001 目覚め
もふもふ
もふもふ
顔にヌイグルミがぶつかるような感触で意識がはっきりしていく。
もふもふ
もふもふ
バコッ!
ーー痛いっ!
ミコトの意識は覚醒した。草木と空が視界に入る。眩しいくらいに明るいので朝だろうか。
ここがどこで、何故自分がこんなところに寝転がっているのかわからない。いつもより重く感じる体はまだ思い通りに動かない。辛うじて動く目で状況の把握に努める。
「起きろ!死んだのか?まさか鈍臭いやつなのか?」
乱暴な呼び掛けに驚いた。誰かがミコトに声を掛けているようだった。
何もわからない今、この声の主は自分にとって助けになるかもしれない。藁にも縋る想いで、声を返そうとする。意外にも口はすんなり動き、声の主に答えることができた。
「起きてるよ。体が動かないの。助けて欲しいの」
「なんだ生きてるじゃないか。さっさと返事しろよ」
声の主はこちらの呼び掛けには答えるものの、凄く偉そうだ。
「体が動かないの。誰かは知らないけど、助けてくれない?」
「話せるなら、体も動かせるだろう。まだ体に馴染んでいないだけだ。自分の体だという意識をもっと持ってみろ。動くぞ」
何を可笑しなことを言っているのだろうか。自分の体なのだから、意識とかいう問題ではないような気がする。
しかし確かな違和感を感じる。体が重いだけでなく、何かいつもと違う。
こうなると気になる。自分の体よ動け、と強く命令した瞬間。急に体は素直に従う。
上半身が起き上がり、座って観る景色は先程までとは違った。
森だった。
何故森にいるのかわからない。そして声を掛けてきた人もいない。どこに行ったのか、まだ聞きたいことはたくさんある。
立ち上がり、先程の声の主を探そうとするが見つからない。体が重い。
感じた違和感から、自分の体を見て確認する。思わず人生で一度も出したことがないような声が出た。
「ふひゃぇっ!」
その後は声も出ない。自分の体は自分の体でなく、他人の体だった。それも男性の体。
少し長い黒色の髪に、スラッとした細身の体型。男性の平均的な身長。白いシャツの上に黒いジャケットと黒のズボンを身に纏っている。
「どうして!なんで!なによこれ!」
咄嗟に出た言葉は問い掛けばかり。誰も聞く者が居ないと思って吐き出した声に、返答があった。
「騒ぐな。そのやり取りはもう飽きた。その様子だとお前はもともと女か?」
声のする方向を見ると、そこには確かにミコトに声をかける者がいた。
綺麗な毛並みの真っ黒な猫だった。
「黒猫?どうして猫が話をしているの?夢?」
「猫が話をしたっていいだろう。そんな小さなことを気にしていたらキリがないぞ。まぁ夢だったら良かったのにな。お互い」
ミコトの頭は処理する情報が溢れてパンク寸前だった。
突然知らない男性の体になって、猫が乱暴に話し掛けてきて。
そもそもここがどこかもわからない。
「猫さん。夢じゃないとしたら、これは一体何?」
「猫さんって呼ぶな。ワタシの名前はクロだ。黒猫だからな」
何故か誇らしげに黒猫であることを強調する。
「それでお前の名前は?」
「私の名前はミコトです……」
困惑がたくさん、疑心が少しの気持ちで答える。猫が話すなんて普通じゃない。関わっていいのだろうか。
「ミコトか。皮肉めいた名前だな」
クロは心底うんざりして呟くが、その声はミコトには聞こえなかった。
「どうして私の体は男の人になってしまったの?」
落ち着いてもう一度確認してみるが、答えて貰えるとは期待していなかった。
しかし以外にもクロはちゃんと答えてくれた。最悪の内容ではあったが。
「お前は死んだんだ。そしてここは死んだ者が来る死後の世界。ここに来るときに時々性別が変わる奴がいるみたいだぞ」
クロはドヤ顔で答える。
「私が死んだ?」
ミコトは青い顔で更に聞き返す。
「そうだ。死んだ直後の記憶がなくなる奴も時々居てるみたいだぞ。何より昔の話は気にするな。大事なのはこれからの話だ。」
「妹!妹がいるの!あの子には私が居ないとダメ!」
ミコトは思わず叫ぶ。居ても立っても居られない。
「うるさい!叫ぶな!お前は死んだんだ。生きていたときのことは、もうどうしようもない。今更どうしようもないだろう」
初めてクロの雰囲気が少し暗くなったようだった。
「お前は死んだ。ここは死後の世界。もう現世に関わることはできない。以上!」
やけに真剣な説明に観念し、その場に崩れ落ちる。
「どうして私が……なんで……」
放心状態のミコトは気付かなかったが、急に森の雰囲気が変わる。風が強くなり、闇が訪れる。
張り詰めた糸が切れそうな瞬間、ふざけたような真剣な声が聞こえる。
「必殺!猫パンチ!」
凄まじい衝撃がミコトの顔を吹き飛ばす。
それは猫パンチというよりかは、猫タックル。クロが全身で顔に突っ込んできたのだった。
ただその衝撃で我にかえることができたことには、気付くことができない。
「痛い!何するの!」
「お前こそ何をするつもりだ!」
クロの言う事の意味がわからない。
「死んだって言われて悲しんでいただけよ。そんなに怒らなくてもいいじゃない」
「男の見た目で女みたいに話すな。気色悪い」
クロの言葉でまたしても現実に向き合う。
「私は死んで男になったんだね……」
「猫になるよりマシだろう。我儘ばかり言うな」
クロの言葉に驚く。
「クロも人間だったの?」
「……そうだ」
微妙な空気になったのを感じ、思わず黙ってしまう。
しかしクロは沈黙を選ぶ気はない。
「ワタシの話はいい。もう落ち着いたのか?」
「落ち着いたというよりかは、どうしようもなくて諦めているんだけどね」
そしてミコトは次なる質問を投げかける。
「ここが死後の世界だというなら、私達は何をしているの?」
クロは一瞬躊躇う様子をみせるも、その質問に答える。
「ここは死後の世界で、生に未練がある人間が送られる。そしてこの世界で何かの条件を満たすと生まれ変わることができる」
「条件って?」
「知らん」
「どうしてクロは私を探していたの?」
ミコトの鋭い質問にクロは思わず黙ってしまう。ミコトに敵意はないので微笑みかける。
「ただの馬鹿ではないということか」
「馬鹿って酷い」
「確かにワタシはお前を探していた。ワタシの目的にお前が必要でな」
「目的って?」
「秘密だ」
「クロが生まれ変わる為?」
返す言葉がなく沈黙が訪れたことが、ミコトの言葉が正解であることを裏付ける。
「正直に教えてくれたら、協力できると思うよ?」
「そんなことよりとりあえず場所を変えるぞ!近くに大きな街がある!」
クロが元気良く提案する。
「話を変えるの下手だね」
ミコトは思わず笑ってしまう。
しかし確かに森の中にずっと居ても仕方ないので、その提案に従うことにした。
先を歩くクロを追い掛ける形で移動する二人。次に声を発したのはクロだった。
「見た目は男なんだから、話し方も男らしくしておけよ」
「男らしくがわからないわ。男になるの初めてだから。それに私ってどんな顔なの?自分で自分の顔がわからないから、想像もつかないのよ」
「顔はどこかで川にでも寄って確認するがいい」
「原始的なのね。私の話し方もこれからの課題だとは思うのだけど、猫が話をしてる方が、みんなびっくりするんじゃないの?」
「動物が話すことは、ここではそんなに珍しくないぞ。というか話せる奴は結構多いはずだ」
「素敵な世界ね」
「素敵なものか。ここで動物に変えられている奴らは大罪を犯した奴だ。関わると嫌な思いをすることになるぞ」
「クロは?」
「ワタシは優しい猫だぞ」
「何それ、おかしい」
笑いながら後ろを付いていっていると、クロが急に真面目な雰囲気を出す。
「話し方を変えないと困る理由があるんだが、わかるか?」
「こちらに来たばかりだとバレてしまうこと?」
「そうだ。賢いじゃないか。安心したぞ」
「でもそれがバレることで、何故困るのかがわからないわ。この世界では争いがあるの?」
「滅多にないが争いはあるぞ。特にこっちに送られてきた奴が狙われる」
「それってどういうこと?」
疑問を投げかけた瞬間に、少し離れた方から叫び声が聞こえる。
「うわぁぁぁ!」
この世界に来て初めての危険な雰囲気に顔が張り詰める。そんなミコトとは正反対にクロは落ち着いた表情で答える。
「これが答えだ。せっかくだ、見に行ってみるか。気配を消して付いてこい」
返事を待たずにクロは声の方へ方向を変えて進み出す。一人にされては困るので、仕方なく付いていく。
しばらく歩くと、草の陰で止まって声を潜めて指示を出す。
「ここで止まれ。ここからなら見つからない。静かに見てろ」
ミコトは覗き込む。
そこでは剣を持った若い男と、その男に襲われて転がっている年配の男が居た。そして今まさに年配の男の命が奪われようとしていた。
「あまり抵抗するなよ。恨みはないんだ。一瞬で楽にしてやる」
「頼む。助けてくれ。家族がいるんだ」
「安心しな。お前はもう死んだ。もう手遅れだ」
男が剣を振り上げた瞬間、思わずミコトは叫び飛び出した。
「やめなさい!」
一瞬時が止まるような感覚を感じる。気のせいだったが。
「なんだもう一人獲物が居たじゃねぇか。ついてるぜ」
男は心底嬉しそうに剣を振り降ろし、無情にもトドメをさす。剣で胸を貫かれた男は生き絶えた。その瞬間死んだ男の体が光り、消えた。
そしてそこには一欠片の光る石が浮いていた。それを男は自分の心臓のところへと手繰り寄せる。そしてそのカケラは心臓へ吸収されるように消えた。
今まで見たことのない光景の連続に思わずミコトは固まってしまう。
「次はお前だ」
男がニヤリと笑いミコトの方へ向かってくる。咄嗟にクロに助けを求め、視線をクロに向けるが、そこにクロは居なかった。
驚きのあまり声が出ない。
とりあえず逃げるしかないと判断し、走りだそうとする。しかし男の方が早く、肩を掴まれ倒される。それは先程の光景と同じだった。
次は自分が殺される。
「男に興味はない。すぐに楽にしてやるよ」
男が残忍な笑顔を浮かべながら、剣を振り上げる。思わず目を瞑ってしまう。
何から何までおかしな状況だ。ここで死んだらこの世界のことは全部夢だったりしないかな、なんて考えてそんなバカなことはないと悟る。
まさに剣が振り下ろされるその瞬間。またしてもふざけたような真剣な声が聞こえる。
「必殺!猫パンチ!」
その瞬間、凄まじい音と男の呻き声が聞こえる。
そこにはクロがいた。
「クロ!どこにいってたの!怖かったのよ!」
「静かにしろって言ったのに、聞かないからだ。少し反省しろ」
安心したと同時に男の行方を探す。三メートルくらい吹き飛んでいた。
先程の自分への猫パンチは手加減してくれていたことがわかり、クロの不器用な優しさに気付く。
男はまだ諦めずに、こちらを睨みながら立ち上がる。
「獣堕ちが良い気になるなよ。俺を誰だと思ってるんだ。何人殺したと思ってるんだ」
悪意に満ちた顔で男は睨み続ける。
「お前のことなど知らん。必要なのはカケラだけだ」
「ふざけやがって。ぶっ殺してやる。俺の名前はジャックザリッパー。俺の名前を聞いて恐怖に震えるがいい」
ミコトはその名を聞いて、恐怖を感じる。誰でも名前は聞いたことがあるくらいの歴史上の殺人鬼だ。
まさかそんな殺人鬼までいるなんて思ってもみなかった。
だがこの世に未練を残した者が来る世界というなら、確かにそんな人間が混ざっていてもなんら不思議ではない。
「クロ、逃げよう。危ない。あいつ殺人鬼だよ。私も小説とかで読んだくらいだけど、沢山の女の人を殺した奴だよ」
「お前は俺のことを知っていたようだな。だがもう遅い。絶対に殺す」
ジャックは尊厳を取り戻したように笑う。
しかしその瞬間、クロが見せたことのない怒気を放つ。
「調子に乗るなよ小僧。死ぬのはお前だ。ダーク」
その言葉を唱えた瞬間、クロの体から黒いオーラが溢れる。そしてそれが勢いよくジャックへ向かって飛んだ。
「その禍々しい力!お前今まで何人を殺してきたんだ!」
ジャックは叫ぶが、クロは答えない。黒いオーラが当たると同時に、ジャックの体は消えた。まるで蒸発したかのように。
そしてそこには先程見たカケラが三個浮いていた。
「ミコト、あのカケラを自分の心臓へと手繰り寄せてみろ」
何も無かったように、普通にしているクロに驚きながらも従う。
カケラに手を近づけると暖かさを感じる。そしてそのまま心臓に手繰り寄せると、心臓が吸収していく。
異物感などもなく、むしろ体が元気になっているように感じた。
「助けてくれてありがとう、クロ」
「そんなに大したことはしていないが、感謝するがいい」
「何それ」
思わず笑みがこぼれる。
そして真面目な顔でクロに聞いてみる。
「クロの隠してること、このカケラのこと、さっきの力のこと、ちゃんと教えてくれる?」
「器としての能力も問題ない。仕方ない。全て話すか」
そうしてクロは全てを語ってくれた。
この死後の世界に送られてくる人間は大きく分けて、善人か悪人に分かれる。
善人は<シャイン>という魔法が使える。
悪人には二種類あり、ジャックのような罪の軽い悪人は人間の姿、大罪人は動物となり、獣堕ちと呼ばれている。
罪の重さは人を殺した数で決まり、理由は関係ない。
悪人の中で獣落ちだけは<ダーク>という魔法が使える。
力の強さに関係なく<ダーク>は<シャイン>に負けるし、魔法が使えるだけで、魔法が使えない者に負けることはまずない。だからこの世界に来たばかりの魔法の使い方を知らない者が狙われる。
また獣堕ちにならずに悪人と判定された者は、武器を一つだけ所持してこの世界に来る。その武器は本人の意思で出したり消したりできる。
カケラは最初から一人一個持っていて、死ぬときに他の者が手にすることができる。
善人がカケラを十二個集めることで、生まれ変わることができるが、悪人はその者の罪の重さで必要な数が決まる。
獣堕ちは自分でカケラを持っておくことができず、善人とペアを組まないと生まれ変わることができない。
ちなみにクロが生まれ変わるのに必要なカケラの数はわからないそうだ。
クロが何の罪を犯したのかは、教えてくれなかったし、今はまだ聞いてはいけない気がした。
クロは確かに獣堕ちだけど、ただの悪い人だったとは思えないし、信用してもいいかなと思った。
「さて、大体説明したし、脱線はしたがとりあえず街に行くか。街に用事がある」
クロは変わらない態度で切り出す。
こうして私達のカケラを探す日々が始まった。




