第二章~Chapter 2~黒い感情
聖樹は、右手を猫の手のように構え始めた。ちょうどバットが入るほど、手を丸め筒状にする。
「どっちが、風をうまく使えるのか、興味はないか?」
佐々神は何かが来ると直感した。が、その時にはすでに遅かった。
「ッぐ、ぁぁッ」
佐々神は宙に舞い、コンクリートに叩きつけられ、そのまま地面を転がり、二、三メートルほど先でようやく回転が止まる。
聖樹は声を上げて笑う。
「愚かだな。素直にEARTHに来ればいいものを」
佐々神は必死にさっきのことを解析する。一体何があったのか、未だ理解できないでいた。それは当然だった。なぜなら、何かが来ると直感した時にはすでに宙を舞っていたのだ。理解できるはずもない。
この聖樹という男には謎な部分が多すぎる。そもそも、聖樹の使っている「風雅流操風術」というのもよく分からない。素手の空気断絶は、魔術を使っても武術を使っても説明がつかない。
佐々神は素早く立ち上がり、双剣を構え直す。
「随分と丈夫だな。俺の風を直接受けたというのにまだ立つのか。さすがにその年齢でフロントを倒すだけのことはあるな」
おそらく聖樹は四月一七日の事件をすべて知っている。佐々神が地下世界に入ったこと、フロントと戦ったこと、そして勝ったこと。すべてだ。だがそれを知っていて佐々神のことを狙う理由が分からない。ここまで知っていれば佐々神がただ単純に梓を助けに行っただけだということがすぐに分かる。なのになぜ。佐々神の頭にはそれしか浮かばなかった。
「もう一度言う。俺はスパイなんじゃない。誰に言われたか知らないが、間違ってる。お前は騙されている!」
佐々神は届かないと知っていてその言葉を発した。なぜかと問われれば、何となくとしか答えようがない。本当に気まぐれで発した言葉。それが聖樹にどれほどの影響を与えるのか。
「…………」
意外にも聖樹は黙り込んだ。なぜかは分からない。佐々神のことがあまりにも滑稽に見えて無視をしたのか。それとも、共感できる節があったのか。聖樹以外には分からない。
やがて聖樹は口を開く。
「騙されてる?……いや、そんなはずはない。そんなはずがあるか!」
同時、聖樹は右手を振りかざす。今までで一番大きな風を生む。奇怪な、気味の悪いうねる音を立てながら佐々神に向かって飛んでくる。だがそれはただ単純に大きいだけだ。キレも速さもないその風は、佐々神に簡単に避けられる。
すぐさま佐々神は反撃に回る。何があったのか分からないが、これ以上のチャンスはない。
右足に全体重を乗せ、一気に前へ駆け出す。この三ヶ月でカトレアに教えてもらった肉体を強化する魔術をかけた佐々神の体は、持ち前の高い身体能力も合わさり異常な速度を叩きだした。
肉体強化とは、魔法陣を必要としない。それは、魔術とは言っているが魔術ではないからだ。これはただ単に魔力を肉体の一部に流し込み、一時的に筋肉の動きをサポートしているだけだ。これは、鉄棒で逆上がりしている小学生の背中を押すのと同じだ。あくまで補助的なもの。サポートするだけだ。だからサポート以上のことは出来ない。ましては攻撃など出来るはずがない。筋肉の動きの補助のみだ。
魔法陣を必要としない肉体強化の魔術のこともあり、ほとんどのモーションをカットし、瞬時に相手の元へたどり着く。そして、両剣を交差させアルファベットの「X」を描くように斬りつける。
聖樹は突然目の前に現れた佐々神に驚く。佐々神の双剣の強度に耐えられるほどの物を持っていない聖樹は、左手を振り、風を起こして後ろに飛び退く。だが佐々神は、それに食らいつくように地面を蹴り後を追う。
「ックソ!」
聖樹は高く跳び上がり、地面に向けて風を放ち体を宙に向け飛ばす。さらに高いところまで行った聖樹は、今度は佐々神に照準を合わせる。
「騙されてる訳がない。そんなはずは、ない」
叫ぶと同時に両手を使い二つの風を生む。
「風雅流操風術。操龍」
すると、二つの風は宙を縫うようにうねりながら佐々神を追い始める。まるで生きているみたいだ。常人では絶対に感じ取れない些細な空気を感じ取り、佐々神は操龍から逃れようとその場から離れる。だが佐々神の動きを察知し後を追う。その二つの風は生きているように動くだけではない。完全に聖樹に操られていた。
「喰らえ。操龍」
聖樹がそう言うとまるで了解を知らせるように操龍鳴く。いや、鳴いたのではない。ただの風のうねる音だ。だが佐々神には返事を返し、鳴いているようにしか見えなかった。
操龍はそのまま佐々神に向かって行く。
佐々神は寸前のところで横に飛び、それをかわした。直後、大地を轟かす轟音が鳴り響いた。何事かと思い辺りを見渡す。佐々神は轟音の正体にすぐに気付く。
佐々神が見たものは――ビル。佐々神は灰色の何かに包まれたビルを発見する。佐々神の記憶だと、三階建てだったはずのそのビルは、今や一番低い一階にも満たないビルと化していた。人一人入れない。そんなような場所になっていた。
幸い中に人はいなかった。さっきのことで逃げだしていたおかげで負傷者は出なかった。だがそれは関係ない。問題なのは聖樹が周りを気にせずに攻撃したことだ。佐々神はそれが許せなかった。今回はたまたま負傷者が居なかっただけだ。もしかしたら人が残されていたかもしれない。そう考えるだけで佐々神は黒い感情がこみ上げて来た。
「てめぇ! 中に人がいたらどうすんだ!」
叫んでいながら佐々神は冷静に感じていた。心の奥からにじみ出る黒い感情を。ドス黒い何かを。