31 花の香りに誘われて
女の子に誘われる。字面だけ見れば、非常に魅力的で、男であればどう転んでも悪い気持ちにはならないだろう。けれど、残念なことに今の俺には、その後に付加された内容が多すぎて、感情が後回しになっている状況だった。
温い夜風に当てられて、待ち合わせの時間までぼんやりと頭を回していた。
失くした冒険者カード。行方不明事件。シルキーの預言。そして、カイン。
その全てがぐちゃぐちゃで、その何れもが一人で手に負えるような問題ではなかった。
それでも、長閑な風景は変わらない。木々から落ち行く木の葉も戻りはしない。そして、やって来たアーニャの笑顔も変わらない。
「アーイト。どう! 可愛い?」
クルリと目の前で薄いピンクのスカートの裾を巻き上げながら回転するアーニャ。正直あんまりアーニャの姿が目に入らない。
「可愛いよね?」
「……」
「可愛いって言え」
「はい。可愛いです」
地を這うような低い声音に体が本能的に動いた。硬くなったから、こうやってアーニャに怯える必要はないけど、どうやら体に染み込んだ恐怖は抜けないようだ。
懐かしいな。適当に可愛いって言ったら、「どこが?」って聞き返されて、後々物理的にやられたっけ。あれ? そう言えば、今俺なんて言い返したっけ?
「ねぇ? どこが可愛いの?」
ヤバい。トラウマ再現。
これは思いの外深刻な事態のだったようだ。考え事をしている場合ではない。じゃないと、更に考え事が増えてしまう。
生き残らなければ! このアーニャとの散歩で!
「うんうん。そのピンクのスカートの色合いが適度でさ、おしとやかーな雰囲気が、この自然味溢れる街並みと合ってるかなって」
「よし」
よし!
俺は心の中で大袈裟なほどの勢いでガッツポーズ。
そんな風に一見微笑ましいように見える男女の戦いが始まる。
いざ! 戦場へ!
*
既に日の落ちた街を、穏やかなオレンジ色の民家の灯りが照らす。所々に咲き乱れている花たちも、その色に染められて、一貫して温みを含んでいた。
楽しいとは違う。けれど、息苦しさを感じない散歩だった。何となく歩いているようだったが、時折アーニャに手を引かれて進路を変更しながら歩みを進める。
街を囲う低い外壁から遠ざかりながら、手頃な会話で和んでいく。
「そうそう! アイト! 私C級冒険者になったんだよ」
「おおっ? スゴいな。でも、俺の目から見た感じだと、BとかAまでなれそうだったけど」
「うーん。そこは普通に一つずつ階級が上がっていくから仕方ないんだよ。アイトはどうだったの?」
俺は最下級のF級から最上級の特級まではね上がった。これは例外中の例外で、普通は一つずつ地道に上げていくしかない。
「俺は五個ぐらい飛ばしたかな。でも、参考にはしないでね。F級が、事故みたいな形で、S級以上のレベルのクエスト受けたみたいなもんだから」
「私もおんなじようにしたら特級になれるのかな?」
「ん? 特級になりたいの?」
少し前のアーニャは、確かに魔法には興味はあったけれど、高みを目指している雰囲気はなかった。おしとかやか……かどうかはさておき、普通の村娘として生きていくような気さえしていた。けれど、実際はどうだろうか。昼間の風の魔法を用いた移動。更にはカルムからも指導を受けている。俺が見えていなかっただけで、実はアーニャも冒険者としての高みを目指していたのかもしれない。
「ううん。なりたくないとまでは言わないけど、目指してるわけではないよ。ただ私は二人に置いていかれたくないだけ」
「置いてかれる? 敏捷なら置いてかれるのは俺だけど」
「もう! そう言う話じゃないの! まったく」
アーニャは呆れたように俺の背中を叩く。
「一人は勇者で、一人は特級冒険者。その中に取り残されたC級冒険者は?」
「あー。確かにそうやって肩書きだけ見ると居心地悪そう」
現に、俺もそれに近い疎外感を感じながら、アーニャとカインから離れていった。俺はそこで、一踏ん張りが出来なかった。けれど、アーニャは負けずに追い付こうとしていた。
やっぱり強いな。強くて眩しい。
「ふふっ。でも私も成長してるんだよ。この前なんか、歩いているカルム先生の姿を、ようやく目で捉えられたんだよ」
「ごめん。その成長はよくわからない」
カルムは確か、走ると風だのなんだのが巻き起こるせいで、国から街中で走ることを禁止されている。それ程の規格外な男ではあるが、歩く姿を見失うとは考えにくい。だって歩くなんだから。
「凄いんだよ。中身はノミだけど、実力はあるの。歩くだけで、私の魔法よりも早いもん」
「あれ? 俺の歩くの認識が間違ってるのか?」
そんな走るよりも速い歩くが存在して堪るものか。走るなと言われて、走るよりも速い歩きを実現されてしまえば、ぶっちゃけ何のために走りを禁止したのかわからなくなる。
「そうだ! ちょっと競走してみようよ。お互いの成長を知るために」
「えっ、俺負けるけど」
「行くよ~。ゴールはこの先の広場にある噴水まで。よーい。どん」
「ちょっと待って」
と言ったが、言葉は耳にも心にも届かなかったようで、信じられないような速さでアーニャの背が遠ざかる。俺も本気で走りはするが、それでも、所詮は敏捷86。追い付く筈もない。
小さな林の中に造られた、くねくねとした道を走り抜けて、遂に目指していた広間が目の前に明らかとなった。
自然だった。花、木、岩。とても街中とは思えないよう絶景だった。細々とした通路の脇に広がる花畑。街の外とは違い、高低差を持たせて計算高く植えられた花。大地に根を張る木は、一本そこに佇むだけで、華やかさの中に落ち着きを生み出す。芸術的に並べられた様々な形の岩は、灰色の統一感の中にアクセントとして、違う色が混ざっていたりして、飽きさせない。
昼に見ていた花とは違う美しさが眼前に広がり、全力疾走で渇いた喉や、荒れていた呼吸を忘れて、日の落ちた夜の世界にのめり込み。
「アーイト! 遅いよ~! こっちこっちー!」
岩を積みかさねて造られた、荒々しくも芸術的な噴水の端に手を触れながら、アーニャが呼ぶ。少しだけその様子が昔の三人で遊んでいた時間を思い出させて、俺の重くなりつつあった足から、重さを取り払った。
駆ける。駆け抜ける。目線より少し高い植え込みを通りすぎ、花畑の香りをふんだんに肺に詰め込み、敷き詰められた石の庭を蹴りつけて。
「よっしゃ! ゴール!」
「お疲れさーま。先着は私だったけど、良い走りだったよ」
ここで、無様な走りだったなどと無粋な自虐はしない。今はこの空気を、ふんだんに、思うがままに、楽しむのが正解だ。
「今までで一番気持ちいい全力疾走だった」
心地よさに頬が綻ぶ。顔が適度に暖かいのは、単に走りすぎて血が巡ったからだけではないだろう。
「ふふっ。ようやく笑ってくれた」
「ん? 俺も人間だし、笑うだろ?」
「そうだけど、私が会ってからここまで笑ってなかったじゃん。心配そうに周りの目を気にしてて、上の空だったよ」
ひどく胸が軋んだ。意識はしていなかった。けれど、アーニャに伝えられた事が紛れもない事実なのだと、頭より先に心が答えていた。
最後に笑ったのは何時だろう。思い返し巻き戻すように記憶を辿る。この街でカインたちと話して、盗賊と出会って、馬車に乗って、空間ゲートを潜って、馬車に乗って。その過程に俺が笑った時はあっただろうか。
「そうか……笑えてなかったんだな」
ロゼの預言があって油断できなかった。エドワルドの忠告が頭に残って、この街エルンが不安だった。そして、今痛んでいる胸にカインの言葉が突き刺さっていた。
だから、俺は笑えていなかった。初めて前向きな感情を失って冒険をしていたのだ。
「何かあったの?」
「……色々あった。ありすぎてた」
特級冒険者になって忘れつつあった事を思い出す。
自分で全ての責任を背負うなんて、俺らしくないよな。
「座って話そう。ちょうどいい椅子もあるし」
「そうだな」
ポツリと二つ並んだ石の椅子。形は少し歪だが、座り心地は悪くない。冷たい感触とどっしりとした心強い材質が、俺の心を落ち着かせる。
そして、二十センチ程離れた椅子にアーニャも座る。互いに顔を合わせると、正面の噴水の音が少し騒がしく聞こえた。
「特級冒険者だから、やらなきゃいけないって、守んなきゃいけないって、力みすぎてたんだよな」
「うん。アイトって無駄に強がりだからね。そこまで強くないのに」
「うっ」
相変わらずの歯に着せぬ物言いに、ダメージ受けるが、事実慢心している節もあったのだと思った。だから、一人でやろうと思ってしまっていた。
けれど、今は少し違う。俺の上にあった重しを、アーニャと分かち合おうとしている。
「でさ。まあ、この先はあんまり詳しくは話せないんだけど、狙われるから警戒もしなくちゃいけなくて」
「ふーん。私が守ってあげましょう!」
「いや、それは色々と問題になりそうだから遠慮。それから……」
それから……。
「カインが……」
なんと言い表せばいいのかわからない。直接的な喧嘩ではない。もっと見えにくくて、互いを削り合うような関係性。けれど、どちらにも悪意はなく、あるのは罪悪感と劣等感だけ。
アーニャは俺の事もカインの事も知っている。だから、より声が出ない。
「言葉にしなくてもわかるよ。だって私、二人の友達だから」
桃色の髪がサッと風に揺られた。
「普段通り振る舞ってるけど、二人とも相手を傷付けないように距離を取ってた。心の距離。でも、その距離が逆にお互いに拒絶してるように見えてるんだよ」
「……凄いな。当たりだよ」
カインらしからぬ言葉。あれにカインは少なくとも罪悪感を持っていると思っている。だからこそ、気にかけていないように、本心を偽って接した。けれど、結局それじゃなにも解決しなかった。そして、昼間の小さなトゲのぶつかり合いだ。
「そう言うところ、意地っ張りっていうか、頑固っていうか。ライバルって言うんなら、もっと真っ正面からぶつからないと」
「真っ正面から?」
「私みたいに殴るとか」
「本当にぶつかりにいくやつか!」
けれど、置いてけぼりにしたアーニャとは、今こうして本心で話せる程に関係性が戻っていた。いや、あの再開があって、より一層深く結び付いた。
俺は殴られた頬を撫でる。痛みはないし、そもそもその時にも感じていなかったけれど、未だに痛みとは違った熱を持っていた。
「人って相手に良い姿を見せるだけじゃダメなんだよ。特に友達はそう。ぶつかって、初めてこんな人間なんだってわかっていく。そして、次はそれがぶつからないように頭を悩ませながら、友達になっていくの」
アーニャは友達が多い方ではない。強気な物言いから、同い年の女の子からはかなり白い目を向けられていた。けれど、本心でぶつかり続けて、俺とカインという友達を得た。その関係は長く、学校に通う前からの付き合いだ。
決して多くはない人との繋がり。けれど、その繋がり一つ一つの固さを、アーニャは誰より理解している。
「アイトもカインも。いつまでも緩衝材みたいな生き方してたら、友達じゃなくなっちゃうよ。早く本心でぶつかるの!」
「ふふっ。はっはっはっ! 凄いなアーニャは」
上を向いて笑い声を上げる。星が普段より眩しくて、月が普段よりもボヤけていた。胸の下にあった重い感情が、笑い声と共に夜空に消える。
俺が持っていた考え方を正論で真っ向から砕いた。それがどれだけ救いだったか。どれだけ嬉しかったか。言葉には出来ず、感謝の意を伝えられるほど俺の喉は素直じゃなく、引き絞るように詰まった喉を、必死に上下させることしか出来なかった。
「大丈夫だよ。二人ともわかってるから。絶対前みたいに戻れるよ」
「――うん」
そうする。絶対に戻ってみせる。より一層ライバルとして競いあっていく。
「で、その時はさぁ……」
アーニャが珍しく言葉を詰まらせた。俺は気になって上に向いていた目を右側に向ける。
「私たちパーティーにならない? 三人で」
その表情は既に答えを知っているように暗かった。けれど、アーニャは正面からぶつかってくれるのだ。わかっている答えでも、自分が傷付くことになるとしても。
俺は再び空を見上げた。この先のアーニャの表情を見ていたら迷ってしまう。正面からぶつかれなくなってしまう。だから、これが俺の精一杯。
「ごめん。俺、今のパーティーが好きだから」
多分あの時、手を引いてくれたのがアリシアじゃなくてアーニャだったら、アーニャを取った。けれど、実際に先に手をとってくれたのはアリシアだった。少し変で常識もずれているアリシア。だけど、それが良い。そして、一緒に旅してくれるのは、物を壊す茶目っ気と愛くるしい猫耳のレフィが良い。
「そっか……」
風が大きく吹いた。花弁が舞い、灯りに照らされながら夜空へと散る。
「フラれちゃった」
アーニャの軽い口調の中に籠った熱に、気づかないふりをしながら、俺は花弁を眺め続けていた。
御愛読ありがとうございます。
この話の更新辺りから、以前の話の見直しや、基本的な文章の書き方を修正していきます。基本的には、「あぁ!そうか!」が「あぁ! そうか!」になったりする程度で、内容自体に殆ど変化はありません。
修正はしていきますが、引き続き投稿は続けていきますので、これからも楽しんで頂けたら幸いです。
ではでは!




