182 丘の上の答え
『変化』をしてコウモリの姿で降り立ったのは、もう戻ってくることのないと思っていた丘の上だった。丘の下を流れる小川の音はヴァンパイア特有の優れた聴覚では趣深く捉えることができて、夜の静けさに心地よさをもたらしていた。
――運命的だよな。こんな日に示し合わせた訳じゃないのにあいつがいる。
丘の上には先客がいた。いて欲しいと思ってガイラスの森から飛んできたんだが、その背中を見ると少し現実離れした気分になる。
「よっ。グレン」
「その声は……ソル? ソルじゃないか!」
逃げ出したのが気まずくて軽く挨拶をするとその美顔がこちらを向いた。そして俺がされたくなかった心配という形で応えて俺に駆けよってきた。
……せめてグレンには話して行くべきだったな。
黒い髪をなびかせ駆けてくるグレンを見て心の底からそう思った。
「心配してたんだ。アルム様からソルがいなくなって聞いて、……その過程も聞かされて。それでもう半年も過ぎたんだ。人間の方でも噂にもなっていなかったから、死んだんじゃないかって」
「あーあー、わかってる。そんなに長々と説教しないでくれよ。俺だっていろいろ迷ってたんだからさ」
「説教じゃないよ。ただの心配だ。グレンはいつも無理をするから……。でも、今は元気そうだ。顔色もいい」
グレンは俺の顔を見て頷いた。それに対して俺はちょっとしたここまでの話を切り出した。あいつの話だ。フラーの話。
「エルフに会ったんだ。そいつが倒れていた俺を助けて面倒をみてくれてたんだよ。血はこの六ヶ月飲んでないけど、そいつのお陰で体は大分マシなんだ。新たな発見だよ」
「エルフ? ……なるほど。そういうことか」
そういうこと?
グレンが顎先を優しく撫でて考えていた。けれど、悩んだのは一瞬ですぐに顔を上げていた。
「いや、気にしなくていい。それよりも聞かせてよ。ここまでの話を」
「まあ、あんまり面白い話じゃないけどな」
「面白くなくても僕の不満と不安は改善されるよ」
「じゃあ、長々と一日たりとも飛ばすことなく話してやらないとな」
ハッと貴族らしくない俺の笑い声と丁寧なグレンの笑い声が並んだ。
そこから俺は丘に腰を下ろしてから話し始めた。まあ、流石に六ヶ月全てを伝えることはできないので、感情に沿って話を進めていった。俺の失敗で命を落とした二人について……それから失意から絶望まで。そして一番話したかったフラーについて。話してみると全体の半分以上がフラーと過ごした一週間のことだったが、旅の大半の記憶が血への飢えで曖昧だったのだからそういうものなんだろう。
話が終わってから、グレンは微笑んだ。退屈な話にはならなかったようだ。
「よかったよ。本当にね。グレンは優しすぎるから、二人の死の責任を感じすぎるんじゃないかって心配だったんだ」
「責任は……まあ、今も感じてる。だから、俺は今このときも血を飲まずに、誰も傷付けずに生きているんだ」
そう。そこだけは絶対に忘れない。刻まれた罪は決して忘れない。
グレンの顔が曇る。今日はらしくない顔ばかりを見ている気がした。
「知ることと知らないこと。どちらが残酷なんだろうね」
意味ありげに呟かれた言葉に即答はできなかった。グレンが何かを伝えようとしてくれているのはわかるけれど、それが何かわからなかったからだ。
グレンが視線を軽く落として俺の腹辺りを見る。
「――ヴァンパイアの血には抗えない。それは絶対だ」
「絶対じゃないだろ。俺はまだ半年だけど活路だって見えてきた」
「……かもしれない。それでも現実はそうなんだ。元が人間やエルフの血を与えられた眷属なら、血を抜けば元に戻れる。でも、ヴァンパイアはどれだけ血が薄まろうとヴァンパイアなんだ。そう体ができてしまっている」
「それでも俺は貫く。今の状態を貫き続ける。たとえそれで俺が死んだとしてもだ」
グレンの言いたいことは伝わる。血を飲まなくちゃ死ぬ。俺でもそれぐらいはわかる。実際俺もここまでの生活でヴァンパイアの血の恐ろしさや狂気を嫌というほど知った。けれどそれでも、知ったうえで俺はその道を歩かないといけない。歩いて抗って生きていくしかないんだ。じゃないと罪滅ぼしにはならないんだ。
グレンが眉間にシワを寄せて目を瞑る。そして、諦めたようにため息をついたのを見て、俺は心の中でよしと叫ぶ。
「――意思の固さは相変わらずだね」
「そりゃあどうも」
「頭の固さもね」
「あぁ!?」
盛大に俺を貶してくれたグレンを睨むがいつも通りに笑い飛ばされた。こいつはいつか殴る。
グレンは懐からサンドイッチを取り出した。半分を俺に差し出してくるが、手に取ろうかと迷ってから首を横に振った。
せっかく体の調子がいいんだ。変にヴァンパイアが食べるような食事をして血が欲しくなっても困る。
「それにお前のことだ。俺のためとか言ってこっそり血でも混ぜそうだ」
「今日は偶然会ったんだよ。そんな画策する暇なんてないさ。それと、混ぜようとする相手の気持ちも知った方がいい」
「いい迷惑だろ。俺は求めてない」
「はは。まあ、ソルらしいか」
グレンはサンドイッチの片方を包みにしまいもう片方を遠慮せずに頬張った。分厚くて食べにくそうだったが、美味しそうではあった。
「そうそう。多分ソルはこれからどうするか、僕に意見をもらおうとしてたんだろうけど……」
「お見通しかよ。こわっ」
「付き合いが長いし、同じゲルティアの血を強く残す者だからね。まあ、それはいいとして。フラーの元に戻るべきだよ」
はぁ。なんとなく言われる気がしてたけどそうなるよな。
自分の中でもフラーと一緒にいれればと思うところはある。本人もああやって言ってくれてたし、いつでも歓迎はしてくれるだろう。俺の体力を回復させてくれたエルフ流の料理も気になるし、ここ数年で一番ヴァンパイアの血を忘れられた時間だったのは間違いない。
「ただ危険すぎるだろ。フラーをいつ襲うかわからない」
「かもしれない。でも、実際一番理性が危ない時期に耐えられたんだ。安定している今なら問題ないだろう?」
「でもだろ」
「他にもフラーの元に戻る理由が欲しい?」
「欲しいよ。冷静にいろんな情報を集めてこれからを決断したいから」
戻りたいのか。戻りたくないのか。戻っていいのか。戻るべきじゃないのか。俺の迷いの片方の秤には必ずあのツリーハウスとフラーの姿があった。あれが俺を変えてくれる。そんな感じするが、同時にあの心根の優しいエルフを傷付けるのが恐いんだ。
「彼女は多分ソルみたいな人を必要としている」
「なんだよそれ。話し相手になれってことか? 俺みたいのが」
「言ってしまえばそうだよ」
何を真顔で言い出すのかと思えばそんなこと。もう少し決断できるだけの重みのある理由ならよかったがそんなわけもなかった。今のところ俺がフラーの元に戻ろうとは思えない。
「彼女、確か弓使いだって言っていたよね? それに銀髪と青い目。あとはそのツリーハウスの内装。普通のエルフだったらツリーハウスの上にベッドとか衣装箪笥なんて持ち上げられない」
「フラーの身元に心当たりがあるのか。俺も少し名前に聞き覚えがある気はしてたんだよ」
「少しって……」
グレンが頭を抱えて残念がる。悪かったな。そこら辺の世情に疎くてな。
「多分だけど彼女はフラー・アルメリア。次のエルフ王国の国王だよ」
「……マジで」
「外見とその他の情報からね。少し前、フラー王女が国から出てちょっとした旅をしていると問題になっていたから」
つまり、俺は王女様に助けられてたと。そういえばあいつ……。
『私さ。ちょっと今、自分の役割から逃げちゃってるんだ。――必要だと思うし、大事だと思う役割。でも、それがどうしてもなりたい自分と重ならないんだ』
自分の立場と自分の本心……。そういうことだったのか。
「何が原因で一人でガイラスの森に閉じ籠っているかはわからないよ。ただソルから聞いた話からして、悩んでいるのは間違いない。そして、多分、自分を王女として扱わないソルだったから心を許して話をしてくれたんだと思う」
「だから俺が話を聞いてやれってことか」
「そんなところだよ。まだ理由が欲しいなら、護衛のためとか、受けた恩ぐらい返せとか言えるけど」
いいや。そこまではいらないよ。わかったよ。わかった。
まだフラーを襲う恐怖はある。それでも、少しだけ助けられた側として、フラーの話を聞いてやりたくなった。
「はぁーー。結局、あれだけ遠ざけようとしてまた帰るんだもんな。格好つかないな」
諦めたように肩を落とす俺を見て、グレンが腹を抱えて笑っていたのがムカついたが、そこでむきになるのがより嫌で、俺は降参するように両手を上げて草原へと寝そべった。




