001 目醒め
生きたい。死にたくない。
欲しい。諦めたくない。
観たい。誰も観たことのない景色を。
自分が死ぬと実感したとき、渇望した想い。
それは誰しもが差はあれど抱く願い。
しかし彼の考えでは、死は無であり死ねば全てが終わる。
それゆえに死の直前は逆に落ち着いたものだった。
燃える火を見ながら、自分の死を受け入れる。死した瞬間、景色が一気に変わる。
目の前に映るのは巨大な森だった。まるで自分が子供にでもなったような目線の高さに違和感を感じる。いや、子供よりも更に小さい。それこそ犬や猫のような。
「どういうことだ。ワタシは死んだはずでは。体が動かしにくい?なんだこの体は。まるで獣?」
先程までとは大きく勝手が変わった体で、変化を確認する。その間数分。
「こっちに来た瞬間にそこまで適応するなんて。流石獣堕ちというべきね」
後ろから笑いながら話しかけてくる人間に気付く。自分としたことが見知らぬ者の接近を許すなんて、と反省する。
この短い時間で自分の体の特徴は確認をしたつもりだった。
視覚、聴覚、嗅覚が非常に優れていると理解したときから、文字通り全神経を使って警戒をしていたつもりだった。それ故にこんなに簡単に接近を許すことになった存在に疑問を感じる。
振り向くとそこには天使の羽としか言えない翼をつけた女が宙に浮いていた。
長く伸ばした金髪と蒼い瞳を持ち、男の欲情を刺激する豊満な体を少しの布で隠している。
実に胡散臭い。
「お前は天使か?」
「意外な質問ね。あなたは天使なんて信じてないでしょ?」
女が手で口を隠し笑いながら言う。男を誘惑するお手本のような、その仕草の一つ一つが気持ち悪い。
「考えを改めたのだ。自分で体験しておいて認めないなど、愚の骨頂ではないか。ここがワタシの過ごしてきた世界の理から外れていることくらいはわかる。それでワタシはこの後どうなる?」
「あなたは死んだ。でもまだ生を諦めていない。本当は執着してるんでしょう?」
「生き返ることができるのか?」
「それはあなた次第」
天使が微笑む。
これがクロがこの世界に来た直後の状況だった。この天使の名前はアークといい、獣堕ちに状況を説明する役割を持つ。
ただアークからは大雑把な説明しかなかった為、この接触でクロが得た情報は初期にミコトに説明したものくらいの少ないものだった。
クロが器を探すことができるのも、ギフトによるものだが、このときはまだギフトの存在は知らない。その為クロは何となく五感を駆使することで器を探せると思っていた。
アークは最後まで敵対する訳でもなく、説明を終えると空に羽ばたいて居なくなった。
一人になって最初にしたことは、自分の姿の確認だった。
川の場所はなんとなくわかった。水で自分の姿を確認する。
「うむ、やはり黒猫か」
顔まで見なくても、自分の手脚や体を見れば大体の見当はついていた。生前の自分の行いを振り返ってみるが、猫に生まれ変わるとはなかなか皮肉が効いている。
「ダークも問題なく使用できるし、後は定期的に起こるという、人間の姿に変わる現象の確認だな。体の強さは関係ないということだが、大きな体であるにこしたことはないだろう。きっとワタシは威厳ある強い男になるに違いない」
新しい人間の姿を楽しみにしていたクロが、少女になって驚きの声をあげるのはまだ少し先のことだった。
これはクロがミコトと出会い、ミコトを失うまでの話である。




