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星は決して堕ちぬ  作者: 銀 護力(しろがね もりよし)
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第四章 ―裏切りの代償―

森を抜ける風が、微かに湿り気を帯びていた。星の里を取り囲む外周の柵を見張る荒狭アラサの目は、どこか獣じみた鋭さを帯びている。かつて妻子を失った後悔と、偽情報に踊らされた屈辱――それらがまるで黒い焔となって、彼の胸を焼き続けていた。周辺の豪族たちが次々と朝廷に寝返っているという噂は、そんな荒狭の怒りに油を注ぐ。


「これが……奴らのやり方か」


荒狭は苛立ちを噛み殺すように低く呟いた。つい数日前まで、星の里に兵糧や鉄材を分けてくれていた近隣の一族が、突如として輸送を断ち切ってきた。山道をふさぎ、こちらの使者を拒絶しているのだという。さらに別の一族は、朝廷の官位をちらつかされたのか、星の民への援助をやめてしまったという報せも届いた。

その結果、すでに里の物資は逼迫しつつある。例年ならまだ夏の中頃、収穫には早い時期だ。今から秋の稲穂が実るまで、輸入路を絶たれたらどうなるか――考えるだけで胸が悪くなる。


「くそ、あいつら、何度も星の里から恩を受けたはずだろうが……」


荒狭は柵の一角に拳を打ちつける。周囲にいた若い兵が驚いたように目を丸くしたが、荒狭は誰に向けるともなく声を荒げた。


「朝廷が怖いか? それとも官位や金がそんなに欲しいか? 俺たちを裏切れば、昔も今も朝廷の犬に成り下がるだけだというのに」


腹立たしさでいてもたってもいられない。かつて荒狭が偽情報に踊らされ、里の防備を手薄にしてしまったせいで、一夜のうちに多くの血が流れ、妻子も失った。裏切り――その言葉が脳裏をよぎるたびに、彼の意識は過去の惨劇へと引き戻されてしまう。


「俺はあのとき、もう少し慎重に動けていたら……

朝廷の陰謀を見抜けさえしていれば、妻と子どもは死なずにすんだのに――」


荒狭はそんな苦い思いを抑えきれず、拳を震わせた。里の周囲の木々がざわめき、葉擦れの音がまるで嘲笑うかのように耳へ届く。


そのころ、里の中心にある大きな焚き火の広場では、天香香背男カガセオが人々を集め、現状を報告していた。輝夜が飛騨から戻ってきたあと、里には宿儺スクナとの同盟がほぼ成立したという吉報がもたらされた。だが、それも束の間、周辺豪族の寝返りと物資の遮断という悪い知らせが立て続けに舞い込んできたのだ。


「……皆も知ってのとおり、状況は苦しい。星見ホシミの読みどおり、朝廷は我々を孤立させようとしているのは明らかだ。食糧や鉄、それに塩の確保さえ危うくなれば、いずれ里は守れなくなる」


カガセオの声は低く、しかし里の者すべてに届くように通る。戦士だけでなく、年配の農民も女性たちも、大きな円を作ってその言葉を聞き入っていた。


「だからと言って、朝廷の懐柔に乗るつもりはない。我々の誇りは星神と共にあり、星の里が朝廷に膝を屈することは――」


そう言葉を継いだ瞬間、衆の中から荒狭の怒号が響いた。いつの間にか人だかりの最後列にいたらしい。


「その誇りとやらのために、民が飢えて死んでいくのを見過ごすのか? それならいっそ、裏切った連中を討ち滅ぼして、物資を奪えばいい!」


荒狭の剣幕に、人々は一瞬たじろぐ。確かに、力尽くで周辺の寝返った豪族を攻め落とし、略奪する方法もあり得なくはない。だが、それはカガセオが望む道ではなかった。彼は苦しげに眉をひそめる。


「荒狭、それをやれば、さらに多くの血が流れる。周辺豪族の皆が敵に回ってしまうことになるぞ」


「敵になったところで、あいつらは既に裏切った連中だ! このまま放っておけば、いずれ朝廷の軍勢を直接里へ引き込むだろう。大侵攻のときみたいにな!」


荒狭は明らかに苛立ちを露わにし、カガセオに詰め寄る。二人の視線が激しく交錯した。だが、そこへ割って入ったのは、つい先日飛騨から戻ってきたばかりの輝夜カグヤだ。彼女は鋭い目で荒狭を睨み返す。


「ちょっと、落ち着きなさいよ。私たちは宿儺殿と同盟を結びつつあるのよ。ここで周囲に戦を仕掛けたら、状況がますます混乱するだけじゃない。相手は朝廷と通じてるかもしれないのよ。どんな罠があるか、考えたことある?」


輝夜の言葉に、荒狭は舌打ちしながらも声を少しだけ抑える。「わかってる。けど、これ以上好き放題されてたまるか。奴らは昔から朝廷の力に怯えている連中だ。いつかは俺たちを売る。……そんな奴ら、信じられるか?」


輝夜は何かを言いかけたが、その前に柔らかな声が静かに割り込んだ。


「ここで互いに責め合っても、何も進みませんわ」


星見が歩み寄り、両手を合わせるように胸の前で組んでいた。薄衣の裾が揺れ、巫女としての凛とした雰囲気が辺りの空気を澄ませるかのようだ。


「私の未来視では、朝廷は確かに私たちを完全に囲い込もうと画策しています。けれど、だからこそ外交による妥協という手段もあるのではないでしょうか。朝廷に全て屈するのではなく、ある程度の譲歩を示すことで、余計な血を流さずにすむ可能性が――」


その言葉を受けて、荒狭の怒りが再燃する。「冗談じゃねえ、星見。おまえ、あんな連中と話し合いで何とかなると思うのか? どれだけ俺たちが犠牲を払ったか、わかってるだろう?」


「わかっています。私自身も両親を殺されました。でも、今のままでは里ごと滅ぶかもしれない。それでも戦うと――全滅する可能性だってあるのですよ」


星見は感情を内に押し込めたように静かだが、その声はどこか震えている。妹の輝夜は言葉を失ってしまった。その場の雰囲気が一気に重苦しくなる。

そんな中で、カガセオが両手を広げるようにして全員の視線を受け止めた。


「……頼むから聞いてくれ。俺は、もうこれ以上の犠牲を出したくないんだ。星見の言う外交による道があるのなら、探ってみる価値があるかもしれない。荒狭や輝夜が言うように、徹底抗戦が唯一の道とも思えない。だが同時に、安易な妥協は朝廷に付け込まれる危険も大きい」


カガセオの言葉は痛切な響きを帯びていた。彼の脳裏には、もう二度と見たくない惨劇の記憶がこびりついている。そしてまた、首長として民の命を預かる重責もある。

今ここで戦いを選べば、被害は避けられない。だが、戦わずに妥協する道を選ぶならば、“星の里”としての誇りは損なわれるかもしれない。それは星神を祭り、独自の文化を守り抜いてきた民にとって、自らの魂を切り捨てるも同然だ。


「カガセオ様……」


そう呼んだのは、まだあどけなさの残る若い兵士だった。彼は半ば泣きそうな顔で、周囲を見回す。


「何が正しいのか、私たちにはもうよくわかりません。朝廷の力は確かに大きいです。でも、この里を捨てるなんて、そんな……」


その言葉が、里の多くの民の気持ちを代弁していた。戦いたくはないが、屈辱と支配にも屈したくない。皆が答えを見いだせずにいる。


そんな議論が続く中、突然に北の見張り台から角笛の音が響き渡った。警戒態勢を告げる鋭い音色で、民たちがざわめく。荒狭は「来たか!」と声を張り上げ、慌てて武器を手に取る。

カガセオと輝夜、星見も同時に緊張の面持ちになり、駆け足で北門へ向かった。


そこにいたのは、血相を変えた見張りの兵だった。彼の話によると、近隣の小豪族が朝廷軍の斥候を里の境目まで案内しているのを確認したという。実際、低い丘の上には、黒い甲冑の人影が複数ちらついているのが見えた。

すでに朝廷の旗印らしきものが小さく翻っている。ほどなくして、煙を上げる狼煙が遠方の空に立ち昇った。それはまるで挑発にも似た合図だ。


「間違いない……裏切ったんだ。あの連中め、ここまで奴らを案内するとは……!」


荒狭の目には憤怒の炎が宿り、一気に駆け出そうとするが、カガセオが腕を掴んだ。


「落ち着け、まだ大軍が来ているわけではない。敵は斥候か、あるいは威嚇だろう。ここで飛び出せば奴らの思う壺だ」


「放っておけば堂々と里を偵察されるだけだ!」


「だからこそ罠かもしれない。荒狭、いつだったか偽情報に誘われて、俺たちは……」


カガセオの言葉を聞き、荒狭は憎々しげに唇を噛んだ。自分の失敗を引き合いに出されるのは悔しいが、確かに今回も同じ手口で誘い出そうとしている可能性は高い。

遠目に見ても、十数名ほどの兵があちこちを探るように動いている。大軍の先遣隊かもしれない。そこへこちらから飛び込めば、背後から本隊が迫ってくるかもしれないのだ。


「くそっ……!」

荒狭は今すぐにでも駆け出し、彼らの首を刈り取りたい気持ちでいっぱいだが、カガセオが強く押し止めるのでどうにもならない。隣にいる輝夜も深刻な面持ちでその光景を見つめている。

星見は遠くの丘を見ながら、胸の前で手を合わせる。そして震える声で呟いた。


「裏切り者が案内している以上、この里の弱点も筒抜けでしょうね……。次は、もっと大きな戦火が及ぶかもしれない」


カガセオは唇を結んだまま視線を上げる。丘の上でうごめく黒い影は、あまりにも小さく、しかし確実に脅威を含んでいる。もし、このまま攻撃を仕掛けてくるなら……今の里は物資の乏しさに加え、士気に動揺が広がりかねない。

里の背後に集まり始めた民の中には、幼い子や老人の姿も混じっている。かつての虐殺を思い出して怯えているのか、顔色が青ざめている者もいる。


荒狭は悔しさに拳を握りしめる。カガセオも苦しげに息を吐き、荒狭の肩を叩いた。


「このままでは里の人々が不安に飲み込まれてしまう。ひとまず敵の動向を探りつつ、民に落ち着くよう声をかけてくれ。……頼む、荒狭」


「ああ、わかったよ。……ったく、俺だって、もう無闇に突っ込んで死ぬ気はない」


荒狭が視線をそらしながら答えると、カガセオはわずかにほほ笑んだ。激しい気性の荒狭に、こうして言葉を交わす余裕を持たせているのは、やはり首長としての器量なのだろう。

実際、荒狭もこの里の仲間を危険に晒すつもりはない。あのときのような惨劇は二度と繰り返したくない――それが彼の本心でもある。


夕刻が近づく頃、斥候と思しき兵たちはひとまず姿を消した。しかし、すぐ近くに拠点を構えているのか、山の稜線に月が浮かぶ頃にも、不審な物音や火の明かりが森の向こうにちらつく。

星の里は一気に緊張感に包まれ、みな夜通しの警戒態勢を強いられた。元々少ない物資が減り、さらに疲弊する状況が続く。

噂は瞬く間に広がり、「裏切りの豪族が朝廷を引き入れた」という事実が民の間で動揺を生んだ。このままでは、いずれ里の中にも不信や不満が蔓延するだろう。


カガセオは夜の巡回を終えたのち、焚き火の前でこわばった体を伸ばす。そこへ荒狭が静かにやってきた。先ほどの怒気は少し引いているようだが、その瞳はまだ暗い闇を宿している。


「……悪かったな、さっきは。頭に血が上っていた」


小さく呟く荒狭に、カガセオは首を振った。「いいんだ。おまえの気持ちは痛いほどわかる。俺も、もっと何かできないものかと考えているが……」


返事を探しかねているところへ、輝夜がさっと走り寄ってきた。

「カガセオ様、荒狭。向こうの見張り台でまた火の手が上がったそうよ。大丈夫かどうか確認してほしいって、兵が呼んでるわ」


カガセオと荒狭は顔を見合わせ、すぐに立ち上がる。星見も焚き火の反対側に控えており、心配そうにこちらを見つめている。

火の手の正体は何か? 敵か、ただの空焚きか。いずれにせよ、星の里の夜には不安の影がどこまでも迫っていた。


星の民が誇りを守るための戦いは、これからどこへ向かうのか。

そして、荒狭が怨嗟を抱えるまま突っ走ったとき、どれほどの代償が生まれるのか――。


赤々と揺れる炎の前で、カガセオは荒狭の肩に手を置き、互いの意思を確かめるように目を合わせた。朝廷の包囲網は確実に狭まり、裏切りによってほころびを広げられている。このままでは、里が内部から崩れていく危険さえある。

だが、宿儺との誓いもまだ結実はしていない。敵はすでにすぐそこにまで迫り、周辺豪族の裏切りを糾弾する余裕もなくなりつつある。数多の苦悩が、星の里を覆い尽くさんとする夜に、荒狭は力強く頷いた。


「俺はもう二度と、過ちを犯さない。朝廷が来るなら、全力でそれを跳ね返す。裏切り者どもには、必ず相応の報いを……」


その声は低く、焔が揺らめく中に静かに溶けていく。カガセオはそれ以上何も言わず、ただ荒狭の決意を受けとめた。里の戦士たちも続々と集まってくる中、誰もが心の奥底で己の立場と誇りを問いただしているかのようだった。


この先に待つのは、さらなる戦乱か、それとも和睦か――。

里の夜空には星々がいまだ瞬いている。だが、その光の向こうに見えるのは、血の匂い立つ嵐が迫る兆しだけだった。


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