ペグテイリス 1
ペグテイリス・ウェヌス :愛称ペギー・ウェヌス家長女・当主候補
セタリア・メルクリウス :ペグテイリスの従妹
母 :ウェヌス家当主
ジム(略称) :ウェヌス家当主の夫
トム(略称) :ウェヌス家当主の弟
「あら、ペグテイリスお姉さまもいらしたのね。私は用が済みましたので失礼いたします」
亡き母の執務室に入ろうとすると、内側から扉が開き従妹のセタリアが出てきた。親しく挨拶を交わすでもなく先ほどのセリフだけ残してさっさと遠ざかっていく。昔からそんな感じの子なので今更どうとも思わない。だだ『あの子もこの部屋に入ることができるのね』と思っただけだ。
セタリアの後姿を見送ってから執務室のドアノブに手をかける。指先から魔力がわずかに抜き取られる感覚がした。そのまま押せば扉は内側に開く。私は部屋の中に入った。部屋の中は散らかっているわけでは無いけれど物を移動させた形跡がある。それと机や棚に残っている指の跡。セタリアの指が汚れていたわけでは無い。私に見えているのは魔力の痕跡
僅かにずれた家具や調度品の位置を正しく戻してから魔獣の皮革を棚から取り出し魔力を拭き取る。私が五歳の時初めてこの部屋に入った時に公爵家当主の母から教わったことだ。
五歳の私は長時間執務室で過ごす母が恋しくなった。一人で扉の前に行き背伸びしてドアノブに掴まり体重をかけた。魔力に反応した扉が開いたため私は執務室の中に倒れ込んだ。
「まあ!ペギー!私の跡継ぎは貴方なのね」
母は私に駆け寄り抱き上げると嬉しそうにそう言って頬ずりしてくれた。幼い頃から私は両親にペギーという愛称で呼ばれていた。
母から執務室にはウェヌス家当主と当主候補以外入れないと教わった。
「ジムやトムも入れなかったの。もちろん使用人もこの部屋には入れないからお掃除は自分でするの。あなたにもお掃除のやり方を教えますからね」
部屋にある家具や調度品の幾つかが魔道具で、それらを定位置に配置することで【執務室】という魔術が稼働していること。魔道具の位置が正しくなければ次第に魔術が弱まっていきそのうちに誰でも入室可能になってしまう事。魔道具には余計な魔力を残さない事。魔道具はデリケートなので魔力を付着させたままにしておくと誤作動を起こす事もあるらしい。
執務室を使う為の約束事は主にそんなところだ。
魔力拭き取り用の皮革が減っている。学園のダンジョンで手に入れた数点の戦利品も無くなっていた。母が帰ってきたら褒めてもらおうと執務室に保管していた物だ。褒めてくれる人はもういない。だから品々に執着はないけれど無断で持ち出されたという事態が気持ち悪かった。一通り掃除を済ませてから壁に飾られた手鏡も磨こうと手を伸ばす。セラリアの魔力に塗れた手鏡を磨いていると鏡面の周りを囲んでいる十粒の魔石の内、一粒が外れていることに気が付いた。セタリアの瞳と同じサファイア色の石だったはず。当然セタリアが持ちだしたのだろう。執務室から失われた品々も彼女の仕業。彼女もウェヌス家の当主候補として執務室に選ばれたのだから持ちだすことが出来たはず。だけどどうして断りもなく室内の物品を持ちだしたのだろう?
鏡を磨いているうちに私の瞳と同じエメラルド色の石に触れた。石はころりと外れて私の掌に収まった。
【魔石の欠片】を手に入れた。
そう。ウェヌス家の正当な当主候補だと名乗りを上げるために必要なのは【魔石の欠片】だけ。他の物は持ちだす必要など無いはずなのに。