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【短編】婚約破棄されたしょぼい魔女、呪いもしょぼい

魔女ものがやりたくて書きました。

よろしくおねがいします。

 

「サラボア・ティンクル!貴様との婚約を破棄する!」


 そう宣告したのは、ワルコーレ王国の王太子、マヒューズ・ド・ワルコーレ、18歳。


 宣告された令嬢は、ティンクル伯爵家のひとり娘、サラボアだった。同じく18歳。


 ふたりは16歳の時から婚約者同士だったが、いま、貴族学園の卒業パーティーの会場にて、突然、破棄を告げられた。


「ど、どうしてですかマヒューズさま!理由をお聞かせください……!」


 可憐そのものといった風貌のサラボアが、目を潤ませて訴える。


 淡い金髪はふわふわと巻毛になり、空色の瞳は小動物のようにくりくりと丸くて可愛らしい。


 しかし王太子マヒューズは、そんなものを一顧だにしなかった。


「理由なぞ、貴様がいちばん知っておろうが!よくも3年間、わが王室を騙してくれたな!?この、忌々しい魔女め!」


 ……魔女!?


 遠巻きにしていた学生たちが、一斉にざわめいた。


 魔女とは、数十年に一度王国に現れ、諍いを巻き起こすと言われる、悪魔の手先だ。


 過去には、王国を滅亡寸前まで追いやった魔女もいたという。


「ま、マヒューズさまあ、ひどいですぅ!わたし、わたし魔女なんかじゃありません!」


 憐れみを乞うように縋りつこうとする令嬢に、汚物を見る目を向けるマヒューズ。


「近寄るな、薄汚い魔女め!貴様の正体は、こちらの聖女フィーナがハッキリズバッとお見通しだ!」


 スッと美しい女が進み出た。

 銀色のまっすぐな髪に凍てつくような青の瞳。

 額には透き通る虹色の石のサークレットを付けていた。


「フィーナ・オーロリア子爵令嬢!あなたなぜ……そ、その石は!?」


 一瞬にして、サラボアの顔が醜く歪んだ。


「残念ね、サラボア嬢。いえ、魔女サラボア。わたしは聖女になったの。あなたを退けるためにね……!」


 フィーナは目つきを鋭くすると、聖なる錫杖を掲げ、思い切り柄を床に突いた。

 ジャラン!と聖鈴シストラムが鳴り響く。


「ギャアアアーッ!!」


 野太い悲鳴を上げたのは、サラボアだった。


 みるみるうちに金髪は血のような赤に、空色の瞳は濁った黄土色に変わる。


 サラボアのたおやかな姿に騙され、手を差し伸べようとしていた数人の生徒たちは、その変貌ぶりに硬直した。


「見ろ!皆の者!これがこいつの正体だ!赤い髪に黄色い瞳、災厄の魔女だ!」


 マヒューズがサラボアを指差す。

 そこには、かつて学園中の注目を集めていた、可憐な令嬢の姿はなかった。


「……フン。いつから気づいていたの……?」


 姿を暴かれた衝撃が治まると、魔女サラボアはゆらりと立ち上がる。

 開き直ったような態度で、邪悪な笑みを浮かべながら、ふたりに問うた。


「……貴様の気配のおかしさに気付いたのは、フィーナだ。それで調べ直したら……ティンクル伯爵家は、数十年前に断絶していた!領地も領邸も、魔の森に飲まれて、惨憺たる有様だった!サラボア・ティンクル伯爵令嬢など、この国には存在しない!」


 マヒューズが吼えるように答える。


「あなた、自分の正体に気付いたわたしを消そうと、ルンギニの鉱山跡地にわたしを追いやったわね?!お生憎様、あの山は元聖女の修行場である聖山だったのよ!わたしは魔物を打ち据え、証たる『女神の恵み』を賜わった!あなたはわざわざ自分の敵を鍛えたのよ!」


 額の石を見せつけながら、フィーナは叫んだ。


「な、なんですってぇ?!あの山が元聖山?!そんなの聞いてないわ……!」


 サラボアが悔しげに顔を歪ませる。


 マヒューズとフィーナは、揃って魔女に歩み寄った。


「さあ観念しろ、魔女サラボア!ワルコーレ王家の名において、貴様を滅ぼしてくれる!」


「消えなさい、魔女サラボア!女神エオロセリアの聖なる鉄槌を食らうがいいわ!」


 マヒューズは剣を構え、フィーナはその剣に輝く女神の加護を授けた。


「お、おのれ!!たかが人間ごときに、このわたしがやられるものかアアア!!」


 最後のあがきとばかりに、サラボアは醜い本性を曝け出し、ふたりに襲いかかった。


「「魔女滅殺!!」」


 輝く剣は魔女の攻撃を弾き飛ばし、まっすぐに魔女の胸を貫き通した。


「アアアアアアアア!!」


 鋭い悲鳴が上がった。

 光は輝きを増し、あたり一面を照らして……。


 光に視界を焼かれた生徒たちの目が正常に戻る頃には、魔女サラボアの姿はどこにもなかった。


「やった……やったぞ!」


「やりましたわね、()()()()()様!」


 みごと魔女を討ち果たしたふたりは、お互い顔を見合わせてから、熱い抱擁を交わした。


 突然の出来事に呆然とする生徒たちの中には、小さな違和感に気付いた者もいた。


 ―――え、さっき婚約破棄したばかりにしては、馴れ馴れしすぎないか、このふたり。

 ―――ていうか今、殿下を名前で呼んだ?子爵令嬢ごときが……?


 しかし、ほとんどの者が事態を把握できず、興奮状態に陥っていたので、違和感については、それ以上取り沙汰されることはなかった。


「ふふ、これでわたしたちは、晴れて婚約者になれるのですね、マヒューズ様……」


 うっとりとフィーナが呟くと、マヒューズも同じ熱量を持った目でフィーナを見つめる。


「ああ、邪魔者はいなくなった。あいつが魔女で良かったよ、後腐れなく消せたからな……。俺たちはこれから、国を守った英雄と聖女として、誰に咎められることなく愛し合えるのだ……!」


 ふたりはもう一度ひっしと抱きしめ合った。


 その後、遅れ馳せながら国王陛下と王宮の兵士たちがホールに詰め掛け、経緯を知ると、揃ってふたりの功績を称えたのだった。


(ハッ。なぁーにが英雄と聖女よ。魔女サラボアを甘く見てもらっちゃ困るわね……!)


 歓喜に沸く会場の片隅で、邪悪な陰がゆらめく。

 気付くべきである聖女のフィーナは、マヒューズとイチャイチャするのに夢中で、それどころではなかった。


(お前たちを呪ってやるわ。魔女は滅ぼされたあとにこそ、真の災いの種となるのよ。王太子、聖女、……浮かれていられるのも今のうちよ!魔女の呪いの力を思い知るがいいわ……!)


 アーハハハと哄笑し、影は消えた。


 その後、真っ黒なカラスが一羽、会場の扉をくぐり抜けて空に舞い上がり、魔の森に向かって飛び去っていくのを、誰も見ることはなかった。



 ◇◇◇◇◇



「しょぼいわね。とてもしょぼい」


「「は?」」


 正神殿の奥、この国の守護として鎮座する女神エオロセリアの御神体の前の謁見の間で、大聖女ヘカーティアは呟いた。


 大聖女の前に跪くマヒューズとフィーナは、彼女の言葉にポカンとする。

 ちなみに大聖女は、国王陛下より高い権威を持っているため、王族であろうと謁見の際には跪く必要があった。



「最初に言っておくわ。フィーナ・オーロリア子爵令嬢、あなたの聖女レベルは四級です。聖女としては最下位ですね。ルンギニはとうの昔に聖山としての役割を終えた山。あそこで採れる『女神の恵み』―――聖石グレイスは、もはや装飾品程度の力しか持たない」


 言いながら、大聖女は虹色の石が嵌められたサークレットをフィーナに返却した。


 この国の聖女は、聖山に入り、聖石を見出すことで認められる。女神の導きなくては聖石は得られず、他者から奪ったり資質のない者が石に触れれば、砕け散ってしまうという。


「そ、そんな!」


 うろたえるフィーナは、大聖女の胸に光り輝く握りこぶし大の聖石の前に、押し黙るしかなかった。

 フィーナの石は、小指の先ほどの大きさしかない。


「し、しかし大聖女どの!フィーナは、魔女を討ち果たしたのです!その力は確かで―――」


 マヒューズが言い募ると、大聖女は首を横に振ってそれを遮った。


「だから『しょぼい』と言ったのよ、王太子マヒューズ。この程度の聖女にやられるなんて、めちゃくちゃしょぼかったのよ、その魔女が」


「「えぇ……?!」」


 ふたりは衝撃を受けた。

 そんなはずはないのに、と。


「で、でも大聖女様!わたしはルンギニ山に巣食う魔獣共を倒して、聖石を得たのですわ!女神の恩寵なくして、そのような偉業は果たせません!」


 諦めきれずフィーナは食い下がる。

 四級の聖女なんて、地方の神殿で、明り取り役程度にしかなれない。

 魔女を倒すほどの聖女は、通常なら二級以上であり、正神殿に仕え、王太子妃となってもおかしくない地位に着くのだ。


「フィーナ・オーロリア子爵令嬢。あなたは聖女としては四級ですが、職業階級クラススキル拳闘士バックラー』としては準一級です。そちらの道を選ばれた方が人生成功しますよ」


 大聖女は頷きながらフィーナのスキルを称えた。


「え、そうなんですか?」


 準一級の拳闘士バックラーならば、襲い来る魔獣を素手で撃破できたのも納得できた。

 王国騎士団に入団すれば、かなり高い地位まで昇り詰めることができるだろう。

 ……花嫁にはまったく必要ないスキルだが。

 現にマヒューズは、それを聞いてフィーナにちょっと引いていた。


 大聖女はため息をつく。


「四級の聖女のあなたでは、魔女を根源から滅することはできなかったでしょう。魔女の『呪い』を防ぐこともね」


「「呪い?」」


 ふたりは目を見開いた。

 魔女の話は知っていたが、呪いのことは初耳だった。


「あら、学園都市の仮神殿で聖鈴シストラムを受け取った時、説明されなかったの?魔女は聖女に退けられたとき、対聖女呪法ヴェンデッタを発動するの。対象は直接手を下した者も含まれるわね。力が強ければ強いほど、呪いは重くなるわ」


 えっ、とふたりは返事に詰まった。


 思い出してみれば、説明は……受けたかも知れない。

 しかしその時のふたりは、魔女を倒したあとのことで頭がいっぱいで―――つまりイチャイチャしていて、神官の話なんて聞いていなかったのだ。


 大聖女の目が細まった。

 目の前のアホップルに、冷たい視線を注ぐ。


「……神官はこうも言ったはずね。聖女の力の見定めや、魔女の力を推し量るために、一度正神殿に報告をしなさいと。もし魔女の力が強大であれば、あなたたちは今、こうして生きていなかったかも知れないのに」


 その指摘に、ふたりは黙り込んだ。

 フィーナが聖女の力を得た時、ふたりは舞い上がりまくった。

 この2人の素晴らしい愛の前では、魔女などイチコロだと思い込み、まるで昔から伝わる英雄譚の登場人物であるかのように振る舞った。


「あなたたちは、神官の注意を聞き流し、わざわざ卒業パーティーなんて華やかな舞台で、魔女を断罪したんでしょう?自分たちが負けるなんて、ひとつも考えないで。大惨事もあり得たのよ、わかってる?」


 大聖女は、ピキピキと血管の浮かぶ額に手を当てながら言う。


 パーティー会場には、国王陛下を始め、国の重鎮が集まっていた。

 卒業生、関係者、使用人など、大勢の人々がいた。

 そこで魔女退治などという、荒事を引き起こしたのだ。

 王太子という立場からすれば、あり得ない所業である。


「……し、しかし、大聖女どの!私は、あの魔女めに誑かされていたのです!王族としての権威を保つためには、大正義が執行される様を、衆目に晒す必要があったのです!でなければ……」


「でなければ、大義名分が成り立たないものね?魔女とは知らなかったとはいえ、婚約者のある身でありながら、王太子が子爵令嬢と情を交わしていたなんて……魔女を倒すくらいの聖女アピールが必要だったんでしょう?不義を取り繕うために」


 ピシャリと大聖女に反論されて、マヒューズは焦った。

 同時に、フィーナも色めき立つ。


「ち、違います、違うんです!マヒューズ様とわたしは、そんなんじゃないんです!ま、魔女を倒すために、力を合わせる必要があったから、親しくなっただけで!」


「そ、そうだ、フィーナとの仲は、けして不埒なものではない!サラボアとはまやかしの婚約だったのだ、それに気付いたからこそ、私は奴との婚約破棄をした!聖女であるフィーナこそ、私に相応しいと、だから!」


 大聖女は目を伏せる。

 名前で呼び合うほど親密な姿を晒しておいて、よく言えたものだと心底呆れた。


「……王太子がサラボア・ティンクル伯爵令嬢にメロメロだったことは、国内の貴族なら皆知っているわ。まあ、長くは続かなかったようだけど」


 ちらりと大聖女がふたりに咎めるような視線を送ると、フィーナは目を逸らし、キュッと唇を噛んだ。


「そ、それこそ彼奴きゃつめが魔女たる証ではありませんか!私は、『真実の愛』を誓うべき相手を、あの魔女によって歪められたのですよ?!私は被害者なのです!」


 マヒューズが吠える。

 この王太子は、不都合な事実を突き付けられると、すぐに激昂するらしい。


「『真実の愛』、ねえ……。先に言っておくけど、魅了などの魔力の働きは認められなかったわ。つまり、王太子あなたはふつうにティンクル伯爵令嬢に惚れて、プロポーズして婚約したの。オーロリア子爵令嬢に出会ったのは、その後よ」


 フィーナ・オーロリア子爵令嬢は、一年前に貴族学園に編入してきた、元平民の娘だ。

 生母は酒場の女中だったという。

 後妻として入った母と共に、子爵家の一員に加わった。


 ……そして僅か1年の間に、王太子を籠絡したのだ。


 籠絡したというか、フワフワきゅるるんタイプのサラボアに飽きた王太子が、クールビューティー系のフィーナに宗旨変えしただけなのだが。


 フィーナもフィーナで、次の王であるマヒューズに狙いを定め、『わたし、貴族のことよくわからなくて……』とさり気なく擦り寄っていたとかなんとか。


「ずいぶん都合のいい言葉よね、『真実の愛』って。……聞いたわよ?人目に付かないよう、学園の貴賓室で逢い引きしていたって。……たったそれだけで完全に隠し通せると思っていたのなら、ずいぶんお粗末なおつむをされてらっしゃるのね?としか言いようがないわ」


 苦笑混じりの大聖女の呟きには、明らかにふたりを嘲る響きがあった。


「「なっ……!」」


 フィーナの顔は羞恥心で赤く染まり、王太子の顔は怒りで赤くなる。


 なんて下らない話なのかしら、と大聖女は鼻で笑った。


 そもそもこのふたりは、大聖女より魔女を退けた功績を称える『女神の祝福(ゴッドブレス)』を受けるために、謁見の間を訪れたのだ。


 祝福を受けた者は、英雄や優れた聖女として脚光を浴び、国王から褒賞を与えられ、将来は約束される。

 そのままの勢いで、盛大な結婚式でも上げるつもりだったのだろうが―――。


 大聖女は、手に持った扇をふたりにぴしりと向け、嫌悪感も露わに宣告した。


「王太子マヒューズは、あっさり心変わりした不実な自分を誤魔化すため。聖女フィーナは、分不相応な略奪愛ねとりを誤魔化すため。それぞれ、己の私利私欲のために、魔女サラボアの騒ぎを利用しようとした。……そのような者たちに、女神の祝福が与えられることはない!恥を知りなさい、ふたりとも!!」


 大聖女の言葉に、フィーナは「そ、そんな!」と喘いで、その場に崩折れる。


 しかし、マヒューズは違ったらしい。

 頭に血が登った彼は、腰に下げた剣柄に手をかけた。


「……おのれ!先ほどから大人しく聞いておれば、図に乗りおって!王太子たる私に対し、何たる言い様!大聖女といえど無礼に過ぎる!手打ちにしてくれるわ!」


 マヒューズは立ち上がりながら抜刀し、大聖女に向かって剣を振りかぶった。


 大聖女は迫りくる刃に怯んだ様子もなく、無表情でマヒューズを見つめる。


 そして……


「え?あ、グェっ!」


 次の瞬間、マヒューズから間の抜けた声が発せられた。


 見れば―――剣の鍔が上着の袖の飾りに引っかかり、びんっと引っ貼られたかたちになった彼は、前方につんのめって、顔から床に倒れ込んだ。


「マヒューズさま!……いぎゃっ?!」


 慌ててマヒューズに身を寄せようとしたフィーナは、立ち上がる際にグキッと足をひねった。


 どすんと音がする。


「グハアっ!」


「ご、ごめんなさいマヒューズさま!わざとじゃないの!」


 足をひねったフィーナは、追い打ちをかけるようにマヒューズの背中に倒れ込んでしまった。

 慌てて退けるも、結構な衝撃が加わったようだ。


「あらあら。始まったようね、『魔女の呪い(ヴェンデッタ)』が」


 どこか楽しそうに、大聖女は呟く。


「……っぐ、魔女の、呪い、だと?!」


 顔と背中の痛みに耐えながら、マヒューズは声を上げた。


「低級の聖女には返しきれない呪いよ。そちらの令嬢じゃ、解呪は難しいでしょうねぇ」


 残念だわ、という動作をしながら、大聖女は言う。

 内心では絶対残念になんか思っていないのは、表情で伝わった。


「た、たかがこれしき!くだらぬ呪いなどに、私は屈したりしな……グワッ!?」


 縋るフィーナを振り切って、立ち上がろうとしたマヒューズの頭に、今度は金属製のタライが落ちてきた。

 パカーンと良い音が響き渡る。


「え?!こ、これ、どこから?!」


 フィーナは上を見上げたが、豪華な装飾の天井が広がるばかりで、何もない。

 クワンクワンと音を立てて床で振動しているタライを、信じられないといった瞳で見る。


「ウワー、しょぼい。しょぼい魔女の呪いって、やっぱりしょぼいのね。この程度なんだ」


 口に手を当てながら、大聖女が呆れた声を上げた。


「しょ、しょぼい?これが?!」


 タライの当たりどころが悪く、結構な衝撃を脳天に受けたマヒューズは、底がへこんだタライを睨みつける。


「ええ、しょぼいわよ、タライで済むなんて。強い魔女なら、火の雨や先の尖った石を降らせるわね。タライが降ってくる程度なら、かわいいものよ」


 マヒューズは一瞬、言葉に詰まった。

 確かに軽いほうかもしれない。だが、呪いは呪いだ。


「あと、見た感じだと『小さな不運(プチアンラッキー)』も発動してるみたい。まあだいじょうぶよ、死ぬようなものでもないと思うし」


 大聖女は軽い口調で続けた。

 それが余計に癇に障ったのだろう。


「っ、フィーナが無理なら、貴様が呪いを解けば済むことだろう!さっさと解け、このグズ!王太子命令だぞ!」


 もはや取り繕うことなく、マヒューズは叫んだ。


 だが、大聖女は口の端に笑みを浮かべたまま、微動だにしない。


「……あらあら。いつからあなたは、わたしより偉くなったのかしら?たかが王太子風情が」


「なんだと?!」


 なおも気色ばむマヒューズに対し、大聖女はニッコリと笑う。

 ―――しかし、視線は突き刺さりそうなほど、鋭い。


「ヒッ?!」


 異変に気付いたのはフィーナが先だった。

 低級とはいえ、聖女としての素養がものを言ったらしい。


 大聖女の姿がゆらりと歪む。

 ご神体である女神の像の目に、ぼうっと光が宿り―――

 同時に、鍵盤を叩き付けたような音が、謁見の間に響き渡った。


「な、なんだ?!」


 マヒューズが気が付いたときには、垂れ幕を落とすように景色が変わった。


 豪奢な部屋は、一瞬にして荒涼たる断崖と化す。

 真っ暗な崖下は底が見えない。

 昼間だというのに、空はギラギラと星が輝く夜となり、大聖女とマヒューズ、フィーナの3人は、いつの間にか崖の端に佇んでいた。


「ど、どうなっているのだ?!ここはいったい……フ、フィーナ?!」


 マヒューズが声をかけても、フィーナは答えなかった。


「いやぁ!!ごめんなさい女神様!!許してくださいもうしませんんん!!わたしが悪うございましたああ!!」


 その場で土下座し、頭を床に打ち付けながら平謝りを始めたフィーナに、マヒューズは愕然とする。

 彼は、役立たずめ、とひとこと吐き捨ててから、大聖女をキッと睨みつけた。


「……これは貴様の仕業か、大聖女!小賢しい真似をするな!さっさと部屋を元に戻せ!そして這いつくばって許しを乞うのだ!そうすれば、腕一本切り落とすくらいで不敬を許してやろう、私の寛大な心に感謝せよ!!」


 あくまで尊大な態度を改めることなく、マヒューズは再び、剣を高く振りかざした。

 今度は袖飾りに引っかからないよう、ちょっと注意した。


「……ここは女神エオロセリアが守護せし地。その代理人たる大聖女には、なんぴとたりとも害を為してはならぬ」


 大聖女ヘカーティアが静かに語ると、びしりと空気が震えた。


「っ……?!」


 マヒューズは息を飲む。

 産まれて初めて感じる、腹の底から怖気が走るような感覚。

 畏怖しているのだ、と理解した時には、剣を掲げたまま動けなくなった。


「今のは、王太子教育で最初に習うことなのだけど、本当にあなたは人の話を聞かないようね。―――掟破りには、お仕置き(ペナルティ)が必要なのよ。今後は覚えておいてくれると嬉しいわ」


 口の端に笑みを浮かべて、大聖女がゆっくりと右手を上げる。


 すると―――マヒューズの足元の、地面が消えた。


「うわあああああ!!」


 マヒューズは崖下に向かって落ちた。

 落ちて落ちて、底に着くことなく落ち続けた。


 迫り上がる恐怖と吐き気。

 息も出来ないほどの落下速度。

 耳鳴りは風の音と共に、女の叫声のように鳴り響く。


 あまりに落ち続けて、もう昇っているのか落ちているのかわからなくなった時、マヒューズの心はボキリと折れた。


「ご、ごべんなさああい大聖女さまあああ!もうしませんんんん助げでええ!!」


 身分も忘れ、恥も外聞もなく泣き叫ぶ。

 そのおかげか、ようやく落下は止まった。


「あ”あ”っ、あばぁ、はああっ」


 呼吸が落ち着いてから、涙と鼻水にまみれた顔でまわりを見回すと、もとの豪奢な謁見の間で、自分だけが無様に倒れ伏していることに気付く。


 大聖女は一歩も動いていなかった。

 傅いてぶつぶつ祈るフィーナも同様だった。


「こ、これが、女神の……大聖女の、力……?!」


 恐怖に縮み上がった思考回路の中で、マヒューズはもう一つ理解した。


 帯剣が許されていたのは、自分が高貴な身分である王太子だからではない。

 大聖女な不可侵的な存在であり、もし不埒な者が現れても、誰もこの場で彼女を害することはできないからだ。


「お退がりなさい、王太子マヒューズ、聖女フィーナ。あなたたちのために正神殿の奥の間が開かれることは、2度とないでしょう。それと」


 大聖女は目を細めて、言った。


「この場でのやり取りは全て、聖水晶による同時中継で、国王も見てましたよ」


 ヒュッとマヒューズの喉が引きつったように鳴る。


 それと同時に特大のタライが降ってきて、景気よく彼の頭に当たった。


 そうこうしている間に、大人数の僧兵が現れ、マヒューズとフィーナを謁見の間から引きずり出して行く。


 扉が閉じ、静かな部屋にひとり残された大聖女は、備え付けの卓机から冊子を取り出し、羽ペンをインクに浸す。


『魔女サラボア ランク:★☆☆☆☆ 出現:王国歴284年〜287年 呪い:低級不運、タライ落下』


 そこまで書いて、ため息をつきながらペンを置いた。


(魔女の目的はこの王国に厄災をもたらすことだけど……このレベルの魔女なら、放っておいてもたいして問題なかったわね)


 なにせ力が低すぎて、大聖女にすら存在が感知できなかった魔女だ。


 一時でも王太子の婚約者として立てたのは、単にマヒューズがハニトラに引っかかりやすかっただけ。

 ちなみにこの男は、サラボアやフィーナの他にも、身分が低い令嬢をちょくちょくつまみ食いしていると、密偵からの報告があった。


(―――むしろ感謝すべきかしら、王族の膿を絞り出してくれたことを)


 大聖女ヘカーティアはふっと笑みを浮かべ、サラボアのメモに『処理済み。大過なし。国に対して若干の功労あり』と書き足してから冊子を閉じた。


 それから自室に戻って侍女を呼び、お茶を煎れさせた。



 ◇◇◇◇◇



 あれから少し経って。


 マヒューズは、王太子の地位を剥奪された。

 代わりに、弟のロドリゴが立太子された。


 以後、マヒューズは条件の厳しい領地に一代限りの爵位を下賜されて飛ばされ、そこで一生を終えた。

 妻帯どころか、愛人を囲う事も許されなかった。


 フィーナはすっかり人が変わり、自分から進んで地方神殿の下働きになることを申し出たが、拳闘士バックラーとしての資質スキルが重視され、戦闘聖女バルキリーとして叙されて、活躍した。


 魔女を討ち果たしたはずのふたりが、女神の祝福も得られず没落したことを、どうしてそうなった?と訝しむ者もいたが、そのうち何も言わなくなった。


 何しろふたりは、王都に滞在していたちょっとの間に、しょっちゅう「小さな不運」に見舞われるようになっていたので。


 バナナの皮で滑って転ぶのは当たり前。


 外に出れば土砂降りに合う。室内に戻ると、たちまち空は晴れる。


 誰かが発泡酒を抜栓すれば、必ずふたりのどちらかの鼻か目にコルクが直撃する。


 取っ手のあるカップでお茶を飲もうとしたら、取っ手がボキッと折れて、アツアツの中身が膝にダバァてなる。


 他にも色々あったが、極め付けは、どこからともなく金属製のタライが降ってきて、ドンガラシャンと派手な音を立てて頭に当たること。


 ひとつひとつは小さなことだったが、あまりに連続すれば気味も悪くなる。


『あのふたりは、何か失敗したのだ』


 そう感じた人々は、ふたりから距離を取るようになった。


 幸いなことに、聖女の方はタライも不運も少しずつ頻度が下がっていったようだが、辺境に飛ばされた元王太子がどうなったかは、王都に住む者には知る術もなかった。


 やがて、辺境から少しへこんだ金属のタライが格安で王都に卸されるようになった頃には、人々の頭から、元王太子の記憶は消え去っていた。



 ♢♢♢♢♢



「悔しい!()()王子様に裏切られた!結婚するって言ったのに!」


 赤い髪を振り乱し、黄土色の瞳からは涙を溢れさせ、魔女サラボアはベッドに突っ伏した。


 ここは魔の森の奥。

 廃墟と化したティンクル伯爵の邸宅の一室だけきれいに片付けて、サラボアは住み着いていたのだった。


「ご主人様は、ほんとに懲りない方ですニャ。これで何回目ですかニャ?」


 使い魔の猫妖精ケットシーが、呆れたように言った。


「……よ、4回目、かしら……。まあ見つかったのがヘボい聖女だったから、呪いかけて逃げてやったけどね!」


 フフンと胸を反らすあるじに対し、猫妖精の目はどこまでも冷えていた。


「そのヘボい聖女に蒸散させられかけて、命からがらカラスに化けて逃げ帰ってきたくせに、どの口が言うニャ」


「うう」


 使役される側のはずなのに、猫妖精の言葉はいつも辛辣である。


「まあいいニャ。大聖女が出てこなくて良かったニャ。ご主人様みたいなしょぼ魔女は、大聖女の指先ひとつでダバァてなるニャ。これにちったあ懲りて、しばらく大人しくしてるニャよ?」


 猫妖精は器用に紅茶を煎れ、お茶菓子をティーテーブルに並べた。

 サラボアの好物の、ドライフルーツ入りクッキーだ。


「だってあの時、悪魔と契約したんだもの。王子様と幸せな結婚をするって」


 サラボアはスンッと鼻を啜り上げ、渡されたクッキーを口に運んだ。


 ……あれはまだ、サラボアが人間の娘だったころ。

 伯爵家に生まれたサラボアは、王子様と婚約した。

 ふたりで幸せになると誓った。


 なのに。


 ―――隣国の王女様に心移りした王子様が、邪魔になったサラボアを、魔女裁判にかけて火炙りにしたのだ。

 嫉妬にかられて王女様を呪殺しようとしたなどと、ありもしない冤罪をかけて。


「どうしてかなあ……がんばってるのに、いつもうまくいかない……」


 ゴリゴリとドライフルーツを噛み締めながら、サラボアは呟いた。


 ―――魔女は、未練や恨みを持って死んだ女たちの断末魔を聞き付けた『悪魔』が、死にかけの耳元にそっと囁くことから始まる。


『望みがあるなら力を貸そう。魔女になりますか。なりませんか』


 その問いに、なります!と答えた女の魂を使って、魔女は作られるのだ。

 恨みが強ければ強いほど、強い魔女になる。


 悪魔は、世界に混沌をもたらすことを至上とする存在であり、隙あらば不和の種を撒き散らした。


 国を守護する女神がそれを感知し、大聖女に神託を授け、神殿が聖女を遣わして、魔女を滅ぼす。


 この国では、長いことそんな争いが繰り返されてきた。


 しかし、中にはサラボアのように、女神が『こいつ大した脅威にはならんな』と判断したのか、特に何もせず放置される小物もいた。


 そういう魔女は、だいたいひっそりと廃屋などに隠れ住んでいる。


 気まぐれで人間の世界に干渉したりしながら、悪魔と交わした『契約』を叶えるまで、この世に存在し続けるのだ。


「わたしは、王子様と幸せな結婚をするまで、魔女を辞められないのよ。そう悪魔と契約したんだもの、次こそは果たしてみせるわ!!」


 クッキーの食べかすをそこらに散らけながら吠えるサラボアに、猫妖精はシブい顔をした。


(コイツ、全然懲りてないニャ)


 そもそも強い妄執があるからこそ、悪魔の提案に乗ってこの世に留まったのが魔女なのだ。

 彼女たちに、諦めるという文字はない。


「そうよ!前回は謎めいた転校生を演出して、学園に通う王子様を誘惑しようとしたら、王子様の婚約者が思いの外強くて、退散するしかなかったのよ!だから今回は、入学後に王子様を誘惑して、ようやく婚約まで漕ぎ着けたのに、排除したはずの寝盗り女が聖女になって戻って来るなんて、計算外もいいとこだわ!」


 プリプリと怒るサラボア。

 ガタガタと棚を探って、テーブルの上にざぁっと書類を広げた。


 それは『ドキドキ☆王子様と幸せな結婚をするゾ計画〜♪』とタイトルが書かれてある、これまでの失敗点と改善点をまとめた資料で、結構な量があった。


「とりあえず、容姿については今回のがイケそうだから、継続ね!あとは設定か……よし、同級生はやめよう。2年くらい年の差を付けて、かわゆい下級生を演出して、入学式の日に、わざとぶつかって『いっけなーい、ごめんなさぁい☆』とか言っておけばいいかしら。どう思う?猫妖精ケットシー


「ご主人様のしたいようになさるといいニャ。どうせニャーの言うことなんて聞かないニャ、いつものことニャ」


「うう、使い魔が冷たぁい」


 猫妖精はため息をついた。


 猫妖精は、あるじであるサラボアを嫌いではなかった。

 だが、使い魔の分際で、(あるじ)の根本的な間違いを指摘するのはどうかと思ったので、黙っていた。


(ご主人様は『王子と結婚する』ことばかりに囚われすぎて、為人ひととなりを無視するから失敗するのニャ。あと、容姿に重点を置きすぎニャ。そんなだから、タラシのチャラ王子という、見えてる地雷に引っかかるのニャ。そもそも、なんでわざわざ学園に入り込んで誘惑するのニャ?もう少し作戦を考えた方がいいニャ)


 使い魔の心、あるじ知らず。

 サラボアは猫妖精の目の前で、ああでもないこうでもないと頭を抱えている。


 まあ、ほとぼりが冷めるまでは、王都には近付けない。

 次にサラボアのお眼鏡に叶うほどの、美形の王子様が現れるまでは、数十年かかるかもしれない。

 その頃には、今の大聖女も代替わりをしていて、今回の事件も忘れ去られているかもしれない。


「ああっ、名前!もう『サラボア』は大聖女備忘録に載せられちゃってるだろうから、違う名前考えなきゃ!ねぇ猫妖精ケットシー、なんかいい名前ない?かわいいのがいいわ!」


 ―――そしてこのしょぼい魔女は、失った恋を求め、これからも挑戦を続けるのだろう。性懲りもなく。


「ご主人様の好きに名乗るといいニャ。どうせもうだいたい決めてるのニャ?」


 基本的に、この魔女が素直に他人の言うことを聞いた試しはない。

 そこは彼女がこれまで選んだ相手と共通していた。

 似た者同士で惹かれ合っているのでは?と疑ってしまうほどだ。


「えへへ、うん、実は候補はいくつか考えてあるんだ。ガルガンチュアとか、バンダグリエラとか、どう?かわいいと思わない?」


 上目遣いで言うあるじに、猫妖精は更に冷めた視線を送った。


「1ミリも思わないニャ。かわいくないニャ。だいたい、なんでいつもご主人様の考える名前は、濁点が多いのニャ?かわいいの定義はどうなってるのニャ?ニャーにはさっぱりわからないニャ」


「ひどい、使い魔がいろいろひどい」


 魔女はぴえんと机に泣き伏した。


 ―――この調子では、彼女の望みが果たされる日は、まだまだ先のようだ。


 猫妖精はいろいろ諦めて、あるじのための夕飯作りの準備に取り掛かることにした。


 瘴気漂う魔の森の片隅。


 ひとりの魔女と一匹の使い魔は、こうしてダラダラと無限の時を過ごし続けるのであった。



 ◇◇◇◇◇



 それからもたびたび、王国は魔女の脅威に晒された。


 大聖女率いる神殿は、ことごとく魔女を退けた。


 戦いは熾烈を極めることもあったが、平和な時期が続くと、王都の学園に、やたらしょぼい魔女が絡んでくることがあった。


 しょぼい魔女はしょぼい聖女を呼ぶのか、その魔女が完全に滅されることはなかった。

 しょぼい魔女は、しょぼい呪いを撒き散らして、姿を消す。


 しかも、何故かいつも「アイツは王族としてどうかと思うよ」という王子を狙ってくるので、王国側はひとつの試金石として、わざと放置していたフシがある。


 やがて王子が生まれるたびに、乳母が「そんなにワガママばかり言ってると、空からタライが降って来ますよ!」と叱るようになった。


 あと、定期的に安い金属が手に入るので、少しだけ国益にも貢献した。



「今日の夕飯は川魚のグリルと、マイタケと干し肉のスープ、蒸しパン添えニャ」


「やったー、川魚だいすき!」



 今日も森の中の廃屋で、そんなやり取りが繰り返されている。


 結局、魔女の契約がどうなったのかは、悪魔しか知らない。




 〈完〉

お読み下さいましてありがとうございました!

猫妖精のパートを延々と書きそうになったので途中でやめました……。

誤字脱字ありましたら報告いただけると助かります!

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― 新着の感想 ―
[良い点] われこれすき!
[一言] 魔女だけの王子様が現れて、幸せになって欲しい
[一言] サラボアに冤罪かけて殺した王子とか、 魔女を生み出した連中はやっぱり放置なのかな? そのうち女神に邪魔された魔女達の怨嗟の集大成に 女神や聖女達ごと国が滅ぼされて、後にはショボい魔女だけが…
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