悪役令嬢はエルフの聖女でした ~婚約破棄されたので復讐してから白い結婚します~
エルフ族の名門、セリフィア家の令嬢リシェルは、人間の国・レグナント王国の第一王子アルセリオと婚約していた。美しく、気高く、そして優秀な彼女は、なぜか宮廷内では「傲慢で冷酷な悪役令嬢」として疎まれていた。
その日も、誰かの陰口が彼女の背後でささやかれていた。
「リシェル様って、王子様にふさわしくないわ。あの優しいセレナ様のほうがぴったり」
そう言われていた「セレナ」は、聖女として崇められる貴族令嬢。そして王子アルセリオの"浮気相手"だった。
そして運命の日。
王城の大広間で、王子はリシェルを冷たい目で見下ろし、こう宣言した。
「リシェル・セリフィア。貴様との婚約を破棄する。真に相応しいのは、聖女セレナなのだ!」
貴族たちの拍手。セレナの涙。リシェルは、それをただ静かに見つめていた。
「……よろしいでしょう。ただし、後悔なさらぬよう」
それだけを言い残し、彼女は王城をあとにした。
***
数日後、王国に異変が起きた。
聖女とされていたセレナが、実は聖属性の力を一切持たぬ偽聖女であることが暴かれたのだ。しかも、その不正を告発したのは、王宮から姿を消したはずのリシェルだった。
「……まさか、リシェルが聖女だったなんて」
ざわつく廷臣たちの中で、アルセリオは愕然としていた。
それもそのはず。リシェルは真の聖女であり、さらにエルフ族の長老より授けられた加護によって、聖域の守護者となっていた。魔を祓い、災厄を鎮めるその力は、偽りの聖女セレナの比ではなかった。
その証拠として、彼女が民の前で祈りを捧げると、長年干ばつに苦しんでいた大地が、一夜にして緑に包まれた。
民は彼女を「真の聖女」として崇め、貴族たちも彼女に頭を下げた。
***
だが、リシェルは王都に戻ると、真っ先にアルセリオとセレナを告発し、裁判にかけさせた。
「偽聖女を擁立し、国を危機に晒した罪。その責任、取っていただきますわ」
淡々とした口調で語られた復讐の言葉。結果として、セレナは国外追放、アルセリオは第一王位継承権を剥奪され、辺境の地へと左遷された。
リシェルは言葉通り、すべての復讐を果たした。
……その後の王都に、静かな動揺が走る。
なぜなら、リシェルの元に、隣国シルヴァーナ王国の第二王子であるライアスが訪れたからだ。
「君は美しいだけでなく、正義を貫く強さを持っている。……婚約を申し込みたい」
唐突な求婚に周囲が戸惑う中、リシェルは一言。
「白い結婚、構わないのであれば」
政略結婚を意味するその言葉に、ライアスは微笑んだ。
「私はすべてをかけて君を守る。政略でも名目でもいい。……だが、いつか必ず、本物にする」
***
そして半年後──
リシェルとライアスの婚礼が、シルヴァーナ王国の聖堂で静かに執り行われた。
大仰な祝宴ではなく、神官の前で誓いを交わす静謐な結婚式。民に対して開かれたその式で、ライアスは言葉を宣言した。
「彼女はかつて悪役令嬢と呼ばれた。しかし、真実は──この国の未来を導く聖女だ」
彼は王子の権限を用いて、リシェルを聖女として国家に認定させ、名誉と地位を保証した。そして、王国内で彼女を傷つけた者たちには容赦なく粛清の手を伸ばした。
「誰であれ、彼女を傷つける者は、私の敵だ」
その徹底した庇護と溺愛ぶりに、民は呆れ、しかし同時に安堵した。
なぜなら、王子の愛が真実であることは、誰の目にも明らかだったからだ。
***
「……どうしてそこまでしてくださるの?」
結婚式の晩、寝室でリシェルはぽつりと呟いた。
「私はエルフで、そして人間の国では"悪役"でしたわ。……あなたが手を貸せば、あなたまで傷つくことになる」
するとライアスは、そっと彼女の頬に触れた。
「君は誰より優しく、気高く、美しい。……僕の見る目を、そんなに信じられない?」
リシェルはしばらく黙っていたが、やがて、すべてを許すように微笑んだ。
「ええ。信じますわ。……あなたの愛も、力も、優しさも」
──かくして、「悪役令嬢」と呼ばれた聖女リシェルは、隣国の王子ライアスに守られ、愛され、幸せを手に入れた。
そしてこれは、ただの政略結婚ではなく。
誰よりも純粋で、真っ白な──本当の「白い結婚」だった。
ーーー
聖女リシェルと、隣国シルヴァーナの第二王子ライアスの結婚から三ヶ月が経った。
リシェルは、シルヴァーナ王国の聖女として名実ともに人々に受け入れられ、今では王都の人々から「白銀の姫」とも称えられていた。長い銀髪と翡翠の瞳、そしてエルフ族特有の尖った耳は、まるで幻想の世界から現れたかのような神秘を纏っていた。
とはいえ、本人は至って普通の生活を望んでいた。
「リシェル、今日は外出禁止だ。日差しが強すぎる」
「……またですか? ライアス様、私はエルフですし、この程度の陽光など慣れています」
「君が焼けるのを見たくない。もし肌が赤くなったら……僕が泣く」
「…………過保護が過ぎますわ」
新婚生活は、毎日が甘く、そして少々困ったものだった。
王子ライアスの過保護ぶりは王都でも有名で、「聖女様がくしゃみをした」と聞けば、即座に薬師と祈祷師が呼び出される。「水音がした」と聞けば、部屋に水害防止の魔法結界を張るほどの徹底ぶりである。
侍女たちの間でも、「あれは恋というより、もはや崇拝ですわね」と噂になるほどだった。
***
だが、そんな彼の姿に、リシェルは時折胸が詰まる思いだった。
──こんな私を、ここまで大切にしてくれるなんて。
かつて人間の王国で「悪役令嬢」として蔑まれ、浮気され、婚約破棄され、嘲笑の的になった過去は、未だに完全には癒えていない。
だが、ライアスの隣にいると、その痛みが少しずつ和らいでいくのを感じた。
ある日の午後、庭園のベンチで本を読んでいたリシェルに、ライアスがそっとブランケットを掛ける。
「風が出てきた。冷えないか?」
「ええ、大丈夫です。でも……」
「ん?」
「いつか、私があなたに迷惑をかける日が来たら、どうしますか?」
その言葉に、ライアスはしばらく黙った後、彼女の手を取り、優しく唇を寄せた。
「君はもう、僕の世界そのものだ。迷惑だなんて、思うはずがない」
それがどれほど大きな救いだったか、リシェルには言葉にできなかった。
***
数日後、シルヴァーナ王国の北部に、魔物の群れが出現するという報が届いた。
本来ならば軍を派遣するべきだが、被害が軽微であると判断され、聖女であるリシェルに浄化の依頼が下った。
「私が行ってまいりますわ」
「だめだ、危険すぎる。僕が代わりに……」
「ライアス様。それは聖女としての、私の務めです」
毅然としたリシェルの言葉に、ライアスは眉をひそめながらも、彼女の意思を尊重した。
そして出発当日──
リシェルの馬車には、なぜか王子自らが同乗していた。
「……まさか、ついてくるおつもりですの?」
「当然だ。君を一人で行かせるなんて、そんなことできるわけないだろう?」
「護衛の騎士たちはいますのに」
「僕が一番、君を守りたいんだよ」
王子は頑として引き下がらず、そのまま北部まで同行することになった。
現地では、瘴気に包まれた森の一部が魔物に占拠されており、リシェルは祈りを捧げながら、聖なる光でその地を清めた。
リシェルの周囲には、淡く輝く金色の輪が浮かび、聖女の祈りとともに地を覆っていた瘴気が溶けるように消えていった。
その神聖な光景に、騎士たちは皆、膝をついて敬意を示した。
だが、ライアスだけは、彼女の手をそっと取って、囁いた。
「……無理はするな。僕の隣に、元気で戻ってきてくれ」
その言葉に、リシェルは微笑み返した。
「ええ、必ず」
***
帰還後、王都では彼女の功績を称えた祝宴が開かれた。
が、リシェルはすぐに体調を崩して倒れ、医師の診察を受けることになる。
──結果は、懐妊だった。
「おめでとうございます、聖女様。お身体を冷やされぬよう、ご自愛くださいませ」
その報を聞いたライアスは、一瞬呆然とした後、顔を覆って涙を流した。
「本当に……? 僕たちの……子供?」
「はい。……私、お母様になりますのね」
その晩、ライアスは寝室の椅子に座ったまま、夜通しリシェルの手を握り続けた。
「リシェル、ありがとう。君が僕の妻で、本当に良かった」
「いいえ、私こそ……あなたに拾われて、救われたのですもの」
互いに囁きあいながら眠りにつくその姿は、まさに「幸福」の象徴だった。
***
そして月日は流れ──
リシェルの膨らんだお腹を、ライアスは毎日撫でながら話しかけた。
「おはよう、僕の小さな騎士。今日も君の母上は綺麗だよ」
「もう……お腹が揺れますわ」
「だって、君が美しいからさ」
その溺愛ぶりは日増しに過剰になり、ついに王城では「王子様、聖女様から半日離れる練習を始めるべき」と真剣に協議される事態にまで発展した。
だが──誰もが分かっていた。
あの二人は、それほどまでに深く愛し合っているのだ、と。
***
リシェルは、かつて悪役令嬢と蔑まれ、浮気と裏切りで傷ついた。
だが、今は──
自分を守ってくれる王子と、未来を育む日々の中で、確かに幸せに生きている。
それは、聖女としてではなく、ただ一人の女性として愛される「日常」。
そしてその傍らには、変わらぬ優しさと強さで彼女を支えるライアスの姿がある。
この愛が、永遠に続きますように。
彼女はそう祈りながら、微笑みを浮かべた。
ーーー
「ん……っ、ぅ……あ……!」
――痛い。
身体の奥から絞り出されるような痛みが、リシェルの意識を何度も揺さぶった。
臨月を迎えた夜、突如として強い陣痛が訪れたのは、夏の雨が降り始めた午後だった。聖女としての祈りの儀式を終えた直後で、軽く背を伸ばそうとしたその瞬間、激しい痛みに崩れ落ちたのだ。
「リシェル! 大丈夫か!?」
部屋に駆けつけたのは、夫でありシルヴァーナ王国の第二王子ライアス。彼は即座に侍医を呼び、聖域の産室を清めさせ、リシェルをそっと抱き上げた。
「わ、私……もう、来るみたい……っ」
「わかった、僕がそばにいる。絶対に離れない」
ライアスの腕の中で、リシェルは痛みと緊張に震えながら、産室へと運ばれていった。
***
聖域の奥、純白の結界で守られた特別な産室。ここは、エルフの聖女だけが使用を許された神聖な場所だった。
だが、リシェルが最も欲していたのは、神でも結界でもなく――
「ライアス様……っ、手……!」
「ここにいる。ずっと、そばにいるから」
リシェルの手をしっかりと握りしめたまま、ライアスは妻の陣痛に寄り添った。
汗に濡れた額、引きつる表情、そして苦痛に歪むその姿――
本来なら見せたくなかったのかもしれない。だが、リシェルは知っていた。彼だけは、どんな姿であっても自分を受け入れてくれると。
「もうすぐです、聖女様。……あと一息!」
「う……あああああああっ……!!」
叫びと共に、何かが確かに身体から解き放たれた。
――その瞬間。
「おぎゃああああっ!!」
産室に響き渡る、小さくも力強い産声。
ライアスは、リシェルの手を離すことなく、涙ぐみながら医師の報告を聞いた。
「男の子です……健康な、元気なお子様です!」
「……やった……ありがとう、リシェル……本当に、ありがとう」
「あ……ぁ……この子……」
腕に抱かれた赤子は、白銀の髪と翡翠の瞳――母親にそっくりだった。
リシェルの目からも、自然と涙が零れた。
「あなたに……似てますわね。泣き声が、なんだか……強情で……」
「そりゃあ、僕に似たら、君に甘えてばかりにはならないからな」
冗談めかして言いながらも、ライアスの頬は濡れていた。彼の指が、小さな赤子の手に触れた瞬間、赤子はふにゃっと笑ったように見えた。
「……この子の名前、もう決めてあるんだ」
「え?」
「ルシアン。光を意味するエルフの古語だ。……君と僕の希望、そして新しい光になる子だ」
リシェルは、腕の中の赤子にその名を呼びかけた。
「ルシアン……うふふ、あなたは……私たちの宝物」
***
リシェルの産後は順調で、数日で聖域の療養室から宮へ戻ることができた。
だが、そこからが新たな戦いだった。
「おぎゃあ! おぎゃあああ!」
「ルシアン!? 寒いの!? 暑いの!? おむつ? それとも、悪夢でも見たのか!?」
「……ライアス様、落ち着いてください。ただの寝言ですわ」
夜泣きのたびに飛び起きる王子と、それを宥める聖女。
そんな日々が始まったのである。
最初こそ頼りない父親だったライアスだが、次第におむつ替えも沐浴も器用にこなすようになっていった。
そして、なにより――
「ルシアン、おいで。……よしよし、いい子だ」
赤子を抱きながら、頬を擦り寄せるライアスの表情は、かつての厳格な王子とは思えないほどの溺愛ぶり。
「……まるで、猫を甘やかす飼い主のようですわ」
「猫より可愛いだろう? この子は、君と僕の奇跡だ」
***
その日、王宮では小さな祝祭が催された。
ルシアンの名付け式である。聖女リシェルと王子ライアスの間に生まれた第一王子。その存在は、国にとっても希望だった。
「ルシアン・セリフィア・シルヴァーナ。この名に、祝福と加護あれ!」
神官の宣言に、人々は喝采した。
リシェルは思う。
かつて悪役と蔑まれ、憎まれ、婚約破棄されたあの頃。
復讐の炎に取り憑かれた夜。
それらすべてが、今へと繋がっていたのだと。
今、自分はこうして愛する人に支えられ、未来を抱いて生きている。
(私の物語は、ここでようやく……本当の意味で始まったのね)
隣でルシアンを抱くライアスの横顔を見つめながら、リシェルは静かに微笑んだ。
この幸せが、永遠に続きますように――
彼女は、再び祈りを捧げた。