69 足手まとい
――思い浮かべろ。
目の前に迫る天に張り巡らされていた糸。
――目を凝らせ。
飛来してくる糸の攻撃に目を集中させる。
――相手の策を読め。
そして、僕は目の前に完璧な蜘蛛の姿を思い浮かべて刃を走らせる。
手に馴染んでいた剣が別のものに感じた。感覚を研ぎ澄ましたせいで、違和感があったのだろう。
「ふぅ。まだまだだ」
今日の蜘蛛との戦いを思い返していると、いつの間にか顔に力が入っていたのか、圧迫されていた血管が広がり、一気に頭へと血が回る。心臓の脈動を鼓膜で感じとりながら、痛めたこめかみに指先で触れた。
「『また』、だったね。あの仮面のヴァンパイアの言う通りだったよ」
悔しくて剣を取り、魔道を極めようと躍起になった。けれど、現実はあっけなく幻術にかかり、みんなを心配させて、挙げ句、一人では蜘蛛にさえ殺されそうだった。これでは、まさに仮面のヴァンパイアの言う通り。足手まとい以外のなんでもない。
だからこそ、僕がここにいる意味を証明したい。役に立ちたい。
そうして、また一つ幻影を切り裂いてから息を吐く。
「早く寝ろと言っておるはずじゃがな」
そんな風に、いつの日かと似たような言葉が僕の耳を引っ張った。
「これは習慣みたいなものだから許して欲しいかな」
「習慣であろうと何であろうとじゃ。それに、今日は傷も負っておる。英気を養うべきときに、こうして普段よりも力を入れて剣を振っておれば、止めるのが普通であろう」
確かに。今日は本気で剣を振っていた。けれど、これは『たゆまぬ努力』のご機嫌とりもかねている。変にサボると、スキル欄からいくつかスキルが消えて、物寂しい姿になるから。
まあ、もちろん、それだけじゃないのは当たりだけど。
心の奥底にあった自分の本心。その本心のために動いていたのが本音。ロゼに会うために、こうして場所を選んで剣を振っていたのが事実。
「どうかな?」
「なにがじゃ?」
「土魚に勝てると思うかな?」
僕の実力の一部を見せる。そうすれば、ロゼも納得して土魚の撃破に賛同してくれると思った。だから、普段よりも気合いを入れて剣を振っていた。ロゼに見せるために。
すると、こちらの思惑に気付いているのかいないのか、ロゼは興味なさそうに手を振った。
「また、その話か。妾は人の執着に付きあってやるほど、人間を好んではおらぬ」
「それでも、円滑に旅を進めるためには、必要な確認だと思うよ」
「すでに円滑じゃ。それに、もし円滑さを求めるのであれば、主が迷子にならなければよいだけじゃ。配慮はそれ一つで十分」
そして、再びロゼの後ろ髪が揺れて遠ざかり始めた。もはや取り合うつもりもないらしい。けれど、そこで引くつもりはない。
「――なんのつもりじゃ」
「僕の実力を確かめてから判断してほしい」
「刃を下ろせ。妾はそこまで寛容ではない」
僕の突き付けた剣の切っ先を挟んで、ロゼが両目で僕の目を睨みつける。これまでの目付きとは違う。敵意に近い感情が向けられているのがわかる。
「手を合わせればわかる」
「……なるほど。ははっ。妾に勝てると……。さすれば土魚を倒せる証明になると。アイトの友人であったから面倒は見ておったが、なるほど」
ロゼの細められた目が刮目される。その内に宿るのは乱暴な敵意。
「――調子に乗るな。人間」
ロゼの白い手の中に赤い結晶のような剣が現れた。それを視線で追った次の瞬間には、僕の手に強い衝撃が走る。
痺れる右手に力を入れて、僕は間合いを離す。
「試してくれるんだね」
「違う。わからせる。それだけじゃ」
視界を剣が通りすぎる。速い。さっきの想像の蜘蛛の攻撃などとはレベルが違う。
「ふっ!」
剣を咄嗟に上げてガード。しかし、それだけで防御としては不十分。体が攻撃を耐えきれず、吹き飛ばされて地面が抉られる。
これが四天王の力。アイトが越えた強敵。
「『影風車』」
正面から力の押し付けあいに勝ち目はない。攻撃を回避して一撃を与える。それが勝ち筋。
バネのように足が伸縮させながら左右へと飛び回って距離を詰める。これならこちらのほうが有利だ。
「本心をさらけ出せとは言ったが、こうも捻れるとはな。貴様がやりたいと思っているのは、あくまで自己肯定。決して、他者のためなどと崇高な理由ではない」
「それはっ……」
足が急に重くなった。スキルは変わらない。剣技も変わらない。けれど、動きが明らかに悪くなったのがわかる。
いや、そんなことはない。僕はただ!
横方向からの剣が、仲間に向けるべきではない威力を内包してロゼの胴へと向かう。
「自分のことしか見えていない貴様に語れる話などない」
視点が一気に下がった。気付いたときにはロゼのドレスの裾が目に入り、顔面を地面に叩きつけられる。落ち葉がつもって柔らかくなっていた地面をえぐり、土臭さを口で味わう。強い衝撃で吐き気を伴うような頭痛がした。
激しい音が夜の森に鳴り響く。衝撃が風となって植物の葉を揺らして、僕の心の奥に刻み込む。敗北という結果だけを。
悔しさを噛みしめて息を吸う。土で顔が汚れていた。それでも、顔も拭けずに地面に顔と悔しさを押し付ける。
「言っておく。どれだけ力があろうとも、溺れるだけでは足手まといじゃ。冷静さを欠き、輪を乱し続けるのであれば必要ない。国に戻り特級冒険者にでも守られておれ。それが貴様にできる最大の貢献じゃ」
ロゼの足音が遠ざかり、ただ一人残された僕は、地面から起き上がることもできなかった。
くそっ。僕は……。僕は役に立ちたくて……。
否定したくても否定できなかった言葉が、少しずつ、少しずつ、心をノコギリで削るように、僕の心を壊していった。




