184 余計なお世話
フラーからの提案の答え出すまでの一ヶ月が始まった。平常運転の俺ならこんなときはグレンの所まで一飛びで助言を貰うんだが、今回ばかりは自分で考えたかった。
フラーは自分で考えて俺にあんな提案をした。それなら俺も他人に任せるんじゃなくて、自分で答えを出したい。
フラーも共に旅をする利点。食事がうまい。話していて退屈しない。清潔感があって一緒にいても苦がない。少し似た境遇だから気持ちがわかる。あとはフラーと一緒にいると不思議と血への欲求が現れない。
利点多すぎ。これだと無理やり一緒に行く理由を見つけてるみたいじゃないか。悪い点を考えろ。
欠点。……いつ暴れだすかわからないから傷付けないためにフラーとは離れていたい。それだけだ。
――それだけで全て。これだけで一緒に行かない理由になる。
俺はどうしようもなくヴァンパイアだ。ゲルティアの血を引くヴァンパイアの中のヴァンパイア。いつまでも抑えられる自信は正直ない。たとえ今が良くても、本気で飢えたときにどうなるのかは明らかだ。
俺は一度人を殺している。あのときも血の不足によって冷静さを欠いた。ただ足りないだけでも理性が緩くなる。それが全く摂取しないとなれば、少しの感情の揺れでフラーを傷付ける。
血が失われ青白く冷たくなるフラーが頭に浮かぶ。その傍らに立つ血に汚れた一人のヴァンパイア。
「それだけは駄目だろ……それだけはな」
そっとカーテンを開く。ツリーハウスから少し離れた場所からは煙が立ち上っている。フラーが料理をしてくれているんだ。
「せめて俺が血を求めていない理由がわかればな」
これまで曖昧にしてきたことについて考えてみるか。何で俺はあのときから急に血を欲しなくなったのか。あのときまではあれほど飢えていたのに、今はヴァンパイアの力をほぼ完全に取り戻すまで回復している。何か理由はある筈なんだ。
変わったことは他人と話したこととか? でも、それはあくまで精神的な話だ。体の構造とは別。じゃあ、環境か? ツリーハウスでは寝るようになったが、場所自体はガイラスの森。マナの濃度云々で体調がいいんだとしたら、最初から飢えていない。
「あと考えられるのは食事か……」
エルフの食事がヴァンパイアの体と相性が良くて、血を飲まなくてもいい体にしている。もしくは鎮静作用のある食べ物で気分が落ち着いて……。
『――ヴァンパイアの血には抗えない。それは絶対だ』
ふと思い出したのはグレンの言葉だった。やけに語感が強かったので記憶によく残っていたそれが唐突に頭に浮上してきた。それが何かを俺に突き付けようとしている気がして、体の動きが止まる。
『知ることと知らないこと。どちらが残酷なんだろうね』
あのグレンの言葉は何だったんだ。あいつは意味もなく意味ありげな発言をするような奴じゃない。嘘も下手だし、そもそも本気で隠そうとする嘘はつかない奴だ。そんな奴がなんであんなことを言っていたのか。
知ること……、知らないこと……。
体が急に冷たくなる。血の通わない人形のように。いや、違う。まるで自分以外の別の血が体を流れ動かしているような状況に。
ようやく気付いたかと俺の中のヴァンパイアが言った。窓の隙間からやってくる料理の香りに鼻先が反応する。焼けた肉の香ばしさに、調味料で足された爽やかさ。そして、その中に潜む別の香り。本能的に喉を上下させ、胃を膨張させ、唾液を生み出すその香り。
グレンとの会話。奇しくも最後に思い出したのは自分の言葉だった。
『俺のためとか言ってこっそり血でも混ぜそうだ』
それが実際目の前に現れ、あのときと同じ答えを選ぶ。そして、今も変わらない思いで、あのときとは違う意味合いを持って頭の中で言葉を叫ぶ。
『俺は求めてない!!』
それが顔を赤くして憤った俺の当然の結論だった。
*
どんな理由があったとしても俺は血を飲まないと決めている。たとえそれで死んだとして構わないと強く誓って苦しみながら生きてきた。
その苦しみが唐突になくなった。当然だ。血を飲んでしまっていたんだから。
木陰でフラーは料理をしていた。フライパンに肉を敷き詰めて青い木の実なんかが浮かんでいる。
「あれ? どうしたの? 珍しいね。わたしの料理を見に来るの」
「……」
「どうしたの?」
フラーが顔を覗き込んできているが、今はその表情さえも目に入らない。あるのは左手首に巻かれた装飾品の姿のみ。濃い緑色の分厚い装飾品。これまで装備だと思っていたそれを俺は力強く掴んでいた。
「ちょっと、イッ……」
「やっぱりか……いつからだ」
乱暴にその装飾品を取り去った下にはいくつもの傷があった。その中に今しがた付いたであろう傷の跡もある。ご丁寧に薬剤で出血を抑えて匂いも隠している。
「いつからだ! いつから気付いて、いつから俺に血なんか飲ませてたんだ!!」
「う……、あれなの。最初会ったときに赤い目をしてたから。牙とかもあって……、だからどうにかしないとと思って血を少し飲ませて……」
「飲ませてそれで俺が良くなってたから血を飲ませ続けてたのか!? ふざけるな!! 誰がそんなことを頼んだんだよ!! 俺がどんな思いで血を飲まずにこんなところにいたと思ってるんだよ!!」
「ご、ごめんなさい。でも、死んじゃうからって」
「死んで良かったんだよ!! 俺みたいな奴は!!」
フライパンの隣でフラーが竦みあがる。火が風に揺れて不快に視界の端でちらつく。それでも、昇ってきた怒りと後悔は行き場もなく俺の体で暴れている。
「誰も傷付けないで生きられるって思ってたんだよ……。お前みたいな奴を絶対に傷付けないようにって……。それなのに!! 呑気に俺が満足している間にもフラーは傷付いていた!! 俺は何のために……何のためにお前と一緒にいたと思ってるんだよ……」
「――ソル。私は自分から……」
「それでも俺はっ!! 血を飲みたくなかった……」
俺は……、傷付けたんだ。フラーを……。
一緒に旅をしたい。そんな提案の答えはもう一つしかなかった。どうやっても俺はヴァンパイアなんだ。誰かを傷付けることしかでない気持ちの悪い化物だ。
フラーの顔も見ずに早足で森へ向かう。フライパンの柄に足が引っ掛かり、血が混ざった料理がゴミらしく地面に転がった。
「――余計なお世話だったよ」
「待って……。ううん。ごめんね。ごめんなさい。――本当に」
フラーの声に涙が混ざっていた。それでも俺は振り返ることも慰めることもせずに、隠すことをやめたヴァンパイアの姿で、『変化』を使って森の中へと飛び去った。




