30 分断
力なく川の流れのままに流され、生き物の気配がなくなってから、俺とレフィは岸に上がった。
岸に上がって全身を見渡してみると、服こそ悲惨なことになってはいたが無傷だった。しかし、レフィの方はとても無事とは言えず、腕には複数の裂傷。頬や足にも傷があり、かなり疲弊した様子だった。
ふらつくレフィの体を支えて、手頃な岩場に背をもたれかけさせ、空間ポーチから取り出したプチポーションを飲ませた。
「大丈夫か? レフィ? 痛みは?」
「うっ、ありがとうございます。何とかなりそうです」
「そうか……でも、プチポーションじゃある程度しか回復出来ないからなぁ」
「回復魔法があるので大丈夫です。すみませんが、私の空間ポーチの中から、小さい方の青いポーションを取り出して貰えませんか?」
「わかった。ごめんちょっと触る」
レフィの腰に手を伸ばし空間ポーチを掴んだ。少し体を動かしたせいかレフィが顔を歪め呻いた。
時間をかけたくなかったので、手荒いが空間ポーチをひっくり返し、衣類や水筒などの道具の中から、小さい青いポーションを見つけ出した。それを何も考えずに栓を抜き、レフィの唇に優しく押し当てると、レフィは少しずつ中の液体を飲み込んだ。
「――『フルヒール』」
小さくレフィが詠唱をすると、青い光と共に体の傷が消えていった。
『フルヒール』。おそらく俺の骨折を治した回復魔法と同じだろう。確か効果はHPの完全回復。
「治った?」
「はい。取り敢えずは。疲労感は残りますが体力は全快しています。――少し横になりますね」
「ああ、無理するなよ」
横たわるレフィはやはり疲労が残っているようで、顔はやや青白く、動きはぎこちなかった。
どうすべきか……。冷静になろうと思ってはいるが、どうしても落ち着かない。理由は簡単。――アリシアがいないからだ。
あの場所に置き去りなんて事はないだろう。普通に考えればレフィがあの状況で二人だけで逃げる選択を取るとは思えない。であれば他のパターン。先にアリシアが逃げた。もしくは、同じタイミングで川に流され、その後ではぐれたかだ。しかし、どちらにしても……。
「顔恐いですよ」
考え込み、どんどん悪い想像が頭を巡り始めた時に、レフィがそっと声をかけてくれた。お陰で、陰鬱になりそう気持ちにギリギリで制止をかけられた。
「そうかな。気を付けよ。ねえ、レフィはさ、アリシアがどうなったかわかる?」
「すみません。アリシアさんは叫んで逃げちゃいました。本当はあの場で制圧して、アリシアさんを探したかったのですが……」
「レフィ、気にしないことだ。あの状況なら仕方ない」
あのまま留まれば俺たちも危険だった筈だ。最善策だったに違いない。それに、元を辿ればアリシアが自分勝手にやらかしたので、自業自得だ。
そう自分に言い聞かせるが、どうにも割り切れずに心配してしまう。
グッとレフィにわからないように奥歯を噛み締め、心配を表に出さないように気を付ける。俺が動揺すれば、正しい選択したレフィが責任を感じてしまいそうだったからだ。
「すみません……」
罪悪感を抱いてほしくはなかったのだが、そういった細かい表情や声音の変化にも気付いてしまうレフィ。そんな彼女に対して、俺は無言で答えるしか出来なかった。
「……ああーー!! らしくない。しっかりしろ俺。現状に絶望するな。先を見ろ」
首を振って頬を両手で挟み込みように打った。思いの外激しい痛みが襲い、涙目になった。前々から感じていたが、自分が自分に影響を与えるときは、なぜか『剛健』が発動しない。良いのか悪いのか。
「レフィ! 疲れているところ悪いけど、俺は先にアリシアを探しに行こうと思う」
「私なら問題なく動けます」
「ダーメ。動けるかもだけど、戦えるとは思えない。MPだってさっきのマナポーションで回復させてたし、ここで休んでいてくれ」
「でも……」
不安そうにレフィが潤む瞳で俺の目を見つめ返していた。レフィの気持ちは物凄くわかる。アリシアが心配で、さらに俺が一人で動く危険性を理解しているのだろう。俺も、自分の出来る範囲の狭さは知っているし、レフィの回復と索敵能力がないのは正直痛い。けれど、レフィの疲労は大きい。別行動をとるしかないのだ。
「川に沿って歩けば迷わないし。アリシアを見つけ次第戻ってくるから。安心して休んでいてくれ」
俺はそれ以上レフィには何も言わず、強い眼差しで見つめ立ち上がると、レフィに背を向けて洞窟の奥へと足を進め始めた。もっと安心できるような言葉をかけられればよかったのだが、レフィを納得させるだけの根拠を持ち合わせていなかった。
「アイトさん!」
レフィが俺の背中に呼び掛ける。俺は一度足を止めた。
「どうかお気を付けて」
「ああ。後で無事合流しよう」
レフィの声に背を押され、俺は今度こそ迷うことなく、この先で孤立しているであろうアリシアを探しに走り出した。
*
俺は無我夢中で洞窟を歩き回っていた。まずは川に沿って、流される前にいた場所へと向かったが、既にアリシアの姿はなく、代わりに先程までの一角虫の群れの名残が残っているだけだった。その為、今はしらみ潰しで探し回っている。
本来であれば声を上げてでも探し出したいが、魔獣が集まってくれば、また別の問題が発生するため、我慢して耳と目に意識を集中させる。
焦る呼吸を落ち着けて、くまなく目を走らせ洞窟の角から角まで探し回る。すると、変哲のない風景から、ちょっとした変化が見られた。
「灰だ」
洞窟に生えた青々しい草花に薄くちりつもった粉塵を指で触れ、俺は小さく呟いた。
見た限り灰。触っても灰。匂いも灰だった。
そこまでして灰が灰であることを確認した理由は、単純に土煙などが薄く積もった可能性もあったからだ。
「でもなんで灰があるんだ? あれか! アリシアがブンブン振り回してた松明から灰が出たのか? まぁ、よく振ってたしな」
残像が残るほど激しく振り回せば、こんな風に灰が植物の葉を覆うぐらい、わけないんだろう。
「ともかくだ。何の手がかりなしで進むはめにならなくてよかった。灰の後を追っていこう」
そう思い、俺は足早に灰の痕跡を探しながら進んでいった。灰は持続的に見つかるのではなく、ちょくちょくと間隔を開けて見つかった。
灰の痕跡を探し回っていると、次第に明るい川から外れ、暗い通路の方へと向かうことになった。そのため、しかたなく松明を取り出し、魔道具を使って火を付けた。発光する川がなくなっただけで、先程までの淡い紫色の雰囲気とは打って変わり、変哲のない岩肌に影が揺らぐだけの、不気味な様子に変わった。
「ここにも灰か……」
灰を追っている当初は違和感なく、ただアリシアが残した痕跡だと思っていたが、こうも長くその痕跡が見られると、妙な気分になってきた。
おかしい気がする。何だろう。松明の灰ってこんなにも不規則で出るものなのか? いや、そもそもこんな量の灰が出ていたら、松明が燃え尽きてるんじゃないのか?
目の前にある灰の痕跡は、最初見つけたようなうっすらと積もったような物ではなく十センチ近くにわたる、小さな山のような形状へと変わっていたのだ。量、積もり方共に不自然で胸騒ぎがする。
俺は遂に足を止めて考え始めた。最初の仮説が正しいと信じたいが、余りにも不自然だった。目の前にある現実が、俺の仮説をことごとく否定している。
「……別の方向から考えるか」
まず火があった事は間違いない。火がないところでは灰は生まれない。では、誰が、もしくは何が原因で生まれた火なのか。ここは火山ではないので、地が産んだ火ではないだろう。であれば、冒険者か魔獣だろう。
「魔獣はあの三種だけらしいし、冒険者は俺たち以外にウェードだけ。ウェードは根っからの近接系みたいな話をしていたしな。……別の仮説消えたな」
ここで諦めるのがいつもの俺だが、今回は諦めているわけにはいかない。アリシアを見つけ出す手掛かりなのか、はたまた別の問題なのか判断しておく必要性があった。
こんな時アリシアがいれば、もっと頭のおかしいような仮説を立てるだろう。柔軟な思考。それを培う機会をアリシアはよく与えてくれていた。
頭の中で「問題!」と試すようにアリシアが言った。
「……。うーん。何だ。考え方に囚われず。なら、突然変異で魔獣が火を吹くようになったとか、実は行方不明の冒険者が元気で、至るところでファイヤーしながら、狩りだったり、料理だったりをしていたとか?」
適当に言ってみた。かなりの暴論で、現実的ではない。まあ、百歩譲って魔獣の方は、蒼の森で特殊な成長を遂げた鎧の魔物がいるのであり得なくはないだろう。冒険者の方は……生きているのなら連絡する筈だと思う。
「どうであれ進み続けるしかないのか。人生の先が見えないよりも、物理的に先が見えない恐怖が勝るのは初めてだな」
などと冗談を言ってみた。しかし、割と事実で、レフィの索敵もないので本当に恐い。
けれど俺は、答えのない恐怖と暗闇に爪先を向けて、一歩また一歩と歩みを進めていった。
進むこと数分。少し変わったものが見つかった。見つけてしまったと言うべきなのか……。
「ポーチ……か?」
落ちていたのは紐の焼き切れたポーチだった。全体的に煤で黒ずみ、何かしらの惨劇があったことを物語っているようだった。
「アリシアのか? いや、デザインが違う。ってことは、他の冒険者の物か」
焼き切れたポーチの紐から、単純な落とし物と考えることは出来なかった。考えられるのは、魔獣か冒険者を狙う冒険者かだ。ちなみに、俺が怪しいと思うのは冒険者の方だ。
理由としては、手持ちの情報として、高いランクの冒険者ばかりが行方不明となっていると聞いていた。つまり、質のいい装備を持つ冒険者を狙った犯行と考える事が出来るのだ。
「A級も被害者の中に入っているから、それよりも上の実力者S級とかなのかな。さっさとアリシアと合流して作戦を立て直すしかないな」
装備を狙う冒険者であれば、俺たちのような弱小冒険者が狙われる可能性は低い筈だ。まあ、もしかしたら、手当たり次第に狩り場にやって来た冒険者を狩っているかもしれないが、それは考えない事にする。
ともあれ、恐らく俺が頭で考えているよりも事態は深刻な筈だ。冒険者が狙われている以上、急いでアリシアと合流したい。
そうして、再び頭を回しアリシアの向かう先を考える。やはり、川沿いの通路に戻ってから、引き返したか、進んだかだろう。となれば、一旦灰を追うのは終わりか。
ギィギャァ。
そんな時、聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。
グールか。戦えるけど今の状況での戦闘は避けるべきか……。
俺は辺りを見渡して、隠れられそうな岩場の隙間に体を滑りこませた。ギザギザの断面がすでにズタズタだった俺の服を破った。これだけ破れてしまえば、もう修繕は不可能だろう。
自分の破れた服に目を落とし、悲壮感を心に残しながら、徐々に警戒を強めていく。
俺が隠れて静まり返った洞窟内に、ペタペタと張り付くような足音だけが響く。
足音が近づき止まったので、様子を見るため、俺はそっと岩影から顔を出した。すると、グールは俺の居場所には気付いていない様子で、無邪気に草群を漁り始めた。こうやって見ていると、仕草は子供のようで、どこか微笑ましく感じる。
そんな時だった。
ズズッ。
明らかに異様な音が、グールが現れた方角から聞こえたのだ。
何かを引き摺るような音。ただそれだけで、決して大きな音でもない。しかし、俺の背筋は凍り付き、自然息を止めて警戒していた。
同じ様に本能的に危険を感じたグールは警戒の色を示し、キョロキョロと忙しなく周囲を見渡していた。
今の音……。明らかに、俺みたいな人間や魔獣が移動するような音じゃない。もっと、重い穀物の入った袋を引きずり回しているような音だった。もし、生き物であれば、間違いなく其処らの魔獣とは比べ物にならないほど大きい。
ぐっと俺は息を殺して、音のした先を睨み付ける。
ズズッ。ズズズッ。
地響きと共に、白く太い爪の生えた、赤い足がぬらりと暗闇から現れる。
「ギャァ。ァ……」
一歩また一歩と近づき姿を表した生物に対して、グールが絶望したように声を漏らした。
全身を覆う鋼のような光沢を持つ鱗。鉄をも切り裂きそうな鋭利な爪。そして、人一人ぐらい余裕で飲み込めそうな、胴体と同じ太さの顎。異常なほどに成長した体は五メート? いや、もっと大きい。
「サラマンダーなのか……?」
俺はかすれた声を漏らしていた。
疑問よりも恐怖。観察して真偽を明らかにしようとせず、俺は本能に従って、岩影に張り付くように隠れた。
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。あれは魔獣で一括りに出来る相手じゃない。戦えば死ぬ。
俺の知るサラマンダーはもっと小柄で、具体的言えば三分の一にも満たない体長で、すばしっこい魔獣だ。しかし、目の前にいる物は全くの別物。貫禄と呼ぼうか、威圧感と呼ぼうか、どちらにしてもサラマンダーごときが発することのない圧が、俺の体にのし掛かっていた。
明らかに異常なサラマンダーを相手に、グールは固まって動くことも出来ない。肩を小刻みに動かしながら、細い目を見開いている。
そんなグールに何事もないかのように近づくサラマンダー。結局グールは絶対的恐怖おまえに、サラマンダーが目と鼻の先ほどに近付くまで動くことが出来なかった。
「ギャっ。ギャァァ!!」
ようやく、グールは恐怖に震える体を理性で押さえ付け、サラマンダーに背を向けて走り出した。明らかに今更な逃亡だが、サラマンダーは追おうともしない。グールが青白い手足を必死に動かし、壁をよじ登り横穴に逃げようとした時、漸くサラマンダーは動きを見せ、巨大な口を大きく開き、炎を吐き出した。
「ギャァァーーァァ!!」
吐き出された炎が無慈悲にグールの体を焼く。青白い肌が火に赤く照らされ、すぐに黒色へと変わる。体全てを覆い尽くしてもあまりある炎の範囲。あの範囲だと逃げようとしても、その前に事切れる。
グールの断末魔が激しい炎と共に焼き尽くされた。
あのグールが一瞬でやられた。逃げる事さえ許されない攻撃範囲。
――こいつがダンジョンの異常だったのか。
俺は、頭にすっぽりと空いていた穴が塞がるような気分を味わった。
どうする? 逃げるべきか? 今はグールを食べることに集中している。逃げるなら今。でも、このままやり過ごす選択も。うっ。
焦げた死臭を嫌って俺は鼻を覆った。
どちらにせよ判断は早くだ。いろいろと思うところはあるが、今は逃げることだ。あれは無理だ。
俺はすっとサラマンダーの様子を見るために顔をほんの少し出した。しかし、それは明らかな愚策だったと、瞬間でわかった。
サラマンダーの緑色の目の細長い瞳とばっちりと目が合ったのだ。じっと物言わぬサラマンダーが俺の瞳を見つめ返す。
「……。俺美味しくないよ?」
「シュルッ」
サラマンダーが大きく口を開いた。
まずい。
「『エンチャント』!!」
俺は咄嗟に岩影から飛び出し、腰に巻いていた布に『エンチャント』をかける。そして、間髪いれずに盾の後ろに身を隠した。その瞬間、激しい音と共に火炎が周囲を焼き尽くした。無事なのは俺の盾の影になっているものだけ。熱気が空気共々あらゆる物体を灰塵と帰す。
「うおお! あっぶない! 熱い! 守られてても熱い!」
ダメージはごくたまに入っているようだが微々たるもの。それでも、直接炎に触れれば終わり。そして俺の攻撃も恐らくほとんど通らない。つまり……。
サラマンダーが炎を吐くのを止めた瞬間、俺は盾を頭の上に抱えて走り出した。
「逃げるしかねぇぇぇ!!」
速度優先で考えるのなら盾の『エンチャント』は解くべきなのだが、サラマンダーのグールへの攻撃の速さと範囲を見ていたため、身を守れる盾は即座に構えられるようにしておきたかった。
「うぉぉ! でも、走りにくいっ!」
時折ちらりと後ろを振り向きながら走る、走る。盾を頭上に、背後を警戒しつつ走るというのは中々に骨が折れる。
サラマンダーの足音は決して速いテンポには感じないが、不思議と振り向くと距離を詰められていて肝を冷やす。
ドス。ドス。ドス。――。
急に後ろから聞こえていた足音が止まった。そして、代わりに空気をふんだんに吸い込む音が聞こえた。
「来るっ!」
俺はスピードに乗った足にブレーキをかけて、盾を構える。すると、またしても放たれた炎が俺を襲った。
距離が少し離れたせいもあって、威力は分散している。それでも、川の流れに逆らっているような重さがあり、足を踏ん張っていないと、すぐに体が流される。
すっと急に盾を押す力がなくなり、前のめりになりながらサラマンダーのブレスの止まったのを確認すると、また一目散に洞窟を駆ける。
「ハァッ、ハッ。どうする? 考えろ! 逃げきれるのか? 確実に距離は開いてる。盾の効果もある。逃げ切れる。でも、問題はこのまま逃げて良いのか?」
俺一人では到底勝てない。けれど、このままこいつを放置してダンジョンから離れていいのか? いや、駄目だ。アリシアがはぐれている今、逃げるとこいつとアリシアが鉢合わせする可能性がある。
「理想は逃げてる途中でアリシアと合流、逃亡。だけど、無理なら……。時間稼ぎか」
レフィがアリシアを見つけ出すまでの時間稼ぎ。出来るのか? いや、やるしかない。
俺は振り返って、ショートソードを抜いた。
「生憎ここは狭い洞窟だ! レフィ先生の言ってたとおりに動いていれば、五分五分で戦える!」
そして、俺は盾を構えてサラマンダーへと反撃を開始した。




