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星は決して堕ちぬ  作者: 銀 護力(しろがね もりよし)
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第二章 ―飛騨なる邂逅―

早朝の星の里を出立した輝夜たち一行は、陽が高くなる頃にはすでに尾張国から飛騨への山道に足を踏み入れていた。険しい岩肌を縫うように続く細い道は、両脇に生い茂る深い緑と倒木に何度も進路を阻まれる。切り立った絶壁と谷底の流れが見下ろせる一帯は、油断すれば滑落しかねない危険な地形だ。だが、輝夜は臆する様子もなく先頭を進んでいた。


「お嬢さま、少し休んではどうです? 昨日からろくに寝ていないでしょうに」


後ろから声をかけたのは、星の民の若い戦士の一人。輝夜の“輝夜衆”に属する精鋭たちのうちの一人だった。彼は大柄で逞しい体躯に、頬には古傷があるが、どこか穏やかな気配を漂わせている。

しかし、輝夜は振り返りもせず、僅かに笑みを浮かべて答えた。


「そう呼ばれるのはやめてって言ってるでしょ。私も他の皆と同じ星の民。それに、寝不足くらいで音を上げてたら、飛騨の峻険な山々は越えられないわ」


彼女の声には張りがあり、その瞳には迷いがない。夜通し準備をし、星見姉の助言を聞きつつ作戦を立ててから出発したというのに、疲労感は感じさせない。むしろ、生来の行動力がさらに勢いを増しているようだった。


星の里を出てしばらくは、穏やかな野道や街道の残骸が続いた。だが山間に入ると、途端に人の気配が薄れ、湿り気を帯びた山道が延々と続く。日の差し込まない場所では草木が鬱蒼と茂り、夜になると野生の獣も出没するだろう。この道は、大和朝廷の大軍では容易く進めない代わりに、彼らの斥候や忍びがうろついている可能性もある。


「ここから先が、飛騨の領域だって話だよね」

輝夜は足を止め、振り返った。後ろには十数名の部下が続いている。皆、道中の警戒に意識を向けていても、長旅の疲れを隠せない様子だ。


「ああ、確かに。けれど、両面宿儺殿の領地は、さらに奥深い山間だと聞いています。ここらが飛騨の中央部とはいえ、地形が複雑だからな」


先ほどの若い戦士が答える。輝夜は頷いたあと、再び進む。

踏み固められていない山の地面は、岩や樹根が露出しており、一歩一歩が危なっかしい。それでも朝から山道を行軍してきた輝夜たちは、既にこうした道に慣れつつあった。


やがて、昼下がりを過ぎた頃、ひときわ大きな岩壁が眼前にそびえ立つ場所へ出る。霧がその岩壁にまとわりつき、幻想的な光景を生み出していた。


「……誰か、近くにいるわ」


輝夜はぴたりと足を止め、周囲を見回す。視界こそ悪いが、肌に伝わる殺気らしきものが微かに漂っている。その緊張に気づいた部下たちも、動きを止めて剣や槍に手をかけた。


すると、木々の隙間から唐突に何者かの声が響いた。

「そこまでだ。これ以上、飛騨の地を進む者は何者だ?」


声の主は複数いるようだ。霧の向こうに影が揺れる。山道の上手と下手、それぞれ三、四名はいるだろう。輝夜はその数を素早く把握すると、武器を抜かずに大声で返答する。


「私は星の民・輝夜。飛騨の両面宿儺殿にご挨拶したく参りました。もし、そちらが宿儺殿の配下ならば、通行をお許しいただきたい」


霧の中で静寂が落ちる。しばらくの沈黙ののち、葉を揺らす音が聞こえ、数名の男たちが姿を現した。彼らは鉄製の剣や槍を構え、装いは質素だが、筋骨逞しい体躯に厳しい表情を浮かべている。どこか戦士というよりは、狩人のような身のこなし。だが、どうやら武具の質や立ち振る舞いから、侮れぬ実力を持っているのがわかる。


「星の里の者……? まさか、あのとき宿儺様を匿ったという……」

「そう言うなら、その証を見せろ」


一人が少し険のある声で尋ねた。輝夜はゆっくりと腰の袋を探り、小さな木札を取り出す。そこには簡素な文字と図が彫られている。

両面宿儺が星の民に深く感謝し、“何かあれば助力する”と誓った証として当時手渡されたと聞く一品だった。いつか父のように慕っていたカガセオの父が受け取り、その後、輝夜の手元に引き継がれた。


「これが飛騨の豪族、両面宿儺殿の名を刻んだ木札です。宿儺殿が星の里に身を寄せた折、互いに誓いを交わしました。私たちはその誓いを今も忘れていません。もし彼がいらっしゃるなら、ぜひお目通りを願いたい」


木札を見た男たちの表情が、わずかに和らいだ。隊長格と思しき男が一歩前へ出て、輝夜の顔を覗き込むように見る。

「なるほど……本当に星の民か。ならば、俺たちが宿儺様のもとへ案内しよう。とはいえ、我々も用心している立場。悪いが、全員を一度監視下に置かせてもらうぞ」


声には警戒こそあるが、敵意は薄い。輝夜はほっと安堵しながら微笑んだ。


「構いません。どうぞご自由に。私たちも皆、宿儺殿に恭順するつもりで来たわけではなく、同盟の話をするために来たのですから」


「……ふむ。では、ついてこい」


こうして、霧の立ち込める崖沿いの小道をさらに奥へと進むことになった。両面宿儺の配下らがいる場所は、山間の開けた一角にあった。高い木々に囲まれた自然の砦といえるような立地で、粗削りながらも複数のやぐらが組まれ、周辺に見張りが配備されている。

星の里の防備と同様、限られた人員で最大限の警戒をしているのがわかる。朝廷の大軍に狙われる飛騨の地だからこそ、こうした形態を取らざるを得ないのだろう。


やがて案内されたのは、広場の中央にある簡素な木造の“仮の館”のような建物だった。門をくぐると、内部は意外なほど整然としており、周囲には多くの武器や錦が掛けられている。

「ここで宿儺様がお待ちだ。さあ、入れ」


案内役の男が扉を開けると、鬱蒼とした空気がガラリと変わる。中は明るく、奥まった席にどっしりと座る人物の姿が見える。


「星の里から来た輝夜殿、ただいま到着しました!」


男が呼ばわると、その人物がゆっくりと身を起こした。輝夜は思わず息を呑む。

頑丈そうな躰に、鍛え抜かれた筋肉。両肩と胸のあたりには古い傷跡が走っており、その顔は威圧感とともに奇妙な存在感を放っている。伝承では「四本の腕と二つの顔を持つ」とまで言われる両面宿儺リョウメンスクナだが、当然ながら見た目には腕は二本、顔も一つしかない。ただ、その圧倒的な風格と鍛え上げられた体躯は、誇張された伝説を生むのも頷ける迫力を伴っていた。


「星の里の……確かに久しいな」


宿儺は低く響く声で口を開き、目を細める。すると輝夜の後ろに控えていた部下たちは、自然と背筋を伸ばした。


「お目にかかれて光栄です、両面宿儺殿。私は星の民の輝夜と申します。幼少の頃、一度だけお会いしたかもしれませんが、あなた様を匿ったときの事情はほとんど聞くだけで……こうして再びお目にかかれるとは嬉しく思います」


輝夜は深く頭を下げた。宿儺は少しだけ笑みのようなものを浮かべ、手招きする。


「そうか。確かに、当時はまだおまえは子どもだったかもしれんな。星の里で手当をしてもらい、命拾いをしたこと、そして温かく迎えてくれた民の顔は忘れておらん。……で、今日は何用だ? この山奥まで、わざわざ来るとは」


言葉の節々に、揺らぎのない威厳が感じられる。輝夜は一瞬緊張を覚えるが、自分がここへ来た理由を思い返し、毅然と口を開いた。


「今、私たち星の民は再び大和朝廷の脅威にさらされています。朝廷はかつて里を襲い、多くを虐殺しましたが、どうやら再度大軍を動かす気配があります。そこで宿儺殿――もしよろしければ、もう一度手を結んでいただきたいのです。星の民はあなたを救いましたが、今度は私たちがあなたに助力を乞う立場です」


すると宿儺は浅く頷き、腕を組んだ。鋭く光る瞳が、輝夜を射抜くように見つめる。


「ふむ、そうきたか。星の里への恩は俺も忘れておらぬ。朝廷の侵攻など、まっぴらごめんだしな。それに、俺自身がまた狙われる可能性も高い。いや……すでに奴らの手が伸びてきているのかもしれん」


宿儺の言葉に、室内に緊張が走る。鋭い剣のように研ぎ澄まされた殺気が、一瞬だけ男の周囲を包んだ。


「朝廷軍が大々的に動けば、この飛騨も安穏とはしていられん。近頃、飛騨周辺の豪族たちも怪しげな動きを見せている。連中の誰かが朝廷に内通している可能性もある……そうだな」


彼は部下のほうを見やり、部下たちは小さく頷いた。


「ええ、私たちも、その情報を得ようとしている最中です。どうやら、この地方だけではなく、尾張や美濃方面でも朝廷が手を回しているとか」


輝夜が付け加えると、宿儺は再び腕を組み、低い唸り声を上げる。


「……そうなると、こっちも手をこまねいているわけにはいかんな。よし、再び共に戦おう。星の民には恩がある。今度は俺が力を貸す番だろう」


まるで迷いはなかった。宿儺の言葉は力強く、輝夜の胸の奥に響く。彼の部下たちも安心したのか、「宿儺様がそう仰るなら、こちらも従います」といった表情を見せる。


「ありがとうございます! 本当に心強い。私もまだ里にいるカガセオ様にすぐ知らせたい。宿儺殿のお力があれば、朝廷軍がどう出ようと、そう簡単には屈しません」


輝夜の瞳がきらきらと輝く。すると宿儺は、不敵な笑いとともに立ち上がった。その背の高さが際立ち、まるで一頭の獣が猛然と立ち上がるかのような迫力だ。


「ふん、舐めるなよ。俺の剣はひとたび力を解き放てば、遠くにいる敵でも斬り伏せてみせる。この腕にかかれば、百の兵も恐れるに足らんわ」


そう言うや否や、宿儺は腰の刀の柄に手を触れた。抜き身になった刃はじわりと光を帯び、刀身の周囲に微かな陽炎のようなゆらめきが見える。輝夜ははっと息をのんだ。かつて流れ聞いた噂——“両面宿儺の剣には不思議な力がこもっている”という言葉を、まざまざと思い出す。


「こ……これは……」


驚きの声を漏らす輝夜の前で、宿儺は剣を横に一振りした。その瞬間、圧縮された空気の塊のような衝撃が走り、部屋の壁際に立てかけられていた木製の盾が、音もなく切り裂かれた。まるで手が届くはずのない距離なのに、剣閃だけで盾が両断されているのだ。部下たちが小さく息を呑む。


「これが、俺の異能さ。飛騨一帯の連中が“腕が四本あるように速い”“顔が二つあるようにどこからでも見通している”と過大に言うのも、こうした力があるからだろうよ」


宿儺は刃を収めながら再び腰を下ろした。輝夜は一瞬体の強張りを解けずにいたが、やがて感嘆の笑みを浮かべる。


「さすがです。まさかこれほどとは……。星の民の荒狭さえ、ここまでの超人的な力は持たないでしょう」


「荒狭……あの猛き戦士か。そういえば以前、肩を並べて戦った記憶があるな。あれは痛快だった。何なら近々、また一戦交えてみたくなるほどの男だ。ハハッ」


宿儺はまるで楽しそうに笑った。輝夜は内心、この男なら確かに頼りになると確信する。彼が敵ではなく味方であることがどれほど心強いか、痛感せずにいられない。


「それで、星の里はどのように朝廷に対抗している? 俺の兵をどう動かせばいいか考えるためにも、話を聞きたいな」


宿儺は真顔に戻る。輝夜はここに至るまでの経緯を手短に説明した。カガセオが首長となって防備を強化してきたこと、星見の未来視がある程度彼らを守ってきたこと、しかし再度の大侵攻が近いと睨まれていること。 そして彼女自身が偵察と同盟の要請を兼ねて飛騨へ向かったことなど、包み隠さず話す。


宿儺はそれを黙って聞き終わると、小さく頷いた。

「……よかろう。すぐに兵を動かすわけにはいかんが、近いうちに俺も里へ行こう。朝廷が大規模に動き出す前に、星の里と合同で作戦を練る必要がある。おまえらだけでは防ぎきれんだろうしな」


そう言いきる宿儺に、輝夜は深い礼をとった。「助かります。きっとカガセオ様も喜んでくださるはず。星見姉さまも、宿儺殿のお力を頼みに思っているはずです」


宿儺は満足げに頷き、部下たちへと視線を向ける。「飛騨の民にも星の里との再戦闘に向けた準備を呼びかける。朝廷が来るなら、二度や三度では収まらんだろうからな」


その重みのある言葉を受けて、部下たちは一斉に動き始めた。こうして星の民と飛騨の勢力との同盟が事実上成立したのである。


輝夜は胸をなでおろす。まさにこの瞬間のために長い旅をしてきたのだ。宿儺に「一晩ほど休んでいけ」と勧められたが、彼女は里で再侵攻への備えが急務であることを思い出し、一刻も早く報せを持ち帰りたい。わずかな休息を取ったあとには、朝廷の動向を探りつつ、星の里へ帰る支度を始めるべきだろう。


「では、宿儺殿。私はもう少し情報をいただいたうえで、できるだけ早く戻ります。あなたのお越しを里の皆が首を長くして待っていますので」


「ふむ、急ぐのはわかるが気をつけろ。山道に朝廷の手先が潜んでいる可能性は高い。……いや、すでに奴らは動いているかもしれん」


そう言う宿儺の表情は、先程見せた豪放な笑みとは打って変わり、厳しい警戒心を映し出していた。その瞳が「迫りくる影」をどこか感じ取っているかのように思えた。


輝夜はその真剣なまなざしを受け止め、深く頷く。そして意を決して言葉を返す。


「大丈夫です。星見の未来視もありますし、私たちは朝廷の甘い罠にはそうそうかかりません。それでも危険はあるでしょうが……一度、命を賭けた身、恐れるものはありません」


宿儺はもう一度微笑を浮かべる。「その意気だ、星の娘よ。命がある限り、我らは戦える。カガセオにもそう伝えてくれ」


そうして、輝夜たち星の民は宿儺の館を後にした。両面宿儺の圧倒的な力を目の当たりにし、同盟の成立に光を見出した輝夜は、帰路の足取りが幾分軽く感じられる。しかし同時に、宿儺の言葉と剣の閃きが胸をざわつかせる。彼ほどの戦士をもってしても、朝廷軍の大侵攻は甘くないのだとわかるからこそ、心中の不安が拭い去れない。


どうか間に合いますように。里へ戻り、カガセオ様とみんなにこの報せを伝えて、朝廷に立ち向かう準備を急がなくては。


輝夜は足早に山道を下りながら、霧に沈む深い谷を見やった。あの底には、水流が絶え間なく渦を巻いているだろう。まるで朝廷と星の民の激流を暗示しているかのような光景だ。


そして彼女はふと思う。両面宿儺は強大な味方だが、それだけでこの戦を乗り切れるわけではない。星神の加護、星見姉さまの啓示、荒狭の怒りとカガセオ様の剣……それらすべてが一つにまとまらなければ、勝利はおぼつかない。


だが、いずれにせよ道は開けた。星の民が一歩前へ踏み出すための、かつてない大きな一歩。それが今、飛騨の地で実現しようとしている。


「どんなに険しい山道でも、一歩ずつ進めばいつか頂へ辿り着く。

そう信じて、私は帰る。

里の、そして星の未来を守るために……!」


その決意を胸に、輝夜は霧の立ち込める飛騨の山道を勢いよく踏みしめた。次に待ち受けるは、朝廷軍を率いる蘇我足人たちの動き――まだ誰も正確に掴めていない、強大な影の到来である。だが、それを恐れて足を止めるわけにはいかないのだ。


深い森の奥へ消えていく輝夜の背中を見送るように、遠くの山の稜線には重たげな雲が垂れ込めている。それは、彼女たちの知らぬところで、既に大きくうねり始めている朝廷の侵攻を暗示するようでもあった。


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