114 師と生徒
俺はまた昨日のようにベルの家の一室で空間魔法を練習している。時間の流れが遅いので、疲労の限界まで空間魔法を試していた。
目を瞑って転移しろと願ってみるけれど、やっぱり心の奥底にある壁がその魔法の成功を阻害する。なので仕方がないからと、気分転換に剣を振っているのが今現在。
「『ストライク』は問題なし。基本的な剣術もこのステータスにしてはよしと」
「そう思うなら早く『転移』を習得しろ」
と、厳しく指摘してくるのは端っこのほうで俺を見ていたベルだった。空間魔法以外に興味がないのか、剣に関しては何も言ってこない。
「ねえ。そういえばこの前聞きそびれてたんだけど」
「言った側から話をすり替えるな」
「いや、じゃなくて! ベルさんとフラーさんの関係ってどんなのだったのかなって」
フラーの名を出した途端、ベルドランが息を詰まらせる。これだ。これなんだ。ロゼを命懸けで守りたい。けれど、その原点にはフラーがいる。じゃあ、そのフラーとベルドランはどんな関係だったのか。
少し前から思い続けてい疑念。てっきり機嫌のあまりよくなさそうなベルドランは答えてくれないのかと思っていたが、これが意外なことなすぐ答えてくれた。
「国王の娘の教育係。それが私で生徒がフラーだ」
「いつから?」
「産まれてすぐだろうか。家族がフラーの近くにいないときは常に私が近くにいた」
そんな前からだったのか。
教育係なので、てっきり自我が芽生えはじめてぐらいかと思っていた。けれど、実際はそれ以前から。それこそ我が子のような距離感だったのだろう。
「で、そこから何年」
「百二十年と少し。その間は教育と護衛を任された」
懐かしむようにベルが頬を緩める。
「変わった子だった。貴族のように観劇や身だしなみを楽しみはせず、よく街や森に出かけていた。気分転換と時間を作ってやると、『ベルドラン。弓を教えて』とくる」
「お転婆だったのか。なんとなくロゼの姿からも想像できるな」
天真爛漫で普通に流されない。自分の思うがままに進んでいく。その精神はロゼにも強く引き継がれている。
「気づいたときには冒険者のような生活も送っていた。もちろん、国王には内緒でな。実力もあった。フォレストガードまではいかないが、それに限りなく近い力を持っていた」
「強さも譲り受けてたのか……」
「しかしな……」
ベルドランが腰を下ろした。練習は一時休憩ということだろう。
「フラーは国王として未来を約束されていた。民も国王もそれにふさわしいと思っていた。……当人のフラーだけは違ったがな」
フラーは国王の座を拒絶した。それは知っていたが、ヴァンパイアとの婚約のために退いたのかと思っていた。けれど、違った。最初から自らの意思で国王の座を求めていなかったのだ。
「自由を求め、自然を愛し、様々な変化に心踊らせる。それがフラーだった。冗談めかして王様など興味がないと言っていた子供の時代。そして、本心で王の座を拒絶し始めた大人の時代。その時だったか、奴に……いや、ソル・ゲルティアと出会ったのは」
ソル・ゲルティア。ロゼの父だ。ヴァンパイアでゲルティアの血を濃く引くという。
「ソルは変わったヴァンパイアだった。自ら血を飲もうとしないヴァンパイア。人やエルフを食事として捉えないヴァンパイアだった」
「……それって、成立するんですか? ヴァンパイアって血を飲まないと生きていけないんじゃ?」
「成立しない。だから、死にかけてこのガイラスの森にたどり着いた。そこでフラーと出会ったのだ」
血を飲まないヴァンパイアと、国王の座を嫌う国王の娘。人生を決められ、その人生に抗う二人が、引き合うように出会ったのだ。
「私がヴァンパイアとの関係に気づいたのはフラーの腕に傷があったからだ。ソルにやられたのではない。頑なに血を飲もうとしないソルのために、密かに血を食事に混ぜ与えていたのだ」
死にかけた血を飲もうとしないソルを助けるために、密かに血を与え続ける。優しすぎる。けれど、なんとなくだけどその優しさは最後には手酷い結果になる気がした。
「だいたい予想はつくだろう。ヴァンパイアはかなり感覚が鋭い。血を接種すればするほどヴァンパイアとしての力を取り戻し、フラーの行動は隠せなくなる」
「そして、バレたと」
「ああ。酷いケンカ別れをした。ソルから拒絶されて、フラーは酷く落ち込み、自分の感情を捨てたように逃げるように国王の道を歩み始めた。あれは苦しかった。私にはどうしようもできなかったからな」
顎の下でベルドランが指を組む。
空虚に役割だけを果たそうとするフラー。長年共に過ごした者として、その変わり果てた姿は見るに耐えなかっただろう。想像するだけでも苦しかった。
「そして、国王の座へとお父上から引き継がれるそのときだった。数ヶ月ぶりにソルが現れてフラーに謝罪をし連れ去った。いや、連れ去ったと言うべきではないか。自由の道へと自らの足で向かっていった。――それが私の知るフラーという人だ」
話の終わりにとベルドランは落ち着いて膝に手を置いた。けれど、俺は落ち着けずに、逆に頭を回し続けていた。
つまり、ベルドランの後悔というのはこのヴァンパイアとの逢い引きを止められなかったところ……なのかな?
「フラーさんへの罪悪感もそこから?」
「それは違う。ヴァンパイアと結ばれたことに責任を感じたのは君の知るフラーの追放の時の話だ。そして、私の持つ最大の罪悪感はそのあとだ。フラーが死んだと聞いた時」
「……」
「私は二人であれば死ぬことはないと、最悪は起こらないと慢心していた。いや、言い訳かもしれないな。恐かったのだろう。この国にヴァンパイアを匿うことが」
ベルドランは悔しそうに目を落とす。その気持ちもわからなくはない。
フラーの力はフラーの先生だったからベルドランはよく知っていた。ソルに関しても、ゲルティアの力を持つ強力なヴァンパイアだ。俺でもこの二人が死ぬようなことは想像できない。それに合わせて、ヴァンパイアを匿う危険性もあったわけだ。俺は以前シュラキルというヴァンパイアと戦っている。その強さはハッキリ言って桁外れだった。そんなヴァンパイアがもし国で暴れたら? もし、そんなヴァンパイアがフラーとソルを狙って国を襲ってきたら?
ベルドランには立場があった。国を守る必要もあった。だからこそ、二人の力を理由に、セザレインへの滞在を拒否した。その結果は……
「二人は死んだ。ヴァンパイアに殺されたとは聞いた。そのときに、私は逃げたのだ。地位からも責任からも。当時フラーと共に教育をしていたホアンも置き去りにして」
ロゼの話を聞いたときは、全てエルフが悪いと思っていた。けれど、違ったんだ。その裏には深い思いがあったんだ。結果は最悪な形になり、ベルドランを蝕むことになった。そして、今もベルドランは苦しみ続けている。
「サルメを保護したのも、フェンデルに空間魔法を教えたのも、その罪から逃げたかったからだ。あの時の私にできなかったエルフ以外の者を受け入れる選択。それだけが私にできる贖罪だったからだ」
「……いや、でもそれは違いますよ」
「違う。とは?」
違う。確かに罪悪感があったのかもしれない。けれど、根本は違う。ただ見捨てた他のエルフとは違うのだ。
「サルメを助けたのと、師匠を導いたのは、ベルさんの優しさですよ。それに理由を付けて自分を卑下するのは、正直あんまり聞いてて面白くない」
「……面白さなど求めては」
「だってそうでしょ?」
そう。そうだろう。今のベルドランは自分は理由がないと動けない弱い奴だと決めつけている。自分は非情な奴だと思い込んでいる。
「でももし、サルメが森で一人で迷っていたら、昔のあなたでも絶対に助ける。人間だろうとヴァンパイアだろうと関係ない。元々、ベルさんは優しい。それがフラーさんの時には裏目に出ただけだ。罪悪感を抱くななんて俺には言えない。でも!」
俺は空間ポーチからドンとフェンデルから貰った分厚い本を引きずり出した。
「取り繕った優しさなんて言うのは、サルメにも師匠にも失礼だ。だって、少なくとも二人はあなたのその優しさに救われたんだから」
ベルドランがそっと本を撫でる。心情は俺には察することはできない。この人の抱えてきたものは俺でも背負いきれない。けれど、その責任や罪をその背から下ろす手伝いはしたい。
「私に何を言いたいんだ」
「ロゼと話してください。ベルじゃなくて、ベルドランとして」
「復讐されろと? 私としてやぶさかではないが」
「そうじゃないんだよ。誰もロゼに殺されろなんて言ってない。ロゼとわかりあって欲しいんだ! 何があったのかを。何でフラーの肩を持たなかったのかを」
ロゼはあの時のその場だけを知ってエルフを恨んでいる。自らの髪色を変えてエルフという種族に見られないようにするまで嫌っている。確かにトリスト国王の方は救いがないだろう。けれど、少なくともベルドランは違った。フラーを完全には否定していなかった。それはある意味でロゼを救う。フラーを信じていた愛してくれていたエルフがいたという事実は。
「それはロゼに求められていないだろう」
「かもしない。でも、フラーは求めてるんじゃないの? ベルさんが完全に自分を見放した訳じゃなかったって。エルフに裏切られ続けた訳じゃなかったんだって」
敵しかいないと思っていたエルフの国で、味方として立ってくれようとしていたベルドラン。それを隠し続けるのは死んだフラーに対しても残酷だった。
そう。せめてもだ。ロゼとフラーのその悪夢のような記憶の一部に救いを与えたい。
「ロゼは話してわからないような奴じゃない。まあ、飲み込むのにも時間がかかるだろうし、許してくれるかはわからないんだけど」
「……ロゼについて詳しいのだな」
「まあ、痛い目みながら学んできたんで」
なお、誇らしくはない。
苦いの方が強すぎる苦笑いを浮かべると、辛気臭い顔をしていたベルドランが少しだけ頬に上げた。
「わかった。話してみよう」
それだけだ。いつも口数の少ないベルドランがそれだけ言ってくれたから俺は満足して頷いた。これなら問題ないだろうと。
そして、ベルドランは立ち上がるこれからのロゼとの会話に向けて……。
「さっさと立て」
「へっ? えっ?」
「やり直しだ。さっきのお遊び剣術とお遊び空間魔法を叩き直す」
「はぁぁぁ!? それはちょっと俺の求めてたのと違うんですけども!?」
そこから音の漏れないこの部屋で絶叫や悲鳴が数時間に渡って響き渡っていたのを知る者はいなかった。ただ、その部屋から出てきた俺が筋肉痛でぶっ倒れるのを見て、ロゼが鼻で笑ったことを俺は一生忘れないだろう。




