55 肉を食え
ヴァンパイアとの戦いが終わり。俺は宿のベッドの上で目を瞑っていた。理由は簡単。
「カラダイタイ」
口さえも動かすことが億劫になるような筋肉痛。アリシアのドーピングの反動で、地獄のような痛みと怠さの中、天井を見つめるしかできなかった。
「まあ、この体の痛みも、結果を見たら上出来なのかもな」
今回のヴァンパイア事件の結末。シュラキルとヴァンパイアの主力は死亡。一部の降伏したヴァンパイアらは、拘束してから騎士団に引き渡した。そして、影移動に用いられていた影は、俺たち全員が出てから光で焼いたので、これで完全にこの件は終幕となった。
拐われていた女性たちも、幸い死者はおらず、軽い貧血の人はいたが、全員が無事と呼べる状態だった。ついでに、その拐われた女性に『一応』含まれるアーニャは、元気も元気。俺の見まいによく現れて、無理やり体を起こさせて、俺にさらなる地獄を味あわせてくれた。
俺は、その時の痛みを思い出して、顔をひきつらせてから息をつき、安堵の笑みを溢した。
「ふっ。まあ、元気ならいいことだよな」
俺のパーティーのアリシア、レフィ、ロゼ。そして、特級冒険者のカルム。『勇者』カインに偽アイト。この事件に関わった人たちは、全員が無事だった。負傷の度合いも、一番酷いのが副作用でベッドの上にいる俺。相手のレベルを考えれば、この程度で済んだと言えるだろう。
……ただ。
「何もかもが順調ってことでもないよな」
枕の感触を確かめるように頭を動かしてから、まっさらな天井を見つめる。
俺の頭には明確な不安材料が三つあった。
一つ。カインだ。カインは生きていたものの、仮面のヴァンパイアに惨敗したとのこと。生きていれば問題ないと、そうカルム辺りの馬鹿は言いそうだが、全くよくない。ただでさえ、『剣聖』スズナリや『勇者』フェンデルの件で、自信を失いかけていたカイン。そこに追い討ちをかけるかのような敗北。弱すぎる俺には、強すぎるカインの気持ちは絶対にわからないだろう。けれど、敗北の痛みと挫折だけは、そのカイン本人から教えられてきた。
「あいつの事だし……」
最後まで言えずに口が止まる。アーニャと共にこの場所に見舞いに訪れたカインの表情は、やはり強がっているようだった。そして、手のひらには大きなマメがいくつもあった。
気負い過ぎな気がする。強くなろうとするのはいいけど、その方向が定まっていない。……弱い俺なりの意見だけど。
言葉にはせずに、喉に用意された空気をのみこんで、腹筋が裂けるような痛みを味わう。顔を歪めたのは痛みのせいで、カインを思ってではない。
「てぇ……。まあ、あいつは後回しだな。次が……」
二つ目。ロゼ。こちらは負けたわけではないし、問題なく事を進められた人物でもある。ここだけ聞けば、何も問題がないと思うだろう。けれど、俺は、ロゼがシュラキルの首を落としたあの時、形容しがたい拒絶を感じた。それは一度、俺が侵略戦で味わったものと似ていた。四天王『双』ロゼ・アルメリアの拒絶。
赤いドレスを纏い、血の吹き出るシュラキルの体を見届けるロゼのその姿は、復讐に囚われた鬼のようだった。
正直俺も恐かった。あのロゼが。
レフィの時のように、その復讐を止めればよかったのかもしれない。でも、俺はあの場で止めることはできなかった。恐怖ゆえに。
微かな後悔が俺の目を曇らせる。ロゼをこのままの状態にしておいていいのかと。このまま復讐心を持ったまま、その対象の一つでもあるエルフの国セザレインに向かっていいものかと。
「でも、それも答えが出る問題じゃないし、杞憂かもしれないけどな……」
いつの間にか強く握っていた拳をほどいて、俺は最後の懸念を宙に浮かべる。
「そして、最後……。実はこれが一番軽い問題なのかもな」
最後は、さっきのカインの話で出てきた仮面のヴァンパイアの事だ。単純に敵として考えた時、実力はカイン以上。つまりは特級冒険者よりも上か、同等の力を持つ相手だろう。そして、ヴァンパイアの狙いがロゼとロアだった以上、いまだにこの仮面のヴァンパイアに狙われる可能性も付きまとうのだ。
つまり、今回の件は綺麗に収まったとは言えず、尾を引く結果となったのだ。
「はぁ……」
どうしてもため息が出る。今の俺の体でできるのは、体に溜まった負の感情を呼気に乗せる程度。未熟な自分を鍛えることもできず、不安を払うこともできない。
何か良いことでもあればなぁ。
「たっだいまっ!」
そうこうしていると、買い出しに行っていた三人が戻ってきて、俺はどうしようもない感情を内に隠すのだった。
*
「でさ。鹿肉って言うのが売っていたのさ。ガイラスの森を専門とする狩人がいて、そこでよく取ってくるんだそうなんだけど、狩人の数が少ないから、獲物が大きくなりやすいんだって」
「――うん。見たらわかる」
「折角だし、回復のためにって、私たちの自腹で買ってきたのさ。アイトのために」
……おう。
俺は目の前に置かれた焼かれた鹿の足と思われる肉を見る。その大きさは俺の顔よりも大きく、それこそ自分の太股よりも大きい。
もしかして、これを俺に全部食わせる気じゃないよな?
不安になって三人の様子を見ていると、三人が食器を用意し始める。一人分の。
「安心してほしいのさ。何も一人で食べさせるなんて酷なことはしないのさ」
「おっ! よかった。だよな。普通に俺だけだとしんどかったから」
「三人でアイトに食べさせてあげるから、体を休めて食べてね」
「おぅ……」
違う。そうじゃない。
今回は全く悪意のなかったアリシアの発言に、俺は凍りつく。捉え方が違ったせいで、一瞬安心してしまい、上げたあとに突き落とされた。
誰も腕を動かすのが辛いわけじゃない。この量を胃に収めるのが辛いのだ。
どうしようか。普通に善意だし、食べられるだけ食べるか。あとで限界になったら三人に食べてもらえばいいし。
そう当たり前の思考に至ってから、別の重要なポイントを聞き流していたことに気がついた。
「食べさせてあげる?」
「そう。まずは、私から」
アリシアがホカホカと美味しそうな蒸気の昇る肉を一口サイズに切りフォークに刺す。そして、少し息を吹きかけて冷ましてから、俺の口元まで持ってくる。片手を下に添えて、とても上手ではあった。
あったのだが……。
目の前に真面目な表情のアリシア。そして、それを見守るロゼとレフィ。そして、口を開けることしか出来ない俺。つまり……
恥ずかしいっ!!
普段よりもおふざけが少ない分、直接的に羞恥が現れた。特にこうして真面目な時は普通に外観の綺麗な女性陣。『女運C』はあくまで、性格で差し引かれてCなだけ。つまり、癖のある性格が出てきていない今は、純粋にただただ美女の集まりなのだ。
アリシアが目の前に鹿肉を差し出す。けれど、見た目を見ることなく、俺の視線はアリシアにいく。
片目を隠れているアリシアだからこそ、逆に視線を強く感じた。何気なく目が合い、俺は咄嗟に目の前の鹿肉に目を逸らして寄り目。
心臓が高鳴る。それがさらに恥ずかしくて汗が出る。なんだこれ? 新手の嫌がらせなのか?
そして、口の中に鹿肉投入。折角のご馳走なのにごめんなさい。味を感じる余裕がないです。
俺は等間隔で顎を上下させて、喉の奥へと肉を押し込んだ。作業。それ以上の意味のない食事。感想もなにも言わないけれど、それを見てアリシアがにこり。それが追い討ちとなって俺は赤面する。
「どうかな?」
「あー!! うん! おいしかった! おいしかったよ! ちょっと交代! アリシア交代!」
顔を下に向けて、アリシアを言葉だけで追いやる。すると、やや不満そうに唇を尖らせるアリシアがチラリと視界に入った。
これで無事に食事を楽しめる! とはならない。現実は役者が変わるだけ。肉をフォークに突き刺したレフィが目の前に準備中。
くそっ。逃げ道がない。どうする? 開き直るか? うん。そうだな。変に意識するからいけないんだ。堂々と、いつも通り構えていればいいんだ。
そして、俺はいつも通りを意識して、レフィの目を見た。すると、少し恥ずかしそうに耳を外側に丸めて、目を斜め下向けて、こちらに肉を差し出すレフィ。
まずい。その反応はなんか恥ずかしい。なんだこれ!? ドキドキするんだけど!
俺は乾いた口の中に入れられた肉を噛む。噛んで噛んで噛み続けて、忘れた頃に飲み込んだ。今回も味はしなかった。
「ふふっ。いー雰囲気だねぇ」
「やめろ。アリシア。やめてください」
俺の『剛健』では守れない弱い部分が、優しく撫でられる。新しい攻撃手段だ。照れ殺し。
今、俺は、間違いなく男の冒険者として試されている。元々女性の比率が高いこのパーティーだ。普段は意識してなかった。けれど、こうして女性っぽさが出てきた時に、如何にパーティーメンバーとして割り切れるか。それを試されているのだ。
「よし! やるぞ! 頑張るぞ!」
「おっ、元気が出てきたようだね。じゃあ、最後」
「えっ? この流れ。やっぱりやるの?」
と、俺は硬すぎる首の筋肉を酷使して、巨大な肉塊の隣にいたロゼを見る。すると、当たり前のように肉の状態を確認しているロゼがいた。
「当たり前じゃ。それに、二人を見て、やり方は理解しておる」
「何の!?」
えっ、まさか、あの硬派なロゼが? 俺に? 食べさせてくれるのか? ヤバい。これはまずいぞ。
ロゼはハッキリ言って一番女性として魅力的なのだ。この年頃の男であれば、誰しもが二度見するであろう美貌。そして、高貴な品性を持ち、それでいて適度な優しさもある。
ラスボスだ。どうする? 俺?
これを真正面から受け止めるには、幾年もの修行を積まなければ無理だ。となれば、選択肢は一つ。
――目を瞑ろう。
そう。見えなければなにも恐くない。顔が良い? それがなんだ? この恥ずかしすぎる状況も見なければいい。ただ、開いた口の中に飛び込んでくる肉汁に舌鼓を打てばいい。それだけだ。
目を瞑るとようやく料理のことへと集中ができた。獣臭さがないのは、アリシアの調理の賜物だろう。鼻に意識を集めてみると、心なしか、最初に食べたナンシンの香りがした。
「これは美味しいかもしれないな」
「さて。よいな。ほれ」
ジュワッと広がる肉の味を楽しませて……
「あー?」
ジュッ。
あれジュッ?
求めていた効果音とは似て非なる音が聞こえた気がした。そして、少し遅れてやってきたのは、地獄のような熱。唇、鼻先。付着した油分から熱が一気に伝わってくる。
俺は恥ずかしさがまだマシだったと思えるような苦痛に、目を見開き布団に顔を押し付ける。
「あっつうぅ!! ……ってぇ!!」
熱さに身を捩り、筋肉の痛みで悲鳴を上げる。地獄だった。体を動かさなければ熱を我慢できないが、動かせば筋肉と筋が悲鳴を上げる。なんだ、この逃げ場のない痛みの輪廻は!
そこで、ようやく助け船が出されて、レフィが濡れたタオルを持ってくる。それを顔に当てて俺はロゼを睨む。そこにはなんと、切られていない鹿の足をタオルで持ったロゼの姿があった。
「何でこんな事をやったか、理由を先に訊こうかな? ロゼ」
「なんじゃ? 誰がアイトの顔を一番赤くさせられるかという、娯楽に興じておったのではなかったのか?」
「なに!? そのとんでもない遊び!?」
いや、まあ、確かに俺の顔は赤くなってたさ。でも、それで遊ぶか? しかも、一人だけ赤くするが物理的なんだよ。余興になってないんだよ!
冗談なのか本気なのかいまいち判断できないロゼに対して、ぐぬぬと喉の奥から声を漏らす。
「まあ、本音はヴァンパイアの屋敷で燃えておったのに、生きていた理由が知りたかっただけじゃ。まあ、熱が効かぬわけではないようじゃな」
「そんな風に試さないでもらっていい? 俺たち仲間だからさ? 普通に訊いて? お願い」
まだパーティーとして馴染めていなかった弊害だろうか。いや、完璧な悪ふざけだろう。でも……
「ははっ」
俺は急に胸のつっかえが取れたように笑った。
こんな風に馬鹿馬鹿しい事やってたら、気が紛れる。何より、さっきまで深刻に考えていた事よりも、目の前の方が緊急事態。こいつらといると、過去の事を考えてる暇なんてない。
急に笑い出した俺を見て、三人が不思議そうにこちらを見ていた。けれど、そんな様子も普段の平穏のようで嬉しくなる。
「うん。元気は出たみたいだね」
「まあな。ありがとう。三人共」
すると、ようやく三人も普段の調子に戻る。何だかんだで、思い悩んでいた事にみんな気づいていたのかもしれない。やっぱりうちのパーティーはこうじゃなければ。
そうして、前向きに考えていこうと思い、例の肉にナイフとフォークで挑もうと意気込む。すると、この部屋の扉がノックされた。
「はい! どちら様」
すると、当たり前のように答えもなく扉が開かれた。
ここにいないはずの人物。その姿を見て俺たちは少なからず、動揺した。
黒い燕尾服にモノクルを身に付けた老紳士。トーリスのウォルハイム邸でしか見たことがなかったその姿。
「これはこれはアイト様。料理一つまともに食べれないと。相変わらず冒険者には不向きなようで」
と、変わらない鉄仮面を被った執事のリーからの再開そうそうの挑発に、俺はナイフを投げるという答えで抵抗した。
――ナイフは一メートルも飛ばなかった。
ご愛読ありがとうございます!
投稿再開しました。投稿の頻度時間については、変わらずにやっていきますのでよろしくお願いします。




