12 小さな背
血。血。血。
体を転がせてできた擦過傷から滲む血。魔石の発光と共に紫色に輝く大剣に付着した血。暴力的な厚みの青い大剣から一振りごとに飛び散る血。そして、地を覆う苔をおびただしい勢いで塗らす血。
「……クソッ。どうすりゃいいんだよ」
俺は『鎧』の目の前で何とか立ち上がり、奥歯を噛んだ。既に防具は砕け散り、頼れるものは仲間と手に握った相棒だけ。
「サリス!! ボウの血が止まらない!」
小さな両手を真っ赤に染めたメルが叫んだ。腕の中には、大きく腕を裂かれたボウが苦悶の表情を滲ませている。
赤い血肉の間から白い骨が見えた。早く治療しないと腕が……いや、命が危ない。
「どうすればいいってんだ」
けれど思考を放棄したように、俺は呟くことしか出来ない。逃げることも、倒すことも、二人だけ逃がすことも出来ない……。それだけ俺と『鎧』には、圧倒的な実力差があったのだ。
俺が振るう剣を魔物は構えもせずに全て受けきった。魔物は俺の攻撃を回避する必要すらないと思っているのだ。悔しいが、実際魔物の考えは正しく、魔物の体はおろか、鎧にすら傷が付かない。
そして俺の攻撃が終わると、魔物はニヤリと口許を歪ませて、何事も無かったかのように血塗れた大剣で俺を打ち付けるのだ。その度に俺の装備は破壊され、防御力が失われていった。
そんな窮地の中、俺は疑問に思っていた。
「なんで、こいつは剣の腹で攻撃してくんだっ!」
そう、この魔物は俺に対しては一切致命傷となる攻撃をしてこないのだ。魔石で出来た大剣は振り上げられることなく、蝿でも払うように側面で俺を叩く。それだけではない。魔物は俺がダメージを受けると、わざわざ回復するのを待って、また攻撃を始めるのだ。まるで弄んでいるかのように。
「畜生があぁぁぁ」
頬に薄く刻まれた擦り傷を乱暴に拭い、奴に向かって剣を振り上げる。踏ん張りが利かず、青く照らされた苔を厚い靴底が抉る。
ニヤリ。
奴が今度は牙を剥き出して笑った。多くの生物の表皮を喰い破ってきた鋭い牙が、顔を覗かせる。
「おおぉ!!」
大きく振り上げた剣は、これまでとは比べ物にならない勢いで振り下ろされた。これなら、斬れる。奴の鎧さえも貫いて両断出来る。そう錯覚させる程の渾身の一撃だった。
コン。
しかし、俺の淡い期待は、掌に激しい衝撃を残して虚しく消えた。その残った衝撃さえも、上から振り下ろされた大剣の衝撃に上塗りされて消える。
「がぁっ!」
あまりの衝撃に俺の奥歯が砕けた。切れた唇の端から血が垂れる。俺の心の表れなのか、力強く立っていた髪が、だらりと下りてきた。頼みの綱でもあった剣も、俺の手を離れて、近くの草むらに突き刺さる。
痛みに嘆く間もなく転がって距離を取り、もう少し時間を稼ごうと、空間ポーチに手を伸ばした。
空間ポーチの口に指先が触れると、不意に視界に暗い影が立ち塞がり、青い光が冷たくに俺の顔を照らした。
「……マジかよ。飽きたってか」
奴の鋼で覆われた足が目の前にあった。血塗れた足。今までの犠牲者の血が重なり、気持ちの悪いどす黒い模様が出来ている。
「ここまでか……」
俺が何もかもを諦めて、顔を上げるとすでに俺の最後を告げる青い大剣が振り上げられていた。
それを見て俺は死を受け入れて目を瞑った。
そんな時だった。
「間に合えぇ!」
唐突に飛び込んだ聞き覚えのある声に、俺は目を薄く開いた。それと同時に激しい衝撃が訪れ、俺の隣を中心に激しい土埃が上った。
俺は衝撃に体を仰け反らせながら、今度はハッキリと目を見開いた。
その見覚えのあるボロボロの服を着た小さな背中と、彼のすぐ横に深く地を穿った青い大剣――。
何でこんなところに居るんだよ。俺はおまえを騙していたと言うのに。何でそんな男の前に立っている。
「アイト!」
複雑な心境を乗せた叫びは、彼に届いたのかはわからない。ただアイトは、黒い目を爛々と光らせ、この数日の中で最も楽しそうに笑っていた。
「さて、始めるか。中ボス戦!」
アイトが戦線布告するのと同時に、俺の視界は、喰い尽くすように広がる紫煙によって閉ざされたのだった。
「ハイ!チーズ。いやー。良い笑顔ですね魔物さん」
『ニヤッ』
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