186 月下にて首を噛む
目指す貴族の象は、貴族であるからこそ山程見てきた。その中で俺がなぞったのは、父アルム・ゲルティアの姿だった。背を伸ばし、周囲の視線を気にすることなく王城に足を運ぶ。わざとらしく革靴の音を鳴らして歩く様は、同じぐらいの立場である筈の貴族たちをも平伏させていた。
……俺の人生でも役に立つものはあったんだな。
なんて感慨に耽っている暇はなく、行き着いたのは王城の門の前。S級程度の実力者が、外見と身振りをこと細かく観察している。
「やあ」
「こんばんは。ツベルグ家ハウラリア侯爵様。失礼ですが、招待状の提示をよろしいでしょうか」
「ああ、これかな?」
わざとらしく懐をまさぐった後に、俺は顔を明るくして偽の招待状を差し出した。
「……はい。確認いたしました。では、今宵のパーティーをお楽しみ下さい」
「ありがとう。君も頑張りたまえ」
不審者が紛れ込まないようにな。
肩を叩きながら開きっぱなしの巨大な門を潜って中へ。そこに広がっているのは、真新しい建物かと疑いたくなるほどの純白の柱や壁が広がっている。所々にある緑や青の目に優しい色調は、俺たちヴァンパイアの暗く重厚な高級感とは異なり、ただただ自然の清らかさだけが残っている。
「王城って感じか」
ここに来たと実感するために踏み出した足音は、緑の絨毯に吸われていった。
侵入成功。あとはフラー探しだ。まあ、でも探すってほどのことでもないんだろう。
「ハウラリア様。ご案内致します」
「ああ、頼むぞ」
柱近くに待ち構えていたベージュの色の服を着たエルフが、俺に一礼してから案内をする。晩餐会ともなれば、主要な人物は全員そちらに集まる。ここは変に隠れたりはせずに堂々と案内されるべきだ。
そこからやたらと複雑な通路を案内されて、ホールよりも神聖に飾り付けられ広間にたどり着いた。二階の手摺から垂れる花の香りは柔らかく、緊張を軽くほぐしてくれる。
すでにパーティーは始まっている。グラスを片手に優雅な笑い声がそこらかしこに響いている。これであれば多少強引に動いても目立ちはしないだろう。
やけに青い水が噴き出している噴水の脇を過ぎ、こじまんりとしたテーブルの前で止まる。そこで場に馴染むためにグラスを手に取り、軽く喉に酒を含ませながら高い天井を見た。白く眩い照明が施され、この空間をいっそう高潔なものへと押し上げている。
少し前の俺ならそのぐらいの景色で胸が高鳴ったんだろうな。でも、今は……。
俺の胸が一つ高い音を奏でたのはもっと別のものを見た瞬間だった。
編み込まれて白い額が露となった髪型。強がるように目を見張りながらもどこか弱々しく視線を下げて偽物の笑みを張り付けた顔。そいつらしい緑色のドレスは、そいつらしくない堅苦しい着こなしかたをされている。
――いた。フラーが。
偽るべき姿を忘れて俺はソルとしてフラーに見とれていた。美しいとは思った。けれど、それ以上にフラーらしくない姿に動けなかった。
役目を忘れそうになった瞬間、俺とフラーの間を男が遮った。俺を警戒した……とかじゃない。ただ視線の間に入っただけだ。
視線が切れて我に返る。固まっている暇なんてないんだ。
自分の役目を思い出すために襟元をきつく閉める。今の俺は貴族。そう外面を偽りながら状況を探るんだ。
まず、全体。ほとんどは貴族だが、その合間に警備の騎士が多くいる。流石に雰囲気をぶち壊す鎧は身に付けていないが、それでも戦えるだけの服装にはなっている。マナの感じからして大抵はS級。やり合えば、まあ勝てるだろうが、その状態でフラーを連れ出せるかは怪しいところ。
そしてあれだ。あの二人は格が違う。
視点は別のところに向けながら、視界に収まっている二人の影を意識する。両方ともいい歳をしたエルフだ。片方は青い髪を後ろに向かって流しているレイピアを腰に付けた男。もう片方は白髪で、これといった装備はないが佇まいが違う。
「フラー様。お加減のほどは? あまり楽しそうではないようですが」
「……そうかしら。楽しませてもらっているわ」
「無理はするなよフラー」
「ありがとう。ベルドラン」
片方はソルから聞いてた『青海』ヴィルムか。もう片方は……フラーの言ってたまんまだな。『方舟』ベルドランか。
連れ出したいところだが、この二人が厳重にフラーの周囲を警戒していた。しかも、一見警戒をしていないように見せながらの警戒だ。他の貴族たちはこの二人の間合いと索敵に気が付いていないんだろう。あの近くには『変化』をしていても近寄りたくはない。
ってのが本音だが、近寄るしかないだろうな。
様々なエルフが頃合いを見計らってフラーに挨拶をしていく。それに対して分け隔てない笑顔を見せるフラーだが、それは王女としての笑顔。息苦しさがよくわかる。そのせいか、隣のベルドランなんかも気まずそうな顔を浮かべていた。
噴水の音が遠くなっていく気がした。その辺りでようやく集中力が上がり、足をフラーたちの方へと踏み出せた。
三人の視線が動く。警戒と疲労。それを内に隠しながら笑顔を作るこいつらを見ていると、身分が高いのも考えものだと思えた。
「これはこれはハウラリア侯爵。わざわざ遠方からのお越し感謝いたします」
「気にするなヴィルム。それよりも……」
「この度はお越しいただきありがとうございます。セザレイン王国七代目国王に任命されましたフラー・アルメリアです」
あー、堅苦しい。そして見ていて痛々しい。
これがフラーなのか? フラーの良さは誰にでも気怖じせずに気軽に話しかける姿だ。明るく天真爛漫。それがフラー。その個性を国王なんて肩書きが完全に殺してしまっている。
国民が求めるフラーは偽の姿でしかない。国王らしくあることがフラーらしくないのなら、そもそもフラーが国王なんてなる必要がないんだ。血筋? 違う。本人の意思が一番大事だ。
用意していた言葉は「フラー様は恋人のほどは?」から、「よろしければ私の息子と話してはくれませんか? 二人きりで」だ。そして、そこから風通しのいい場所に誘導して、こっそりフラーを外に連れ出す。……つもりだったが。
まあ、ただこんな風に偽り続けるフラーを見ていると、どうしても嘘に反発をしたくなる。
「顔色がよくないですな」
「いえ……そんなわけでは……」
「私の知るフラー様は弓を肩にかけ森を駆け回る姿でしたが」
フラーが息を詰まらせる。それはフラーが求めていて、諦めようとしていた夢の話なのだから。
ベルドランから厳しい目が向けられる。余計なことを言うなと言いたいのだろう。だが俺は言う。必要なこととしてだ。
「冒険者でしたかな? そうして過ごしていたフラー様の方が生き生きとしておられました」
「それは……」
「遠回しに国王に向いていないとでも言いたいのですかな? ハウラリア侯爵?」
ヴィルムも華麗に俺に牽制する。それでも俺は止まらない。
「そこまでは言いません。しかし、勿体ないでしょう。料理の腕もいいときている。これを無駄にするなど才能の無駄遣いでしかありません」
「口がすぎるぞ。ハウラリア侯爵」
「いえいえ、特にあのお粥などは私の舌にはよく合いました」
フラーの肩が跳ねた。そして、下を向いていた青い瞳が上がる。俺の内側を探して。
「――うまかったんだよ。初めて味ってものが感じられた気がした。生きているって感じがしたんだよ」
「ハウラリア侯爵?」
そうだ。あのとき俺は初めてヴァンパイアだった自分を忘れて生きられたんだ。
「あの一週間とその後に過ごした日々は俺にとってかけがえがないんだ。たとえその裏で血のやり取りがあったとしても、何度思い返しても幸せな時間だったんだよ。そこだけは覆らなかった」
「ハウラリア……いや、誰だね。君は?」
ヴィルムとベルドランが俺とフラーの間に立ち塞がる。けれど、俺はお構いなしに二人の向こうにいるフラーを見つめ続ける。
「ソル? ソルなの?」
今日初めて聞いたフラーという人柄を感じられた声に答えるように、俺は『変化』を解いた。顔を隠すべきなんて言われるかもしれないが、名前も言われたし今さらだろ。
「フラー。あの提案の答えをいい忘れてたから、ちょっと王城まで来てみたんだよ。そこでまあ、王様として幸せそうなら俺は潔く退く準備もしていた。でもな」
やっぱりフラーは国王になりたがっていない。だから、俺と逃げたかったんだ。同じように自分の運命に抗う俺となら自分を見失わずに胸張って生きていけると思って。
「国王になんてなりたくないんだろ? フラー」
「いや、私は……」
「まあ、悩むよな。悩ませるよな。そのための時間があのツリーハウスでの時間だった。で、その答えを潰したのが俺だ」
俺から否定されて、フラーは全てを諦めて国王になろうと決めてしまった。けれど、あれはフラーのせいなんかじゃない。
あれは俺のせいだ。だから、もう一度だけフラーに時間をやりたい。
「フラー。俺はお前と旅をしたい。その答えを知った上で考えてくれ。フラーがどう生きたいのかを」
「ソル……私」
「……感動的なところ悪いのだが、それはできないだろう。ヴァンパイア」
あと一歩でフラーが答えを出すというところで、膨大なマナの反応が左右から現れた。赤い目で追ってみると、そこには渦巻く水があった。噴水の水だ。ヴィルムが魔法で操っているんだ。
「はぁ。ちょっとの時間も与えてくれないか」
「不法侵入など許される筈もないだろう? ん? それにフラー様を王座から引きずり下ろすなど許されるわけもない」
「知ってるよ。けど、一つ訂正。まだフラーは国王じゃない」
俺は攻撃が届くよりも前に指先を爪で傷付けた。そこから一滴血が滴って、次の瞬間には足場に水溜りほどの『血の宣告』が生まれる。
「らっ!」
左右からの水の槍を俺の血が撃ち落とす。規模は向こうの方が上。ちなみに俺の方は血の摂取を制限していたせいでこのぐらいが全力。
「ゲルティアのヴァンパイアか。ベルドラン。呆けるなよ」
「……わかっている。フラー。下がっていろ」
「でも……」
「たとえフラーを思ってだとしても、規律を乱した者は最低限罰する必要もある」
ベルドランに二の句を殺されて、フラーは俯いてしまう。やっぱりフラーはまだ答えを出せていない。ここにいることで自分を表に出せなくなっている。やっぱり連れ出す必要ある。
でもな、ベルドランはフラーのために国王の座から遠ざけたって聞いてたんだが。フラー側だけど、俺側ではなかったか。
淡い期待を捨て去るよりも前にそのベルドランのシワのある二本指が向けられる。人差し指と中指を開いて伸ばす構えは独特で攻撃手段が予測できない。
「『フレーム』」
「……あっ? イッテ……っ!!」
一瞬何が起きたわからなかった。指先の前に魔方陣ができたわけでもなく、目に見える何かが放たれた訳でもなかった。ただその結果だけは確かなもの。あり得ないほど綺麗に切り落とされた腕が俺の『血の宣告』の中に落ちていった。
「ソル!! やめて! ベルドラン!! 彼は私の友人なの! お願いだから」
「それはできない」
「でも!!」
「おいおい。気にするなフラー。俺は無事だ腕一本ぐらいなら治る。ヴァンパイアだからな」
フラーの泣きそうな顔にやられかけたが、それ以外は無事も無事。体を犠牲に敵の戦法を探るのは常套手段だ。
まあ、勝てるかはおいといて。
どうする? ヴィルムの攻撃はまだ捌けるが、ベルドランの方はわからなかった。見えない風魔法で斬られたって考えるのがいいんだろうけど、マナの動きが違う。急に腕の付近にマナの流れが生まれていた。あれは飛んできたんじゃなくて、唐突に俺の腕の辺りに魔法として現れている。
どっちにしてもこの二人の相手は無理だな。まあ、そもそもそこは俺の役目じゃないし。
「でも、フラーだけは連れ出す!!」
「その実力ではできないだろう?」
ヴィルムの攻撃とベルドランの攻撃がやってくる。見える方は血で対応。見えない方は動き回って的を絞らせない。詰めろ。もっと詰めろ。
――届け!
二人の間からフラーの白い指先がこちらに伸ばされる。それに向かって手を伸ばす。
――届け!!
「させんよ。ヴァンパイア」
「感動の再開に水を差すなよ。エルフ」
その瞬間、俺とフラーの周囲を血が吹き飛ばした。
俺の『血の宣告』じゃない。俺とフラーだけを守るように完璧に操作されながらも、高い破壊力でヴィルムの攻撃を押し返している。こんな技ができるのはヴァンパイアの中でも一握り……いや、一人だけ。
――ほんとに完璧な友人だよ。でも、お陰で。
少し冷たくて、繊細な指先と俺の無骨な指が重なった。赤い背景の中で向かい合うフラー。何なんだろうな。この気持ちは……。
一つの大きな空白の時間。俺とフラーだけの時間が赤い洞窟の中にあって、俺はフラーを抱き寄せていた。
「悪い。遅くなった。まだギリギリ期限守れたよな?」
「うん。うん! ごめ……」
「あーー! そういうのなし。それは今のフラーに一番言われたくないやつだから。それと、その辺りの諸々の話は後で二人で。今は……」
血の壁が水によって凪払われる。その向こうには冷静さと怒りという反対の感情を混ぜ合わせたヴィルムと、目を細めて警戒するベルドランがいた。
「そんなわけだから任せるぞ」
「ああ」
床一面に広がった血が波のように暴れまわる。その中に佇む白い仮面は、仲間でなければその威圧感とマナの重さで竦み上がってしまうだろう。それだけの格があいつにはある。
――ゲルティアの血を引く最高傑作にして、今代最強のヴァンパイア。グレン・ゲルティア。
「成る程。それが君の……いや君たちの切り札なのか。確かにこれは骨が折れそうだ」
「御託は必要ない。ヴィルム。僕は僕の責務を果たすだけだ。しかるべきは……」
グレンが素早く腕を振った。すると、血の剣が出入り口まで聳え立ち、エルフの騎士たちから逃れるための道を作っていた。
「逃げ道は作った。二階だ」
「ああ。何から何までありがとなっ!」
俺はグレンを信じて敵へと背を向けてフラーの手を引いた。その後に激しい戦闘が始まっているようだったが、俺とフラーは振り向くことなく、この貴族の蔓延る場から一目散に逃げ出した。
*
「ベルドラン。二人を追えるな?」
「できない」
「まさか情が沸いたのではあるまいね? 君の役目は国王の娘を次期国王として育てること。その役割を放棄するつもりと聞こえたが?」
「わかるだろうヴィルム。この状況では私はここを離れられない。来客が死ぬことになるぞ」
二人して最大の警戒を向けて僕の白い仮面を睨んでいた。一先ずは、圧をかけて空間魔法使いのベルドランを留めることには成功したようだ。
あとはどう時間を稼いで逃げるかだね。でも、ここはそんな余裕のない顔はしない。
「追えるものなら追うといい。そのときには……この場の者を皆殺しにしていくがな」
「……仕方ない。この場には国王様もいらっしゃる。トリスト様も。安全を優先しよう。まあ、この城にはザバラもいる。あの程度のヴァンパイアであればどうとでもなる」
……ザバラ? 『拳撃』ザバラ・ダランのことか。いや、でも索敵は十分にした筈。ソルの障害になるような相手は残っていないと確認した。
けれど、この二人の顔色は変わらなかった。つまりは……。
任せるしかないということだね。せっかくここまで来たんだ。成功させてよ。二人とも。
そうして始まる戦闘を、僕は可能な限り派手で危険なものとし演じ続けた。
*
「走れフラー。遅いぞ。前はもっと速かっただろ?」
俺は王城を二階の階段目掛けて走り抜けながらそう言った。まあ、これは仕方ない。だってほら遅いし。
すると、フラーは息苦しさで軽く赤熱させた頬を動かす。
「足元見てよ。このヒール。もう足の甲の方がビキビキなんだよ」
「脱げば?」
「バカ」
……一世一代の逃亡中だよな? 靴ぐらいいだろ。
まあ、ヴァンパイアの俺はそう思うがフラーの方は別らしい。となると、本当に仕方なく別の手段を取るしかない。
「止まって」
「えっ? 止まったよ」
「よし」
「えっ、ええぇーー!!」
俺はあまり見ないフラーの動揺した声を下にしてその体を腕の中に収めた。まあ、抱っこってやつ。人目につくところでやるのってなんか心情的に壁が高いな。でも、それよりも脱出までの壁の方が高い。
「あのね。ソル。今言っていいかわからないけど、なんか凄く恥ずかしいかな」
「今言うな。フラーが恥ずかしがると俺もついでで恥ずかしくなるから。これ教訓」
背中を丸めてフラーの体をより近くに感じながらも、意識することなく駆け抜ける。さっきまでのフラーに合わせた走りじゃない。ヴァンパイアの全力の走りだ。
この速さなら騎士は追い付かない。ただ、待ち構えている方は荒業を使うしかない。
「『ストーンバレット』」
次々と投入されてくる騎士に向かって魔法を放つ。肝心なのは殺さないこと。こいつらはこいつらなりにフラーを守ろうとして立ちはだかってる。悪意じゃないんだし、なんなら俺のやってることの方が自分勝手だし、できる限り傷付けたくはない。
あえて体の急所にならないところを狙って体だけを押し倒していく。肩が狙いどころだ。そこそこ肉もついているから骨にも響きにくい。
「こんなに強引にしなくてもよかったのに」
「強引にしないと会えないだろ。それだけだ」
「会いに来てくれたらそれで……」
「ヴァンパイアだけどフラーと話したいって? 通じると思うか?」
「うーん。それはそうかも」
本当はもっと穏便に済ませたかったし、言葉でそれが解決できるならそうした。けれど、一度フラーがベルドランを止めようとして駄目だったのだから誰がなんと言っても変わらなかっただろう。
「だからさっさとこの場所から離れる。あいつが時間を稼いでくれてるから」
「大丈夫かな。ヴィルムさんもだけど、ベルドランも強いよ」
「強い弱いの話ならあいつの方が化物だろうから問題ない。あとはこっちの……」
「うぉぉぁ!!」
問題と言おうとしたところで、雄叫びとも奇声とも呼べる声が隣の壁から響き渡った。その瞬間の衝撃を察して、壁に背を向けてフラーを守ると、左の壁が面白いほど簡単に砕け散っていた。
……ここ王城だろ。そんな場所を簡単に壊すなよ。
皮肉混じりに警戒心を強めて、顎を引いて男を睨む。小柄な体つきに顔の倍ぐらいもありそうな量の白い髪。
マナは全く感じない。ただわかる。こいつフォレストガードだ。
「お前がフラー様を連れ去っているって奴だな! うちの王女様に乱暴しやがるなんて……くそっ! 許せねぇ! 許せねぇぞ!」
「乱暴じゃなくて、フラーが考えるだけの時間を作りたいだけだって。フラーが嫌がってるように見えてる?」
「うん? 確かに言われてみれば」
男はまじまじとこちらを観察する。具体的に言うと俺の腕の中で大人しく顔を赤らめさせるフラーを見ている。……そしてフラー。その反応やめろ。
「えーと。ザバラ。私は別に嫌々じゃないんだ。ただ、この人と二人っきりでちゃんと話したいだけなの。だけど、その時間が取れなくて今はこんな風なの」
「へー。なるほど。つまりは……」
ザバラがぶつけ合っていた両の拳を砕いて、腕を組む。そして、意味ありげに廊下のど真ん中から移動して自分の壊した方の壁に背を預けた。
「――行けよ」
「……いいのか?」
「人の熱く燃え上がる恋路を邪魔するなんざ男のやることじゃねぇ。……幸せになれよ」
「……」
こいつ話聞いてなかったな。
熱すぎるザバラに感化されて腕の中がまた一段と熱くなった気がしたが、誤解を重ねてくれているようなのでここは素直にその道を通らせてもらう。
俺は警戒もせずにザバラの目の前を走って階段へと足をかける。気取った態度のザバラに向かって「ありがとう」とフラーが言っていたが、俺はザバラに向かって言うようなことはない。恩を感じるが、それなら呼吸一つさえもフラーを逃がすために費やした方がマシだ。
階段を五段ぐらい飛ばしながら駆け登り、適当な部屋に入り込んでからベランダへと続く扉を強引に開いた。
なるほどな。確かに一時的に無力化されてる。
どんな手段を使ったのか知らないが、結界の上半分が無効化されている。多分マナの供給源を断ったか何かをしたお陰で、全体の結界を維持できなくなったのだろう。そのせいで半端な結界になっている。
ここまで来たら簡単だな。
「飛んだことは?」
「まだ経験したことないかな」
「よかったな。新しい世界が見れるぞ」
身を翻すようにして『変化』を施す。普段使い慣れているコウモリじゃない。あれだと流石に人一人を乗せて飛行なんてできない。だからここは王道に王道を攻めて……。
白い足に蹄。独特の横に広い視野で同じぐらいの高さのフラーを見る。
「ペガサス?」
「白馬に乗った王子様とか言うじゃん」
「ははっ。でも、白馬になった王子様は斬新だよね」
……確かに。やり直そうかな。
ワイバーンにでも姿を変えようとしたが、その前に騎士たちの足音が聞こえてフラーが俺の背に飛び乗っていた。乗るんだったら余計な一言はいらなかっただろ。
そう思いながらも時間がないのでベランダの柵目掛けて走り出す。夜風を浴びなから満月の方へと駆け抜けて、コウモリのときよりも大きな翼で空気を掴み……。
「じゃあな。お前たち。少しフラーを借りていく」
呼び止める声も置き去りに、後ろ足で天に向かって駆け出して、俺はフラーと共に空へ向かって飛び出した。
*
雲の上までやって来た。嘘。全然低空飛行。ギリギリ足先が木の頂点に当たらないように飛んでいる。
王城から飛び出したあと、俺は計画通りに空間ゲートを潜り、フラーのツリーハウスを目指して飛んでいた。グレンが想像以上に暴れてくれていたのか、空間魔法使いのベルドランなんかも追い付いて来ずに、今は穏やかに広がった自然の地平線を眺めていた。
「……ええと。ありがとう。連れ出してくれて」
「ああ」
「でもさ。怒ってたよね。私がやったことに……」
見えてもいないのに背中の上で縮こまるフラーの様子がわかってしまった。そこでそんなことはないなんて即答できたらいいんだろうが、俺はそんな気の効いたヴァンパイアじゃない。
「ああ、怒ってたよ」
「だったら、私なんか気にしないでソルは生きていいんだよ。恩返しとか全然……」
「少し、俺の話をしていいか?」
フラーの言葉を遮る。謝りたいとかそんな感情抜きで俺はただ話したかったんだ。弱味を見せてくれたフラーに自分の弱くて見苦しい姿を。
そして、俺は嫌いで嫌いで仕方なかったヴァンパイアの話を始める。俺というソル・ゲルティアの話を。
「ソル・ゲルティア。これが俺の名だ。ゲルティアの一族中の三大貴族の一角。その一人息子が俺だった」
あの赤と金の屋敷を思い出す。もう戻ることのない屋敷に俺の記憶だけが帰宅する。
「ヴァンパイアの貴族の息子。まあ、それだけなら別に継いでもよかったんだ。ここだけはフラーとは違うところだっただろうな。ただ、俺はそこで行われていたヴァンパイアの生き方が嫌いだったんだ」
血を飲むために集められ躾られた人間やエルフ。そして、そのために用意された清潔感意外存在しない部屋。
「ヴァンパイアってどんな風に血を得てると思う?」
「思い付くのは街中で紛れてこっそりかな」
「違う。それだとあまりにも一時的すぎる。安全に持続的に供給するために家で飼うんだよ。お前たちみたいなのを」
フラーが息を飲んだ。そりゃあ当然だ。フラーの思うところのヴァンパイアの印象が、エルフから血を盗む蚊みたいな存在から、もっと卑劣な化物に変わったんだから。
「おぞましいだろ。それを俺たちヴァンパイアは何の罪悪感もなくやってのける。味だの清潔感などを気にして、少しでも質が落ちればすぐに処分だ」
「処分……って」
「頭に浮かんだそれだよ」
言いたくないことを口にせずに、胸に毒物でも突っ込んだような苦しさを味わいながら俺はヴァンパイアについてを語り続ける。
「俺はそれが嫌だった。嫌いだったんだ。ヴァンパイアの考え方もわかる。自分たちの安全と生活のためなのもな。実に合理的だ。合理的なだけだけどな」
自分たちが危険をおかさずに済むように人間を飼う。自分たちの情報を漏らさせないためにいらなくなったら処分する。わかる。ヴァンパイアならそうするんだ。その頂点に立つ三人の内の一人でもあった親父がそうした理由も今なら少しだけ理解はできる。
でもそれはヴァンパイアのためだけの生き方だった。俺はそれが受け入れられなかった。
「ある日だよ。俺が親父と喧嘩をしたんだ。その飼っていた人間関係で。そのときに思い付いて俺は二人の人間を逃がそうとしたんだよ」
「どうなったの?」
あの時の光景が頭に過る。もう二度と忘れることができない記憶。床に投げ捨てられた二人の髪の束と遺品。あの男からの話。
「失敗だったよ。逃げた先の人里で人間に捕まって殺された。一族と金銭的な取引で協力してやがった奴がいたんだよ」
「そんな……」
「想像外だった。でも、それで二人は死んだんだよ。俺を恨みながらな」
多分のその場の悔しさで俺を恨んだのだろう。けれど、それでも二人の言葉は事実で俺の心を抉り、ヴァンパイアであることをより強く拒絶させた。
「耐えきれなくなって、その仕事を頼まれ二人を殺した男の胸を貫いて、親父の引き留める声も無視して逃げ出してあの森だよ。ガイラスの森。誰も傷付けない。誰の血も飲まない。自罰するようにな」
たどり着いた先に何があったのか。罪を背負い生きようとして得られたものがあったのか。何もなかった。ただ苦しくて自分を見失いそうになる飢餓だけだった。
「これが俺の話だよ。フラーに出会う前の屑みたいな俺の話だ。これがあったから俺は血を勝手に飲ませていたフラーに怒ったんだ」
高度を下げて森の中へ。一面の緑から一つ暗い景色へと変わる。
まだツリーハウスには着いていないが、フラーをここで下ろす。
「でも、ああやって怒ったのは本当は自分が許せなかったからだった。俺の本質は血を飲まないことじゃない。ヴァンパイアとして、誰も傷付けずに生きたい。それだけだったから」
俺は今も隠されているフラーの腕の傷のある部分を見つめる。俺が勝手にフラーに背負わせてしまった責任だ。
「傷付けたくなかった。フラーだけは。いい奴だったから。純粋で俺みたいなのにも笑いかけてくれるフラーは傷付けたくなかったんだよ。だからっ」
「伝わってるよ。大丈夫」
つい声が大きくなっていた。それだけ俺は嫌だったんだ。自分と一緒にいるだけで傷付いてしまったフラーが。
だからこそだ。だからこそ今俺は伝えなくちゃいけない。自分の意思と決断を。
「……この先俺と旅をすることになったら、多分俺は誰の血も飲まない。そしてそれを知ったらフラーはまた同じようなことをする」
「うん」
「――だからだ」
次の言葉には覚悟が必要だった。自分をヴァンパイアを認める覚悟、あとは嫌われたくないフラーに嫌われる覚悟だ。
そして、息を軽く吸う。必要な量だけの空気は静かに前へと向かっていく。
「これからは俺がフラーの血を飲むためにフラーを傷付ける。そしてその傷と責任を負って生きていく。だからそれでもいいのなら、すべての俺を知ってまだ一緒にいてくれるのなら、あの時の提案を受け入れたい」
息を飲んでどう転んでもいいなんて楽観的な感覚ではなく、ただ願っていた。フラーの思いを尊重する。それでもいつの間にかフラーと一緒にいたいと強く思っていたんだ。
だからこそこれが本当の意味で俺ソル・ゲルティアがフラーと向き合った初めて瞬間だった。
フラーの青い目を見つめる。暗闇なのにその瞳が純度の高い魔石のように青く透き通る色で輝いているように見える。その瞳が伝える。これまでの誰とも違う心情を。
「不器用だね。私もソルも」
「だな」
「だから一緒にいたいんだ。不器用で欠陥だらけでも、自分を貫くってところでわかり合えるから」
「てことは?」
「これからもよろしくね。ヴァンパイアさん」
花が開くようにパッとフラーが笑った。王族らしい着飾ったドレスも、それらしく編み込まれた髪も目に入らず、ただその笑みだけが嬉しくて、言葉が出なかった。胸が苦しくて、これまでの辛さがこの一つで報われるようで、ただ霞んでいきそうなほど眩しい世界が近すぎて。
ああ、くそっ。だよな。おかしいと思ってた。俺、フラーのことが好きだったのか。
ようやく気付いたその心に寄り添うようにフラーが近付いてくる。そして、いつの日かに見たような白い首筋を俺へと見せた。
「予行演習しとこっか」
「はっ? えっ……いや、何て言うか恥ずかしくない?」
「男の子だねー」
いや、それと男は関係ないだろ。でも……。
フラーが首を傾けたまま目を瞑った。ヴァンパイア相手によくもここまで無防備いれるなと思ったが、それが逆に俺への信頼だと思ってしまうと何とも言葉が出てこない。
まあ、そうだな。何事も最初が肝心だ。
俺はそっとフラーの肩に顎を乗せるように近付いた。眼下に迫る白い肌を見て、ヴァンパイアとしての飢えとこれまでのトラウマの恐怖が現れる。
けれど、どっちも俺なんだ。ヴァンパイアであるのも俺なんだ。だから受け入れる。フラーだって受け入れてくれたんだから。
そして、俺の牙が柔らかな肌に触れて傷を付ける。そこから唇を伝い喉へと流れてきたフラーの思いを、俺は受け入れて喉から心臓へと送り込んだ。




