177 二人のゲルティア
気取った建物の見えなくなったちょっとした丘の上で、俺は草むらを上から見下ろしていた。
ここでなら……
自分の喉に指先を突っ込んで、胃の中に残った血を吐き出して……
「それはやめておいた方がいい」
「――何でだよ。まさかお前まで親父みたいなことを言うつもりじゃないよな」
顔を俯かせたまま赤い目だけを右へと向けた。そこにはゲルティア特有の褐色の肌と癖のない黒髪を携えた美青年が立っていた。
「飲んだ血を吐き出しているところなんて見られたら、君の家の人間たちは処分される……。どう? アルム様と同じことを言ってた?」
「いいや。悪い。ちょっと最悪な気分で当たってた。お前はお前だったな。グレン」
吐くのをやめてその男、ヴァンパイア唯一の親友に俺は弱々しい笑みを浮かべた。これだけは紛れもない本心の笑みだ。
「……そう。まあ、気持ちはわかるよ」
そう言ってグレンは草原に横たわる。話を聞くから隣にこいってことだ。
俺は本心だけを持ってグレンの隣に座る。俺がゲルティアも親父の跡継ぎも忘れてただのソルとして話せる貴重な時間だった。
冷たいとも温いとも呼べない風が過ぎる。服が軽く揺られ、その一抹の間が過ぎ去ったあと、俺は整理した感情を吐き出す。
「……なあグレン。お前って人間の血を飲むことに抵抗ないのか? 無理やり血を奪って罪悪感とかさ」
「その話か……」
呆れるようにではないにしても、またかと言いたげにグレンは語尾を伸ばした。
「確かにヴァンパイアが人間を家畜として飼い慣らしているのはいい気分ではないよ。話せば言葉も通じるし、心情もほとんど僕らと変わらない。だから、僕もあまり血を飲もうとは思わない」
「血を飲まないヴァンパイアが、ゲルティア随一の優秀なヴァンパイア様なんて呼ばれはしないだろ。優等生くん」
「血は飲んでるよ。飼ってる人のじゃないけどね」
「へー。じゃあ、あっち派か。人間を選んで襲って血を吸い尽くす派」
ヴァンパイアの血の飲み方なんて二つだ。片方は人間を飼う方。もう片方は人間を殺して血を飲む方。グレンはそういう奴だとは思ってなかったが。
「知ってるだろ。眷属だよ。リエ。彼女の血だ」
「あー、あのお前にベッタリな子な」
「慕ってくれてるんだよ。僕が眷属にして病から助けたって思われてる。そこから自分の意思でついてきてくれているんだ。僕の顔を見て血が必要なときに飲むように促してくれる。血を飲ませてって僕に言わせないように気を遣ってね」
そうだったな。リエはグレンに自分から求めて付いていってる。ヴァンパイアに飼われているの人間とは違う。リエは自分の幸せのために自由にグレンの側にいて血を与えている。
……そういう関係を探してたんだけどな。
「女性と恋愛をして自分から血を差し出してくれるような親しい関係を築きたい……とか、馬鹿な考えしてそうだよね。ソルは」
「はっ!? 馬鹿? これしか道がなかったんだよ」
「短絡的だよ。それにそれだと最終的に騙してるって感覚が強くなる。少なくともソルのそれは愛ゆえの血の関係じゃない。こちらから愛を差し出して、向こうから見返りとして血を貰っている。やり口は違うけど、一族の人間の飼育の関係と内側はほとんど変わらない」
「変わらないって……」
いや、そうか。愛って餌で俺は釣ってるだけだったのか。偽物の愛で騙して血を向こうから差し出させる。食事や生活を与えて血だけを奪う一族のやり口と本質は変わらない。騙している分こっちの方が悪質か。
ほんとに羨ましい。こいつがさ。
「……僕らの関係性は偶然の賜物だよ。リエに出会えたのはね。リエは人がいいから」
「だな。そして、お前は顔がいい。……すげえよ。俺みたいに反発せずに一族の生き方と自分の生き方を両立してるなんてな」
「わー、隠すことのない嫌味ー」
嫌味か。嫌味でひがみだな。不器用な自分には絶対にできないし、やり方もわからない。だから、グレンに倣ってやろうとして、本質を見失ってこれだ。
降参するように体を草原に倒す。肌を刺すような葉の先が、愚かな俺を戒めているようだった。
「いいよな。お前は本物の愛で血の関係を結んでる」
「ん? 愛とかじゃないけど。友情かな。助けたから助けたい。リエはそう思ってくれてるんだろうね。優しいから」
「うわー」
「それに愛って呼べるものは僕にはまだわからない。お見合いだけはさせられてるけど、一言目で妾は~~家のって言った時点でないなって断ってる」
「うげー」
こいつリエの想いに気付いてないのか。おめでたいな。でも、俺よりもヴァンパイアとして上手くやってるこいつに言えることはないか。
「はぁ、どうすりゃいいんだろうなー」
「ソルの考え方によるよ」
「俺は血を飲みたくない」
「でも、飲まないといけないから自主的に血をくれる人を探しているってね。……対等な関係でその相手を見つけるのは難しいと思うよ」
横になった俺に合わせてグレンも背中を草原に付ける。これまではまだ寄り添うような口調だったが、今は少し険しい。理想と現実の話だ。俺でもその難しさはわかるし、現に苦労している。
「人間を飼うっていうのがどうしても嫌なんだよ……。ロアンとミスティを見てるとなんか苦しくなる。話は面白いし、いい奴だから何でこんな息苦しい生活させちゃってるんだろうってな。だから付随してそもそも血を飲みたくなくなったんだよ」
「それが根元って感じか」
「根元は別だよ。ちょっと前に飼ってた人間を処分されて、めちゃくちゃ嫌な気分になった。そっから本格的に飲みたくなくなった。誰の血もな」
心は飲みたくない。けれど、体はどうしようもなく求めてしまう。ヴァンパイアにとっての血は必需品。なければ気が触れて、最終的には衰弱して死ぬ。ゲルティアだろうがそうじゃなかろうが等しく全員だ。
だからその狭間を彷徨い続けている。決して納得できる答えなんてないのにだ。
「その根本を解決するのは時間がかかるし、一生歩き続けても見つからないかもしれない。だから、目の前の問題を解決するのがいいんじゃないかな」
「目の前の?」
「そう。僕もそのヴァンパイアと血の関係は納得していない部類だよ。けど、その中でその場しのぎの人間たちへの待遇の改善をしている。父さんに怒られない程度にね」
真面目で優等生と思われているグレンが悪戯っぽく片目を瞑った。俺と同じように表には出さないもう一つの自分だ。
俺もグレンも同じように悩んでいる。この中で俺はグレンに倣おうとしていた。でも、倣っても俺じゃ満足できない。なりたくても俺とグレンは少し違うのだ。状況も考え方も。
例えば人間を処分されないような仕組みを作ったとしても俺は満足できない。自由でもっと好きにヴァンパイアと関われるような関係性じゃないと気に食わない。理想と現実の理想に寄せた思考しかできないんだ。
でもそうだな……。目の前の問題から見ていくことだけはありかもしれない。
ロアンの怯えた顔が頭に浮かんだ。あれだけでも変えることができれば俺の考えだって何かが変わるかもしれない。
「――やってみるか」
「何か決まったようだね。僕にできることは?」
「頼ってばかりじゃ駄目だろ。こう見えてもグレンの次に優秀なヴァンパイアだぞ」
「力だけはね」
「うるせー。うぜー」
だが、面と向かって否定はできないのが、自信のない俺の弱いところ。そういう柔軟さなんてものは俺にはないし、手に入れようとも思わないから仕方ない。
ただ、やることは決まった。俺の悩みとロアンたち二人の心配を解決する方法はな。
俺はヴァンパイアらしく手で地面を押し返して立ち上がった。それをグレンが羨ましそうな目で見ていたが、気にする素振りも見せずに俺は二人のためにと作戦を頭の中で組み立て始めた。




