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第十話 交渉

 四ツ折(よつおり)の里の龍泉(りゅうせん)は日に日に弱まっていく一方だった。

 それに比例して、夏純(かすみ)の霊力も衰えていくのを感じる。しばらくは誤魔化せていたが、ついに致命的な出来事が起こってしまった。



「当主様、大変です!」


 血相を変えた家令が、声掛けもせずに主人の書斎へ飛び込んで来る。


「どうした? 騒がしい」


「結界を破って入ってきた鬼の(あやかし)が暴れております!」


「何だと!?」


 家令とともに夏純が駆け付けると、井戸の側で八尺以上もある赤鬼が、若い娘の髪を掴んで引きずっているところだった。

 周囲には数名の霊力者たちがいるが、まるで歯が立たないらしい。中には傷を負って横たわっている者もいた。


 夏純はその赤鬼をざっと見て能力を測る。なるほど、たしかに立派な体躯だが、妖力自体は大したことはなさそうだ。あの者たちは、なぜこんなにも苦戦しているのだろうか。


 夏純は眼前に手早く魔法陣を描き、霊気の衝撃波を赤鬼に撃った。青白い光を放ちながら一直線にぶつかり、一気に爆ぜる。白煙と、焦げ付いた匂いが広がった。

 これは確実に仕留めたなと確信して彼が鬼へ近付くと、


 ――ドン!


 まだ晴れていない視界から赤く太い腕が勢いよく飛び出してきて、彼の鳩尾にのめり込んだ。


「がはっ……!」


 人間離れの物凄い腕力に彼は吹き飛ばされ、一度弾んでから地面に転がった。


「……」


「……」


 当主の無様な姿に、家令たちは大きく目を見開いて息を止めた。主が敗北する様を目撃することになるなど、到底信じられなかったのだ。


 夏純は龍泉を守護する四ツ折家の現当主だ。その彼からの攻撃にびくともしない眼前の鬼は、一体どれほど強い妖力を持っているのだろうか。

 それを想像すると、卒然と恐怖心が彼らの頭の中に浮かび上がってきた。


 今、この場に当主以上の霊力を持つ者は皆無なのだ。その主が敗れた今、妖を止められる者は誰もいない。


「うっ……うわああぁぁぁっ!!」


 一人の青年が慌てふためきながら逃げ出した。他の者は呆然と彼が小さくなる姿を見つめていたが、やがて我先にと走り出す。

 最後まで残っていたのは、忠義に篤い家令と、まだ起き上がっていない当主のみだった。


(この私の力が通用しないだと……!?)


 夏純の動揺は計り知れなかった。明らかに己より弱い相手に、いとも簡単に攻撃を防がれたのだ。これまでならあり得ない状況だった。

 彼は衝撃で立ち上がることも出来ず、茫然自失と霊力を放った両手を見るだけだった。


 一方、家令もあまりの驚愕に身体が痺れて一歩も動けなかった。

 先祖代々の四ツ折家の当主が守護していた結界がついに破れ、妖が侵入してくるなんて前代未聞だ。


 これは、龍泉に異変が起こっているに違いない。もしかすると、四ツ折家は神様に見捨てられたのかもしれない。そんな悪い想像ばかりが浮かび上がっていくのだった。


 二人が絶望に染まった、そのときだった。


 ドン、と大地を引き裂くような鳴動。それと同時に鋭い(いかずち)が、赤鬼の上に襲いかかった。

 バリバリと耳をつんざく音がこだまする。電撃が直撃した鬼は全身が黒く焦げ果てて、ばたりと大きな音を立てて倒れた。


「……!」


 夏純と家令は驚いた顔を見合わせる。数拍して、ゆっくりとぎこちない笑顔を作った。

 神はまだ我々を見捨てていなかった。やはり、我が家門は選ばれた存在なのだ。


(きっと春菜が白龍様に頼んでくれたのだな。やはり、頼れるのは可愛い娘だ。それに引き換え――)


 彼は長女の顔を思い浮かべて舌打ちをする。あれのせいで黒龍との関係を拗らせてしまった。無能がこれまで散々迷惑をかけておいて、恩を仇で返すとは……。


(こうなったら、白龍様に頼んで、龍脈の気を増やしていただくしかない……!)







「先日も言ったが、陰と陽の均衡を崩すことはできないよ」


「っ……」


 再びの白龍から告げられた絶望的な返答に、夏純はがくりと項垂れた。

 落胆と同時に、黒龍への……いや、秋葉への怒りが込み上げてくる。自分がこうも窮地に陥ったのは、あの親不孝者のせいなのだ。


「黒龍は頑固者だからなぁ」と、光河(こうが)は困ったように肩を竦めた。


「で、ですが、このままでは人々に多大な被害が及ぶやもしれませぬ! 私は家門の(おさ)として、彼らを守りたいのです!」


 夏純はもっともらしい言葉を並べるが、本音は己の霊力が消えることに焦燥感を覚えていただけだった。

 折角、龍泉を守護する家門の主になって、娘二人が龍神の花嫁になり、野望はこれからというのに。こんなとこで躓くなんて。


 しかし白龍は、人間の形ばかりの心意気に応えることもなく、ひどく残念そうに眉を顰めるだけだった。


「気持ちは分かるが……。こればかりは私の力だけでは難しいね。神の(ことわり)は崩せないから」


「白龍様が(いかずち)で悪鬼から我々を救ってくださったように、なんとかしていただけませんか……?」


「雷?」


 驚きを示すように、光河の瞼の下がピクリと動いた。


「なんのことだい?」


「えっ……? 先ほど、結界を破って暴れ回っていた鬼を倒してくださったのではありませんか?」


 光河は少し思案してから、ふっと微笑んだ。


「なんだ、黒龍はちゃんと仕事をしているじゃないか」


「……と、おっしゃいますと?」と、夏純は目を(しばた)かせる。


「その雷は私ではない。となると、黒龍しかいない。きっと彼は、本気でここを潰すつもりはないんだろう。花嫁可愛さに、いたずらをしているようなものだ」


「はぁ……」


「大丈夫。誠意を持って向き合えば、彼は応えてくれるよ。ああ見えて情の深い(おとこ)だからね。――あぁ、春菜が呼んでいる。では、これで失礼するよ」


 そう言って、白龍は夏純の挨拶も受けずに消えていった。





「くそっ!」


 誰もいない(ほこら)の前で、夏純はドンと強く拳を地面に叩き付ける。

 これから己がやらねばならない行動を想像すると、腸が煮えくり返りそうだった。


 どうやら、今回の件は黒龍に頭を下げる以外に道はないらしい。またあの生意気な(おとこ)に頭を下げると思うと、屈辱で全身の毛が逆立った。


 だが最近、里の者や他の霊力者にも妙な噂が流れているのも事実だ。娘が二人も神に嫁いだ四ツ折なのに、その神に見捨てられつつあるのでは、と……。

 これは、龍泉が弱化したことや、当主の霊力が落ちていることが露呈しているということだ。

 全く、どいつが内情を吹聴したのだろうか。早く力を取り戻して裏切り者を一掃せねば。


「はぁ…………」


 腹の中に渦巻く憂鬱感を吐き出すように、深いため息をつく。重苦しい気分で胃が押し潰されそうだった。

 非常に非常に気乗りしないが、己の地位と名誉を守るためには仕方あるまい。







「わわっ! えっ!? なにっ!?」


 秋葉が白銀(しろがね)瑞雪(ずいせつ)と栗饅頭を食べていると、突如身体が光って、気が付いたら――……。


「えぇっ!? お父様!?」


 目の前に広がる想定外すぎる光景に、秋葉は目を見開いた。決別を告げたはずの父親が鎮座していたのだ。彼の目つきは険しく、憎々しそうに娘を見つめいている。


「……」


 秋葉は、ひとまず手に持っている栗饅頭をどうにかしないとと思って、慌ててそれを口に頬張る。急いで呑み込んで食道に落とした。少し胸が苦しくて、瑞雪が淹れてくれた熱いお茶が恋しい。


 咀嚼しているうちに、周囲を観察してなんとなく状況を掴めた。

 ここは龍神の祠だ。

 きっと父は黒龍を呼び出すつもりだったのだろうが、なにかの手違いで黒龍の花嫁である自分を召喚してしまったのだろう。


「えっ、なんか用?」


 美味しい栗饅頭を平らげて、彼女は怪訝そうな顔をして父を見た。


「父に対してなんだその態度は」と、夏純は渋面で言うものの内心はひどく焦っていた。


 本来ならば黒龍そのものを呼び出したかったのだが、今日は先に白龍を召喚してしまった。()()彼の霊力では、日に二度も神を呼び込む儀式を行うのは厳しかったのだ。


 そこで、花嫁の秋葉だ。

 血の繋がった娘なら、己の血液を辿って比較的安易に道を作ることができる。それには多くの霊力は必要としない。


「手短に言う。お前の夫に、四ツ折の龍泉を元に戻すように言うんだ」


「はぁ?」


 父が言っている意味が全く理解できずに、秋葉は眉を顰めた。


「どういうこと?」


「言葉通りだ。お前の夫のせいで、こっちは迷惑を被っているのだ。妻のお前が何とかしろ」


「は? 話が見えないんだけど」と、秋葉は父親をギロリと睨み返す。意味不明なことを一方的に言って、あまつさえ高圧的な態度にひどく腹が立った。


 この(ひと)は、何も変わっていない。昔から自分の面子しか考えていないのだ。

 改めてそう実感すると、目眩がしてきた。自分は、こんな詰まらない人間から認められようとして鍛錬を続けていたのかと思うと、虚しさが胸を侵食していく。


「おい! 聞いているのか、秋葉!」


 夏純は拳で地面を強く叩いて、声を荒げる。


「無能なお前でも、この父の役に立つことを教えてやっているのだ! 有り難く――」


「てめぇっ〜〜! なに勝手に俺の秋葉を呼び出してるんだぁ〜〜?」


 そのとき、突風が湧き起こったかと思ったら、突如黒龍が二人の前に現れた。


「わっ! びっくりした!」


 秋葉は心臓を押さえ、


「チッ……」


 夏純は顔を顰めて舌打ちをした。


「秋葉、何もされていないな!?」


 憂夜(ゆうや)は義父の存在など無視して、妻の両肩を掴んで怪我がないか確認する。


「別になにもされていないけど……。これって、どういうこと?」


 秋葉は憤りを隠さない父を見やりながら尋ねた。





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