春菜は少し目を(しばた)いたあと、あどけない表情で答えた。


「別にこれといった目的なんてないわ。わたしのような素晴らしい人間が、龍神の花嫁になるべきだって思っただけよ。

 ――あぁ、そうだわ。強いて言えば……」


 にわかに、春菜の瞳の色が変化した。それは真っ黒で、ただの『無』だった。

 だが、その中に禍々しい憎悪がうずまいているのが見て取れて、紫流はぞくりと背筋が凍った。


「強いて言えば……姉が苦しんで苦しんで苦しんだ果てにどん底のどん底の地獄に堕ちて、それからも永遠に苦しみ続ける姿が見たいわ」


「っ……。貴様は…………!」


 おぞましい感覚が彼の全身を駆け抜けて、総毛立った。目の前の生き物は、もはや人間ではなく、常軌を逸したなにかだった。


 春菜は「きゃはは」と声を上げて笑う。


「そうよ。姉を苦しめるためにも、白龍も黒龍も、わたしのものにしなきゃ。あの女の目の前で二人から愛の言葉を捧げられるのよ。最高でしょう?」


「水刃・百連!」


 次の瞬間、紫流を取り囲むように百の水の刃が顕現し、春菜へと飛んでいった。鋭い刃は水中を泳ぐように流れていく。


「貴様は光河様の花嫁になるべき者ではなかった! ……いや、存在すべきではなかった!」


 刃の群れは春菜に直撃した。水飛沫が舞って、小さな彼女の影が隠れる。

 仕留めた、と彼は確信したが――……。


「あなた……龍神の花嫁に手を上げるなんて、覚悟はできているのね……?」


 眼前には、無傷の春菜が立っていた。


「馬鹿な……攻撃は当たって……」


 信じられない光景に、彼は大きく目を見開く。

 いくら龍神の花嫁になれる霊力を持っているとはいえ、相手は人間だ。しかも霊力が弱まりつつある今、龍族の彼が負けるはずがない。


 春葉は驚愕する紫流の顔がおかしくて、くすくすと笑いだした。

 そして、おもむろに懐から巾着を取り出す。するすると紐を解いて、中身が露わになった。


「これ、なぁんだ?」


「っ……」


 紫龍は、息を呑んだ。衝撃のあまり、声が出せずに喉だけが鳴った。


 彼女が持っているのは、白龍の(ほこら)の祭壇に(まつ)られている、『白龍の宝玉』だったのだ。


「……なっ」


 ややあって、彼はやっと言葉を吐き出す。


「なぜ……お前が、それをここに……?」


 宝玉は長い年月をかけて龍神の神力(しんりょく)が蓄積されたものだ。

 これを通じて、人間界に宿る自然に、神の気を与える。その莫大な力を前にしては、()()()()の龍族の妖力は無力に等しい。


 文字通り龍神の宝である宝玉は、決して祠から動かしてはならないし、動かせるのはそれを守護する龍神のみだった。


「光河様はわたしにくださったの。好きに使っていいんですって」


「まさか! あり得ない! 宝玉は、天変地異を起こし、世界を崩壊させる力を持つ。このような危険なものを貴様が扱うなど、光河様がお許しになるはずがない……!」


「でも、実際に彼に譲り受けたから、こうしてわたしの手元にあるのよ」


「馬鹿な!」


「じゃあ、光河様に尋ねてみる?」


 春菜が艶めかしい声音で白龍の名を呼ぶと、奥の部屋の襖が静かに開いた。

 少しの隙間から漏れる腐った魚のような悪臭に、紫流は顔をしかめる。中は邪の気で充満しており、夜よりも暗い黒煙と、生々しい血の匂いで満ちていた。


 その奥から、ゆっくりと人影が近付いてくる。

 その様子を見て紫流は全てを察し、全身の毛が逆立った。


「春、菜……?」


 それは、白龍だった。


 彼の周囲には黒い(もや)が漂っていた。瞳は閉じているものの、瞼の奥からは禍々しい気が漂っている。


 光河の声音は、普段と同じく柔らかいままだ。穏やかな、人の心を落ち着かせる声。

 だが紫流には、感情がごそりと抜け落ちているような、不気味な違和感を覚えたのだった。


(我が主は……この女の手に堕ちたのか……?)


 信じられなかった。

 白龍の力は神の中でも強い。唯一対抗できるのは、あの黒龍くらいだ。

 こんな人間の小娘などに我が主が敗北を喫するなんて……。







 白龍は秋葉との契約の御印(みしるし)が再び現れたとき、すぐに彼女を迎えに行こうと立ち上がった。

 だが、丁度そのとき。


「どこへ行かれるのですか?」


 出し抜けに、春菜が彼の背後から声を掛けてきた。彼がぎこちなく振り返ると、無表情の彼女がじっと見つめていた。


「春菜……済まない……」


 彼は心苦しそうに顔を歪めて眉を下げる。


「私は、今も秋葉と契約状態にあるようだ。今から彼女を迎えに行く。君のことは申し訳なく思うが、霊力が著しく減少している今、このまま天界(ここ)に置くわけにはいかない。

 幸いにも、私たちはまだ夫婦(めおと)(ちぎ)りを――」


 春菜は光河の言葉を待たずに、ふわりと彼に近付いて、そっと夫の唇に指を置いた。控え目な彼女らしくない大胆な行動に、驚いた彼の動きが一瞬静止する。


「夫婦の契りなら……今、行えばいいじゃないですか」


「君のその霊力では耐え――……っつ……!?」


 突如、春菜から無数の黒い影が出る。それらは腕の形に変容して、瞬く間に光河の両手足を捕らえ体勢を崩して床に押し付けた。


「ぐっ……」


 瞬時に白龍の全ての動きが封じられ、残りの影の手が彼の首に伸びていく。しっかりと両手で掴むと、じわじわと締め上げていった。


 光河はもがき苦しむ。抵抗したいが、手足を押さえられているので頭を左右に振ることしかできなかった。神力(しんりょく)で振り払おうとしても、全て肌に触れた影の中に吸い込まれてしまう。


「浮気者には、お仕置きしなきゃね?」


 春菜の冷ややかな笑顔が、彼の上に落ちた。綺麗な顔なのに腐った肉の塊のように見えてしまい、おぞましくて身の毛がよだった。


 光河の呼吸が限界を迎える前に、春菜は黒い影の手を離した。

 彼は多くの空気を取り込もうと、何度も大きく呼吸した。だが、胸に何かがつっかえていて上手く息ができない。


「あぁ、良かった。効いているみたいね」


 春菜はニタリと口の端を歪ませた。


「私に、何をした……?」


 体内の細胞が、異物を追い出そうと暴れているのが分かる。

 それは――(じゃ)だ。


 春菜は掌から黒い煙を燻らせて、


「あなたの身体に()()を潜り込ませただけですわ。食物や飲水(のみみず)と一緒に混ぜて、少しずつね。

 いくら神様とはいえ、肉体の中は無防備ですものね」


 心底気持ち悪いと、光河は粟立った。

 眼前の花嫁は、もう気色の悪い肉の塊にしか見えない。


 この女は、もはや心を持った人間ではなかった。邪に支配された別のなにかだ。


「じゃあ、仕上げに……夫婦の契りをしないと……。

 ――ねぇ、()()()?」







 衝撃的な光景に、紫流は目を見張る。

 眼前の夫婦は、仲睦まじく寄り添っていた。春菜の細い手が光河の胸元をゆっくりと撫でて、甘えるように見上げていた。光河はうっすらと笑みを浮かべて、妻にされるがままだ。


「紫流さんったら、酷いんです。光河様がわたしに下さった宝玉を奪おうとするのですわ」


「それは、いけないね。あれは()()()()のものなのに……」


「主の意向に逆らう者は、罰を与えないといけませんわ」


 春菜から黒い影が伸びる。


「光河様! 目をお覚ましくださいっ!!」


 紫流は必死に声を張り上げる。主のこのような姿を見たくなかった。


「貴方様は、白龍様――龍神です! こんなものに惑わされないでくださいませ!」


 彼は影が届く前に、水刃を顕現させた。複数の刃が鎖のように繋がって、飛び魚の如く物凄い速さで床を跳ね進んだ。

 向かった先は、春菜ではなく。


「光河様っ……! どうか……!」


 鋭利な鎖は光河を覆う影に突っ込んでいく。

 衝撃音が轟く。

 水飛沫が舞う。

 光河の全身がずぶ濡れになった。

 同時に、春菜の攻撃も紫流に届く。赤い血が流れる。


 しばらくの沈黙。

 そして、


「ん……紫龍……? わ……私は一体……うぅっ…………!」


 光河は激しい頭痛に襲われ、頭を抱えて蹲った。


 春菜は舌打ちをし、再び影で夫を覆う。だが、紫流はそれを阻止しようと彼女に飛び掛かった。

 やがて二人が揉み合いになったところ――、



「たのもーーーーーーーー!!」


 秋葉のどすの効いた大音声の挨拶が屋敷中に響いた。



 

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