救国の英雄:郭子儀:01
〇郭子儀の誕生
ときは則天武后の世――すなわち大周のとき、長安の東にひろがる陝西省華州鄭県というところに、一人の赤子が生まれた。
その赤子の名は、郭子儀といった。
生まれた日は西暦六九七年。世の中はまだまだ安らかとはいえず、人々(ひとびと)は毎日、田を耕しながらも、役人の目を気にし、飢えにおびえて生きていた。
郭家は、そんな時代において、あまり目立たぬ一軒の家であった。
家は代々(だいだい)士族ではあったが、もはやそれは名ばかりで、暮らしは苦しかった。屋根はところどころ雨漏りし、囲炉裏に炭をくべても、部屋の隅は冷たく、冬には夜、家族が皆で身を寄せ合って眠った。
そんな中で、生まれたばかりの子儀は、よく泣き、よく笑い、すこやかに育った。
父は郭敬之という男で、学を持ちながらも仕官には恵まれず、畑仕事で家計を支えていた。
「この子は、何かやってくれる気がするよ」
郭敬之は、まだ赤子の顔を見ながら、ふとそう呟いた。
子儀の目は、澄んでいた。星のように小さく光る瞳は、泣き声と共に、周りの大人たちを黙らせた。人はそれを「骨相がよい」と言った。
母はその名を李氏といい、やさしい笑顔で子をあやしていた。
「子儀や、この厳しい世の中を、どうか立派に生きておくれ」
そんな願いを込めて、両親は日々(ひび)、祈りを忘れなかった。
このころ、長安では、則天武后が国を治め、女性としてはじめて皇帝となっていた。けれど、都から遠くはなれた鄭県の田舎町では、そんなことより、明日の米や薪の方が大事だった。
子儀は、そんな地に生まれ、空と土と風に育てられていく。
五歳にもなると、父に連れられて村の書堂に通い、文字や歴史を学びはじめた。
書堂では、他の子どもたちが読み書きに苦労する中、子儀はすいすいと筆を動かした。
師匠が目を丸くして言った。
「郭の子は、まことに賢い。これは将来、大きな人になるかもしれぬぞ」
その言葉は、まるで遠い未来からやってきた予言のようでもあった。
けれど、当時、誰も知らなかった――この赤子が、のちに唐という国を救い、天下を動かすことになるとは。
子儀は、まだまだ小さな子どもである。だけれど、その胸の奥には、すでに燃えさかるような意志が灯されていた。
それは「民を守りたい」という思い――まだ言葉にならないけれど、子儀の中には、確かにあったのだった。
〇十歳の秋――郭子儀の原点
十歳になった郭子儀は、まだ少年でありながら、すでに背筋をぴんと伸ばし、目元には大人びた光りを宿していた。
家は陝西省華州の鄭県という、黄河の南に広がる肥沃な大地のはずれにあった。冬は乾き、夏は短いが暑い。麦と粟が実る畑の向こうに、華山の山影がぼんやりと見える。
「子儀や、今日は風が東から吹いとるな」
と、母が縫物の手を止めて言った。
「はい。ちょっと冷たいです。でも、においが甘いような……」
「それは柿だよ。村の裏手に柿の木があって、今ちょうど実が熟しとるのさ」
母の言葉に、子儀は思い出す。つい先日、弟たちと木登りして、もぎたての柿をぽとんと落とし、皮ごとかじって怒られたことを。
「なぁ、母上」
「なんだい?」
「この鄭県って、いつから郭家が住んでるの?」
すると母は少し笑い、糸を巻き直しながら答えた。
「かれこれ百年以上にはなるな。元はもっと南から来たらしいけど、あんたの曽祖父の代にはもうこの地におった。水が良うて、土も肥えて、食うに困らんからね」
子儀はじっと聞いていた。目の前には母の優しい顔、その背後には静かな秋空が広がっていた。
「でも……うちは貧しいのに、どうして士族なんですか?」
この問い(とい)に、母は手を止めた。そしてゆっくりと、炉端に置かれた鉄瓶を火から下ろすと、お茶を注ぎながら言った。
「士族というのは、もともと本を読み、筆を持って民を治める者さ。だけど、時代が移ろえば、富を失うこともある。けれど、心まで貧しくなっては、士とは言えんのだよ」
子儀は、小さくうなずいた。母の言葉は、まるで畑に落ちた種のように、心の奥にしずかに染みこんでいった。
「それに、うちの家は食べ物だけはうまいぞ」
母は少し得意げに笑った。
「陝西は麦がよく育つ。だから饅頭も麺も旨い。それに、豆腐や羊肉も手間をかければ御馳走になる。おまえ、昨晩の炊き込み飯、三杯もおかわりしたろ?」
「……だって、うまかったんだもん」
顔を赤くして言うと、母は朗らかに笑った。
その夜、布団にくるまりながら、子儀はふと思った。
――この鄭県で生まれ、育ち、母の言葉を聞き、飯を食べた。そのすべてが、自分の骨になり、血になってゆくのだ。
少年はまだ知らない。数十年後、彼が国を救い、人々(ひとびと)に称えられる将軍となることを。
けれど、この日の母の教えと、鄭県の風と香りは、彼の中に深く根を張っていた。
それが――郭子儀のはじまりである。
〇十五歳の秋――郭子儀、志を抱く
秋風が畑の稲穂を揺らすころ、郭子儀は十五歳になっていた。
まだ声変わりの途中ではあったが、背丈は村の若者の中でも抜きんでており、父母をはじめ、誰もが「子儀には何かがある」と感じていた。
この年、母の勧めで、子儀は近所の塾に通いはじめた。
塾は鄭県の東の小高い丘の上にあり、石畳を登った先に古びた門がぽつんと立っていた。
「先生、本日もよろしくお願いします」
深々(ふかぶか)と頭を下げる子儀に、講師の王先生はにこりと笑って答えた。
「よろしい。今日は儒教の基について話そう」
木製の机と筆、硯を前に、子儀は息を呑んで耳を傾けた。
「儒教とは、人としてどう生きるべきかを教える教えじゃ。仁・義・礼・智・信の五徳を重んじるのじゃ」
「……仁とは、優しさ、ですか?」
「うむ。他人を思いやる心じゃな。義は正しき道を選ぶこと。礼は礼儀、智は知恵、信は約束を守る心じゃ」
子儀は墨を磨りながら、筆先でその五文字をしっかりと書き写した。
「唐の国は、こうした儒教の考えを基にして治められておる。天子がおられ、その下に宰相や群臣がおる。そして、国の隅々(すみずみ)まで目を届かせる仕組みがあるのじゃ」
「その……仕組みのひとつに、節度使というのがあると聞きました」
子儀が口を開くと、王先生は少し驚いたように目を見開いた。
「おお、よく知っておるな」
「昨夜、母上が教えてくれました。節度使は、辺境を守る将軍だと……」
「その通り。節度使は、軍事と政務を一手に担う重要な役じゃ。特に北方や西方など、異民族が迫る地には欠かせぬ存在よ」
子儀の胸が高鳴った。
節度使という言葉の響きには、どこか夢のような、遠く広い戦場の風があった。
授業が終わり、友人たちが笑いながら帰っていく中、子儀はひとり黒板の前に残っていた。
「先生……」
「なんじゃ?」
「わたしも、いつか……その、節度使になれるでしょうか」
王先生は目尻を細めて笑った。
「子儀、おぬしが志を忘れず、人のため、国のために学び続けるならば――必ずや、なれるであろう」
その言葉は、秋空のように透きとおっていて、あたたかかった。
帰り道、子儀は母に今日のことを語った。
母はゆっくりとうなずき、子儀の背中をぽんとたたいて言った。
「大事なのは、どこに立つかより、どう生きるかだよ。志を持ち続ければ、道は必ず開けるさ」
その晩、子儀は灯火の下、「仁・義・礼・智・信」の文字を何度も書き写した。
墨が乾くごとに、志は深く心に刻まれていった。
こうして、少年郭子儀は――ゆっくりと、しかし確実に、未来の大将軍へと歩みを始めたのである。