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星は決して堕ちぬ  作者: 銀 護力(しろがね もりよし)
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第八章 ―仇討ち―

火の手が上がる戦場から、かろうじて離脱した星の民と飛騨の連合軍は、かつての宿儺スクナの拠点を簡易的な陣営として整え直していた。両面宿儺を失った悲しみは大きく、荒狭アラサをはじめ、多くの戦士たちの表情には虚ろが広がっている。


夜の山肌を冷たい風が吹き抜け、星明かりすら霞むほどの煙と霧が辺りを支配していた。荒狭は体中に巻かれた包帯を乱暴に締め直し、ひどく痛む左肩を押さえながら、一歩一歩と岩の上を踏みしめる。


(宿儺殿が、あんなあっけなく……)


荒狭の胸に燻るのは復讐心だけではない。宿儺を討ち取られた怒りと、かつて失った家族の無念、そして自分たちが朝廷にここまで追い詰められている現実。どれを噛み締めても、喉元に苦い鉄の味が蘇るばかりだ。


そこへ、覆面を付けた星の民の偵察兵が小走りに駆け寄ってきた。その男は荒狭に深々と頭を下げ、声を潜めて口を開く。


「荒狭様、先ほど、朝廷の織物神・建葉槌命タケハツチと名乗る者から、内密に伝言が届けられました。どうやら、朝廷軍の将・蘇我足人ソガノタリヒトが今回の大虐殺の首謀者であり、その暴走を憂いた派閥が彼の失脚を望んでいる……と」


荒狭の目が鋭く光る。蘇我足人――自分の妻子を殺した連中の総大将であり、過去に星の里を蹂躙した戦犯だと噂は聞いていた。だが、確たる証拠を掴みきれずにいたため、ただ憎悪だけを燃やしてきた存在。その名がここでまた浮上してきたことに、荒狭の心は激しくざわめく。


「タケハツチが、そんな情報を……? なぜ朝廷側の神が、わざわざ俺たちに教える? 何を企んでいるんだ」


「それが……『タリヒトを排除すれば、朝廷内の過激派は収まり、和睦が近づくだろう』と、はっきり言っていたようです。裏を返せば、朝廷内でもタリヒトに不満を抱く者が多いということかと」


偵察兵の言葉に、荒狭の胸が熱くなる。もし本当なら、妻子の仇に刃を突き立てられるかもしれない。さらに、その首を取れば朝廷軍が多少なりとも引く ――そんな都合のいい話があるのか、という疑問もあるが、荒狭の中で燃える復讐の炎はそれを上回る勢いで燃え広がる。


(あいつの首さえ取れば、俺の妻子の無念も報われる……)


思考に血の匂いが混じる。蘇我足人こそが、幼い息子と愛する妻を一夜で殺めた大罪人。その首を落とすこと、それが今の荒狭にとっては生きる目的と化していた。


「……わかった。報せてくれて助かった。あとは俺がカガセオ様に話を通す」


偵察兵を下がらせた後、荒狭は抉れるように痛む肩を握りしめ、夜闇に向かって唸るように呟いた。


「タリヒト……どんな手を使ってでも、おまえを斬り殺してやる」


陣営の一角に設けられた仮設の囲炉裏を囲んで、カガセオと荒狭、それに星見ホシミ輝夜カグヤなど主要な面々が集まっていた。宿儺の遺体は別の小屋で弔われている。そこへ先ほどの偵察兵の情報を加味し、議論が始まる。


「蘇我足人こそが、先の侵攻の首謀者だった。もし奴を倒せば、朝廷軍の強硬派に大きな打撃を与えられる……か」


カガセオが低い声でまとめるように言う。傍らの星見は瞼を伏せ、「建葉槌命タケハツチという朝廷の神がそう明かした意味は、私たちに和睦への道を暗に示しているのでしょうか」と呟く。


輝夜は苛立ち混じりに口を開く。「でも、どうして朝廷側の人間が、そんな内部の情報をわざわざ漏らすのよ? 正直、あまりに都合が良すぎると思う」


それに対し、荒狭は声を荒げた。「そんなことはどうでもいい! 蘇我足人が首謀者であることがはっきりした以上、あいつの首を落とせばすむ話だ。俺は行く。今夜にでも……」


「荒狭、落ち着け。おまえは、いつも突っ走って偽情報に踊らされてきたじゃないか」

カガセオが抑えるように言葉をかけると、荒狭は苦々しく眉をひそめる。


「それは……昔のことだ。今度は違う。仲間の偵察網だってある。奴がどこにいるかさえ掴めれば、夜襲で討ち取れる。たとえ罠でもいい。俺はもう迷わない」


妻子を失った夜の光景が、荒狭の脳裏を暗い焔のように揺らめかせる。今ここで人を止めようとしても、到底無理なのだ――カガセオはその気迫を感じとり、深いため息をつく。


「……わかった。ならば俺も行く。星見や輝夜には飛騨の陣営を頼むしかない。宿儺殿を失って混乱しているなか、偽情報に踊らされる危険もあるからな。俺たち二人だけで夜襲を敢行するのは危険だが、少数精鋭で敵の本陣に忍び込むことは可能かもしれない」


「カガセオ様……」


星見は不安そうに呼びかけるが、カガセオはすでに荒狭の覚悟に引き込まれているようだった。民を救うためにも、この復讐を果たす機会は逃せない。もし蘇我足人を討つことで和睦の道が開けるならば、血を流す価値があると判断したのだ。


輝夜も渋い顔をしながら、「わかったわ。私と星見はここを守る。だけど、絶対に無茶はしないで。あの朝廷軍の将軍がどこに陣を敷いてるか、ちゃんと調べてから行きなさいよ」と釘を刺す。


荒狭は鼻で笑い、「安心しろ。今度は慎重に動く」とつぶやいた。


月明かりが雲にかすれ、夜のとばりが一層濃くなった頃、荒狭とカガセオ、そして数名の精鋭が森の奥を進んでいた。先の情報によれば、蘇我足人ソガノタリヒトは飛騨と星の里の両方を睨む形で、山中の広い平地に大規模な陣を張っているらしい。その周囲には高い柵と見張り台がいくつも立ち、夜襲を防ぐ備えも万全に整えているという。


(それでも、必ず奴の首を取る……)


荒狭は前を行くカガセオの背を見つめ、拳を固める。カガセオも十握の剣を帯びてはいるが、あれは大勢との正面衝突向きの力だ。今回の任務は暗殺に近く、極力大騒ぎになる前にタリヒトを斬る必要がある。


木の枝をそっと避けながら森を抜けると、視界が一気に開けた。敵の陣営の焚き火が無数にちらばり、光の粒が星空と相呼応するかのように見える。火の近くには大勢の兵が詰めており、その奥の大きな幕舎が指揮官の居場所か――


「荒狭、こちらだ。裏手には少し手薄な崖がある。そこを回り込めば、見張りを最小限で済むかもしれない」


カガセオが声を潜めて案内する。事前の偵察で得た情報をもとに、崖の岩肌を伝うルートを使い、敵陣の中央付近に出る策だ。失敗すれば全滅だが、成功すれば最小限の交戦でタリヒトを狙えるだろう。


(今こそ、俺の怨みを晴らすとき……)


荒狭は肩の痛みを忘れるように息を詰め、崖の細い岩棚に足をかけた。まるで崖の側面を這うように進むこと数十丈。下を見れば、焚き火に照らされた兵士たちがうろついている。少しの物音が命取りだとわかっていても、復讐心が荒狭を後退りさせない。


ようやく崖の上に出ると、そこには大きな幕舎が並んでいる。外側には甲冑を着た数名の兵が見張りに立っているが、広範囲をカバーしきれているわけではなさそうだ。


「荒狭、あそこだ――あのもっと奥の大きな幕が、将軍クラスの幕舎だろう。タリヒトがいるのはあそこかもしれない」


カガセオが指し示す方向には、特に威風堂々とした幕が立っていた。周囲の兵は多いが、夜闇に紛れていけば近づけないこともない。


ここで作戦は二手に分かれる。カガセオが外部の見張りを極力静かに排除し、荒狭がタリヒトの幕へ潜入して首を狙う。もし見つかったら即座に暴れてでも突き進み、目的を果たしたら合図を出し、連合の精鋭が援軍に駆け寄るという段取りだ。


荒狭は匍匐するように幕舎の裏手へ回り込んだ。

外には武器や兵糧が積み上げられており、その裏で潜んでいると、薄い布の向こうから男たちの話し声が聞こえてくる。


「――フツヌシ様やタケミカヅチ様が休養に入られたのは何よりだが、そろそろ反撃の時期かもしれん。星の民を一息に潰して……」

話の内容からして、朝廷軍の幹部のようだ。だが肝心のタリヒトらしき声はまだ聞こえない。


辺りをうかがいながら荒狭は幕舎の隙間をそっと覗く。そこには、数名の武官らしい人物たちが机を囲んで地図を見ている。その中に一際存在感のある男――蘇我足人ソガノタリヒトらしき姿があった。中背で痩身、だがその眼光と雰囲気からは得体のしれぬ冷徹さが漂っている。


(こいつが……あの大侵攻で、俺の妻子を殺した首謀者……!)


全身を怒りが駆け抜ける。じっとしていれば計画を聞き出せるかもしれないが、荒狭はそれどころではなかった。胸の奥底で猛り狂う復讐心が、彼の動きを加速させる。


「……やってやる……」


荒狭は舌打ちをこらえ、幕の下端を掴み、大きく踏み込んだ。瞬時に幕の内側へ転がり込むと、机に向かっていた幹部たちが驚愕の声を上げる。


「なっ、何者だ――!」


「待て、警戒――うぐあっ!」


荒狭の大剣が一閃し、近くにいた武官を一刀で斬り捨てる。血が畳のような敷き布を濡らし、周囲が混乱に陥る。タリヒトの周囲にも護衛が駆け寄ろうとするが、荒狭は烈火の勢いで突き進む。


「蘇我足人、出やがれ! 俺は荒狭、星の民の戦士だ!」


荒狭の叫びに、タリヒトらしき男が目を細め、冷ややかな視線を向けた。


「おまえが……かつての星の里襲撃の生き残りか。面白いな。ここまで来る度胸は認めてやろう」


その口調はまるで自分の支配下を疑わぬ王者のようだ。背後で倒れた護衛たちが呻くのを振り返りもしない。タリヒトは腰から刀を抜き、すっと構えを取る。


「復讐か? いいだろう。貴様程度の戦士が何人来ようと、俺を斬れると思うのか?」


嘲るような笑み。荒狭は血の気が頭に上りそうになるのを抑え、妻子が倒れていたあの夜を思い出す。怒りで視界が赤く染まりそうだ。


「貴様は俺の家族を殺した――その罪を、ここで償わせてやる!」


鋭い殺気がぶつかり合う。タリヒトは自信に満ちた動きで荒狭の剣を受け止め、逆手に取った一撃で荒狭の肩をさらに抉る。苦痛が走るが、荒狭は叫び声とともに反撃し、刀ごとタリヒトの腕を押し返した。

目の奥に宿るのは、復讐に狂った鬼のような輝きだ。


荒狭が幕舎へ突入したのを外から見届けたカガセオは、周囲の見張りを次々に静かに仕留めていた。神剣の炎を大々的に使うと目立ちすぎるため、あくまで剣の基本的な切れ味だけを頼りに動いている。


(荒狭の奴、すでにやっているだろう。大丈夫か……)


焦燥はあるが、自分もここで騒ぎを大きくしすぎれば、荒狭の暗殺が成功しなくなる。カガセオは低く身を伏せ、近寄る兵を後ろから斬り伏せていく。

しかし、思った以上に敵の数が多い。じきに殺気を察した兵が声を上げ、侵入者の報告が広がりはじめた。


「警戒されてしまったか……」


バレるのも時間の問題だ。カガセオは幕舎の奥にちらりと目を向ける。そこから聞こえる金属音が止まらない。荒狭が苦戦しているに違いない――ならば自分が突っ込むしかないか。十握の剣の炎を噴出すれば、周囲の兵を一気に蹴散らせるが、荒狭も巻き添えになる危険がある。ここは極力、直接の援護に入るべきだろう。


「荒狭! 大丈夫か!」


思わず幕をめくって声を上げたカガセオの目に飛び込んできたのは、互いに傷を負いながら激突を続ける荒狭とタリヒトの姿だ。タリヒトの刀は血を滴らせ、荒狭の体には複数の斬り痕が走っていた。それでも荒狭は凄まじい執念で攻撃の手を緩めない。


ガキィン――!


火花が散り、荒狭の大剣がタリヒトの刀を高々と弾き飛ばす。タリヒトが一瞬バランスを崩した刹那、荒狭は咆哮を上げながら大剣を振り下ろした。


「うおおおっ!」

タリヒトは驚愕の目でそれを見返し、避けようとするが、間に合わない。刀を失った手でなんとか自分を守ろうとするが、荒狭の大剣がその腕をへし折り、続いて首筋めがけて深く叩き込まれる。


「ぐはっ……」

鈍い音とともに蘇我足人の身体が崩れ落ち、首から血しぶきが噴き出す。荒狭の剣は太い骨すら断ち切り、タリヒトの首をあっさりと刎ね飛ばした。床に転がった首は、まだ恨めしそうに目を見開いているようだった。


「や……った……」

荒狭は力尽きたようにその場に膝をつく。手足が震え、視界がぐらぐら揺れる。ついに、宿願の仇を討ったのだ――だが、何かが大きく崩れ落ちるような虚脱感が襲ってくるだけ。


カガセオは周囲の兵が気づいていない隙をついて、幕舎へと飛び込んだ。タリヒトの首なし死体を見下ろし、その端正な顔に苦い表情を浮かべる。


「荒狭……よくやった。だが、すぐに逃げるぞ。ここの守備隊が来る前に脱出しないと、何人いようが太刀打ちできない」


そう言いながらカガセオは荒狭の腕を肩に回し、強引に立ち上がらせる。荒狭はふらふらと立ち上がりながら、地面に落ちたタリヒトの首を一瞥した。


「妻子の……敵討ちは、果たした……」

その言葉はまるで空虚な響きを伴い、荒狭の目はどこか焦点が定まっていない。


荒狭を担ぐようにして幕舎を出ると、外は既に騒然となっていた。何人もの兵が殺気立って駆け寄ってくるが、カガセオは十握の剣を抜き放ち、素早い斬撃で数名を倒し、さらに高く掲げて炎の衝撃波を放つ。

火が走るように地を焼き、敵兵が悲鳴を上げて散り散りになる。これで追撃が少しでも遅れればいいのだが……。


「荒狭、しっかりしろ! 帰るぞ! 星の民たちが待ってる!」


カガセオは必死に呼びかけつつ、できる限り警戒を怠らない。荷物のようになった荒狭を背負い、脇から血が滴る音が一層痛ましい。

ようやく崖際まで戻ったころ、迎えに来た精鋭たちが合図を送ってくる。ここからは縄を使って一気に崖を降り、再び森へ隠れるだけだ。


数分後、追っ手らしき声が聞こえるが、森の暗闇のなかで捜索は難しいらしい。荒狭たちの夜襲隊はどうにか逃げおおせ、朝が明けるころには飛騨の仮陣営へ帰還できた。


陣営の一角で簡易の療治を受けている荒狭は、ぼんやりと天幕の灯りを見つめていた。肩の刺し傷からの出血が多く、医療担当の戦士が必死に包帯を取り替えているが、意識はどこかうわの空だ。


(俺は……あいつを斬った。妻子の仇を、見事に斬り伏せたんだ。だけど、なぜ……こんなに空しい?)


かつて抱いた狂おしいほどの復讐心は成就した。タリヒトを殺せば、それですべてが変わると思っていた。だが、荒狭の心はまるで深い空洞を覗き込むような虚しさに苛まれる。妻子はもう戻らない。宿儺も取り戻せない。流れた血が増えただけ――そう思わずにはいられない。


しばらくすると、カガセオが天幕を開けて入ってきた。血気盛んなあの男も、覚醒の力を酷使したせいか青白い顔をしているが、荒狭を見るとぎこちなく笑みを作った。


「荒狭……傷はどうだ?」


「ああ……もう平気だ。カガセオ様が背負ってくれたおかげで命拾いしたよ。……すまなかったな。おまえを巻き込んで」


荒狭は目を伏せる。カガセオもまた、複雑な表情を浮かべたまま首を振る。


「いや、俺も民を救うために、奴を消し去りたいと思っていた。あいつが首謀者だったなら、ここで仕留めないと、未来はないからな……。勝手に納得してくれ」


しんと静まり返る夜の帳が、二人の間を包み込む。遠くからかすかに聞こえる兵の声と、負傷者の苦痛のうめきだけが耳につく。


(これだけ血を流しても、まだ朝廷は引くわけではない。だが、少なくともタリヒトを討ったことで、何かが変わるかもしれない……)


荒狭は心の底で、己の渇望が果たされたはずの虚無感と、今後の展開への淡い期待が入り交じるのを感じる。そこへ、輝夜がそっと天幕を開けて姿を見せた。


「帰ってきてたんだね。二人とも無事で、ほんとによかった……。実は、さっき建葉槌命タケハツチっていう朝廷の神から、『タリヒトの首が落ちた以上、話し合いの場を設けたい』という連絡が入ったの」


カガセオと荒狭は目を見合わせる。まさか本当に、タリヒトを排除したことで朝廷側に和睦を望む勢力が動き出したのか? しかし、そんな都合の良い展開を疑う気持ちも拭いがたい。


「……もしかしたら、これが朝廷内の権力争いの結果かもしれんな。だが、連中がどんな目的であれ、戦を止める手がかりになるなら話を聞いてみるべきか」


カガセオが眉間に皺を寄せながら言う。輝夜も小さく首肯し、「星見姉さまも、これ以上血を流さずに済むなら……という思いよ」と付け加えた。


荒狭はふと、タリヒトの首を落としたときに感じたあの虚しさを思い起こす。復讐が成就しても、多くの仲間が血を流し、宿儺も失った。それでも、もしここから新たな道が開けるなら――


「わかった。俺は文句をつける気力もない。妻子の仇は俺の手で討った。それだけでも、十分だ……」


そう呟いて目を閉じる荒狭の顔には疲労と喪失感が色濃く浮かんでいる。やるべきことはやった。しかし、失ったものの大きさを思えば、わずかな虚しさがどうにも拭い去れない。


その夜明け、仇討ちの成功とタリヒトの首の報が伝わり、星の民や飛騨の兵たちの間にある種のカタルシスが広がった。あの憎き将軍が死んだ――という事実が、多くの者の溜飲を下げ、無意識に歓声を生み出す。


「星の里を襲った首謀者は、もういない……!」

「これで朝廷軍も引くだろうか……いや、どうなる? でも、少しは楽になるかもしれない!」


重苦しかった陣営にも、わずかな希望が差し込んだのは確かだ。だがカガセオ自身は、荒狭と同じように“さらなる血を流してしまった”という罪悪感から解放されてはいなかった。

タリヒトを殺すことで、一時的な勝利と快哉が起こったとしても、それは多くの流血の果ての産物。その後にくる朝廷軍の動向次第では、まだ多くの命が失われるかもしれない――


カガセオは夜陰が明ける空を仰ぎながら、小さく息をついた。

この仇討ちがきっかけで和睦への道が開けるのか。それとも、さらなる争いを招くのか。

彼の胸は不安でいっぱいだったが、少なくとも今は、血にまみれながらも一つの大きな決着を見届けたという事実がある。それが救いになるのか、それとも新たな苦悩を生むのかは、次の交渉――建葉槌命タケハツチの動きにかかっている。


(俺たちは、どれだけの血をもってして和平を手にするのだろうか……)


そう胸中で問いながら、カガセオは荒狭の寝息が落ち着くのを見届け、外へ出た。砦の高台から見下ろす夜明けは、また一面、血の色に染まっているように見える。


しかし、朝焼けが滲む空の向こうには、星の一筋がかすかに残っている。星見が言うように、「星の導き」はまだ消えていない――カガセオはそう信じたいという思いで、胸を落ち着かせた。


次なる流れを作るのは、自分たちの行動にかかっている。かつての仇を討った今、朝廷側との本格的な交渉が幕を開けることを、カガセオは予感せずにいられなかった。


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